2023年12月25日 No.303 |
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12月21日、9時舞浜駅集合。株式会社オリエンタルランド本社前に行き、「指導確認書」問題を訴える。この問題については何回も交渉をし、会社は始末書ではない、書きたくなければ拒否すればよいと公言した。しかし最近、拒否した人に早退を命じる、懲戒処分を出す等々、書かせる姿勢が強硬になってきた。 キャストMさんの懲戒処分に対する交渉では、会社は「キャストがゲストに注意した内容は行動基準、「The Five Keys〜5の鍵〜」Safety(安全)、Courtesy(礼儀正しさ)、Inclusion(多様性)、Show(ショー)、Efficiency(効率)で最優先されるゲストの安全である。しかし、ゲストへの言葉かけに「Courtesy(礼儀正しさ)」が欠けていたので、ゲストは怒ったのである。」と述べた。組合がどういう言葉かけをすればよいのか問うたところ、会社は「どうなさいましたか」と声掛けすべきだと主張。「どうなさいましたか」と声掛けで、クレーマーからキャストはまもられるのか! 「指導確認書」は書かなくてすむのか! 本社前で、会社に問うた。 11時30分、東京都労働委員会に、東京ユニオンが「抗議書」をわたす。14時、浮間船渡にある田口運送(プレカリアートユニオン)に8年間上がっていない賃金を上げろと要請し、行動は終了。 |
富士そば労働組合の店長ら原告15名が、株式会社富士そばを相手として2020年10月に労働審判を申し立て、本裁判に移行して2年2ヵ月にわたり係争してきた残業代請求裁判が、12月27日に東京地裁にて和解した。今回の和解にあたり、会社が原告に支払うべきものとされた解決金は、原告らが訴え提起時の請求額より相当程度減額されたものですが、一括で和解した。 団体交渉拒否など都労委に不当労働行為を申立てた件が12月7日に和解、そして富士そば労働組合支部長の懲戒解雇と残業代請求裁判が12月12日に和解した。これで富士そば労働組合のすべての争議が3年間を経て終結したこととなった。3年間と言う長い期間がかかってしまった。支部長を職場に戻すことができなかった、立ち上がった原告のうち何人かが退職せざるをえなかった、等々悔しい思いがいっぱい残った。それでも、支部長はかわるが、組合を現場に残すことができた。富士そば労働組合は再スタートの一歩を踏み出すこととなった。 皆様には、これまでのご支援に感謝し、これからも暖かく見守っていただくことをお願いしたい。 |
厚労省の「Q&A1−5」に則って作成されたという成田空港株式会社の再雇用制度は、57歳で58歳以降の雇用について選択させる制度で、(A)60歳定年を選択した場合には58歳〜60歳まで賃金・ボーナスは変わらず。退職金は60歳で精算。(B)65歳までの雇用継続を選択した場合、58歳で退職金は精算。賃金とボーナスは58歳〜60歳の間は60%、60歳〜63歳は50%、63歳〜65歳は40%になる。(A)と(B)を比較すると、支払われる「賃金・ボーナス・退職金」の合計は、(A)60歳で計4100万円、(B)65歳で計4400万円なので、その差((A)−(B))は300万円である。ということは、(B)65歳までの再雇用を選択した場合の60歳〜65歳までの間の年収は60万円(300万円÷5年間)ほどでしかない。60歳定年時の年収653万円の1割以下である。 つまり、会社は労働者にとっては廉価で、経営者にとって得する再雇用制度を作ったのである。この制度を、57歳時点で会社から選択を迫られたT氏は制度に問題があると思い、60歳定年(上記(A))を選択。そして60歳定年を迎え、高齢法に則り60歳以降の雇用を求めたが、会社は60歳以降の再雇用を拒否したのである。 この問題について、なのはなユニオンは会社と3回交渉をしたが、会社は厚労省の「Q&A1−5」に則って作成した再雇用制度なので問題はないとの主張で平行線。高齢者が安心・安全に働くためにという高齢法の趣旨に反する再雇用制度は、再雇用制度とは言えないと、12月に裁判を提訴。 