2021年3月15日 No.273 |
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3月10日、ロイヤル株式会社と交渉を行う。 パートタイマーのMさんは2016年以降、毎年“一人春闘”を取り組んできた。2020年4月1日に「パートタイム・有期雇用労働法」が施行され、同年10月には最高裁判決も続けて出されたことを春闘要求に活かそうということで、正社員との労働条件の格差是正を柱として取り組んできた。格差是正については、本社マターでMさんが就労している東京工場だけでは決められないとの会社の主張をくずせないので、なかなか大きく要求が前進したという実感はないが、今春闘もほんの1歩、前進した。 組合側は今春闘、有給休暇取得時の賃金支払い方<正社員は通常賃金、パートは平均賃金>についてこだわって議論したが、検討するで終了。来年は「同じ会社の従業員だから同一とする」という回答を引き出したい。 会社は毎年、回答を書面で提示し、交渉の場で説明をし、質疑応答ができるので、組合員Mさんは「ひとつひとつの問題にきちんと対応していただけるきちんとした会社だと、今春闘でも再認識できた。」と終了後、感想を述べた。 昨年から、会社が交渉時間を労働時間としてカウントしてくれるようになり、今年も16時30分から終了時間まで労働時間として取り扱ってくれた。
★オリエンタルランドユニオンと富士そば労働組合も春闘要求を会社に提出した。
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OLC裁判(原告B/パワハラ問題) やっと証人尋問が開始される。 ここに至るまで、会社側から「証人尋問は非公開で」から始まり、「原告Bの証人尋問の順番は会社側証人より前にやるべき」「会社側証人Mは証人として出席はできない」などなど、さまざまなことが意見として出され、そのことを審議するために時間がかなり費やされた。 最終的には裁判官の判断でやっと日程、尋問の順番、証人の確定がされ、開始される。
被告オリエンタルランドとのパワハラ裁判が始まり2年半、やっと公開の場で証人尋問の段階まで進むことが出来ました。 17回にわたり非公開で行われたこの期間、被告の誠意の無い対応や真正面からぶつけられる悪意に、何度も心が折れそうになりました。その反面、声を上げなかったらこの先もパワハラは無くなる事は無いと痛感し、提訴は間違いではなかったと確信しました。 被告側の陳述書には「長年に渡るゲストの夢を原告が壊した事に同僚一同心を痛めております。」と書かれてありました。裁判が始まった当初の私だったら、一番心が痛い言葉だったかもしれません。提訴にあたり、ゲストの夢を壊す事は一番避けたかったからです。我慢していればゲストの夢を壊す事は無かったかもしれない。その様な後悔は絶対にしたくありませんでした。 しかし、落ちそうになる度に組合の皆様の応援や、事務所に届く電話、twitter でのメッセージ、そして同僚の皆様。多くの応援の言葉に救われてきました。 その中の共通の言葉「パワハラを表に出すことと夢が壊れることは違う」で、一番の悩みの部分を払拭して下さいました。 皆様が与えてくれた言葉通りで、それでも大好きなディズニーの世界を守るため出来る限りの起案をしましたが残念ながら被告の不誠実な対応により留保になりました。今なら自信を持って言えます。「裁判でも私は夢を守り切った。本当に夢を壊しているのは一体何?」 第1回目の裁判で、守秘義務に怯え夢を壊す恐怖に震えていた臆病Bはもういません。 今はパワハラを隠すことは悪ではない! と自信満々な原告Bが法廷に立ちます。 4日間にわたる証人尋問の傍聴のお願いとともに、本当の夢と魔法の国に変わる日まで見届けて頂けましたら幸いです。 (原告B)
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М、乳がんになりました!
