2021年10月11日 No.278 |
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富士そば労働組合委員長・書記長の懲戒解雇無効!
立ち食いそばチェーン「名代富士そば」を運営する会社「ダイタンディッシュ」は、委員長、書記長をはじめとする店長ら23名が残業代請求の労働審判を申し立てた直後の2021年1月27日に富士そば労働組合委員長と書記長を懲戒解雇しました。理由は勤務記録の改ざん・ねつ造などです。4月8日に委員長と書記長の懲戒解雇は不当だとして地位確認を求める労働審判を東京地裁に申立てました。7月9日に第一回労働審判が行われ、裁判官は労働時間を管理しなければならない会社が労働時間を改ざんしたことを強く指摘しました。そして9月2日に行われた第2回目の労働審判において、「懲戒解雇無効」の審判が下されました。しかし、その場で会社は店長24人の虚偽勤務記録の作成・提出、なのはなユニオンの記者会見での会社の名誉棄損などの理由を追加して委員長と書記長に対して10月2日付けの解雇を通告してきました。この日、これまで富士そば労働組合が告発して来た「雇用調整助成金の不正受給」についても、厚生労働省が認定し、約300万円の返還を会社に命じたことも判明しました。
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松永歩美さんは “元気で明るく強く”38年間を生き抜きました。
GLAYの大ファンで、カッパが大好き。 組合員として、執行委員として8年間一緒に活動してくれてありがとう! 松永歩美さんを偲んで
松永さんが突然、いなくなりました。8月21日の執行委員会に元気に参加し、元気に発言をし、9月9日17時に亡くなりました。いつも突然で、未だに亡くなった実感がありません。 「委員長、私、名前が変わりました。結婚したのでこれからは松永と呼んでください。」言ったときも、突然でした。 昨年夏の執行委員会の最中、「暑くて」とウイッグを取り、乳がんであることを皆に告知したときも突然でした。そのあっけらかんさに、深刻な内容であるにも関わらず今は元気だから心配しないでねと納得しました。その直後に私は松永さんに、自分の体験をニュースに掲載できないかと依頼しました。彼女は「自分もお願いしようと思っていた。でも、ニュースは個のものではないので、自分のことを書いてよいかどうか迷いがあり言い出せなかった」と。「M、乳癌になりました!」は掲載開始直後から「励まされた」という共感の声が多数寄せられました。自分が経験したことを他の方と共有したいので、癌で悩んでいる人がいれば会って話したいので、いつでも声かけてくださいとも言いました。 「委員長、何かやることあれば声かけてください。いつでも手伝います。」と言ってくれ、人手がほしいときに声をかけると、いつでも快諾で事務所に来てくれました。大会が近づき、9月10日の議案書閉じ作業にも来てくれることになっていました。その予定確認のために9月6日から電話をかけ続けましたが返信がありませんでした。 いつも明るく元気な松永さんは突然いなくなってしまうのではないかとの危惧感がありましたが、こんなにも早く来るとは思いませんでした。でもでも一心不乱で前を向いて駆け抜けた松永さんとユニオンの仲間として時間を共有できたこと、生きることについて共感できたこと、本当に感謝です。 「委員長、今度、ニュースにコロナ禍での癌患者の思いを書いてよいですか。」「委員長、作業手伝いに来ます。いつやるか言ってください。」という最後のやりとりの声が今も響きます。 (桃)
証人尋問の前日、事務所で大号泣しちゃって謝った私に「あんなに大きな会社と闘っているんだから泣いて当たり前だよ。頑張ってきたんだから自信持って大丈夫だよ」って自信を持たせてくれてありがとう。あの時甘える場所があったから、翌日胸を張って証人尋問に挑めたよ。当日も体調悪くて傍聴は出来ないけど勝利のスカーフを届けに行くって、わざわざ来てくれてありがとう。 今日、最後のお別れを言いに行った時、旦那さんに「自分が頑張っている訳じゃないのに、Bさん凄い頑張ってるんだ! っていつも得意気に話していたんですよ」って言われて恥ずかしかったよ。いつも甘えちゃって申し訳ないなって思っていたから、そんな風に言ってくれていてありがとう。でもね、いつも支えてくれていたから頑張れていたんだよ。 私がリアルで愚痴を吐けないのよく分かっているから毎回Twitter を見て気にかけてくれて。そこで沢山愚痴って次に会った時に渡してくれる缶ビール本当に嬉しかった。「お酒を目の前にしたBさんの満面の笑みを見ると元気になるから勝手にあげているだけだから」って言ってたけど、自分の事を思ってプレゼントしてくれる事が嬉しかったからあの笑顔だったんだよ。 「判決出たら祝杯あげようね。ソフトドリンクしか飲めないけど一緒に乾杯しよう」って言ってくれたから、楽しみにしていたのに。 自分も辛いのに、人一倍人に気を使える姿を見てこの世にはなんて優しい人がいるんだろうって驚かされることが沢山ありました。 