国は70歳まで働き続けようというが、働き続ける高齢者のことは考えていない。労働力不足なので高齢者を非正規として安価な労働力として活用したいというのが実態である。高齢化社会で、以前と比べて60歳以降も働き続けられる、働き続けたいという人は増加。60歳以降は高齢者だから雇用があるだけまし、年金をもらっているから低賃金でもやっていける・・・等々、依然と全く変わらない理屈で、それでも働きたい人は働けばというような扱いに、高齢者はもっと怒ってもいいと思う。 T氏の裁判は、再雇用制度そのものの在り方を問う裁判である。今、高齢でなくとも、誰しもが高齢になるわけである。すべての働く人の問題として、この裁判を注視し、ご支援をいただきたい。 |
今月12日の午後2時に千葉地方裁判所にて人生初となる労働審判に挑みました。今回の争いの会社の前の仕事は福祉職に長く務めており、ホームレスの方、生活困窮者、認知症の疑いのある高齢者、障がい者、虐待を受けた児童、入院中の方、刑余者の方、失業者等の総合相談対応をしていたため、雇用問題や労働審判等は全てユニオンの方々に対応をお願いして来た経緯がありました。それが今回、以前にも別件で大変お世話になったなのはなユニオンに相談し、快くご対応頂くことになりました。しかしながら、相手方会社及び代表者が話し合いに全く応じなかった結果、事実上、今回が初めてとなる労働審判に挑むこととなり、鴨委員長に手取り足取り丁寧にご指導頂き無事に初回で終えることが出来ました。 感想としては、かなり大きく金額面で譲歩を余儀なくされたものの、主張どおり解雇日を退職日として認められ、よかったです。労働審判当日、前の職場の同僚が会社側の証人に立つというハプニングがあったものの鴨委員長が労働審判期日に千葉地方裁判所まで同行して待機室で一緒に待機していて下さり、精神的な不安も大きく軽減出来たため、気持ちの面においても落ち着いて労働審判に挑むことが出来ました。本職を辞めた後に別件の仕事で一緒に仕事していた仲間が突然自死し、そのことで自身の心の整理が全く追い付かない状況下に追い込まれていた中でなのはなユニオンに相談して快くご対応頂き、心身共に大きく支えて頂き、感謝しかありません。また素晴らしいユニオンの皆様にも快く受け入れて頂き、労働審判を無事に終えた今も心身の健康を大きく害することなく過ごして来られたこともユニオンの皆様の支えがなければ、不可能であったと感じています。今後、なのはなユニオンが会社の理不尽さにより苦しんでる方々への大きな心の支えとなる働きに期待しています。 (太田)
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「ブラックフライデー」開始日にあたる11月24日、通販大手アマゾン本社前での抗議行動が行われ、なのはなユニオンも参加しました。世界約30カ国でアマゾンに抗議するキャンペーンの一環として、「東京ユニオン・アマゾン配達員組合横須賀支部」が荷物量の軽減や団体交渉、配達員を労働法上の労働者であることを認めることなど、労働条件の改善を求めた行動です。組合はセール期間の荷物量の調整を求める要求書の提出を試みて「配達員に感謝しろ、正当な賃金を払え」と声を上げました。 現在、軽貨物などの業界で、働き方は社員と同じなのに、労働基準法などで守ってもらえない「偽装フリーランス」が多く見られ、問題視されています。アマゾンジャパンも「ドライバーの方々はアマゾンの従業員ではない」としており、労働法を無視した働かせ方が常態化しています。そんな中、昨年9月には60代男性配達員が配達中に転倒し腰の骨などを折る全治2か月のけがを負いました。そして1年を経た今年9月に労災と認められました。この認定は、アマゾン配達員の「労働者性」を一部認められたことになります。フリーランスで働く人は雇用労働者でないものの、法律に基づくか「労働者性」が認められれば、労働基準法などの保護が受けられるということです。また組合は、アマゾン配達員は「労働組合法上の労働者」であるという訴えも続けています。これは団体交渉権やストライキを行う権利があるという事です。 アマゾンをはじめとしたプラットフォーマーと呼ばれる企業と、その影響下で働くギグワーカーの労使関係においては、「労働基本法上の労働者」の基本的な権利(最低賃金や労働時間規制など)を使用者側が認め、制度上においても適切な労使関係が取られた法整備が進むことを願います。 (佐藤) |
