初めての体験

11月20日
朝9時50分に自宅を出て、入院用のバックとアタッシュケースを抱えて今宿駅まで歩いて行く。 10時7分の電車で赤坂へ、病院には10時30分に到着し、早速検査をする。肺活量(人間ドックと は一寸違う)、音声を音圧測定機でオシロに表示し記録、次に音圧を録音し測定した。何の役 に立つのか??次に肺のレントゲン検査、採血と薬のアレルギー反応を見る注射を五本(腕に 種類のメモをする)で全て異常なし、最後にヒアリングと入院時の注意事項で術後は暫くしゃ べれないとの事でこれが一番辛いらしい。
昼食は炊き込み御飯とおかずが一品で少なく、夕食もご飯はべちゃべちゃなうえ少なく、後でさ っきセブンイレブンで買ったきつねドンベーを食べた。
妻と娘が六時半ごろきてくれた。明日からは喋れないから筆談だそうだと伝える。夕方に鎮静剤 を2錠飲まされたため、早く眠くなり10時には眠ってしまった。
11月21日
朝は7時に検温と血圧測定して、食事は抜きでまた4錠鎮静剤を飲まされた。また眠くなって寝て しまって、看護婦さんから8時45分に起こされ手術室に連れて行かれた。
手術台は狭く人一人やっと寝れる位で、右手は脈拍と血圧の測定をし、左手は手首に点滴の注射 をして、手は落ちないように括っていた。点滴の薬液注入口に右手の看護婦さんが4.5(はっきり 覚えていないが)と言い、左の看護婦さんが4.5入れますと復唱して注入した。それ以降は全く 眠ってしまって記憶がない。あれが麻酔剤だったのだろう。
「終わりましたよ」と左肩を揺すられて目が覚めた。視野が狭くボーとしていて、まるで寝覚め の悪いときよりもまだはっきりしない。移動用のベットに移され、後はガラガラと天井の蛍光灯 だけが見え、エレベータへ乗った。まるでベンケーシーのシーンそのものだった。術後は特別室( ICU室)に寝かされ、目は覚めたが、まだ天井はくるくると回っていて、まる で二日酔いのひどい症状である。
昼過ぎに看護婦さんから水分を沢山取ったら良いですよと言われ、お茶を飲んでいたが、腹が減 ってたまらない。ポカリスエットを妻が買って来てくれて、飲むと大変おいしく感じた。こんな においしいものとは知らなかった。点滴は昼から8時までずっとしていた。手首に針を刺すときが 少し痛かった。
夕食としておかゆ僅かと具の無いお汁と梅干一つでなんとも寂しいものであった。喉はちっとも 痛くないので、何でも食べれそうだがやっぱり駄目かな。妻と筆談で色々話しをした。
10時までアンネの日記を読んで消灯になったので電気を消してラジオを聞いていたが、眠くならず、 一時ころまで起きていた。やっと寝ついたが、
11月22日
朝は5時に目が覚めてそれから本を読んで、妻に持ってきて貰う物をメールなどして いると、看護婦さんが来て、検温と血圧測定をした。荷物を持って自分の病室に行って良いとの 事で早速部屋へ戻った。
朝、薬を2錠とうがい薬を一日5回するよう錠剤をもらった。食事は相変わらずおかゆでぱっとし ない。お菓子を食べてパソコンをしていたら、しばらく して先生の診察があり、点滴を1袋約1.5時間した。
昼食もおかゆとかしわの煮付けと野菜の卵とじで、その後薬を2錠飲み、うがいをした。その後 は何も無く3時のお茶はゼリー少量であった。ポッキーを食べながら備え付けのほうじ茶を飲んだ 。
PHSの電池が切れてしまった。パソコンから充電しているが、なかなか充電できない。 六時過ぎに娘が、妻は7時過ぎに見舞いに来てくれた。娘は青木功のゴルフの本を、妻は頼んで いた品物を持って来てくれた。やはり生活して見ると無くて不便なものが多いがあまり集めると、 退院した後に持って帰るのに大変だ。
夕食もお粥とカレイのから揚げ等で相変わらず少ない。夜食が必要なのでバナナでも食べよう。 入院すると間食が増える。娘の持って来てくれた青木功のゴルフの本を読みふける。10時消灯、 11時に就寝した。
11月23日(木)勤労感謝の日
朝6時に目が覚め、部屋の皆さんはまだ寝ているため、廊下のソファーで電気をつけて青木の 本を読むが、寒くて靴下を履き、バスタオルを足に、タオルを首に巻いて7時まですごす。7時 に検温と脈拍、血圧測定で8時から朝食、まだお粥である。バナナを1本食べた。今日も薬は2錠 で、その後1時間半の点滴をする。液の落ち方が変化するので、手を動かしてうまく調整が出来 た。微妙な感覚である。
点滴をしながら青木功の自伝「ゴルフありて」を読んでしまった。特に最後の部分の青木の35年 の経験の成果が大変参考になった。12月9日のゴルフで実践して見よう。
先生の診察がお昼前にあったが、患部は綺麗になっているとのこと。まだ声は出さないように との指示があった。
