なのはなユニオンニュース

2021年5月7日 No.274


 2.富士そば労働組合委員長・書記長「懲戒解雇」

 3.シンポジウム「関西生コン事件のこれからを考える」

 4.3・25全国ユニオンアクション 元気に! 楽しく! 激しく!

 5.М、乳がんになりました!

 6.おしらせ






 2017年11月23日、パワハラ問題で安全配慮義務を株式会社オリエンタルランドに裁判提訴をした原告B(出演者)の証人尋問が4回にわたって行われた。4月23日は原告Bの尋問が13時から千葉地裁601号室で行われた。千葉地裁前で、11時30分から全国ユニオンの仲間達とともに、原告B頑張れ!の思いを込めて、宣伝行動に取り組んだ。
 裁判提訴から3年を超え、その間17回もの裁判が会社側の強い要望で非公開で行われた。証人尋問も非公開でとの要望が会社側から出され、その点についても何回も審議された。原告Bは何としても公開で行ってほしいとの強い気持ちで、弁護団の先生方ともども、そこは譲れないと頑張って勝ち取った公開の証人尋問であった。第1回目の証人尋問から傍聴者は増え続け、3回目は51人、4回目は66人が傍聴券をえるために並んだ。結果、抽選になり、ユニオンの仲間達35名のうち、傍聴できたのは12人のみであった。
 13時から原告Bに対する「主尋問90分・反対尋問90分」が行われた。主尋問が開始された直後、倒れてしまうのではないかと思われるほどの原告Bの緊張感が伝わってきた。三宅弁護士とのやりとり(P役で指を怪我したこと、その時の会社の対応で心が折れたこと、その後P役をやると過呼吸になったこと、P役はできないとお願いしたが変えてもらえなかったことなど)の中でも、原告Bは当時をフラッシュバッグするのか、幾度となく声を詰まらせ答えていたので、その情景がリアルに傍聴席にも伝わってきた。主尋問終了後、「辛かったんですね」と感想を寄せた傍聴者がいた。

裁判所前行動や傍聴に駆けつけてくれた皆様
ありがとうございました。
 66人が傍聴券をとるために並ぶ。ユニオン関係者35人中傍聴できたのは12人。傍聴できなかった方々が多数いた。●毎回傍聴にかけつけてくれた元ユニバーサルスタジオ・ジャパンで出演者だった女性。一番に並んだが抽選にはずれ休憩室で待機。途中でユニオンの仲間と交代。●シニアユニオンの仲間達7名は宣伝行動から参加してくれたが、全員はずれてしまった。●I女性会議千葉の5名も全員はずれてしまった。●東京ユニオンの仲間6名も傍聴できたのは2名のみ。●ツイッター支援者も5名中傍聴できたのは1名のみ。
 次の日、ユニオンに知らない男性から電話があった。
 次の日、裁判所の前で配ったチラシを受け取り、妻が応援したいというので「頑張ってだけでも言おうと電話した。」と知らない男性から電話をいただいた。遠いところから駆けつけたり、傍聴のために時間をとっていただいたり、裁判前の行動のみに参加いただいたり本当に、本当にありがとうございました。
 それでも原告Bは少しづつ落ち着きをとりもどし、主尋問をやりきった。事前に、本人が何を聞かれるのかと一番不安感をもっていた反対尋問では、随所に原告Bらしく答えている感があった。
 会社側の反対尋問は、裁判の柱であるパワハラの有無について、パワハラはないと真正面から問うというより、原告はパワハラはないのにあったと主張する人格であるかのように印象付けようとしている感が濃厚であった。それらの尋問に答えた原告Bは、ユニオンに相談に来ても、泣くばかりであった頃からいえば、格段に成長した姿を傍聴者に見せた。
 傍聴席は満席。皆様の熱い支援を受け、原告Bの証人尋問は終了した。後は最終書面を提出して判決を待つばかりとなった。まだまだ時間はかかるが、原告勝利の判決が出ることを祈る。

