『現代日本の開化』

夏目漱石「現代日本の開化」(明治44年8月和歌山にて)から


 定義を下せばその定義のために定義を下されたものがピタリと糊細工のように硬張(こわば)ってしまう。−中略−その弊所を極く分りやすく一口に御話しすれば生きたものを故(わざ)と四角四面の棺の中に入れて殊更に融通が利かないようにするからである。

 西洋の開化(即ち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。

 外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。

 学者は分かった事を分かりにくく言うもので、素人は分らない事を分ったように呑込んだ顔をするものだから非難は五分五分である。

 日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流でその波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新しい波が寄せる度に自分がその中で食客(いそうろう)をして気兼(きがね)をしているような気持ちになる。

 自分はまだ煙草を喫(す)っても碌に味さえ分らない子供のくせに、煙草を喫(す)ってさも旨そうな風をしたら生意気でしょう。それを敢てしなければ立ち行かない日本人は随分悲酸(ひさん)な国民といわなければならない。

 出来るだけ神経衰弱に罹(かか)らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うより外に仕方がない。