全国交流集会 i n 熊本
2日目は分科会からスタート。私は「精神障害に関する新たな労災認定基準」の分科会に参加。ぎゃんして、ぎゃんすっと、ぎゃんなっとたい! (皆が団結して、行動すれば、未来はひらける!) 会場に到着し、見慣れた顔や去年の交流会で繋がった仲間と挨拶を交わし、1年の時の流れの速さを感じた。 全国ネット総会が終わり、特別報告では名古屋ふれあいユニオンがブラジル国籍である故、同じ仕事をしていても社員になれない「労基法3条20条違反裁判」に勝利し、100名全員社員になった報告。スクラムユニオンは「日系労働者の組織化」を通訳を交えて報告。札幌地域労組はバス運転手のストライキを報告。「お客さんに本当に申し訳ない」と涙をこらえながら訴える姿が印象的だった。 休憩を挟み、熊本のゆるきゃらであるくまモンが登場。まさかの登場に大興奮! 同業者として親近感を感じ、「千葉の夢の国から来たよ!」と報告し、一緒に写真撮影や、くまモン体操を踊り、会場全体が笑いに包まれた。 くまモン退場後はガラッと空気が代わり特別講演。 宮津航一さんが「こうのとりのゆりかご」をテーマとして講演。多くの方が赤ちゃんポストと聞くとピンと来る方が多いかもしれない。2007年に「こうのとりのゆりかご」に預けられ里親に育てられ、現在20歳の本人の言葉は1つ1つが大変心に響いた。現在預けられた170人の中で公表しているのは18%とのこと。赤ちゃんポストと聞くとポンと軽く預けられる印象なので「こうのとりのゆりかご」という言葉を広めていきたいと、宮津さんは自身が里親家庭である事を公表し活動している。皆さんも是非この記事をきっかけに「こうのとりのゆりかご」とインプットして欲しい。里親である父の「血が繋がっていることではなくて何があっても味方でいることが家族だ」の言葉は、改めて絆を考える言葉だった。 次に、ベトナム人実習生リンさんの孤独死産最高裁で無罪判決を勝ち取った石黒大貴弁護士が講演。何故、技能実習生が孤独出産に追い込まれるか。妊娠した1434人中、復職出来たのはわずか23人。日本人労働者ならば産休・育休があるのに、彼女たちは「妊娠したら仕事を辞めてもらう」と言われている。母国の大黒柱である彼女たちは5倍の手数料を支払い、技能実習に来ている。その為、仕事を辞めさせられる訳にはいかず、妊娠を周囲に打ち明けられず、孤独出産をし、刑事事件に発展するケースがある。リンさんは自宅で死産した双子の遺体を母として丁寧に段ボールに入れ、ベトナム語で名前を付け、安らかに眠って下さいと弔の言葉を書いた手紙を段ボールに入れた。これを「捨てた」として提訴された事件で大変心が痛かった。起訴されると99.9%有罪になる日本の刑事事件で、最高裁で見事勝訴を勝ち取った石黒弁護士は、孤独出産に対する司法の無理解が問題であると言う。この事件は「ニッポン複雑紀行」というサイトに詳細が載っているので是非読んでいただきたい。 第2部は場所を移動してのレセプション。オープニングセレモニーは熊本県の郷土芸能「山鹿灯篭踊り」からスタート。他のユニオンの方々は同グループのテーブルに纏められるが、一人参加の私は毎年初対面のユニオンのテーブルに割り当てられる。しかし、翌年にこのレセプションで知り合った方にお会いするのが密かな楽しみだったりする。今年もよこはまシティユニオンの皆さんと美味しいお酒と料理をいただき、終了後は全国ユニオンと福岡全国一般の仲間と熊本料理の居酒屋にて、久々の再会の喜びでお酒が進んだ。 今回改正の目的は労災調査を行う労基署の軽減負担の為だが、前向きな変更点としては、具体的出来事表の見直しが37項目から29項目に整理統合された事や、元々精神障害で通院していた者が職場で悪化した場合の範囲の見直しがある。「精神疾患の労災認定は難しい」と言われてきたが、今回の改正で労基署の水際対策が緩和されることを願う。
