なのはなユニオンニュース

2023年8月24日 No.299








首都高KRMユニオン結成

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 首都高速道路及び道路に付帯する施設の保全管理、清掃、補修、事故車両その他障害物の処理などなどを業務内容とする京葉ロードメンテナンス株式会社で7月21日になのはなユニオンの支部「首都高KRMユニオン」を結成した。

 結成のきっかけとなったのは、業務中、高速道路路肩で停車中のところに、後ろからトラックに突っ込まれ、運転手と助手の二人が怪我。会社は、運転手は労災にしたが助手は保険で処理。助手のSさんは痺れなどが残っているのに保険が切られて、同僚の助けで仕事に復帰。復帰後の通院の治療費は自己負担などで、業務中に起きた労働者に何も責任がない事故で後遺症も残った状態のSさんに何もしない、見舞いもないという会社に対し、毎日が危険と背中合わせの仕事なのに安心・安全が担保されていないと同僚らも怒り、45名(全従業員の3/4以上)が組合結成に参加。

 8月4日、支部結成の通知及び支部要求書を提出すると同時に、Sさんに対する保障を求める第1回団体交渉が行われた。8月19日には支部要求 @業務中の事故に対する扱い A昇給の実施 B夜勤者の深夜手当の未払問題 C24時間勤務者の休憩取得不可による未払残業代問題 Dアルバイトの時給アップ等々を求めて、交渉が開始された。




全国ユニオン第22回定期大会開催

社会的労働運動の旗を掲げ、1万人の全国ユニオンを実現しよう!

 7月29日、文京区民センターにて全国ユニオンの大会が13時から開催された。

 なのはなユニオンは全国委員として佐藤書記長、代議員に鴨委員長と佐藤執行委員、傍聴に他4名が参加した。佐藤執行委員は大会書記を担った。
 大会後の懇親会に、なのはななは13名が参加した。


 鈴木会長が冒頭主催者挨拶に立つ。1月以降の闘病で、会長自身も挨拶で感極まって言葉に詰まる場面があったが、その場に参加した私たちも元気な鈴木会長にお会いできたことに感無量であった。そしてサステナブルな活動をめざすという言葉に、参加者全員が共感した。

 来賓として、社民党党首福島みずほさん、全国一般全国協議会平賀さん、日本労働弁護団木下弁護士、連合村上陽子さん、コミュニティユニオン全国ネット岡本さんらが駆けつけて、ご挨拶をいただいた。

 その後、議案提案、会計報告などが行われ、質疑応答。

 鴨委員長は、高齢者雇用安定法Q&Aに則った会社の再雇用制度に対し、これが再雇用制度と言えるのかと真正面から問う裁判を行うということで、方針に補充意見を述べた。シニアユニオン井委員長も高齢者は雇用されればいいのだという現状に警鐘をならした。他活動方針に対する質問、補充意見などのやり取りが行われた。

 議事・役員選挙について全体で採択し、大会宣言を確認し、団結ガンバローで閉会。

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2部交流会

 何年間ぶりで飲みながら食べながらの交流会が行われ、各ユニオンから近況と取り組みが報告された。なのはなは交流会に13名が参加。新支部を結成した首都高KRM ユニオンの仲間3名は、なのはなの参加者にも初顔見せとなった。

 なのはなは、●オリエンタルランドユニオンから「パワハラ」高裁敗訴と最高裁への上告の決意と報告、●富士そば労働組合から15名の残業代裁判が和解で終結。支部長の懲戒裁判と残業代裁判が継続。支部活動の再構築に向けた取り組みが始まったと報告、●新支部である首都高KRMユニオンから支部結成に至るきっかけと交渉の開始、を報告した。

 山梨ユニオンの女性組合員は不当配転について裁判で勝利したことを切々と報告。鈴木会長は倒れた時から今日に至る闘病の経過と現状について語ってくれた。どちらの報告も胸が熱くなった。本当に本当に良かった!!