4月20日、尋問終えました。 原告B

イラスト2
 この日を迎えるまでにどれだけの苦しく辛い時間を過ごしてきたか。思い出したくもない過去の記憶を脳内から引っ張り出し、生々しいボイスレコーダーを文字に起こし、産業医や主治医のカルテを翻訳し、色々な記憶と繋げていく。嫌でも沢山の証拠と向き合い毎日裁判の事を考えている3年弱でした。先生達ともたくさん打合せして時には事務所で大泣きして皆さんに心配かけて。それでもたくさんの応援の言葉で何とか諦めずに乗り切ってきました。
 初めての裁判への不安で尋問前の1週間は全然眠れず、食事したりテレビを観たり、裁判の事を考えていない日常生活の中でも何故か涙が流れる程でした。
 正直、自分で尋問の評価を付けるとしたら10/100点でした。夢を守り切った自信があっても、これを言ったら守秘義務違反になるのかなぁ? この表現は夢を壊しちゃうかなぁ? と、やはり心のどこかで余計な事を考えてしまい、言いたい事が全く言えませんでした。極度の緊張で呼吸も上手くできず、体中に蕁麻疹が出来てしまい、言葉の理解も出来なくなってしまいました。人生で一番長かった3時間半、それでも先生達は「リハーサル以上でした」「さすが普段ステージに立っている方ですね」と、滅茶苦茶甘やかしてくれました。
 終わった今はあれ言えばよかった、この言い方があったのにと後悔だらけです。しかし、評価が怖く契約更新の為には我慢を強いられていた出演者の現状、パワハラやいじめをなくして安心して働きたい気持ちは証言できたと思います。
 我慢することが出演者としての姿である、うつ病だったら一歩も外に出られない、笑えない。会社の主張しているこの考えですが、私はそうは思いません。会社が辛いから他の場所に癒しを求めるし、ゲストが笑えば一緒に笑う。うつ病だからいつも辛い表情ではないし一歩も外に出られないわけではありません。この被告の主張には心の底からガッカリしました。目に見えない病気だからこそ、うつ病のきっかけを作ってしまった会社には、病気を理解し、ちゃんとパワハラを無くすように努力をして欲しい。このような会社の考えを是正しなければ本当の夢を魔法の王国にはなりません。
 当日は傍証席が抽選になり、折角千葉地裁まで足を運んで頂いた皆様が全員傍聴できない状態になった事が本当に申し訳ない気持ちで一杯です。
 それでも、多くの方が応援に来てくれて、裁判所前でのアクションに参加したり、応援のお言葉をかけてくれたり、休憩中は真っ青で立てない私に肩を貸してくれたり、当日も本当に多くの方に助けていただきました。
 これを書いている今、証人尋問が終わって1週間経ちました。何もやる気が起きず、起き上がることが精一杯です。判決の日まで裁判は終わりではないけれど、長かった証人尋問迄の長い道のりを、それだけ必死に歩んできていたんだなぁ・・・と感じます。まだ先はありますが、もう自分を少し甘やかしたら元通りの生活に戻し、判決が出る残りの日まで突き進んでいきたいと思います。
 皆様の多くのご支援を心から感謝します。残りも見守って頂けたら幸いです。





