260号2019年12月25日 |
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来年も元気で!楽しく!激しく! 来年もがんばります! [オリエンタルランド・ユニオン]
11月28日、第8回裁判が行われました。会社側は、原告Bが主張するパワハラ「病気なのかそれなら死んじまえ!」「てめーのワガママはきいてらんねーんだよ」などの発言について、「酔いが回った飲み会における酔余の発言。」と主張しました。酔ったうえでの発言は許されるのでしょうか。又「死んじゃえNISSAN」「行っちゃえNISSAN」と言ったことについては「当時のテレビCMのフレーズを用いた軽快な表現のアドバイスと主張しました。会社が「酔余」「軽快な表現でのアドバイス」だからパワハラではないとしてしまうところに、パワハラの温床があると思いました。次回から裁判は、裁判官が原告二人一緒だと準備が大変であるということで、原告A・原告Bと別日で行われます。2020年1月29日16時から原告A、3月10日16時から原告Bの裁判が予定されています。 裁判と並行して行っている交渉 OLCは、準社員については私傷病による休暇制度や休職制度を設けていないということで、準社員就業規則第56条第1項第3号「「欠勤、休日、契約休日および年次有給休暇により、勤務に就かない日数が、継続して30日を超え、かつ契約期限までに復帰できる見込みがないとき」には退職とする。」を根拠とした雇止を行っています。裁判中の原告Aは、業務過重による労働災害が認定をされ休業をして、医師から職場復帰可能という診断が出ました。しかし、復職初日に、出演者20名程が待機しているところで、「どのツラ下げて来てんのか見に行ってやろうぜ」と大声で先輩が呼びかけたことを知りました。また別の先輩からも「謝罪」を求められ、会社に行くことが怖くなり、心の病気と診断されて休業に至り、2019年9月30日をもって雇い止めとなりました。 キャストAは、ゲスト対応に問題があったとされて2回、そして更に何もなかったのに3回目の「パフォーマンステーマ・スキル指導確認書」を書かされました。指導確認書には「改善ができなかった場合、時給およびグレードの変更、あるいは契約が終了となる可能性がある」と明記されています。キャストAは更新の不安と指導確認書をめぐるSVとのやりとりで心の病気を発症し、休業せざるをえませんでした。会社は2019年10月18日に雇い止めを通告しました。 組合員外のキャストからも相談が キャストBさんから、「仕事に必要ということで、OLC指定のクツ(4150円)を購入したが足に合わず、4回も買い換えたが、親指の爪がはがれ、足に力が入らなくなり、立っているのがやっとの状態になる。医師から「足の酷使でなる病気。3〜4ヶ月の安静が必要」と言われ、SVに話すと「長さによっては守ってあげられない」と言われ、1ヵ月の休業としたが治らない。11月にSVから「辞めてくれ」と言われた。」との相談がありました。理不尽なパワハラによって心が壊されたり、過労性の病気や怪我などなどで休業し、1ヵ月経ったから復職か退職かと言われても、どちらも選択できないのが実情です。更に「復職=100%」で元職にもどれるのか問われても、医師も当事者も明確に判断できないのも実情です。
また会社が交渉で「始末書ではない」と公言した指導確認書も、書いた人には相当なストレスになっています。8月30日の交渉で「だったら、書かなければいい」と言い、ユニオンが「現場では書かなければならないものとなっている」と言うと、会社は「書かなくていい」と断言しました。ユニオンは、ゲストとのトラブルを繰り返さないための改善について、会社とキャスト双方で確認することは重要であるが、一方的にキャストが問題であるかのような上記文言は削除すべきだと求めています。同時に、納得いかない場合は「書きませんと言おう」と舞浜アクションで呼びかけ続けます。 |
11月26日、「派遣先が来ないでくれと言っている。他の就労先を紹介してもいいが、胃痛だと紹介しにくい。無理だと思う。寮は今月末か来月初めに出て行ってくれ。」と言われたと、Sさんが切羽詰まって事務所に来ました。寮を追い出されたら行く所がないということだったので、派遣会社にその日のうちに交渉申し入れをFAXで送信。次の日、会社から「寮については、次の仕事が決まるまで」との返答があったので、やっと落ち着いて交渉に入りました。派遣会社も契約解除についての申し入れについて30日前予告ができていなかったこと、次の仕事紹介をしなかったこと、派遣先でパワハラ的言動があったことを認め、速やかな対応をしたので、本人が納得できる条件で和解が成立しました。 Sさんの事案は2008年の派遣切りを思い返しました。ここまではユニオンと会社との交渉でできたのですが、次の一歩を進めるための壁がありました。就労期間が1カ月だったので雇用保険が適用されない、仕事を探さなければならないが住まいがない、住むところを決めるためには連帯保証人が必要、親族で連帯保証人になれる人がいない、不動産屋紹介の保障会社を利用するのには働いていないと・・・などなど。Sさんはギリギリのところで連帯保証人になってくれる人がみつかり、住まい、仕事と進むことができましたが、一時は思案に暮れました。久しぶりに派遣村の村長をやった湯浅誠さんの「溜めがない」という言葉を思い出しました。来年は景気が悪いと言われています。Sさんのような事案が続かないよう、願います。