写真4

 7月21日、船橋勤労市民センターにて映画「ここから」の上映会をちばキャラバン実行委員会の主催で行い、32名が参加した。「関西生コン事件」を知らなかったという参加者もいた。18時30分、なのはなユニオンの佐藤書記長の進行で開会した。

 鴨委員長が主催者挨拶を行い、18時35分から映画「ここから」が上映された。全日建連帯労組の小谷野書記長から「関西生コン事件」の闘いの現状と意義について、お話しをいただいた。

 小谷野さんは、関西生コンは横断的な個人加盟型の産別組合。どこにいても業界全体賃金で、企業間の競争を許さないということで職場を超えた連帯が強い組合で(弾圧前)組合員は3000名。

 その闘いのなかで、不満をもった企業が労働組合を暴力団に見立て、労働組合の活動が威力業務妨害、強要、恐喝とされた。そのやり方で労働組合と暴力団の区別がつかない裁判所裁判官が騙された。今、やっと有罪2件、無罪2件と勝率5割になり、無理くりに作った事件が破綻し始めた。

 「ここから」は関西生コン労働組合がやってきた活動を知ってもらいたいとの思いで作成した映画で、全国45か所で上映された。これからも闘いぬくために、上映活動を広げていきたいと語った。
 当初、主人公の松尾聖子さんのご挨拶を予定していたが、ご家庭の事情で来れなかったので、大変残念であったが、小谷野さんのお話はわかりやすく、映画の背景を浮かび上がらせるもので、映画と合わせて関西生コン事件の本質が理解でき、とても有意義な上映会であった。

 闘いの先に希望があることを示唆する映画で、機会があったら、ぜひぜひ見てほしい。

[参加者感想]


法治国家、民主主義の国であるにも関らず、ありえないこと。心折れてしまうかもしれない。けれども明るく闘う姿に頭が下がります。若い世代への広がりは、その世代が組合活動で精神的、社会的に充足できるように何かできないでしょうか。(30代)


松尾さん、吉田さんの御連れ合い、西島さんの御連れ合い、久堀弁護士・・・女性は強し! それにしてもこれだけ理不尽な攻撃を受けながら団結を維持している関西生コン支部、吉田修さんのような一人一人の組合員、日本の宝です。ともに闘わん! (70代)


怒りが込み上げてきた。労組つぶしの弾圧(陰に暴力団あり)が今の日本の政府のように見えてきた。
多くの人に観てほしい。女性にも観てほしい。労働組合の必要性をもう一度、憲法とともに見直したい。(70代)


こんなにひどい弾圧事件があったとは知りませんでした。あきらめずに頑張っている皆さんに心からのエールを送ります。聖子さんは吹っ切れた表情していますね。映像や音楽もきれいだと思います。(60代)


逮捕、起訴されたということに、とても驚いています。出演者の想い、発言に、強さやたくましさを同時に感じた。おこさせない、起こらないような活動が大切であると思う。(40代)




【《昭和〜平成》:レトロとヴィンテージ、その狭間の中で】第3話

イラスト(夏)
《華やかな所=苦しい職場》 突然ですが、皆さま、子供の頃に描いていた『大人になった自分の職業』を憶えていますか? 因みに小学校の卒業アルバムに書かれた私自身の夢は、模型店を開く事だったようです。う〜ん、まあ、実現した、と言っても良いと思います。自分で輸入の古着と雑貨のセレクト・ショップをやっていましたので。でも大変で・大変で、とてもではありませんが私の拙い能力では、続きませんでしたねぇ(苦笑) CS放送のナショジオやヒストリーチャンネルを観ていて思うのですが、欧米って、子供の頃から描いていた将来の仕事が実現し易い環境なのではないか、と。だって、恐竜博士になりたいとか、UFO(や超常現象)の研究をしたいとか、当該の番組に出ているあの人たちって、本当に実現しちゃっているのですよねえ! 実に羨ましい限りです。

 例えば私の世代の女性陣に多かった憧れの職業「スチュワーデス(当時の言葉でスミマセン)」ですが、その夢を諦めたのはいつ頃だったのでしょうか? そんな「超」の付く花形ではありませんが、私は空港の職員をやっていた時があります。ですが、残念ながら、堀ちえみさんのように「教官」と言える(言われる)ような、ドラマの世界とは全くかけ離れた、異常で異様な職場環境でした。

 副題のように、見た目が華やかな職場ほど、その裏側では物凄く真逆の環境で支えている事が多いと感じます。そして私はこうも思うのです。自分の職業を訊かれた時に、その仕事内容を『限りなく一言に近いシンプルさで説明できない内容の仕事は、ブラックな職業なのではないか?』と、愚考しておりまして。