写真4 富士そば労働組合委員長・書記長「懲戒解雇」 4・16記者会見4月16日17時から厚生労働省記者クラブにて、富士そば労働組合安部委員長と書記長の懲戒解雇は不当だとして解雇無効を求め、4月8日に労働審判を申立てたことについて、記者会見を行った。
 懲戒解雇されたのは、「富士そば労働組合」の安部委員長と書記長。未払い残業代の支払いを求めて、昨年10月に労働審判を申し立てていた最中の1月29日、懲戒解雇をされた。
写真5 会社は2人の懲戒解雇について、残業代請求労働審判に提出した資料の改ざん・捏造、勤務管理システムの勤怠データ改ざんなどを理由とした。
 これに対し、ユニオンは会見で「会社側は全く証拠を示していない。そのような事実は全くない」と真っ向から否定した。代理人の棗一郎弁護士は「手帳や勤務一覧表などの資料を提出し、労働時間の改ざんはしていないと主張していたが、会社は第2回労働審判の前に2人を懲戒解雇した。証拠の改ざんがあったかどうか、労働審判の中で証拠の価値を吟味するのが当たり前だ。頭にきている」と憤った。
写真6 安部委員長は「涙が出るくらい悔しいですね。どれだけ命を削って会社のために貢献してきたか、信じてくれない会社が悔しい。いい会社作りをしなければいけないという思いで組合を結成した。会社はこれからも組合つぶしをやってくるでしょうが、組合員全員で力を合わせて、会社の未来永劫のために邁進していきたい」と訴えた。
 書記長は「怒りを通り越して、呆れている。会社のために部下のためにと思って身を削って頑張ってきた。時には家族を犠牲にしながら、なんとか部下のために利益のためにと思って長時間働いてきた。その長時間労働が悪しき風習でなかったことにされてきた。最後までしっかり闘い抜きたい」と訴えた。


 シンポジウム「関西生コン事件のこれからを考える」

写真7 4月17日、第2回検証シンポジウムが連合会館にて行われた。全日建関西生コン支部に対する刑事弾圧は2017年12月から始まり、189名が逮捕され、76名が起訴された。小谷野書記長は、生コン事件とは(1)生コン業界による組合つぶしを目的とした大規模な不当労働行為事件、(2)警察・検察・裁判所による大掛かりな刑事弾圧事件、(3)構図と本質を覆い隠すフェイクニュース(ネット上でレイシスト集団《人種差別集団》が「生コン利権」などのフェイクニュースで生コン支部を「反社会的勢力」と印象付けて問題の本質を分かりにくくする)に要約できると報告。シンポジウムのなかでは組合つぶしと権力弾圧で、「事件前の年間休日125日.事件後105日。年収平均630万円、残業25時間を含む年収370万円(30歳)・400万円(40歳)・500万円(50歳)・550万円(55歳)に減額」。
 労働条件が一気に悪化したことが明らかになった。宮里弁護士が言い切った「労働組合の行動及び組織体の自由に対する弾圧」は、労働条件に確実に反映されたのである。生コン支部への弾圧は、我組合支部への不当労働行為と比べようなき凄まじさである。生コン支部への攻撃を跳ね返さないと、当たり前の組合活動ができなくなると声を大にして広げなければ。


3・25 全国ユニオンアクション 元気に!楽しく!激しく!
10時・富士そば本社(なのはなユニオン)→11時30分・住友不動産ベルサール(東京管理職ユニオン→12時・ベネッセコーポレーション(東京ユニオン)→15 時・厚生労働省交渉

写真2 10時JR代々木駅集合。富士そば本社前にて、アクション開始。富士そばが2021春闘交渉を拒否したことに対し、団体交渉の開催を求める「抗議書」を手渡すために、全国ユニオン鈴木会長を先頭に要請団が組まれて本社に向かう。本社入口のところで待っていたK係長に入室を止められる。
「Kさん。法律に基づいてキチッと対応して下さい。貴方は代表権をお持ちですか?」「いえ」「ではダメです!」という鈴木会長とのやり取りで入室し、尾田専務に手渡す。その間、外では、道路を隔てた側から鴨委員長や富士そば労働組合書記長、全国ユニオンの仲間たちがマイクでの訴えを続ける。
写真3 次に向かったのは、新宿住友ビル内にある住友不動産ベルサール。Aさん(男性・所長・正社員)は大幅な不当降格・減給を受け、東京管理職ユニオンは団体交渉にて繰り返し撤回を求めたが不誠実な対応で解決せず。労働審判で明確に審判が下された。しかし、会社が異議を申し立てたので、裁判所の命令に従い不当降格・減給を撤回するように求める。
 続いて、お隣のビル内にあるベネッセコーポレーション。「よく生きる」を実現できる会社でありたいと公言している社長だが、社内でやっていることはBさん(女性社員)に対するパワハラ。「追い出し部屋」に異動になったBさんがおこした裁判で、会社は全面的にパワハラを認めて、処遇や地位を正当にもどすと誓約。にも関わらず、直後から執拗なパワハラを再開。再度提訴に踏み切り、東京ユニオンに加入し団体交渉中のBさんを「解雇」。怒りの抗議行動を展開。