辛くても明るく強く闘う事を教えてもらいました。どんな状態でも学び続ける頑張り屋なところも、弱さを決して見せずに笑い飛ばしている姿も本当に尊敬していました。 明日には目覚めて、またTwitter にコメントしてくれるんじゃないかな? って、まだ信じられません。向こうではヤギもアルパカも飼えるといいね。大好きな沢山の動物に囲まれて、今まで頑張ってきた分のんびりしてね。 今日のヘアカラー似合っていたよ。こっちでは思うように出来なかったと思うから、沢山沢山オシャレを楽しんでね。 でも、最後まで甘えちゃうけど、判決日は少しだけ抜け出して勝利のスカーフ持って応援に来てね。 本当にお疲れ様でした。沢山の学びをありがとう。心から出会えてよかったです。 (佐藤)
松永さんは実に安らかな顔をして眠っていた。頭髪は抗がん剤の影響をかんじさせないほど、ふさふさして艶やかであった。 松永(夫)さんの話を聞くと無くなる前1週間ほどは全身に癌が及び、特に骨に至った癌の痛みがひどく、モルヒネなどの鎮痛薬も投与していたとのこと。そんな状況にもかかわらず本人は元気に振る舞い笑顔で癌に勝つのだと頑張っていたとのことである。亡くなられた当日は松永(夫)さんが外から帰って来て、普通に話をして、その直後、一瞬にして亡くなられたとのことである。松永(夫)さんの話では、「本人は思い残すことなく、精一杯全力で生きたのではないか」ということであった。 私は松永さんとは、なのはなユニオン執行委員会での付き合いのみであるが、松永さんは本当に努力の人であったと思う。向学心が高く、一生懸命に行政書士試験に立ち向かっていた。本人は行政書士試験の後に社会保険労務士の資格を取って労働者のために役立つことを念願としていたようである。社会保険労務士の試験は大卒乃至行政書士資格がないと受けられないという壁があるため、まず行政書士資格を取る勉強をしていたのである。困難な中、前を向いて生き続けることは、相当な精神力を要する。 まさにいつも前を向き、全力でかつ笑顔で生き抜いたのが松永さんであった。その生き方は一途で真剣であった。そのことは松永さんが語らずとも、身体からオーラとして満ち溢れていた。だから、時々の付き合いでしかない私でも松永さんの生き方、存在がわかったのだと思う。 今は残念無念であるが、心から冥福を祈るのみである。 (鴨 哲登志)
それからどれ位経ったかなぁ? 事務所でさ、私と委員長と三人でさ、盛り上がっていっぱい笑ったね。 「私、結婚したんです!」から始まって「(色々な所へ行った最後に)岩手県の遠野へ河童を探しに行ったんです! “カッパ捕獲許可証”ってちゃんとあるんですよ〜(^^)」って。計画をしっかり立てての旅行って事に『凄いわ。私には頑張っても無理〜』って感心したの。あと、旦那さんへの思いを聞いて『カッコ良すぎ』って思った。あと、がま口の紅いバッグを見て『センス良いなぁ。可愛い人だなぁ』って。とにかくグイっと惹かれたから、愛称を“かっぱちゃん”したの(^^)。 次世代勉強会で、調べ上げて作った資料を見ながら知識豊富な話を聞いていて『ハンパねぇーかっぱちゃん、この人ほんと凄いよ。』って、若い世代にこんなに凄い子が居たって分かって頼もしくって嬉しかった。 私はあなたが大好きでした。本当に大好きでした。これからも変わりません。 その明るさと優しい思いやり その熱量も集中力も探求心も 物怖じしない声も分け隔てしない姿もきちんと向き合って接しようと努めていた心の姿勢も経験に裏打ちされた蓄積があって地道に培ってきた内心の逞しさを、私はかっぱちゃんの全部から感じ取っていました。“ちょっとでも少しでも前へ前へ”って進む事を諦めない一所懸命な内心の逞しさと一途さがとにかく一番大好きでした。カッコ良くて会えるのが楽しみで憧れていました。 私の2人の友人がこう言ったの。 「人は今生の道を終えると、赤ちゃんが生まれる前と同じ場所に行くんですよ」って。 「人は土になんか居ないよ。自分が風になってね、自分の思いのままに風向きを変えて自由にどこへでも行けちゃうの。絶対楽しいよね!」って。 あの時「かっぱちゃん、次の納涼祭(BBQ)で結婚式しよう! やろう!」って私が言って、「やろうかぁ〜!? (^^)(^^)」ってなったね。びっくりして喜んで貰いたくて幹事を頑張ったんだけど、たくさんの都合が合わなくて、かっぱちゃんも参加出来なくて実現出来なかった。でも『いつかやろう』って思ってたの。それっくらい大好きだったの、気付いてたかニャー? かっぱちゃん、あのね、私ね、祖父母のお墓に月参りしていてね、祖父母のお墓をさ、先に風になった大好きな人達との団欒の場みたいにしちゃってんの。 今まで『もっと話がしたいなぁ』って思っていたの。だから今度遊びに来て。 ありがとう。かっぱちゃん。あなたは私を鼓舞する大切な人です。 なげけとて つきはやものを おもわする かこちかおなる わがなみだかな (金沢)
