2020年10月25日 No.269 |
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なのはなユニオン第33回定期大会開催 第33回定期大会が10月3日、藤崎5丁目東部会館にて13時から開催されました。今年はコロナ感染の危惧ありの開催なので、来賓の方々には参加をご遠慮いただき、メッセージをお願いしました。代議員23名が参加し、委任状と合わせて組合員の過半数を超えて大会は成立。大会議長に安部さん、書記に清水さん、議運に井藤さんが選ばれ、議事が開始しました。 鴨委員長「コロナ禍はユニオンを必要としている。仲間を拡大しよう」の挨拶、全国ユニオン鈴木会長挨拶、二階堂・松戸市会議員、鈴木・柏市会議員の挨拶、メッセージの紹介と続きました。佐藤書記次長から2019年度活動報告・2020年活動方針提案、鴨副委員長から決算報告・予算提案、尾辻監査委員から監査報告を受けて採択されました。その後、大会運営委員・井藤さんの指示でスト権移譲決議案と新役員提案に対する投票が行われ、スト権が確立し、新役員も選出されました。今回の大会で富士そば労働組合支部長・安部さんが新役員に就任をし、成田エアカーゴ支部梁川支部長が会社を退職したということで辞任しました。最後に西内副委員長の閉会の言葉で大会は終了しました。 終了後は恒例の懇親会とはなりませんでしたが、コロナ感染を危惧しながらささやかな場をもちました。 活動報告の中で、参加支部の支部長から活動報告を受けました。 正直屋ユニオン・猪俣さんは、コロナ休業に入るにあたり、自分たち正社員に対する通勤不可能な異動とパートに対する休業補償ゼロという会社提案に対し、皆で組合結成をして交渉を重ねて、ほぼ自分たちの要求を勝ち取ることができたと、報告しました。 カーアシストジャパン・中嶋さんは、休憩が取れないことによる残業代未払について会社と交渉を重ねたが、平行線だったため労働審判に申立をし、10月15日に第1回審判が行われる、と報告しました。 富士そば労働組合・安部さんは、雇用調整助成金の不正使用指示に対し怒り、店長たちがそれまで抑えていた残業代未払について請求したいとなって支部を結成。会社と話し合いで残業代問題を解決したいと交渉を重ねたが、会社は組合側が提示する労働時間は信用できないとの姿勢を崩さなかったため、裁判で争うということで残業代問題について交渉決裂。裁判で争うと、報告しました。 オリエンタルランドユニオン・佐藤さんからは、第一に裁判が証人尋問にこれから入っていくこと、第二にコロナ禍の取り組みが報告されました。OLC 休園に伴い休業補償が不明ということでキャストの生活不安と会社は私たちのことを何も考えていないという怒りがユニオンに寄せられ、ユニオンとしては休業補償10割を求めて、6割から8割にアップさせました。7月1日開園に向けて、株主総会では株主にコロナ感染対策の整備を訴えました。会社は9月27日をもってということで、キャラクター出演者とダンサーに対して3つの提案「(1)9月末で退職。その際は80万円の支援金を支払う。(2)残有期契約期間まで雇用継続。ただしダンサーは労働時間月40時間上限で、契約更新はなし。キャラクター出演者は労働時間月50〜100時間上限で、契約更新の有無は不明。(3)出演者としては退職し、新たに出演者以外のキャストとして入社。試用期間からなので時給は930円。」に対し、選択できない選択肢から選べということなので「解雇」だと、会社に「ショーやパレードなど再開の折は優先雇用とする」ことを求めて要請行動に取り組んでいる。裁判も「解雇」への要請行動もまだまだ続くということで、支援のお願いもありました。質疑応答では市原地域支部の中村さんがコロナ禍でホットラインに取り組んだことが報告されました。 2020春闘報告ではロイヤルのMさんから、今年も格差是正を求めて交渉をしたことの感想と、今年から交渉時間が労働時間としてカウントされるようになったことが報告されました。