 事実、空港での私の仕事内容ですが、メインは『施設利用客への対応』でしたが、ところが実際は途轍もなく細かな仕事が多いのです。

 落とし物の対応・保管・返却、爆弾などの不審物の検査依頼、その不審物の処理をしている横のエスカレーターの隙間に搭乗券を落とした人からの相談、各旅客ターミナルへの完璧な誘導と、その為のシャトルバスでの移動、納入業者への通行証発行、病気・怪我をした人の介助、検疫(クアランティン)への手続き、制限区域内のガチャポンの故障対応、トイレ内に落ちている違法薬物、滑走路の上の亀、来日した有名人の誘導、英語、スペイン語、中国語、韓国語、カウンターに来た「クアランティン!」再び、皺ひとつないシャツにネクタイ、職場内でのパワハラ、嫌味…… 嗚〜呼〜〜〜っ!!!(爆)

 ええ、殆どの人が1年、長くとも2年以内に辞めてしまいます。『退職代行サービス』を使って、ある日突然消えた社員さんも居ました。どうやっても一言では説明できない業務内容ですね。

 そして消去法で残るのは、鈍感力の高い人か、ある種の独特な人、そんな職場環境でした。

 募集する側も大変でしょうねえ。限られた文字数で仕事を紹介できるとしたら、それは詐欺に近しい文章となるのではないか、とすら思ってしまいます。

 私見ですが、肉体的に辛いのは我慢します。ですが精神的に辛いのには耐えられませんね。
その両方は?

 それでは皆様「今月も、御安全に!」
HK@コロナ中



鈴木清丞さん 柏市会議員当選!

 8月6日に投票が行われた柏市議会議員選挙に立候補した鈴木清丞さんは、36人の席を50人で争う激戦を制して当選しました。2期目もしっかりと柏市民の平和とくらしを守るために頑張って下さい。



「2023年8月12日と18日の東京新聞記事から 1 バンザイ\(^ o^)/」
ByQ

 8月12日と18日の東京新聞に「よし!」と思わせる記事がありました。
 今回は18日記事「JR東と西ネットで買える乗車券割引 障害者 窓口手続き不要に」です。



新幹線など長距離列車の乗車券はどのように購入していますか?
障害者手帳の支援制度による乗車券割引を利用した購入方法を知っていますか?

 2021年5月、JR東日本は「(利便性をあまり損なわずに経営の効率化を図るため)2025年までにみどりの窓口(以降「窓口」)の設置駅を7割削減140程度に集約する」と発表し、券売機を増やして駅NETの利便性も上げています。便利になったと感じている人は多くいるでしょう。ですが障害者の私にとってはもっと大変になりました。窓口が減ったからです。窓口で障害者手帳による本人確認をしないと買えないのです。券売機や駅NETでは買えないのです。この仕組みは、障害者と一緒に旅行をしたいと楽しく思っている人たちの思いも踏みにじり「大変だから諦めようか」となる大きな障害になっています。私は窓口を利用する時は大きな駅を選んでいます。それは「ブースがたくさんあって人々が分散されるから少しは楽かも」と思うからです。それでも長蛇の列です。手続きが煩雑なので60〜90分はかかります。車で行く時は、車いすが乗降できて長い時間の駐車も可能な駐車場を探すのに時間がかかります(駐車料金が高く付くこともあります)。ですが、一番つらいのは、長蛇の列に並んでいる人たちからの苛立った厳しく冷たい視線の圧力です。針のむしろに座っているように本当に怖くて心が縮こまって強烈な疎外感で悲しくなります。

 記事を要約すると「JR東日本と西は(開始予定時期を来年春までとし)駅NETで障害者割引を適用した乗車券が申し込めるようになると発表した。これにより券売機で発券でき、窓口で障害者手帳を見せる必要がなくなる。」とありました。「僕たち障害者にとっては革命的な出来事。一歩健常者に近づく。」に同感でした。他のJR各社も追随して欲しいしインターネットや券売機が疎い人のために窓口はもう減らさないで欲しいのです。サービスの開始時期は改正障害者差別解消法が来年4月1日に施行されるタイミングに合わせたものだと私も思いました。(ちなみにSuicaですら、障害者割引制度を使ってSuicaが使えるようになったのはごく最近で2023年3月です)

