『文人悪食』

嵐山光三郎 著(新潮文庫)


 とにかくおもしろいの一言に尽きます。作家で批評家で編集者で、しかも、料理に関しては文献派で食べる派で作る派でもある嵐山さんが、夏目漱石から三島由紀夫にいたる37人の文士を、食卓というテーマで切り取ったものですから、おもしろくないはずがない。私にとっては、仰ぎ見るような作家が、こんな人だったのかと驚いたり、笑ったり、唸ったり。

「文人の食卓はひとすじ縄ではいかない。悪食が体内で濾過されて作品となる。」「近代文学史を料理によってたどってみよう。」「文士の食の嗜好は作品の生理と密接な関係がある。」「文士の嗜好を料理でたどってみれば、いままで漠然と考えてきた作品の別面が見える。」「文士は五官で感じた世の仕組みを文字ですくいとる達人だから、舌も喉の回路も常人とは違う。」「文士の食事には、みな物語があり、それは作品と微妙な温度感で結びついている。」

 この本で紹介されている文士の小説を今一度読み直してみたくなるような気分にさせる本です。

 それにしても、作家には健啖家の多いこと。それに、とても友人にはしたくないという作家が多いことか。最近読んだ本の中でもベスト3に入る快著でした。是非、一読を、ハイ。

【夏目漱石】
 好物はアイスクリームとビスケット。漱石臨終の様子を息子の伸六がこう記している。ふと眼を開けた父の最期の言葉は、「何か喰いたい」。医者の計いで一匙の葡萄酒が与えられることになったが、「うまい」父は最後の望みをこの一匙の葡萄酒のなかに味わって、又静かに眼を閉じたのである。

【森鴎外】

 ごはんの上にアンコ入りの饅頭を割ってのせ、煎茶をかけて食べる、饅頭茶漬が好物

 家族に対してはきわめつきのやさしい父親。

 細菌学を学んだ鴎外は、なまものに対して極度の警戒心を持つようになる。果物は、煮て食べた

 友もまたなまものは危険と見なし、煮つめて煮沸した関係でないと心許せなかった

【幸田露伴】

 健啖家で、まずいものは口にしなかった。食事の段取りがちょっとでも悪いと不機嫌になった。

 牛タンの塩ゆでが大好物

【正岡子規】

 食い意地がはった男。天才特有の傲慢があり、他人がおごるのは当然だという無頓着さ。

 子規は人間の欲の根源のなかへ瀕死の肉体をほうりこむ。知識の飽食の果てが学者を空漠の地平へ連れ去るとすれば、食欲への狂気の殉教は子規を虚無の薄暗がりへひき入れていく

 「病状六尺」を表舞台とすれば、公開するつもりのない秘密日記「仰臥漫録」は裏の告白である。

【島崎藤村】

 座右の銘は簡素。

 料理をまずそうに書く達人であったが、それは恋愛をまずそうに書く達人でもあり、自分を嫌われ者にして売りつける寝業師

 食事は野菜や漬け物が中心で植物的。愛欲を増長させる肉食は出てこない。食に対しては粗食をよしとする態度を貫いた。愛欲のほうはじっとり執念深い。藤村が薄気味悪がられたのは、粗食淫乱を生涯貫いたこと。

 藤村は恩人の秘密を勝手に暴き、一族の秘密も暴きたてた。暴くものがないときは自ら事件を起こして、それを告白して自己を暴く手法をとった。

【樋口一葉】

 極度に小食で料理に興味がない。

【泉鏡花】

 食べることが恐ろしく、食べ物への強迫観念から逃れられない性格。

 酒は毎晩二合ほど。徳利が指で持てないくらいの唇が焼けるほどの熱い燗で。

 木村屋のアンぬきアンパンを好んだが、表も裏もあぶって食べ、指でつまんでいた部分は捨てた。バイ菌恐怖症

 尾崎紅葉門下に入った鏡花は、紅葉の口述筆記を担当するが、文字がわからず往生する。

 幽霊が実在することを信じていた。

 鏡花の文芸は母性憧憬のさいたるもの。

 雷、犬、雨蛙を嫌った

 鏡花の病理は、日常のささいな事物に恐怖世界をかいま見る。そこには鮮烈に噴射する死の影がある。

 小説のなかに自らの恐怖世界を描き、見えざる未知の欲望を代行させる。

 酒好きであったが酒は弱かった。酔うとボロが出た。しょせん貧乏彫金師の小倅である。生粋の江戸っ子に徹することができない。その意識と日常のずれのはざまに、鏡花文学の薄暗がりがある。