厚生労働省 交渉
 15時から衆議院第1議員会館第5会議室にて厚生労働省と交渉。コロナ禍のため、各ユニオン参加人数を制限。
(1)
シフト制で働く労働者には労基法の休業手当支払い義務が適用されない、解雇された労働者は休業支援金の対象では無くなる、日々雇用労働者に休業支援金はほとんど適用されない、実質5割に満たない労働基準法の休業手当計算など、コロナ禍での休業補償に関する問題の是正
(2)
労働基準法の時間外労働上限月45時間を超える「固定残業制」は違法ではないのか、
(3)
脱法的「35日契約の日雇い派遣」を継続している派遣会社を取り締まるべき、
(4)
無期転換した派遣労働者に対する解雇や労働条件の不利益変更が横行に対する指導を、
(5)
就業規則で「年休は本年度付与した休暇から消化していく」という定めは無効ではないのか、
などなどについて厚生労働省の回答を受けて質疑応答。ユニオンとしては厚生労働省に指導を求める内容が大半であったが、指導するという明快な回答は得られなかった。




М、乳がんになりました!
イラスト(花)
 今回は乳がん治療を通して知り合うことができた、素敵な女性について書こうと思います。ご報告もあります。お付き合いいただければ幸いです。
・ある素敵な、憧れの女性治療方針が決まると、看護師さんから副作用や注意点などの説明を受けます。それに沿って過ごしていくのですが、不安感が消えることはありません。かといって看護師さんをずっと捕まえていることはできません。悩んだ末、YouTube で参考になりそうな動画を探し続け、ようやく同じタイプの乳がんで、同じ治療を受けた女性の動画を見つけました。
 彼女は看護師として、実際に治療を受けた患者としての立場からも「できるだけ楽な状態で治療生活を進んでいける様に」との想いから情報の発信をされていました。内容は乳がんの知識から治療の流れ、使う抗がん剤の性質や日常のケアに至るまで、具体的にかつ分かりやすく説明してくれていました。私は彼女の発信する情報や姿無しに、絶対に無事に治療を乗り切ることはできませんでした。
「いつか直接お会いできたなら、ありったけの感謝を伝えたい」そう思いながら、治療を終えた後もずっと動画は見ていたし Twitter でコメントしたり返信をもらえたりしていました。彼女は再発し治療を再開した後も、情報の配信を続けてくれていて、その姿に勇気を貰えていました。
 そんな中、投稿された延命治療の動画。「『私』を生きる」と力強く訴える姿を見た時、気がついたのです。「『私』は『私』を生きていない」と。家族が会社があの人が…。いつも周りに意見を求め、その通りにしてきました。動画を見ながら「再発・転移は怖いけれど、がん治療を闘い抜いて完全奏功できたし、自分の事は自分で決めて、これからの日々を大切に過ごしていこう!」と決意を新たにしました。
・ご報告
 1月末、持病の検査で数値に異常があり「胃腸障害では?」との指摘がありました。「そういえば、何かが…何かが変…。でも、大したことない…。半年後検査が3月にあるし、乳腺の先生に聞いてみるか…」と思いつつ過ごしていました。本当に些細な不調で、実際まわりは「完全奏功だったし、大丈夫だと思うよ」と言ってくれていました。「でも、少しずつ悪くなっていく感覚がある…やっぱりおかしい…」悩み抜いた末、無理を言って調べてもらいました。その結果、がんが肝臓に転移(メタスターシス)していました。「ね! 自分の中の違和感に従って良かったでしょ!」。早速、抗がん剤治療を再開しました。
 私は最初のがん告知の時より落ち着いています。なのはなに入って、闘争した時のほうがよっぽど怖かった。それに実はこの転移、とっても変わっているんです。滅多経験できないし折角ですし、次号以降から「肝メタ編」として書かせていただけたらと思います。
(M)