参加者全員のシュプレヒコールで無事に大会が終了。その後、次世代交流会に参加した。 若い世代のユニオンの皆様と、所属組合や次世代のメンバーとやってみたいことを模造紙に書き、グループディスカッションを行った。発表の場では、多くのグループがLINEグループ作成や交流会など、次世代同士の「繋がり」が必要と発表しており、中には事務所の見学ツアーとして、他組合を訪れたた際に御朱印のようにスタンプを集めたら面白いのでは? 等の斬新な意見もあり、とても刺激を受けた交流会だった。 毎年、全国交流会の参加を重ねる度に繋がりが増えていき、翌年の交流会で再会を喜べる人数が増えていく事が、私の毎年の楽しみになってきた。準備を行う実行委員会の皆様は大変だと思うが、来年の大阪での開催も楽しみである。 (佐藤) |
全国ユニオン2024春闘セミナーに参加
12月16日(土)、文京区民センターで開催された全国ユニオン2024年春闘セミナーに参加しました。なのはなユニオンからは5名が出席しました。全国ユニオン鈴木剛会長は「明るく、楽しく、激しく」をモットーに運動すると、挨拶しましたが、その言葉にふさわしい内容だったと思います。プログラムは、会長挨拶の後、第1単位として立教大学 首藤若菜教授の「労働組合への期待 〜2024春闘に向けて〜」、第2単位の「全国ユニオン2024春闘方針案 」、特別報告「平和行動 IN 長崎」と続きました。 特に、労使関係論・女性労働論を専門とする首藤教授のお話は、「労働組合は何をしているんだ!」と檄を飛ばす内容で、刺激的かつ大変参考になりました。研究者としてデータに基づいてグラフを示しながら首藤先生は、2023春闘の結果について「表向きは、2014年以降最も高い水準の賃上げを実現したと評価するが、組合に対しては率直に言えば『賃上げが不十分だった』と言わざるを得ない。名目賃金が上がっても実質ではどうだったか。賃上げが実現した企業と、そうではなかった企業の差が広がり『分散度』が大きくなる傾向が続いている」と指摘しました。かつての60年代の春闘が国民全体に波及する大きな運動だったことに比べて、オイルショック等の経済危機を経て、現在は「企業別エゴイズム」に陥りやすい企業別労働組合制度の弊害が顕著になってしまっていると指摘しました。 また、「賃金か雇用か」を迫られた時、「雇用を守る」ことに日本の組合は固執したが、コロナ禍で米国では「賃下げを受け入れることはできない。レイオフしてくれ」と組合が会社提案をはねつけた例を紹介し、「賃金か雇用か」を迫られたときに「大幅な賃下げを受け入れてまで雇用を維持する」ことだけが正解ではないのではないかと問いかけました。 2024春闘についても、「23春闘で賃上げしてしまったから今年はもう無理。会社には原資がない」という弱音を組合側がいうことについて、「今、高い要求をしないで、いつするのだ」と檄を飛ばしました。「成長と分配」の好循環を言う政権に対しては、「成長の範囲内で分配するという考えではいつまでも成長はなく景気はよくならない。まず賃上げを実施して勤労者が安心してお金を使うことによって、景気がよくなって成長がもたらされる。だから、賃上げのために労働組合はもっと闘うべきなのだ」と強調しました。組合は社会の「公器」であり、国民に広く受け入れられる社会的課題に取り組むことによって、春闘での闘いが共感をもって受け入れられるのだと述べられました。 さらに日本の「労働生産性」の低さについても、「労働生産性が低いから賃金を上げられないよね」という経営側の言い分にくみしてしまうのではなく、「まず賃金を上げれば、労働生産性を上げることによって利益を確保していくしかなくなるではないか」と逆転の発想を披露しました。「人手不足」については時間の関係でほとんど言及がありませんでしたが、「大きなチャンス」と表現し、「成長と分配」や「労働生産性」の例と同様に、「まず賃金を上げることによって人を雇い入れるべし」というお話を聞けたのだと思いました。 首藤教授の話で一番印象に残ったのは「物価に追いつく賃上げでは不十分で、物価を追い越す賃上げが必要だ」という一言でした。 「2024春闘方針(案)」については、別途目にする機会があると思いますので、割愛します。特別報告の「平和行動 IN 長崎」については、「黒い雨訴訟がまだ続いている」ことや「教科書の中だけの原爆被害の話が、現地に行くことでリアルに感じられた」ことなどの報告がありました。「平和なくして労働運動なし」という昨年亡くなった宮里邦雄弁護士の言葉も、何度か引用され、平和運動に取り組む大切さにも改めて気づかされました。 (片岡) |