【有島武郎】

 無類の美形。絵に描いたような貴公子。「カインの末裔」では、食べる行為が醜悪で獣的に悲惨。

 酒を嫌った

 虚無と無力感のはてに、武郎は、純粋精神としての「一房の葡萄」の再現を探し求めていた。そこへ秋子が飛びこんできた。軽井沢別荘浄月庵にあるただ一本の梁に首をつって武郎は死んだ。死の一カ月後に発見された遺体は腐乱していた。その様子もまた、もうひとつの「一房の葡萄」なのである。

【与謝野晶子】

 17年のあいだに合計12人の子を産んだ。ほとんど日常的に子を身ごもっていた

 生涯に詠んだ歌は5万首。一家の収入を支え、女性論を書いて論争し、童話を書き、源氏を訳し、33歳のときはシベリア鉄道経由でパリを旅行する。なみの体力では躰がもたない。与謝野家の一汁一菜で、よくぞここまで躰がもった。

 晶子は、鉄幹という男に修羅の妄想を食わせられ、それをエネルギーとして生きた。鉄幹の存在なくして晶子はなかった。とすると晶子の食事は鉄幹その人であったか。

【永井荷風】

 荷風の作品は不良の哀感を情緒と孤独にまぶして調理した和風味で、洋食の味でたくみに中和している。自ら天罰を願って、破滅を志向する確信犯である。

 味は料理じたいの味ではなく、その味が置かれた状況なのである。

 たった一人の死に至るまでのひたすら下降していく時間を楽しんでいるふしがあるが、しかしそれは荷風が「見せよう」とした芸であり、本当のところは、荷風は、一瞬一瞬がつねに絶頂であった。

 昭和34年4月30日、吐血して死んでいる荷風を通いの手伝い婦が発見した。荷風79歳。多額の預金が残されており、それは、荷風の世間との手切れ金だったように私には思える。吐いた血にまじって、飯つぶが散っていた。最後に食べた大黒屋のカツ丼の飯つぶである。荷風は、吐いた血まみれの飯つぶのなかに、最後の作品を見ていたのではないだろうか。

【斎藤茂吉】

 鰻好き鯉が好物蕎麦好き大のわらび好き

 茂吉の歌に出てくる食べ物は、生きている。

 茂吉の歌づくりは「生きている意味を自分に言いきかせる」作業の結実。

 ひたすら生への骨太の哀惜にみちている。

【種田山頭火

 大飯食いの行乞僧。「水飲んで尿(しと)して去る」とうそぶいて57年の生涯を閉じた。

 いささかも悟らず、脱俗しきった形跡はない。したたかであり、欲の人。だからこそ珠玉の句が生まれた。

 まっすぐな道でさみしい

 アメリカで一番人気のある句。「This straight road,full of loneliness.」

 タカリ俳人弱音はしたたかな二枚腰。弱音の独白こそ山頭火の武器。

 貧しさに憧れたなまけ者の若旦那。生活無能力者で、かつ健康すぎる肉体をもてあました食いしん坊。

 節制は、そのあとの食味を増すための用意。美食を得るための行乞。悟りがひらけるわけがない。行乞は、山頭火が、うまい飯を食い、うまい酒や水を飲むための技術。快楽至上主義者

【志賀直哉】

 相当の健啖家。豆腐が嫌いで、和食よりは洋食を好んだウィスキーはオールド・パー

 自ら料理を作った。男子厨房に立つ先駆者

 料理を自ら行う者は、食欲への狂気をはらみつつも自省と調和が求められる

 小説は観念の料理という意識があったはず。

 湿り気のない自己省察がある。

【石川啄木】

 啄木の借金は、詩人としての高い矜持と負けず嫌いで見栄っ張りの浪費の結果で、金を借りるためには見えすいた嘘をつく。そのくせケチで、人に金を貸すときは大げさに嘆いてみせる。

 とくに一番多く借りた相手は金田一京助だった。他人の金で、すさまじい放蕩ぶりである。根底には、自分は天才詩人であるから、他人がほどこしをして当然だという思いあがりがある。