今日は祝日でおやつも無く、一日暇でしょうがなかった。妻が3時半位に見舞いに来てくれた。 声は出せず筆談でもコミュニケーションが取れることは大変有り難い。
夕食はお粥がいつもの倍に増加しており、おかずは天ぷらで美味しかった。
とても暇なのであちこちにメールを送って返事を待つこととした。「ソニードリーム・キッズの 伝説」を読み始めた。理系の井深、盛田両氏の気持ちが良く分かって大変面白い。
10時過ぎに眠くなったので電気を消して寝た。
11月24日(金)
朝4:45に目が覚めて、暫く我慢していたが、眠れず5時に起き出して、昨日持って来て貰 ったセーター、ズボンを着込んで喫煙コーナーに電気をつけて「ソニードリーム・キッズの伝説」 を読んだ。盛田氏の後の大賀社長はバリトン声楽家であって、盛田氏の熱心な勧誘でソニーに 入ったようだ。新製品の開発にあたっても、音楽の才能がとても生かされCBSソニーの社長も 歴任したようだ。
朝食は今日から普通のご飯に代わっていた。やはり食べがいがある。薬も1錠に減っていた。 食事の後に新聞を読んで部屋の皆にみかんを配った。 点滴は今日までで、明日からは薬に変わるようだやれやれ。先生の診察があったが、まだ暫く 声を出さないようにとの事。後で手術のビデオを見せてもらえるようだ。
夜は9時半に眠くなって寝たけれど、12時半に目が覚め、4時までうとうとしていた。 なにかかにか色々考えていると、ますます目が冴えて来 て4時に起き出して喫煙所に電気を付けて、メールを送った。
11月25日(土)
6時まで喫煙所で本を読んで、ベッドに戻り、うとうとしていると検温と脈拍測定が始まった。 顔を洗って食堂に行き西日本新聞を読んでいると、朝食が始まった。今日も薬は1錠で、点滴が 無くなって、飲み薬が今日から出た。 午前中はパソコンと読書で過ごし、診察が11時半から始まった。喉は随分綺麗になったねとの ことで、何点かの質問を紙に書いて聞いた。声は少しづつ出してもいいが、あまり喋らないよ うにとの事である。シャ ワーは使って良いとの事なので、3時から使うことにした。
携帯で妻に電話したが、長い間声を出していないため喋るのが怖い。少しだけ話しをした。 夕食はさばのフライで少し硬かったが美味しく食べられた。ご飯も普通についであるので、 結構満腹になった。妻が6時頃見舞いに来てくれたが、デジカメで庭のもみじの写真を取っ て来てくれて綺麗な紅葉を見れた。明日ここでダイエーのパレードを取るのにちょうど良かった。 夜は10時前に眠くなったので寝た。
11月26日(日)
朝は5時に目が覚め、いつものように喫煙コーナーで本を読んで過ごした。7の検温に続き8時から 朝食、その後は昼前まで何も無く本を読んでいた。昼前に診療があり、若い先生が喉のチェック と消毒をして僅かな時間で終了した。
昼ご飯はホットドッグ1つと野菜サラダ、スープでとても足らず、カップラーメンを後で食べた。 3時にはダイエーの優勝パレードがあり、病院のすぐ近くを通るため、デジカメを持って写しに外 へ出た。大勢の人垣で後ろの生垣のレンガの上から写したため、前の人が邪魔になってあまり良 く写らなかった。
妻が5時半位に見舞いに来てくれた。
夕食は太刀魚の塩焼きで、大魚のわりには美味かった。食後に妻の持ってきたエスップレッソコー ヒーを飲んだが、とても美味かった。
今晩は目が冴えているため、12時過ぎまで本を読んでいた。
11月27日(月)
朝は5時に目が覚め、またいつものように喫煙コーナーで本を読む。「ソニードリームキッズの伝説」 をやっと読破した。内容は素晴らしいもので、充実していた。
、朝食の後、看護婦さんも入れてみんなで記念撮影をした。皆苦 しい思いでの病室であるが、1週間の共同生活でお互いの情が湧いて和気藹々の記念撮影となった。 皆の住所を聞いて、後でプリントして送る約束をした。
昼食はカレーであったが、大盛りを注文したら多すぎた。動いていないので腹八分が適当なのであろ う。3時くらいからのどのファイバーのため、喉の麻酔をして見てもらった。
5時半過ぎに先生の診察があり、退院してから例の薬を飲みましょうと言っていた。明日は予定どう り退院である。
11月28日(火)
朝は6時に目が覚めて、今日も喫煙コーナーで読書となった。朝食の後、院長先生の診察があり、 来週の5日に再度 検診ということになった。入院の医療費を払って、病室の皆さんや先生、看護婦さんに挨拶をして 退院して、会社へ出勤した。
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