全日建労組制作の映画を鑑賞、そして結成40周年レセプションに参加
11月17日14時からの映画上映会と、18時からの全日本建設運輸連帯労働組合結成40周年の集いに参加しました。 生憎の雨(と言うより豪雨)で行きは道路混雑、少し遅れての入場。全国ユニオン関係者がいると思いきや、上映会は私ひとり。5本の映画「(1) われら生コン労働者(2003年) (2)齋藤建材事件の真相(2007年) (3)日雇いみんなに謝ってほしい(2009年) (4)大分キャノン物語(2009年) (5)フツーの仕事がしたい(2008年)」が上映されました。 鑑賞して、現在の日本の労働環境も冒頭の韓国の労組結成当初の1970年代に今まさに戻っているのでは、と思いました。表面上男女平等といえ、勤務先の長に愛人直前の関係まで迫られ、嫌と断ればここぞとばかりに権力を振りかざされ、周囲を利用しての嫌がらせ等々、ハラスメントを行使。メンタル・けが等で働けない状態だけでなく、生活に支障が出るまで追い込む。またユニオンを介在すれば、“本物の反社”を資本家側は当然のように投入。グローバル化と言うのは、資本家側が思い通りにならなければ、何をしてもいいのかと言わんばかり、ですね。それに巻き込まれるのは労働者等の弱者である。非正規を減らし、賃金の格差を縮めれば、“傍観者”“協力者”のような人達も減るかと思います。その為には、一人でも多くユニオンの存在と役割を知ってもらう様に宣伝、団結して仲間を増やす事で、映画に出て来る「人間らしい扱い」「普通に働ける」環境を作る必要があると思いました。 しかし残念なのは、一部主人公達が解決後、別の職場でメンタルを発症したり、仕事中に急病で亡くなったりしていたこと。「正直者が馬鹿を見る」と言う諺がありますが、勇気を出して資本家側と対峙した人達が、酷い結末を迎えると言うのは何とも言えないです。 亡くなった方には、この場をお借りしてご冥福をお祈りいたします。 私も初耳でしたが、5本の映画を制作した土屋トカチ氏も、以前勤務していた会社でリストラに遭い、個人加盟できるユニオンに加入、解決してもらったとの事。その時の解決金で購入したのが、現在使用しているカメラだそうです。 18時30分から、別場所で40周年式典パーティーが開催され、参加しました。そこで、なのはなユニオン3名と合流。色々な来賓の方の挨拶がありました。中でも会場の前方でウェストバッグを装着して賑やかな女性が居たのですが、何と「辛淑玉さん」でした。お元気そうで何よりでした。 1時間ちょっとの挨拶が終わり立食。少し冷めていましたが、ケータリングの料理が美味しく、特にエビチリは絶品。直径8cm位あるエビは食べ応え抜群。定番の寿司、パスタ、サンドウィッチ等もあり何度もおかわりしました。 帰りも行きと同様、東京駅からバスで帰宅しましたが、久しぶりにほぼ満席の状態でした。隣に力士みたいな体型の人が座ってきて、窮屈でしたが東金ICまで爆睡。機会があれば、もう一度、映画は鑑賞したいと思いました。 (清水)