 消費者(利用者)の利便性を上げる仕組み… その消費者の中にいつも障害者は入っていません。障害があるが故の苦労や負担を背負っている人に対して更なる負担を強いて蔑ろにしている状態であることを多くの人が知らなくて、蔑ろにしていると気づいていないのが今の現実です。すべてを包括的に考える(インクルーシブ)の中に障害者を入れてくれないのです。私は「あぁまたここでも爪弾きされたな、仲間外れにされたな、取り残されちゃったな、また圏外扱いか」と思ってしまいます。頭を幾ら掻き毟っても足りない位、心の奥底からつらくなります。

 健常者に近づくための一歩はたったの一歩です。ですが、厳しく険しい長い道のりを経て辿り着く大きな一歩でもあります。知られざる「障害者が抱える苦労」を公共性が高い新聞記事で多くの人に知らせることができたのも。今回の長距離乗車券の問題は(以前私が掛け合った)イベントのチケット購入の件と一緒。だから「やった! 動いた! 大企業が動いた! (普通の人にはあたりまえのようにある)購入方法が選べる選択の自由と便利が手に入った!」って、まるで掛け合ってきた当事者たちのように万感胸に迫る思いでした。





☆☆おしらせ☆☆

2023年


 8月26日(土)18:00
なのはな執行委員会

 9月 9日(土)
プレカリアートユニオン大会

 9月12日(火)15:00
首都圏幹事会

 9月25日(月)
福島みずほ25周年を祝う会

 9月30日(土)
なのはなユニオン大会

10月 3日(火)
OLC業務過重労働裁判・原告A証人尋問
※10時30分千葉地裁

首都圏幹事会

10月26日(木)
厚生労働省交渉(予定)

10月28日(土)
派遣ユニオン大会



なのはなユニオン第36回定期大会開催
日時
9月30日(土)13時
場所
藤崎6丁目東部会館

■大会が成立するためには「組合員の1/2の出席」が必要です。個人会員の方は同封の「出欠確認のハガキ」を、支部の方は同封の出欠用紙を9月20日までに返送願います。

■懇親会を大会終了後15時から行います。日頃、なかなか会う事ができない会員同士が繋がる貴重な場です。

参加を呼びかけます!





なのはなトーク
 何年ぶりかの尾瀬

 大学1年の夏休み、同級生4人でキャンプに。子供たちが小学生の頃、家族で尾瀬に魅せられ、春・夏・秋と通った。なのはなの仲間達ともレクで一度。その時、ハイキング初めてという男性組合員が帰り路、木道から落ちて引っ張り上げた。

 思い出深い尾瀬に7月23・24・25日、後期高齢者3 人組で向かった。戸倉に自家用車を止め、バスに乗り換えて大清水に。低速バスに乗って一ノ瀬に。そこから岩清水、三平峠をめざす。楽々と思いきや、なかなかの上りが続く。三平峠からは下りで一気にトンボが飛び交う尾瀬沼に。
 1日目は尾瀬で一番古いといわれる長蔵小屋に宿泊。水が豊富という事で以前来た時も風呂ありではあったが、風呂にボディシャンプー・シャンプー備え付けで、トイレはウォッシュレットにはビックリ。朝晩の涼しさは高原だったが、個室で食事もおいしく、山小屋というよりは民宿の風情。

 2日目は皿伏山分岐→沼尻→燧ケ岳分岐→見晴→東電小屋→ヨッピ吊橋→竜宮十字路→牛首分岐→山ノ鼻に向かう。燧ケ岳と至仏山を見ながら「夏がくれば思い出す・・・」が作られた頃と変わらぬ尾瀬沼を、太陽を遮るものがない暑さのなかで時折吹く高原の風に癒されながらひたすら歩く。7月末は水芭蕉が終わり、咲いているはずのニッコウキスゲが時々みかける程度で寂しい。宿泊した至仏山荘は高度が低く暑いからか、部屋には扇風機がまわっていた。

 3日目、至仏山に。尾瀬沼に向かって階段を下りる至仏山の下りコースは外国映画の世界にいる感がした忘れられないコースだったので、今回も外せなかった。が、その下りは禁止で上りのみのコースになっていて、下から見上げると、ひたすらウネウネと登らなければならない私が一番嫌いとするコースに変わっていて、大丈夫かと不安感をもった。実際に登っても登っても頂上に辿り着かないコースであったが、立ち止まって下をみると尾瀬沼が広がり、上り嫌いの私にしては思ったより気持ちよく登れた。最後は花咲の湯につかり、草紅葉の秋にまた来たいなと思いながら尾瀬を後にした。
(桃)