 寺山修司は、啄木の歌、たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず に関して、「これは母を背負ひて捨てにゆく歌だ」と解釈した。

 啄木の特質は、自分が加害者でありながら被害者になる技術である。加害者と被害者をつなぐものは匂いである。啄木は匂いに敏感であった。

 「一握の砂」は、歌集の巻頭に「宮崎郁雨と金田一京助に捧ぐ」と献辞があり、最初の歌は、有名な、東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる だが、なに、泣きたいのは郁雨と京助のほうだろう。

 日常生活で、周囲にいるすべてに被害を与えた啄木が、いまなお、多くのファンを持ち、読みつがれているのはなぜか。啄木の歌には、道を踏みはずした人間のやるせない直情が通底している。負け犬の哀愁を帯びつつ、本当の気分では負けていない。その悲しいほどの強がりと透明な嘘が、読む者の心を抱きしめるのである。だれにでもある実生活の挫折した隙間に、殺気をもって斬りこむのだ。誇張された想念は、ここでは圧倒的な力を発揮する。

 啄木の分不相応な贅沢と傲慢、あるいは過度の貧乏幻視は、あたかも言葉の化学反応のように結合して、透明の結晶となった。

【谷崎潤一郎】

 谷崎潤一郎は料理を舌で食べる域を超えて、躰のすべての器官を触手として舌なめずりした。味覚は舌だけの感覚ではなく官能的で甘美な旋律をともなう悪魔的な儀式でなくてはならない。性的快楽が死の誘惑と隣あわせであるように、食欲は腐臭や汚物と表裏一体であり、かつ極上の饗宴が求められる。谷崎にとって理想の料理は、阿片よりも恐ろしい悪徳が暮春の夕暮れのように漂い、それは料理というよりも魔術の領域である。

 谷崎の料理への嗜好は甘美な音楽の旋律を伴い融合する。料理は官能への刺激と腐蝕であり、食欲と肉欲をつなぐ旋律の蜜が天上からしたたり、寄り添うのである。さらに、谷崎の視線は、美食に耽溺する者の醜悪な体躯を見逃さない。飽食したあとのテーブルに散らばる食い残しの皿、汚れたテーブル、弛緩して酒で濁った眼のなかに、廃園の庭にも似た憂鬱を見る。食後の倦怠とたるみきった満足感は、性交後の皺だらけのベッドのようで、そういった飽食がもたらす怠惰と腐臭もまた食ってしまう舌なのである。

 ヌメヌメしドロリとし、触ってふにゃりとするものを好んだ。谷崎が書く小説は、風景も会話もヌラヌラとしている。ギョロ目の視線が描く対象をなでまわしている。原稿を書く指先も舌のように湿り、指さきから唾液が糸となって線を引いている。

【萩原朔太郎】

 20代後半に、父から「おまえは飼い殺しにしてやる」と言われた。

 朔太郎のデビューは遅い。晩熟の詩人である。詩集「月に吠える」が出版されたのは、31歳である。

 洋食好き無類の酒飲み

 「月に吠える」は、父から「飼い殺しにしてやる」と言われた息子の、ざっくりと割れた感性、孤独がむれた陰影、内面へのびる触手が書かせた産物であった。自分という現象のみが朔太郎の探求の対象になる。

 「閑雅な食欲」は、女の指を食いたいという“無恥”と一体化している。朔太郎は、通常の裏側の皮膜の世界に棲んでおり、価値観もまた異質の温度がある。言葉のきらめきはあくまで虚構の生理的暗部に咲く花であって、おり重なる恐怖のうす暗がりの森のなかに、「閑雅な食欲」をそそるカフェがあるのだ。