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毎日新聞2019年12月4日 |
私はなのはなの組合員となり、数々の争議を通じ様々なことを学んできました。そしてまた、なのはなユニオンの組合員と結婚し新たな学びを得る機会に恵まれました。 機能不全家庭に育った私は、相手に理解してもらうことが出来ず、傷ついても耐えるか逃げるかのどちらかでした。その私が自身の争議で得た一番の成果は「相手に理解してもらうこと」でした。教えてくれたのは元上司であり、夫となったMです。私の闘争事案だったパワハラの当事者の1人です。一方パワハラの当事者とはいえど、私が争議において全面勝利出来たのはMの力が大きく、今こうして活動することができているのもMのおかげでもあります。 元々、組織の在り方、仕事の進め方、法律の解釈を教えてくれる、昔の闘争の話もしてくれていたMのことは、とても尊敬し慕っていました。同い年の娘さんがいることもあり、とても可愛がってくれていました。娘さんともずっと仲良しです。また「会社に対し権利を主張するのは当たり前、権利は主張して得ていくものだ」との考えを持ち、次々と社長に待遇改善を要求し認めさせていました。 パワハラは思う通りに従わないMを「従わせたい」と思う社長と「社長のやり方はおかしい」というMとの双方の苛つきを私にぶつけていたものです。特にMから出る暴言は日常の仕事に対する姿勢とは真逆で、その分余計に傷つきました。やがて精神的に壊れていき、退職をMに申し出ると「逃げずに社長と闘うべきだ」と言うので逃げるために「あなたのせいでもある」と伝えました。するとMは「申し訳なかった。闘うのなら全面的に協力する」と言い、頭を下げたのです。私に対して自らの非を認め、謝罪したことに本当に驚きました。Mは私を病院に連れて行き、医師に自らのパワハラが原因であると告げて「会社でのパワハラが原因である」と記載された診断書を手にし、自らも組合員となり私の争議を支えつつ、自らの権利も勝ち取っていきました。 争議中は関わってくださった皆さんのアドバイスをいただきながら「労働審判において審判員に」、争議後も「ハローワークや労基署」等、置かれた状況が変わっても相手に理解してもらう方法を考え実行することで、こちらの要求を全て満たしたものを得ることができてきました。 この頃になるとMの身内をみて「この人達は私の家族と真逆だけれど、身内ってなんだろう?」と考えるよう になりました。そんな折、Mが大腸ガン、大動脈解離を発症しました。その際親戚、特に娘さんから「父をよろ しくね」と言ってくれたこと、「この先これだけ尊敬する人はいないだろう」との思いから、妻として今後はMの姿勢を間近で見ながら、様々なことを得ていこうと決断しました。既に一つ、パワハラの時と同じ状況になっ たときに「うるさい!やつあたってるんじゃないわよ!」と言える強さを得ています。完全復活したMは苦笑い をしていますが、感謝をし日々を過ごしていこうと思います。 (A・M)
ご無沙汰しております。寒さが深まって参りましたが皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか? この度ベースを成田からアムステルダム(オランダ)へと移行することが決定致しました。2019年 の夏にオランダ人向けの採用を一から受け、会社の"オランダ人"としての条件が全て揃い(とはいえ、色々と擦ったもんだがありましたが)2020年1月1日より日本支社での契約を離れ、本社採用となります。 会社としてはユーロ協定が発足されてから、アジア人客室乗務員がオランダベースに移行するというのは初めてのことだそうです、契約内容などの打ち合わせも終え12月末まで残りの乗務をするのみとなりました。 従いまして、会社の契約も住民票、健康保険その他諸々が日本から離れ、完全にオランダへと移行しますので、12月いっぱいをもってなのはなユニオンからも退会させていただきたく、ご報告させていただきました。 娘もまもなく2歳となります。鴨さん、皆さんに抱っこしてもらいたいと思いながらも日々のオランダと日本間の乗務と加えて通勤、育児に追われてあれよあれよと時間が経ってしまいました。オランダベースとなれば時間、体力、気力に余裕ができますので、成田への乗務があった際にはご挨拶に伺わせてください。 こうして現在も楽しく働けていること、オランダベースに移行できたのも、そのきっかけは全て2016年になのはなユニオンの皆さんに出会えたおかげです。心より感謝しております。組合員としては12月末までとなりますが、今後もなのはなユニオンを微力ながらも応援していきたいと思います。 (S・D) |