2024年6月26日 No.309 |
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6月1日、ちばキャラバンを千葉県下16団体で取り組んだ。 当日は延べ200名が参加。千葉県内主要7駅で「今すぐ最低時給1500円!今すぐ同一労働・同一賃金!」を16団体がリレートークでアピールした。2000枚のチラシは飛ぶようにはけた。
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9時舞浜駅に集合し、原告Bの「見極め問題」を要請のために(株)オリエンタルランド本社に向かった。原告Bが5年間にわたる労働災害での休職を経て、5回もの団体交渉を行って2024年1月10日に復職。元職にもどるためにトレーニングが開始されたが、2回(3月30日・4月30日)の見極めが不合格。3回目に不合格ならば身分変更ありと示唆された件について、組合は不合格の理由に客観的合理性がない、トレーニング期間中に原告Bの意に反する就労環境のもと2件のセクハラがおきた。トレーニング環境の改善と速やかに元職に戻すように訴えた。 原告Bはこの3か月間、女性が汗を流しながら一人トレーニングを行う状況を背広姿の男性2〜4人に見られ続けたことは、「檻の中の動物」を見られている感じで苦痛であったことを切々と訴えた。 11時30分に東京駅に集合し、プレカリアートユニオンが取り組んでいる西新サービス(株)に向かう。労働基準監督署から不払賃金の是正勧告と指導を受けたが、会社は休憩時間とされながら実際は待機させられている時間についての支払いは拒否ということで東京地裁に提訴。組合員は健康診断で異常なかった40代の同僚が突然死したことで、自分も命の危険に晒されていると実感して行動することを決意したと訴えた。 午後は東京ユニオンが取り組んでいるTOYOU STUDIO JPに解雇撤回、委託料の支払いなどを求める要請書を渡しに行く。要請団が5階の事務所前で電話をかけても、ドア越しに声をかけても、中に人はいるのに対応なし。組合の要請にゼロ対応の会社はめずらしい。もめるぞ、長引くぞを実感させ、各ユニオンの連帯挨拶には怒りがこもった。 終了後、なのはな参加者は近くの喫茶店でお疲れ様。 東京ユニオン「方針討論合宿」に参加 6月22・23日、東京ユニオンが「仲間を増やし、より強いユニオンを目指そう!」をテーマに方針討論合宿を鬼怒川温泉で行った。「組織化の経験談」を話すことを頼まれたので太田組合員と一緒に行った。温泉につかりながら…半分遊び気分での参加だったが、真面目な会議が2日間行われた。
太田は「なのはなもやろう!」と意気込んでいる。私も、ゆったり、しっかり話ができる時間はなのはなでも必要かな、久しぶりに合宿もよいなと思った。合宿やりましょうか!
(桃)
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労災認定に対し事業主が不服申立/最高裁弁論
東京管理職ユニオンといくつもの係争が続いている「あんしん財団」が、組合員の労災認定を不服として取り消しを求め、一審・東京地裁は訴えを退けたが、二審・高裁は2022年「争う権利がある」と判断。労働者を国が労災だと認定した際、事業主に不服を申し立てる権利があるかが争われている訴訟で、最高裁は当事者双方の意見を聞く弁論を6月10日に11時から行った。 最高裁の席は先着順ということなので、私たち支援の仲間は10時から最高裁前にて支援集会を行った。島崎弁護士は「労災が認定され10年近く経って、23年11月の高裁で判決が覆されたのは衝撃であった。本日、めったに開かれない最高裁の門が開いた。受け取った補償金を返せとなったら何千万円になる。負けた事件に最高裁弁論が開かれるということは勝つ可能性があるということだ。厚労省と一緒に闘う。」とアピールした。山岡弁護士は「過労死家族の会からも50人の陳述書が寄せられた。いい判決をとりたい。」と述べた。各ユニオンからも「精神障害が多発している中、認定自体がハードルが高いのに、認定されてもひっくり返すことができる権利を事業主がもつとなったら大変な事態である。」との発言が続いた。全労働者の問題として支援しよう! |
車イスからこんにちは(6)
Believe in myself that I can do it.