 朔太郎は、挙動不審と被害妄想の生涯をおくった。

 通常の思考の回路を無視したところに朔太郎は立っている。料理の好みもしかりである。

【菊池寛】

 少年時代は極貧のなかで育った。貧乏のつらさを身にしみて知っている。だから他人におごってあげたいのである。

 芥川はおごられるタイプで、寛はおごるタイプであった。

 寛は洋食や中華料理のこってりとしたものを好んだ

 寛は、晩年カフェの女に入れをあげて、荷風と女を競ったため、「断腸亭日常」にひどく悪く書かれている。

【内田百閨z

 缶詰を好んだ。文明開化の食べ物であるから。福神漬の缶詰が好き。

 朝食は牛乳とビスケットだけである。ビスケット好きは、師の夏目漱石ゆずりだろうが、百閧ヘ英字ビスケットばかり食べた。

 百關助Mの骨格は、日常生活に通底する物語性にある。随筆の形をとりながら内容は小説的である。百閧フ脳裡にあったのは、ひとりは漱石であり、漱石は越えようにも越えられない存在であった。漱石門下の仲間の芥川は若くして自殺した。百閧燗チ異な幻想をつづった短編集「冥途」を発表するが、漱石、芥川を越えられない。教師生活をしていた百閧ヘ、私小説的随筆を書くことでしかこの両者に立ちむかう手だてはなかった。そのため、日記も随筆も、かぎりなく小説に近づきつつ、小説ではない。

 百閧ヘ自分のわがままを書く。ズイズイと書く。わがままに対してあくまで傍観者である。威張っている自分の態度を、自分の文章が批判している。それも、自己批判、自己嫌悪を直接書いてしまうと、それは結果的に自分をかばうことにつながるため、あるがままの気分を書く。そこに、ユーモアが生まれ、すがすがしい苦みが出る。百閧ェ好んだビールの味である。軽い味に見えて、そのじつ奥にこくのある諦観がある。これは名人芸である。真似できそうで、到底真似ができるものではない。百閧ヘ、漱石と芥川の副作用なのである。

【芥川龍之介】

 芥川が嫌悪した飽食は、耽美派の享楽性への嫌悪と微妙につながっている。

 小説の面白さを主張する谷崎に対し、芥川は詩に近い小説の純粋性を称揚した。

 芥川の文章は一語一句をゆるがせにしない潔癖性があり、みがきぬかれた文体はきしみあいスックと立ちあがっている。しかし、理知的がゆえにダシがきいていない。芥川の指先は味覚を感知しなかった。作家もまた人間であり、食ったほうが強い。鋭利でありながらもろい精神は必然的に自己破滅へむかう

【宮沢賢治】

 賢治の菜食主義は求道的である。

 クラシックが好きで、ことにベートーヴェンがお気に入りだった。

 ひたすら西欧の文化にあこがれ、岩手をスコットランドの田園に見たてようとした。そのいっぽうで熱狂的な日蓮宗の信者である。自己分裂している。

 金持ちの家に生まれたことへの反感から貧困にあこがれた。不良にあこがれる腺病質の田舎者である。

 つねに食べることを考え、食う自己を嫌っている

 かたくななまでの粗食にこだわり始めるのは、妹としが死んだ年(賢治26歳)以来である。

 としを失って以来、賢治の食生活は「死の食卓」を幻視するようになる。

【川端康成】

 食に対しての偏執は鬼気せまるものがある。

 なにを食って生きていたのか。晩年は睡眠薬である。若いころは、他人の家の飯である。

 居候の名人辛抱づよいニヒリスト

 康成は辛酸をなめつつも、孤絶した食客の悲しい味覚を獲得していた。食客でありながら卑屈にならず、その悲しさを味わいつつ、傲慢なほど胃袋に消化していく自立するニヒリズムである。

【梶井基次郎】

 梶井の小説には、肉食者の脂気がなく、菜食者的な匂いが、淡々として澄んだ静けさのなかにある。しかし、これは、じつは、しょっちゅうビフテキばかり食べていた梶井が意図的に仕組んだ虚構化に他ならない。

 梶井には無類の自尊心がある。

 血痰を吐きつつも酒を飲む

 丸善の本の上に置かれるレモンは、31年間の梶井の血痰が、黄色い皮のなかに、悪意を秘めて、カーンと封鎖されている様相が見えている。

【小林秀雄】

 秀雄の逆説家としての批評スタイルがすべて出揃っている。秀雄は知性で武装した批評家であり、「様々なる意匠」であらゆる天才等の喜劇を書かねばならないと決意し、戦後は、すべて不可解な私の存在がテーマとなった。

 高級な精神をめざした秀雄は、低級な食欲に関して書くことを拒否した。食に人一倍こだわるのに、食のことは書かないというかたくなな意志がある。

 近代思想への懐疑と反感がその根幹にある。知識人でありながら知識を嘲笑し、職人肌をたたえた。批評を芸術的な表現に高めると同時に、批評の意味をこわしたところに真骨頂がある。