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「私がKiRACOに書くようになったわけ」 Q 2021年11月4日東京新聞朝刊一面に私が載りました(以前に記載済)。 喜びもつかの間の年末、JR津田沼駅南口(習志野市内)複合ビル内で気分が底に落ちていく出来事に遭いました。「今年最後のひと踏ん張りをするしかない」と働きかけることにしたのです(これも以前掲載済)。 実はこの声掛け活動・・・最初から困難でした。運営会社がどう調べても分からなかったのです。それで習志野市役所に駆け込みました。次に「習志野市民の障がい者や関係者の人達の声を拾い集めてビルと話をするのだ。行ってみるのだ。」と習志野社会福祉協議会にも通い始めました。 「KiRACO」と私の縁は習志野社協が作ってくれたのです。「KiRACO」は約30年の歴史がある市販誌(習志野市近郊タウン誌)で、編集長に私を紹介してくれていたのです。2022年秋「(介護者からの投稿はあるけど)障がい当事者からのは少ないからどうでしょうか?」と編集長から依頼が来ました。どこかで書けたらと願っていましたが降ってわいたような夢のような話です。「ど素人ですけど一所懸命精一杯務めます! 是非ともお願いします!」と言いました。 普段から手紙など書くのが好きだけど全く違う。「大人じゃなくてもわかりやすい文章を!」と悪戦苦闘すら楽しんでいます。ネタはたくさんあります。でも全6回の連載だからこそ時間をかけて心を込めて書いています。バラエティー豊かな内容と執筆者の誌面なので、私の執筆感想は全く無くて「KiRACOは読み応えがあるね!」とだけ近所の人から言われたりします。勉強不足ですよと厳しい励ましのお言葉を暗に言われてしまっている私ですがね・・・体は衰えていってもライフワークとして「声掛け活動」は続けていきたいと思っているので「書いたり話したりできる機会が増えていけばいい。今からでも遅くない」と夢を持っています。鴨委員長には初回時から相談に乗ってもらっていて委員長の意向もあって⇒次回来年1月から「車いすからこんにちは」掲載始まります! 「KiRACO」編集長が(版権問題もありましたが)転載することを許可してくださいました。どうか皆様お付き合いください。 どんな意見でも大募集です(^▽^)/
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【《昭和〜平成》:レトロとヴィンテージ、その狭間の中で】第7話 《薄い壁の部屋のプライバシー》 皆さま、突然ですが、お隣の部屋の音、って、聞こえますか? これは特に私のような『集合住宅』にお住まいのかたにとりましては、死活問題的な事情があります。不動産会社に何度も相談しましたが「気にしないのが一番です」の一点張り。 今回は、私が以前に都内に住んでいた時の『壁』事情(笑)をお話ししたいと思います。 其処に入居したのは今から20年以上前。当時はまだ築10年も経っていない、綺麗な賃貸マンションでした。しかし、見た目で判断してはなりません。バブル末期に建てられた為か、壁が紙のように薄かったのです。それはまるで『全てがガラス張の部屋に、全裸で生活している』気分でした。誇張ではありません。私のあらゆる音が漏れ、また両隣からも逆に色々な音が入って来ました。苦痛で・苦痛で、毎日がストレス、緊張が解れませんでした。 千葉市中央区と東京都中野区で育ちました『区民ハーフ(藁)』の私と致しましては、千葉に越してきたのは、プライバシーの確保とストレスからの解放の意味が一番の理由でした。 当時、中野区は都内でも地方からの上京して来る若者に人気の街の1つで、交通の利便性とその判り易さから、3月になりますと、初めての東京生活を始める若者がワンサカ集まったものです。その度に私は「嗚呼、またか……」と胃が痛くなったものです。 嬉しくなって呼んだ大学の友人達が始めるバカ騒ぎ、若いカップルの話し声、痴話喧嘩、トイレの音、何でも聞こえました。逆に静かにしていた私が、フローリングの床に食卓塩の容器を落とせば、隣の部屋に遊びに来た韓国人と思しき女性が「何か(耳を澄ませて私たちの事を)聞いているみたいだねえ」などと逆に私を変質者扱い(苦笑) また別の住人の時には、私が耳栓を付けて寝たら、目覚ましの音が聞えなく、2時間も鳴りっぱなしだった事もありました。春先に上京してきた若者の部屋に来ていた彼女が発した「この音は騒音じゃないの!?」という私に対する嫌味がハッキリと聞こえました。私は心の中で「お前らの所為で耳栓をしていたんだよ!」と叫んでいました。