自分にはできると信じて 金沢 紀子 「KIRACO」 2024年3/4月号 VOL166 より転載
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【《昭和〜平成》:ヴィンテージとレトロ、その狭間の中で】第13話 《はい、私は「BDJ」です。それが何か?(笑)》
『BDJ』とは私が作った私的用語で、意味は『Before Dankai-Junior=団塊ジュニア前』の事であり、BDJはその略語です。 「団塊ジュニア」とは、狭義には1971年〜1976年の間に生まれた「第二次ベビーブーム」世代の人達の事を言います。ですので、実際の「団塊世代(=戦後生まれの第一次ベビーブーム世代)」の子息を指すものではありません。事実、1969年に生まれた不詳・筆者の同級生にも、団塊世代の親をもつ生徒はおりましたが、それでも私たちは正式には団塊ジュニア世代ではないのです。 私たちは正に狭間世代ですな。過渡期だったので学校も地域ごとに建設途中にあり、まだ絶対数が足りなく、故に生徒の数が物理的な定員を上回っているケースが多かったようで。因みに私の中学校は、その当時、1クラスに50人以上はいましたし、1つの学年にはクラスが10個ありましたので、最大時の在校生徒数は、単純計算でも、その3学年分で1500人を軽く上っておりました。そして何と私の通っていた高校では、1学年15クラスありましたからねえ! 全校生徒に対し、殆どの場合、当時から顔には何となく見覚えがあっても話したことも無く、当然名前も知らない生徒ばかりでしたので、今再会しても誰だか分からないでしょう。年齢社会の日本にあって、上下に学年が違えばそれは如実で、部活に入っていてもその狭い世界が唯一の繋がりでしたので、帰宅部の人は恐らく全く関係がなかった事でしょう。 その代わり人数のお陰で「体育祭」のような全校行事ともなると、今では考えられないくらいスケールの大きなイヴェントとなりましたね。観客の父兄の中には、酒を持ち込んで宴会を始めてしまう人もいたくらいですから(苦笑) 生徒を種類分けするのは好きではありませんが、敢えてそのタブーを侵しますと、私たちの世代の義務教育期間中の学生の種類は、(1)『普通の生徒』が7割、(2)『やんちゃな生徒』2割、そして1割程度の所謂(3)『オタク(=アニメを筆頭とする何らかの自宅内系の人達)さん』の、以上3種類で構成されていたと私は思います。(「オタク」という言葉は、その当時には有りませんでしたが、間違いなく当時の彼らが使っていた大人言葉の「御宅(=其方の言い換え)」に由来していると思います) ともあれ、これが私の世代の一般的な首都圏の学校ではないでしょうか。 この数年後に、各地で新設の学校が完成し、生徒が分散され、過密クラスは急速に減っていったと思います。 それがBDJですよ、B・D・J!(笑) たぶん1965〜1970年生まれの世代です。 私は自分の事が嫌いですが、不詳・私の時代の文化は好きです。どの期間も良かったですが、もし過去に戻れるとしたら、強いて願わくは、小学5年生に進級後〜中学卒業までの間でしょうか。自分の人生の中で一番の過渡期だったような気がします。全てが曖昧で儚かった、という事を何となく認識し始めたような、しなかったような。 そんなBDJの私達は現在50代の半ばになり、親や自身の両方が気になる年齢なのであります。健康なのか、不健康なのか、曖昧です(笑) 「5」という素数の多い話しになりましたが。 それでは皆様、今月も御安全に! HK
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☆☆おしらせ☆☆
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ちょっとぱぱっとぼやくわ。
あんね、どう足掻いても何をどうやっても救われない魂ってあるんよ。報われることがない魂ってあるんよ。もの凄い辛いわけ。足枷引きずりながら生きているみたいで。めんどくさくて。 一番怖いのは人間なのよ。あっそれから人間が集まっている組織ね。自覚がある人より自覚がない人の方がもっと怖いのよ。 あんまり一所懸命真面目に生きない方がいいよ。 人の心の機微なんかお構いなしで嘘つきでさ、同調圧力がストレスにならなくてさ、器用に尻尾を苦も無く振れちゃう狡賢い狡猾な方がいいよ。 我が身を振り返らず、反省もさほどせず、冷めた感じのちゃらんぽらんな方がいいよ。 言霊に拘らないでほとんど何も考えずに思った言葉を吐き出せて言葉の暴力振りかざした自覚も無いまますぐ忘れちゃう、それっくらいの方が楽だよ。 相手がとても苦しんでいる状態でまるで泣きながらかのように必死で「助けて」って助けを求めているのに、自分にとって美味しくないからと、得にならないからと、メンドクサイからとかそういう類の理由でさ、「はぐらかして知らないふり」「見て見ぬふり」「聞くだけでなんもしない」とかさ、自覚もなくやれちゃう度胸がある位の方が楽だよ。 なんでもかんでも「しょうがない」「運命だった」って納得できちゃう方が楽だよ。 そういう生き方が己にとっての幸せの近道・長生き・賢い生き方だと思うよ。 私は大嫌いだけどね。相手はすっかり忘れているのにさ、私は負の思いを消したくても消せないし簡単に思い出せるからさ、生涯覚えてるからさ、逃げられなくて嫌なんだけどね、でもさ、そういう人にどんなになりたくてもなれないから正直めっちゃ羨ましいや。 私も次もまた人間に生まれ変わったら、そういう人になりたいな。今よりずっと楽だから。人の優しさや思いやりや気遣いはさ、その人が寿命を削って出しているんだよ。それに気づかず、甘えていることも利用していることも自覚がない人が殆どだ。 そこから逃れたいなら自由になりたいなら、一人になるか死ぬか感情を消すしかないと思うよ。相手はあなたのことを利用できる踏み台か捨て駒くらいにしか思ってないのだから。 言霊を忘れちゃっている人はみんなバケモンだ。 私は言葉に精一杯の責任を持っていて欲しいと、人の話ちゃんと聞いて覚えてようよって常日頃から思っているけど、神経擦り減っちゃうからさ、相手のことをなんとも思わなければ失礼な位テキトーな方が己の精神にとってはEASYだよなとも思うからお薦めしないよね。 どんなに頑張ってもね、人間は完全無欠の善人にも聖人にも神様にもなれないもん。 狡賢さが足りない人間は人間の醜さに気付くばかりで振り回されて潰されるだけよ。 みなさん、どうか幸せを感じる瞬間がもっと多くありますように。笑い転げることがもっと多くありますように。 from サトリヨリサトウ
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