 批評精神は客観的分析というよりも、自分の嗜好が本能的に合体しているところが秀雄流なのである。

 きわめつきの食通で、しかも一流老舗好みである。

 直観で結論を下し、あとで論理を構築する。

 激情独断の人である。

【山本周五郎】

 主人公は、地味で、目だたないように生き、それでいて意志が強い。

 庶民の嗅覚を持った文章で、人間が失意のときなにを考え、どう生きてきたかをいう普遍的な話を、御隠居譚のように書いてきた。

 人間をしみじみと書くのがうまいが、そのくせ人間嫌いで、つきあう人物を極端に少なくし、仕事場への訪問客にもめったに面会せず、つねに自分流で生きてきた。

 お上が嫌いで、園遊会には出席しない。文芸賞と名のつくものはことごとく断った。

 夜はかなりの量を食べた。大食漢である。このほか、連夜のように、ワイン、日本酒、ウイスキーを飲む。煙草は一日にしんせい六十本。

 ガンガン食って、ガンガン飲んで、哀しい静謐な人情を書いたのである。

【堀辰雄】

 終生結核を患っていたため、食べたくても食べられないという現実があった。

 結核を終生の病として患い、軽井沢に住み、自然と妻を愛し、贅沢をし、フランス風を好み、牛乳風呂につかって詩的抒情世界で高等遊民生活をおくる日常は、人生体験派の作家からは療養文学と批判された

 流儀にこだわる。スタイルが重要なのである。

 死に至る過程が幻視の対象なのであり、観察の目の背景には残酷な嗜好がある。

 辰雄の小説は、読書からの知識、教養に支えられたものばかりである。

 辰雄にとって芥川は師であり、理想的存在であった。

 辰雄は理念の作家である。

 辰雄にとっての目標は、生きることの格闘ではなく、死を許容し、死に至る美的世界を幻視する言葉を模索することであった。そのために言葉を食い、プルーストにもラディゲにも負けない虚構世界を療養の地に築きあげ花を咲かせてみせることである。模索しつつ大嘘をつく。そのために、結核という病気は最強の武器になった。

 たいそう閑雅な食慾が、辰雄がめざした理想の食卓である。

 辰雄は自分の内奥を告白することを好まない。ナマの肌を見せるのが嫌で、小説にはきらめく表現の文学的粉飾がなされている。

 辰雄は病気を食って生きていた

【坂口安吾】

 健啖家である。

 アンコウはアンゴであると言って、アンコウ鍋をとも食いと称して好んで食べた

 漢文の教師が、(安吾の)腕白ぶりに業を煮やし、「自己に暗いやつだからアンゴと名のれ」と怒鳴り、黒板に「暗吾」と大書きした。その通りになった。のち、安吾は、「僕は荒行で悟りを開いたから、安吾にした」と語っている。安吾は、「安居」で、心安らかに暮らすことを意味する。安吾のなかで、「暗吾」と「安居」の二人は格闘している。

 安吾の料理を見ていくと、そこにあるのは、むしろ濃厚な合理性である。ドロドロしてコッテリしているが、純正なエキスである。

 安吾にとってヒロポンとアドルムは、快楽や安逸や堕落とはまるで無縁であって、合理的薬剤であった。安吾は無頼ではあったが人一倍の勤勉家で、ワーカホリックである。

【中原中也】

 みつばのおひたしばかり食べていた。あるいは葱をきざんだものを水にさらして、ソースをかけて食べていた。

 葱には格別の思いいれがある。

 酒癖が異常に悪かった

 かつて、ランボオが「食いたいものは、土と石」と言ったむこうをはって、「空気の中の蜜」を食おうとした中也は、晩年はいじきたないほど飯を食った。それを病気からくる精神異常とするのがおおかたの見方だけれど、外科医の息子として甘やかされて育った中也は、最初から食い意地がはっていた

 注目すべきは、中也の味覚に悲しさが光り輝いている点で、これが中也の凄腕の才覚なのだ。

【太宰治】

 大食漢であり、人一倍食い意地がはっていた

 コメとリンゴ以外にはこれといった食べ物が少なく、大食らいになるのも無理はない土地柄だったともいえる。それに太宰は身長175センチメートルで、当時としては長身の大男だった。