今回は私が行った抗がん剤治療の後半戦について書きたいと思います。今では懐かしい思い出ですが、ここで初めて苦しむことになります。 ●恐怖の後半戦 後半はdd−PTX療法を行います。パクリタキセルという、アルコールで溶かす薬剤を使用し、前回と同じく2週間毎に4回投薬します。ただこの抗がん剤だけは使うのがどーーーしても嫌でした。 この抗がん剤の主な副作用は「手足の痺れ、筋肉痛、関節痛、間質性肺炎、アレルギー」です。この「手足の痺れ」は数年残ることもあり、本当に厄介なんです。 痺れについて主治医に聞くと「『剣山を踏みながら歩いている感じ』と訴える患者さんもいる」と聞いて絶句しました。私は痺れと闘う決意をし「回避する方法」を調べ続け、ようやく探しだせました。 それは「運動、特に筋トレ」でした。私はそれを参考に「前回同様水分をたくさん摂り、スクワットを1日70回行い、併せて毎日1センチくらいの大きさのピースのパズルをやって指先も動かし続ける」ことにしました。そのおかげか、どうにか痺れを回避することができました。 筋肉痛も厄介でした。私の場合はまず「違和感を感じた後、床に押し付けられるような感じがして動けなくなる」のです。それが10日くらい続くのですが、2,3回繰り返すとパターンが掴めてくるので、その後は上手く回避できました。 ●事件発生! 1度目の投与後事件が起こりました。間質性肺炎を起こしてしまったのです。酷くなるようなら入院しなければいけません。画像診断等でコロナに感染していないのはわかっていましたが、入院時に備え念のためPCR検査を受けました。勿論陰性でしたが、結果が出るまでは生きた心地がしませんでした。 肺炎の症状が落ち着いた後は、アルコールで溶かさないタイプのパクリタキセルで治療を残り3週間毎に3回やりきりました。全ての抗がん剤治療を終えた時には、ゴルフボール大の腫瘍とリンパ節の転移も画像ではわからなくなりました。その結果本来なら全摘になるところ、温存で手術が出来ました。 今現在身体に残っている不快な症状はなく、大満足の結果でした。 次回は、私にがん治療を通して大切なことを教えてくれた、ある素敵な女性について書こうと思います。今回も読んでくださり、本当にありがとうございました。 (M)
「これからの私」…………………………
去年、陸前高田市生まれ育ちの人と知り合いになり、私の古綿布寄付の話から震災への思いを話した数日後に彼女が一筆箋に一杯の言葉をくれた。その数か月後、車で古綿布を小名浜にある作業所へ届けに行き理事長に手紙を見せた。 手紙を読んだ理事長の言葉はとっても大きな教えで優しく突き刺さった。 もし、これらが無かったら、10年目の節目だからと11日か12日に作業所に行って、押し付け気味な応援訪問をしていたと思う。誰かの事で心配になると終いには誰かより先に入れ込んで具合が悪くなっていく度を超えたお節介バカ野郎だから絶対に行ってたと思う。 10年をどう感じているかは人其々だから、其々何かを思うその気持ちの在り様を尊重して静かに寄り添い見守る様なイメージで相手の時間作りに協力する事も支援の一つなのだなというのが、2人の女性から貰った言葉から私が出した私の答えです。 悪魔のド阿保レベルのお節介癖の故に、沢山の泥を被り、煽りを喰らい、槍玉に上げられもした。メンドクセーの大嫌いなのにメンドクセー事ばかり巻き込まれ、その打破の為に周りの人が荒唐無稽・無鉄砲・そんな発想ないと反対され、周りが引いてやれないやらないような事も、状況を変える為ならばと、やった事もある(そんな事々を出来ると思えば普通感覚でやってしまえるのだから呆れたもんだ)。そんなもんだから、誰かを超えた私自身の熱量度に呆れて心配した誰かに冷たく突き放される事も日常茶飯事だった。私の今までの超絶お節介の殆どは、届く事も無く、成す事も無く、阿鼻叫喚の残虐な衝撃的な終わり方も沢山経験した。怒怒哀哀の残骸しか心に残っていない状態は慣れているが長く辛いものだ。 そんな私が長く望んで欲していたのは、何としてでもこの状態から抜け出して、もっと人との内面での距離を置いて生活する事だった。今まで、沢山の人達から数知れない程のアドバイスを貰っていたけど、それでも抜け出す事は途方もなく難易度が高いもので長く長く苦しんでおりました。はい。 スルースキルが殆ど無くてストレス溜めと動きもできて、どうしてもほっとけないよとなる我が身のエゴの塊ってやつに呆れつつ、でも行動を止められない。止められないのが辛い。ほっとくのも苦しくて耐えられない。ほどほどができない。過去の経験踏まえて心尽くした事ほど無惨に壊れていってしまう謎もあるしな。 でもこれからの私は少しずつだがちょっとずつ変わっていく筈筈筈。 2人の女性の言葉は今まで沢山の人達から貰って来たアドバイスの総まとめみたいなものでもあったので、心から感謝しています。ありがとうございます。 春になりコロナ禍が落ち着いた頃、古綿布持って、福島県に遊びに行くじょ。 大募集! 古綿布。2021/03/13 by Qたれ