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組合員より一言
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9月27日にせまった回答日前日の9月26日、OLC本社に要請行動を取り組む。シニアユニオン、東京ユニオン、市川地域支部など多くの仲間たちが集まる。前日の交渉で、3つの提案はどれも「退職して下さい」という実質退職強要であること、選択できない場合は選択をしなくても即解雇にはならないこと、ダンサーたちの切実な要求「出演するステージが再開したら、優先的に雇用して下さい!」を4つ目の選択肢とすることは持ち帰りになったことが報告された。会社に4つ目の選択肢の実現を強く求めた。 10月6日、OLC本社前にて要請行動。選びたくない3つの選択肢から選ぶことは、実質的退職強要である。選びたくない選択肢を9月27日に泣く泣く選ばされたダンサーの想いに応える4つ目の選択肢を作って下さいと要請すると同時に、この問題を諦めることはできない、ユニオンは今後も粘り強く要請を続けることを会社に宣言した。 この日は全国ユニオン主催で、11時JR町田駅・アイトピア(東京管理職ユニオン)、14:15JR恵比寿駅・ルックイン(派遣ユニオン)、15:45JR葛西駅・スワロートラック(プレカリアートユニオン)、17:15 西新宿・ベネッセ(東京ユニオン)と都内大縦断の強硬アクションでした。アイトピアには全日建連帯労組の宣伝カーも会社前に横付け。大音響で会社に不当労働行為の怒りをぶつけました。 小学生の頃、両親に連れて行ってもらったディズニーランド。 煌びやかなショーで踊る演者を見て一瞬で虜になり、「いつかここで踊りたい」その場で将来の夢が決まりました。 翌日からは毎日その日に撮ったビデオを見て真似して踊り、中学入学と共にダンススクールに入会し、毎日毎日ダンス漬けの毎日。学校終わりや休日は深夜遅くまでレッスンに通い、寝る間も惜しんで踊り続けました。年間パスポートを購入し、片道2時間かけ週に1度はディズニーに通いレッスンまでの限られた数時間でプロの演技を見て勉強をしました。足の裏の皮がベロベロに剥け、学業とダンスレッスンの両立で身体が悲鳴を上げていても「ディズニーの出演者として働きたい」その強い思いだけで乗り越えてきました。 周りが進路を決める高校3年生になってもその夢は消えませんでした。安定しない職業を選ぶことで両親とも沢山喧嘩をしました。それでも夢を叶えたくて必死で説得し両親の応援も受け、年に一度開催される狭き門のオーディションを何度も何度も受け続け、24歳でやっと合格する事が出来ました。多くの人に応援して頂き、家族の協力も受けやっと掴み取った夢。合格通知が届いた日は嬉しくて家族中で泣いて喜びました。 入社してからは辛い事も沢山あったけれど、夢が叶った喜びだけで何でも我慢する事が出来ました。夢だった仕事が出来る喜びで毎日毎日幸せでした。 ダンスが踊りたくて演者の仕事に就いた訳ではない。他の場所で出演者として働きたい訳ではない。私はディズニーリゾートの出演者が夢で、代わりはどこにもありません。そんな中の突然の退職強要。説明を受けた時は頭が真っ白でした。表向きには選択肢を与えているように見えるけれど、実際は辞める選択肢しか無かったからです。なのはなユニオンに届く多くの出演者から相談やメールを読むと、胸が締め付けられ涙が出てきました。「お金はいらない。一時解雇でもいい。再開した際にはディズニーの出演者として働きたい。」 皆同じ気持ち。努力して掴み取った夢が簡単に消されてしまう。 本来は会社が一番に出演者の気持ちや努力を理解するべきなのに思いやる気持ちは一切無く使い捨てと感じ、悲しみは怒りに変わりました。 選択肢の回答期限は9月27日。しかし、新エリアの美女と野獣のオープンは9月28日。翌日の新聞の一面は新エリアのオープンの話題が大々的に取り上げられていました。ツイッターでも退職を決めた出演者の悲しいメッセージは新エリアの話題で流されていました。多くの出演者が今でもディズニーで踊りたい気持ちを持ち続けています。 エンターテイメントが復活した際には出演者として戻れる道が残るよう今後も交渉は続けていきます。こんなに大勢の涙が流れる場所は本当の夢と魔法の王国ではない。 私達ディズニーの出演者としての想いは周りが考える以上に大きいです。 |