 鶏の解体という隠れた趣味があった。

 太宰にとって、うまいものはすべて津軽流で、素材も料理法も津軽流をよしとした。

 野生の筍と新ワカメの汁も好物だった。

 青森県屈指の大地主の子であり、そのことを嫌って出奔しながらも、自分が享受した習慣や食味に関してはこだわりつづける。そこにあるのは、津島家の六男坊のわがままな幼児性である。

 三島の身長は160センチに満たないから175センチの太宰とは格段の差がある。小男の三島は強がろうとし、大男の太宰は軟弱を志向した。

 太宰の自殺は六回ある。

 よく飲みよく食ったからこそ五回もの自殺未遂ができた死んでみせるのもまた体力である。

 太宰はウィスキーもよく飲んだ。旅行に同行した伊馬春部がサントリーのポケット・ウィスキーをとり出すと「日本酒は喜劇、ウィスキーは悲劇」と言いつつ、一駅を通過するごとに一杯飲み、大磯あたりでは酩酊してしまった。

【檀一雄】

 料理好きはつとに有名で『檀流クッキング』(中公文庫)は、いまなお売れ続けるロングセラーである。

 人と人を友にする達人。

 母の不在が味覚を作った

 母の不在は料理に関しては檀氏を自立させたけれども、そのいっぽうで、月並みな市民生活への嫌悪をも強めさせた。「天然の旅情」に誘われて浪漫的放浪をくりかえし、平穏な家庭生活は崩れた

 母に捨てられたが、自分の意識でも母を捨てた。その結果、料理の腕をあげ、また、肉親を客観化する視点を獲得した。

 檀氏に接する人は、みなその人柄にひかれていた。南国人特有の、豪快さのなかに流れ星のような孤独を秘めている人であったが、それは快男児の味つけのようなもので、豪快さは人並みはずれていた

 北海道のホテルに泊まったときは、フロントで署名するとき、職業の欄に「檀ふみの父」と書きこんだ。ホテルのフロントは、「嘘でしょう」と信用しなかった

 料理は人を慰安する。

 素材を煮込んだり、蒸したり、焼いたり、いろいろといじっている混沌の時間は、狂気を押さえつけ、ひたすら内部に沈静させる力がある。料理に気持ちをこめることは他の欲望をしずめるための手段である。

 檀一雄は「放埒」な人であった。その「放埒」は、親からさずかった強靱すぎる体躯をもてあましながら、空漠の時空のなかで自己を誘導する作業なのである。

 檀氏によって、檀一雄的存在は料理ではなかったか。檀氏にとって、料理は自己救済であった。

【深沢七郎】

 深沢さんは復讐のように食べた。量が多かった。しょっちゅう食べたのは、漬け物と飯である。

 「本当にうまい漬け物はウンコの味がする」というのが深沢さんの口癖であった。深沢さんは「自分は母から出た屁のようなものだ」と言っていた。

 「小説は自分の屁だ」というのも深沢さんの持論だったから、小説は屁のまた屁ということになる。

 深沢さんが作った味噌は昔味噌と名づけられて4キロ箱千五百円で売られた。

 「屁をひって三つのトクあり。腹スキズキとココチヨシ、人に嗅がしてココチヨシ、屁はケツの穴のソージです。」

 深沢七郎作品をとく鍵は、ひとつは音楽であり、ひとつは食事なのである。

【三島由紀夫】

 15歳のとき自らつけたペンネームは青城散人(あおじろさんじん)で、顔が青白いことをもじったものである。三島由紀夫という筆名はその一年後に、三島へ行ったときに、〈三島へ行く男〉をもじってつけたものである。

 三島氏が味音痴であることは確かなようで、そのことは自ら認めている。

 いっさいの事物のなかで知だけを食べた。そのため虚弱体質児童となった。ここから三島氏の克己が始まる。三島氏は、知の料理にうんざりすると、肉体を鍛えた

 ボディビルによって強健な肉体を獲得すると、つぎは集団を獲得しようとした。精神、意識、言葉、と、その対極にある肉体を獲得すると、行為のみが最後の目標となる。

 三島氏は、行きつ戻りつする、わけのわからない分裂行為者に見えた。しかし、それは「虚飾と純粋」「堕落と克己」を内包する三島氏が時計の振り子のように行きつ戻りつして重心を見つける命がけの作業だったのである。