紹 介

本
「私たちは戦争を許さない」−市民集会ONLINE報告集−
安保法制違憲訴訟全国ネットワーク(代表・寺井一弘弁護士)が1月20日にZOOM形式で開催した「戦争を許さない−市民集会」の報告集です。安保法制を廃案にして平和憲法を死守し、絶対に戦争を許さないことを目的として行われた集会です。基調講演「安保法制違憲訴訟の歴史的意義」信州大学教授・又坂常人氏、全国各地の裁判報告、映画監督の山田洋次氏をはじめとする多くの方々から寄せられたメッセージなどが掲載されています。
 ユニオンにて300円にて販売中。ぜひご購入下さい。





☆☆おしらせ☆☆
2021年



5月15日(土)
18:00
なのはなユニオン執行委員会

5月22日(土)
14:30
「コロナ禍における生活と労働」シンポジウム
主催:派遣ネット
四谷ワイム会議室

5月29日(土)
10:00
千葉キャラバン
※9:45 JR柏駅・東口集合
JR柏駅・東口10:00→JR松戸駅・東口11:00→(バス移動)JR市川駅・北口12:30昼食→JR船橋駅・南口14:15→JR津田沼・北口15:00→JR稲毛駅・東口15:45 →JR千葉→旧クリスタルドーム16:30
※9時45分JR柏駅・東口に集合
※全行程でなくとも、どの駅から参加いただいても、抜けていただいてもかまいません。
※参加する場合、上着「白」でお願いします。




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なのはなトーク 東日本大震災から、10年が過ぎて

 正式名称、東北地方太平洋沖地震、2011(平成23)年3月11日(金)、14時46分18秒、最大震度7、震源地 三陸沖、深さ24km、マグニチュード9.0、北海道から九州地方にかけて広範囲に揺れました。
 この震災では、地震だけでなく、津波(10メートル以上、最大40.1m もの巨大津波が発生)、福島第一原子力発電所の水素爆発、液状化現象(千葉県でも千葉市美浜区や浦安市など)や火災(津波火災や地震火災)等があり、特に巨大津波の映像は、改めて自然の脅威を感じました。
 千葉県でも市原市コスモ石油の爆発炎上や旭市の第3波までの津波による被害、液状化現象が、海岸地域だけでなく、我孫子市や市川市など内陸でも発生し、よくテレビで「想定外」と言う言葉が使われていましたのを覚えています。
 地震発生時は、当時勤務していました会社で仕事中に、低い地鳴りで、ゴーーー、ドンドンドンドン…。長い揺れで、怖かったです。私自身、このような大地震が来ることをどこか他人事のようにかんがえていました所があり、いつも揺れてもすぐ収まるだろうと思っていました。その日は、会社で契約しているホテルに宿泊し、次の日に家に帰りましたが電車がぎゅうぎゅう詰めで「家に着くまでにまた地震が来たらどうしよう。」と不安で仕方がなかったです。
 そう言えば計画停電もありました。東京電力では、3月14日から28日まで行い、勤務時間が短くなる事も「こういう状況なので仕方がない。」と思いましたが、今思えば、ユニオンの震災の休業補償等の相談を、行えばよかったと後悔しました。
 震災からあっと言う間に10年が経ちましたが、学びから次につなげていく、労働で困った事は、ユニオンに相談、そして将来の厚生年金や万が一の為に、労働時間確保で収入を安定させる事は、大切だと特に感じた出来事でした。(A・M)

老犬のイラスト3
   散歩見かけた
       春うらら
2021年3月 千葉市にて

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