「おしゃべり山とおしゃべり山の狭間から」
10月18日、千葉ポートパークにて、正直屋ユニオンの闘争勝利を祝うバーベキューパーティーが支部主催で行われました。 千葉市ポートタワー脇の公園は広くて、バーベキュー会場を探してウロウロ。到着した時は、猪俣支部長が新しい仕事先で仕入れた肉をさばき、テーブルのセッテングが始まっていました。 11時、猪俣支部長の音頭で乾杯。4台のコンロの炭に火入れ。1台は鉄板で焼きそば専門、他3 台は焼き網いっぱいに牛肉やソーセージが並び、続いてホタテ、海老。最後に玉ねぎ、南瓜・・・。組合員さんが握ってきてくれたオニギリ、手作りの生姜の煮物。ひたすら食べて、飲んで、おしゃべりして・・・天気も良く、楽しい時が流れました。正直屋ユニオンは、今日をもって支部解散。最後に握手を求められ、ちょっとジーンとなりました。コロナ禍で出会った団体交渉の醍醐味、忘れません! |
М、乳がんになりました!
10月は乳がん月間です。乳がんは早期発見・早期治療できれば、治癒率の高いがんです。みんな「私は大丈夫」って思うんです。実際私もそうでした。だからこそ「大丈夫、がんじゃなかった」と思えるように、がんだと分かったとしても早期治療ができるように、是非検診を受けてください。 5、乳がんの告知を受けてから、泣いた日のこと 私は治療開始前一人になって、終末期に意思の疎通が難しくなった時に備えて、今のうちから自分の最期のプランについて考えていました。一応3割のほうに入らなければ、半年一年とも言われていますし、その時になってから後悔しない、家族や医療従事者も困らせないように準備をしていました。 ふと、コロナ禍で5月に行く予定だったGLAY とLUNASEA のライブがなくなってしまったことを思い出しました。「来年にはやるかなぁ」なんて考え始めた時、ふと「来年…」と思いました。どのみち乳がんの治療に入るから5月にやっても行けなかったのは事実。ただ「3割に入れなかったら、もう行けないんだ…」そう思った時、初めて私の置かれた状況を実感したのです。「せめてライブには行きたかった…」そう思ったら涙が出ました。 6、がんとの闘いとは でも泣きながら思ったんです。「どうせ流す涙なら、うれし涙を流そう」と。3割に入るために、自分でもできることを模索し実行する。それでこそ私!ひとしきり泣いて、冷静になってから改めて自分の最期のプランを完成させ、深呼吸して改めて闘う決意を持ちました。そこで初めて「がんは自分との闘い」ということを学びました。 がん治療は「告知を受けた時から、治療が始まれば完治するのか、治療が終われば転移再発」の不安がずっとついてくる。ずっと不安で自分のつらさを理解してもらえない、いいようのない孤独が付きまとう。けれどそんな状況で闘いきるためには「如何に不安や孤独をなくし、心を強く持つことができるか」が必要なんだと痛感しました。 また、時間の大切さにも気が付きました。今までの私にとって時間とは「粗末にしてもいくらでも湧き出てくる」もので、ありがたみも感じたことはなかったです。お金で時間は買えないということを身をもって実感した今、これからの残りの時間を大切にいきていこうと思いました。また皆さんには時間には誰しも限りがあり、日々の暮らしを大切に過ごしてほしいと伝えたいです。 次回、いよいよ抗がん剤治療開始日を迎えます。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 次号に続く(M)
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