247号 2018年10月25日 |
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![]() 今回の大会は終了後に30周年祝う会が控えていたため、12時開会・13時30分閉会ということで、駆け足で行われました。例年より参加者が多く、会場が狭く感じられるほどの熱気の中で、大会は開始されました。そんな中で初の議長に選出された松下さんは緊張気味でしたが、時間を追ってスムー ズに議事が進行されました。2017年度活動報告、決算、監査報告を受け、2018年度活動方針、予算が提案されました。スト権の確立、新役員の選出については一票投票も行われ、最後に新しく執行委 委員になった3名が決意表明を行い、大会は予定通り13時30分に終了しました。ご挨拶は祝う会のほうでということであったにも関わらず、ご参加いただいた来賓の皆様(シニアユニオン、派遣ユニオン、プレカリアートユニオン、東京管理職ユニオン、東京ユニオン東日観光支部、三宅弁護士)ありがとうございました。
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「ユニオンものがたり」30周年記念の詩の創作
この度、日音協の関東ブロック合宿で、人生で初めて詩の講師を担当することになり、9月22日から24日まで茨城県日立市の海辺の宿に宿泊しました。合宿の1日目は、詩を創作するための講師を担当しました。内容は、日頃、電車の中や自宅アパート等で時間を見つけて書きためてあったことを読みました。まずは、20年位前に、山武市まで整体に通っていた先の先生が、詩を作っていたことから説明しました。つぎに、青森に西内さん達と共に、約10年振りに、帰省して臨時の同窓会を開催させて頂き、人によっては、40年ぶりに再会した人もいました。夕方から夜中の閉店まで盛り上がったことなど。そして、帰路には、福島原発事故現場近くを夕方頃に通過して何とも言えない寂しさ、不気味さなどをお話しました。そのため、今回の日立市は、約1年振りであることになりました。そしていくつか、自分で作った作品を読みあげていきました。自分の詩について、声を出して読むのも初めてあり、さらに、講師として発表するのも初めてでした。来年は、秋田での音楽祭が開催されるのですが、青森の友人達は、次は5年後だと言われているので、来年は行けるのだろうかなどとお話しました。 合宿の2日目は、3班に分かれて、5人位で集まりました。詩の創作の時間となり、なのはなユニオンが、来週、30周年の大会がありますとお話しましたところ、自然と私が所属した班は、記念に詩を作ってみようとなりました。非正規から正規になかなかなれない、会社側が法律を都合の言い様に解釈して活用している等々。無期転換のルールの内容と共に、実際には、なかなか無期転換できていない現状などをお話しました。ほとんど、私がお話した内容をもとに、詩を創作して頂きました。 「ユニオンものがたり」という詩が完成して、曲付けも、それぞれ、手書きで作曲して頂き、3曲位完成しました。私も頭の中では、部分的に曲ができつつありましたが、譜面に落とす技術がないため、できませんでした。先輩の皆様が曲付している間は、繰り返し、私の頭の中でメロディを考えていましたが、今ではすっかり忘れてしまいました。曲が3曲位完成しました。合宿3日目の発表会で先輩方が完成した曲を歌って頂きました。残念ながら、私に曲を再現することはできませんが、完成した手書きの詩がありますので、以下に掲載させて頂きます。(田中) 「ユニオンものがたり」 作成 合宿メンバー共同作成 不安定な日々 突然の解雇 暗い気持ちで 掛けた電話 出口のない ぼくの悩みを 受け止めてくれた あたたかな声 つながっていく 同じおもい <* 繰り返し スタート > 知らなかった この社会(現実) 見えてなかった 仲間の顔(笑顔) 僕を支えてくれる 大切な場所 ひとりではたたかえない みんなの心を重ねたい 背中を押してくれる仲間がいるなら ぼくの道を照らしたあかりで 君の街まで照らしたい <* 以上 繰り返し 終了 > 「五年たったら 正社員」(になれる) けれど五年を前に 派遣切り 五年を過ぎたら「無期契約」 仕事をたくさん 押し付けられて 正社員の話はどこいった < * 繰り返し 部分 > ![]() 声をあげたくても あげられない クビになったら どうしよう 低賃金でも 文句も言えず 心までにぎられたまま(ている) しぼりとられて けずりとられる < * 繰り返し 部分 > ![]()