そんな所に10年も住み続けました。その間、住人は色々と入れ替わりました。外人男性、ボクシングのプロを目指す青年、インコの鳴き声が聞こえる一人暮らしの女性、夫婦、OL二人のルームシェア、寂しくて1ヶ月もしないで実家に帰って行った新女子大学生… 私が一番記憶に残っているのは、何と言っても東日本大震災の起こったあの3月11日です。寒い日でしたね。その日の夜、職場のある市谷から自宅の中野まで、私は黙々と歩いて帰宅しました。同じように無言で歩き続ける多くの帰宅者達を見ながら、日本人の冷静さに仄かな誇りを抱いたものです。3時間かけて到着した我が家の中は、意外にも地震の影響は少なかったです。床積みした文庫本が倒れていた程度でした。それでも食器を含め細々とした物が全て倒れていました。隣のお部屋の女性が、私が帰宅と同時に始めた後片づけに呼応するように、お隣で片付けを始めた音が聞こえました。さぞかし1人で不安だったのでしょうね。プライバシーは大切です。精神衛生的に、リラックスできない部屋(家)は、住んでいてストレスでしかありません。そして今月も御安全に。 皆さまにとりまして2023年は如何でしたか? 私の場合は、漢字一言で表しますと『安』ですかね。『安定』でもあり、『安らぎ』でもあります。それでは良いお年をお迎えください。 (HK) |
☆☆おしらせ☆☆
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ジャパンモビリティーショー(JMS、旧モーターショー)に行きました!
10月27日、4年ぶり開催となるJMSに行きました。個人的に名前はモーターショーと言ってもいいのですが、総幹事が出たがり・目立ちたがり屋のトヨタ章雄らしい、と思いました(面倒くさ)。 りんかい線国際展示場駅で降りて、軽く食事後、会場へ。開演30分前なのに既に人だかり。前回と違うのは、ゲート前で荷物検査をやっていた事(内容はかなりザル)でしょうか? そう言えば、アベとかも◎されたしね。スマホ入場券で入場後、展示会場まで20分程かかりました(とにかく歩く)。 展示館は南・西のみでしたが最初、何故か西館に。前回は実車の展示ばかりでしたが、いきなり“働く車”ばかりの展示と、営業を兼ねたであろうスーツ姿の偉そうな人達の集団の方が多くちょっと面食らいました。インバウンド関連企業を意識したのか、電車一両(FCV方式で動く)や今流行の電動キックボードに人力車の自動運転版、はたまた自動運転の神輿? など。あと、飲食店の人手不足解消目的の為、時給¥330で30皿チャーハンを調理すると豪語したロボットまで展示(一ユニオン執行委員としては、あまり褒められない)。西館を見る限り、モーターショーと言うよりも経営者向けの展示内容で、4年前と乖離していると思ったのは私だけでしょうか? そう言えば「モビリティー」と付けたのは別の意味があり、空飛ぶ車(もう完全に飛行機)や胴体だけの小型ジェット、はたまた回転すしでお馴染みのコンベア(確かに物を運ぶ意味では“モビリティー”と言えるか?)まで展示していました。気分転換を兼ねて南館へ。モーターショーらしい実車の他、車関連の部品展示内容に。ただ生産・販売中の一部車種が展示していなかったのが残念。試作車含めもう買わない・買えない車をスマホとデジカメで撮影しました。元々少ないですが、外車勢の展示は微減。 西館に居るときは、あまりのつまらなさに時間が長く感じましたが、どうこうしている内に閉館30分前。そうだ、「トミカ」の展示を見ていない事を思い出し会場へ向かいましたが、近くまできて人通りが少ないのでスタッフに尋ねると「明日土曜日」からの事。残念! 帰りの駅での混雑回避に、夕食は会場近くのマックで済ませて帰路に就くことに。新木場駅に来て武蔵野線のあまりの混雑を見て、東京まで行きバスに乗ることに。正解! 連絡も良く、待ち時間無しでバスに乗ることが出来ました。疲れで、高速終点まで爆睡。 何も無ければ2年後開催ですが、次は行くかどうか。 (清水)
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