9月10日、委員長から「松永さんが9月9日の17時頃、亡くなった」とメールがあり“あんなに元気な人が”、“顔を見れば闊達に発言していた人が”、と2〜3日考え込んでしまった。 私との最後の会話は開始前、9月の大会の資料(仮)を配付していた松永さんに、「あれ、この資料の裏、逆に印刷されているよ」。対して、松永さん「私、担当してないので、そう言われても・・。」(この後、担当者に話してくれていましたが)。 最近の執行委員会では、行政書士の試験の話をしていて「今度受験すれば合格」と自信ありげに言っていたのが、印象的でした。そういう意味では生前に合格できなかったのが、本人にとっては「無念」だったのでは?と思います。 あの世では必ず合格! と改めて、合掌。(清水) 執行委員の松永歩美さんが亡くなりました。38才。いつも前向きで、これからのなのはなユニオンにとって力強い存在でした。松永さんの訃報を聞いて改めて《M.乳がんになりました!》を読み直して、松永さんの意識の高さと文章力に圧倒されました。病気について良く勉強し、同病の人と連絡を取り合い、病気に負けまいと必死で闘ったことを知り、今になって涙が出ました。気丈な彼女は苛酷な闘いの中、明るく力強く精一杯生きたのだと思います。 この闘病記はまだまだ続いて《M.乳がん治りました》と【勝利宣言】に繋がると思っていたので、突然の悲しいお知らせは本当に残念でなりません。松永歩美さん、私達は貴女の笑顔を忘れません。心よりご冥福をお祈り致します。 (池田) 松永歩美さんの思い出―「社労士になりたい」 歩美さんが、私に「社会保険労務士になりたい」と言われたとき、「がんばりなよ、応援するから」と答えた。「でも、受験資格がないからまず、行政書士の資格を取ってから」というので、行政書士に挑戦していた。いつも希望をもち、その実現に努力を惜しまない頑張り屋さんでした。 その夢の前に、乳ガンが立ちはだかり、それを克服できたと思ったときに、ガン転移がわかったときの歩美さんの心情はとても想像できません。それでも歩美さんは、新たな挑戦に向かっていきました。 「ガンに負けないで」と、松永夫妻と「激励会(食事会―当方には飲み会)」をもって、次は「快気祝いだね」と言ったとき、歩美さんは「再発には快気はないから…」と少しションボリしていた姿に、軽率だったかなと思い知らされました。 当方も胃ガンの宣告を受け(内視鏡手術で切除)、松永夫妻に「ガン友だね、いろいろ教えて」もらおうと思っていた矢先の訃報でした。 あまりに早すぎる! 残念です。 (天野)
訃報を知りましたのは、仕事帰りのバスの中でした。「あっ、なのはなユニオンから、メールが来ている。9月の定期大会の事かな?」と思い、見てみましたら…。絶句して、言葉がありませんでした。思わず二度見しました。自宅に到着し、しばらくは、涙が止まりませんでした。 私自身、年一回乳癌検診をしています。毎月なのはなユニオンの「M、乳がんになりました!」をいつも、読んでいました。治療の前向きさに勇気付けられ、文章から学びになることも、たくさんありました。その中で、特に、「3割に入ればいい。」と言う。そういう発想の転換が、あるのだと勉強になりました。 松永さんへ 次世代交流会の名付け親でしたね。コロナが完全に終息した後、再開出来たらと思います。 またコロナ禍の中、癌治療お疲れ様でした。空の上から、なのはなユニオンと執行委員会を見守って頂けたら嬉しいです。この度は心よりご冥福お祈り申し上げます。 (M)
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コロナ特例雇用調整助成金のサポートから
<飲食店の労働者はコロナ休業=無給状態・ダブルワーク> 飲食店で夜間営業していた居酒屋等の店主からコロナ休業で「雇調金」の手続きを頼まれた。実際は、助成金を受けた後に「休業手当」として支払う。夜業で働く労働者の多くは女性で多くがダブルワークだ。本業で食えないから夜間も働かざるを得ない。本業で雇用保険に入っているから、雇調金ではなく「緊急雇用安定助成金」(緊安金)の申請になる。 多くの飲食店は休業=無給が普通だろう。そこで緊安金を知らない労働者(事業主も)、声を上げられない労働者が圧倒的だろう。手続きをとおして雇調金がダブルワークを想定していないこともわかった(本業で働き、夜業が休業になっても緊安金の対象にならない。当方で論争し当局に認めさせてきたが)。自公政府は「働き方改革」で副業・兼業を勧めているが、本業で食えない賃金実態の改善こそが急務だ。最低賃金の1,500円への引上げこそが求められる。 コロナ収束が見えないなかで、飲食店等への休業要請はつづくだろう。政府に雇調金等の利用促進を事業所への呼びかけを勧めるとともに、ユニオンとして労働者への宣伝・相談窓口を広げ対応していこう。また、雇用保険財政が雇調金で底をつき、雇用保険料の引き上げを政府は考えているが、今次緊急事態が時限的なものである限り、国家予算で対応すべきで、安易な保険料引き上げを認めてはならない。 (天)
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