9月17日、代々木公園にて「さよなら原発全国集会」が開催された。当日は天候に恵まれ、8000名が参加した。なのはなユニオンからは8名が参加。 13時30分から野外ステージで始まった集会は、冒頭、呼びかけ人・鎌田慧さん(ルポライター)が挨拶をした。続いて、澤地久枝さん(作家)、福島原発発刑事訴訟支援団の佐藤知良さん、原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟の吉原毅さん、辺野古の海を土砂で埋めるな!首都圏連絡会の与儀 睦美さん、などなどが挨拶された。最後に、総がかり行動実行委員会の福山共同代表から行動提起があり、落合恵子さんの閉会挨拶があり、デモ行進に出発。 福島第一原発事故から7年半が経過したからなのか、参加者が減り、集会がちょっと寂しくなって来ているなと思いながら、外苑前駅をめざす。 |
![]() ![]() またまた山に行ってきました! 70代に突入という事で、来年は登れるのかという想いが心を急かし、5月から10月にかけて月1回の登山を目指した。今年最後? かなと思いつつ、10月4日から7日にかけて、常念岳2857mから蝶ケ岳2677mを縦走した。台風25号の動きを気にしながらであったが、5日に、一ノ沢登山口から上り始める。前泊の宿の栞に「家族連れが水を心配しないで登れる」と書いてあった通り、沢沿いをひたすら登る。「胸突き八丁」と書かれたところを過ぎる頃より急勾配に。紅葉とは言えないが、黄色に色づいた景色を眺めながら、秋晴れのなか、常念小屋をめざす。1時15分に到着した常念小屋周辺は風が強く、気温が下がる。明日の縦走が出来るかどうかは、明日の早朝の判断として、心地よいストーブがある部屋にあった漫画「課長島耕作」にはまる。山の中だからこそ得られるこんな時間はとても贅沢。6日の5時に朝食を食べ、縦走開始。濃霧の中、乗越前で出あった下からのぼる太陽は神々しい。その反対側に、一瞬、槍ケ岳の穂先が浮かび上がり、その姿を見ただけで来てよかったと思う。縦走の稜線は北アルプス随一の呼び声高いところであったが、何も見えない。常念小屋を出発してから2時間ほどで常念岳山頂に到着。小雨も降り始め、風はますます強風に。立っていると飛ばされそうに。一緒に上っていた山仲間の井氏の帽子が飛ばされる。一瞬前に進むのを躊躇。そんな中で、這松の茂みに雷鳥の親子が5羽。警戒心もなく、餌を探しているところに出会い、心が和む。ひたすらアップダウンを繰り返し、風雨の中を、腰を屈めて飛ばされないように、蝶ケ岳ヒュッテをめざして歩き続ける。やっと13時に小屋に到着した時は、よくぞ飛ばされなかったとホッとする。暴風雨が一晩中止むことなく続き、小屋に吹き付ける風の音で目が覚めるほどであった。その度に、明日はと気になったが、翌朝は風がおさまり、晴天に。小屋のすぐ近くの蝶ケ岳を往復し、三俣登山口をめざし下山。穂高駅近くの「シャクナゲの湯」につかり、松本から特急あずさで新宿に向かう。登山口まで乗った往復のタクシー運転手さん二人から「この近辺では常念登山が学校行事に組み込まれていて、水も自由に飲めないで、時間に急かされてただただ10時間もかかる登山で、皆、山嫌いになる」との話しを聞く。若者にもっともっと山に登って欲しいと願っている山好きからしたら、山が近くにあるのに、山嫌い!?もったいないな・・・。 (桃)
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