「その後のお話し」………………………… 緊急事態宣言が延長され、さらに先行きが分からないままの状態ですね。私はこんな状態から抜け出すために、前にもお話ししましたようにアルバイトを始めました。 家で何もしないでいるのは、こころが病んできてしまうからです。というか、本人は「コロナ鬱」だったと自覚しています。まずいです。40歳手前に家でゴロゴロしている場合じゃない。 色々なバイトに応募し試行錯誤しながら絞り込んだ先は、コロナだろうが何だろうが、たぶんこの世がなくなるまで絶対になくならないであろうと思われる「教育、医療」にしました。 エアランが「あらよあらよ」と目の前で崩れていくのを実体験し、もろに直撃した身からすると、アルバイトとはいえ、少しでも安定しているところで働きたかったのです。もう転職はこりごり。 それで先週から糖尿病専門のクリニックにて受付バイトに週4回働かせていただくことになりました。ところが、初めてのことばかりで、本当にちんぷんかんぷんですよ! ぴえーん。。 初日は「もうむり! やめる!!! 泣」とばかり後ろ向きでした。しかも不安と緊張で全然眠れないし。。。ぴえーんです。 寝不足と、不安と、まずはレジの会計を任され、お金の管理〜(';ω;`) 泣きたくなりました。 前職の経験が10年ばかりしかありませんが、それでも前の仕事は楽しかったな〜、同期のみんなに会いたいよーみっしゅー。泣、と思いをかみしめながら、とりあえず数日間頑張りました。 というかこのご時世に、プライドとかそんなん要りませんっ。とにかく仕事を始めるのに必要なのは、「パワー」ですね。とにかくこんな未経験の私を雇ってくれただけでもありがたいと思わなきゃ。他のスタッフさんも気さくで優しいかたたちなので、本当に環境は良かったな〜と安心しています。 仕事もだんだんと日を経るごとに緊張感も取れてきたので、それに応じて充実してきました! 今までの会社では外国人労働者として「ここまでやってくれればいい」という環境だったので、学びたくても学べなかったですし、やりたいと思ったことも制限がありできなかった(やらせてもらえなかった)。でも、今の環境は「勉強したいならどんどんして〜、いっておいで〜」「こんなのあるよー」「もっとこれそう〜?」と前向きに取ってくれるので、その部分がとてもとても新鮮ですし、素直にうれしいです(*'ω'*) でもたぶん、こういう職場環境のほうが普通なんでしょうかね。私にとっては「いいんですか〜!」という目からうろこのような感覚です。 まだまだ始めたばかりなのでドジすることも多いですが、ちゃんと覚えることは覚えて、居心地の良い職場環境を維持していえたらな〜と思います。とりあえず、今月はしっかりと覚えることを覚えて、こつこつとやっていこうと思います(*'ω'*) みなさまも、どうぞ引き続きお身体大切になさってくださいね! 春一番がきましたのでぽかぽかの陽気のなか、ゆっくり休日をおすごしくださいませ。 (M・K) |
最近は通勤電車に乗って、走り出した電車の少し開いた窓から、冷たい風が入ってくることが安心できる日常生活となっています。それでも先日は、窓が大きく開いてとても冷たい風がどんどん入ってきて、とても大変な思いをしました。
電車で通勤や通学する人は、昨年の4月頃はガラガラでしたが、現在はある程度の乗客が同じ車両にいるのを確認できます。 毎朝起きたら、体温を計測して手帳に記録します。土日も同様に記入します。もう、朝の日課になってきました。 冬の間は寒くて姿を見かけなくなった近所の猫が、春を感じて近寄ってきました。頭を撫でると、とても気持ち良さそうにしていました。私は飼い主でも餌をあげる役目でもないのに、とてもなついて嬉しくなります。 図書館には行く気分にはなれず、自宅でも気が進みません。電車の中でもあまり本を開きません。なんとか、職場の昼休みの約10分間だけは、読書時間にあてています。ゆっくりとマイペースで文庫本を読むことが近頃の過ごし方になりました。周りも静かなので、本に集中できています。 つい先日は、大きな地震がありましたが、10年前は東日本大震災がありました。ちょうど、今の仕事を開始したのが、その大震災の頃で仕事が10年目に入りました。 2021年2月18日 (田中)
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