わが町横浜とその周辺


我が家の前の道路から見た今山全景です。すぐ近くにあり、「今山遺跡」と呼ばれています。
今山は糸島平野の東の端に位置し、玄武岩と花崗岩から出来た標高82mの山です。大正13年
に中山平次郎博士によって、玄武岩を使って石斧の製作を行った山として紹介されて以来、多
くの調査研究が行われた有名な遺跡です。今山は昔は夷魔山といっており、ヒコホホデミノミ
コトが、この山上から弓を射て夷魔を打ち平らげたいう伝説があります。今山の山上には熊野
神社があり、伝説によれば、神功皇后が三韓から帰国の後紀州熊野から勧請されたものだそう
です。今山の麓、横浜には人家がありませんでしたが、江戸時代初期の慶長年間に初めて民家
を建て、ここから怡土、志摩両群の米、薪、材木などを船に積んで福岡に送っていたそうです。



私の住んでいる西区横浜を伊都の里から見た景色です。
手前の高架道路は唐津まで続く西九州自動車道です。
後ろの海は博多湾、後方の島は金印が出土した志賀島です。

これは上の写真とは逆向きに今山から見た横浜の町並みです。後方の山の
中腹に伊都の里があり、忍者村などが子供に喜ばれています。


博多湾の西岸に位置し、今山から眺望した今宿海岸です。夏には海水浴客でにぎわい、晴れの日には、
ヨットが多く浮かび、のどかな景色が望めます。町並みは横浜の隣町の今宿です。海岸の向こうに見え
る山が長垂山で、標高118.5mあり、生の松原海岸と今宿海岸を中断する形で海に突き出ています。
山の形が海に向かって垂れているように見えるところから長垂山と名づけられたという説があります。
長垂山は生の松原、下山門から今宿に行く道に立ちはだかっている障害で、旅人は山越えをすることに
なりました。山上からの眺めは絶景でありましたが反面、盗賊が多く出没し大変物騒な場所だったそうです。

今山から望んだ今津湾の河口の景色です。沖に見えるのは能古島です。


この山は、志摩町の可也山で、標高365.1mの単独峰で火山活動によって形成された円錐形の山容は、
富士山のミニチュアというような形なので小富士、糸島富士の異名があります。黒田長政は、日光東照宮
に石の鳥居を献納することとなり、可也山の石を切り出して日光に運びました。これは筑前鳥居と呼ばれ
て今も東照宮の名物になっています。可也山には、今も石切り場跡として残っています。頂上は360度
の展望で、晴れた日は大変良い眺めです。登って見ませんか。



我が家から車で10分の所にある海釣り公園です。
休日には多くの家族連れが訪れます。




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