◆4
「付き合ってるヤツ!?」
啓介からの予想外の質問に、オレは一瞬あっけにとられた。
「付き合ってる… ………ってのは、その…彼女がいるかどうかってことか」
「お前がホモなら男だろうし、ノーマルなら女だな」
「オレはホモじゃねえ!…だが残念ながら今は付き合っている女性はいねえよ」
残念ながら今現在はそういう意味で付き合っている女性はいないが、学生時代には彼女と呼べる存在はいたし、特別モテないとは思っていない。
今は走り屋としてGT−R相手に集中したいだけだ。沙雪さんのことは辛い思い出だが、彼女の親切を勘違いしてしまっただけだ。決して、…決して女性に特別モテない訳では…ないと思う。走り屋に女はいらないだけだ。
「ふーん」
啓介の鼻にかけた相槌に、少々ムカっとしながらも
「で、だから何なんだ」
と、本筋の話を追求した。
啓介はしばらくためらった後、とつとつと話を始めた。
「プロDん時、藤原が、メールしまくってんだよ」
「は?」
「どうも最近女と付き合い始めたらしくってよ」
「…そうか。まあ若いんだし、見てくれもモテそうだし」
「何だよそのオッサン臭い意見は。年なんて大して変わんねえだろ」
「まあ…そりゃ変らないと言えば変んねえが」
走り屋としては藤原は随分と若い印象があるのは事実だ。
数回会っただけだが見てくれも良い方だと感じた。彼女くらいいても何らオカシイ所は無いと思うのだが。だが、啓介はそんな意見に厳しい視線を向けた。
「オレはさ、アニキに影響されて走り屋始めたとき、けっこうガッツリ気合入れたんだ。走りに集中したかったから、付き合ってたっつーか、関係のあった女とは全部きっちり関係切った」
「へえ…意外だな」
意外だった。
高橋兄弟と言えば、ドラテクや家柄の良さも有名だが、悔しいことに見てくれの良さでも他の走り屋を圧倒している。
高橋兄弟目当てで峠に集まる女性のギャラリーも多く、ナイトキッズメンバーなどはあからさまに羨んでは、よくグチをこぼしたりしているのだ。
そんな高橋兄弟の弟、高橋啓介が、女にモテながらも、走りのためにそういった関係を断っている…ということに、素直に感心せざるを得なかった。
やはり走り屋には女はいらないのだ。……彼女ができるに越したことはないが…。
「そんだけ走りに真剣に打ち込んでるってことだろ、感心するぜ。藤原は藤原、お前はお前だろ」
悩みとはそんなことかと少々呆れる部分もありながら、感心していることも伝えた。が。
「オレが禁欲して走りに集中してんのに藤原は女とイチャついてるんだぜ、それでダブルエースなんだから、オレが余裕ねえみてえじゃねえか」
…まあそう言われると、そんな風にも思えなくはないが。
「禁欲するっつーのは、オレなりのケジメみたいなモンだったんだよ。けど、お前も走り屋なら分かるだろ? ギリギリのバトルした後は、何つーか、本能的にすげえキちまう。34GT−R乗りのオッサンに、若いうちは遊べって言われてさ、オレ余裕がねえだけなんじゃねえのかって。それでダブルエースの相方の藤原が浮ついてんのにバカっ速えのは変わんねえどころか益々速くなりやがって。要は走りは走りできっちりケジメ付けられればいいんだよな。自己管理っていうか。オレはプロD終わってもずっと走り続けるつもりだし、それでずっと禁欲ってのも無理だろ。禁欲を言い分けみたいに使うのは間違ってるな…とも思ってよ。そんでそう考えてたら、セックスしたくてたまらねえなと」
「はあ」
つまりはシモの相談なのか!?
何だ、何でそんな相談をオレにしやがる。
命を賭けた走りの後、確かにそういう意味での興奮は覚えて共感はできるが、何故オレにそんな話をするのかという疑問は残る。
彼女なら紹介できない。こっちが紹介してもらいたいくらいなのだから。
まあオレはそんな切羽詰っている訳じゃないが。
「だったらお前も負けずに彼女作れば良いじゃねえか。お前だったらいくらでも相手がいるだろ」
ムカっとしながらも、これが正論だと思うことを言ってみた。こいつはモテるのだ。探そうと思えば、いくらでも相手は見つかるだろう。
だが、啓介はますます眉根を寄せる。
「すげー長く禁欲してたんだぜ。そんで久しぶりのセックスなんだ。どうでも良い相手なんかとヤりたいとは1ミリも思えねえ。お前、絶食した後に、マズいモン食いたいか」
その贅沢な言い様にオレはクラクラと眩暈を感じた。
「普通に好きな相手とかいないのかよ」
走りに集中し過ぎて出会いが無かったのかも知れない。自分にも思い当たる節があったので聞いてみた。
なるほど、こういう話の機微は、走りに集中している走り屋同士でしか分からない部分があるかも知れない。
「………………まあ………何つーか…………」
その質問に、啓介は急に歯切れが悪くなり、口ごもった。
これはつまり…
「いるんだな?」
「よく分かんねえんだ。何つーか、ヤりてえって思うと、何でかそいつが浮かんできちまって。自分でもナゾでたまんねえ」
「それは好きってことなんじゃねえのか?」
「うーん……… そう………なのか?」
啓介が視線をじいっと向けてくる。
「オレに聞かれてもなあ。自分の胸にしっかり聞いてみろよ。あと、その子と一緒に過ごしてみるとか……」
「過ごす………ってのは、まあ、やってみてるっつうか……」
「そうか、それでどうだったんだ」
「うーん………」
啓介はやはり視線をこちらに向けたまま、腕を組んで悩んでいる。何となくその視線に居心地の悪さも感じるが。
「……ヤれなくも無いような気もするような………ヤってみねえと分かんねえような……」
「はあ? いくらなんでも、そりゃ相手に失礼だろうが」
「…そうかー。まあ失礼なのかも知れねえけど、そうなんだからしょうがないだろ。時間かけるっつうのもアリかもだけど、けっこうそろそろ切羽詰ってるってこっちの事情もあるしなあ…」
あまりの自分勝手な悩みにオレは、太陽はまだ昇らないものの明かりの漏れる黒いカーテンを眺めた。
どうでも良すぎる。流石に眠気もやってきた。
だが啓介にとっては真剣な悩みのようなので、仕方なく放り出すのは我慢した。
「まあ、その相手だって、いきなり身体から求められたら困るんじゃねえのか? お前の事情はお前の事情で、相手には関係ないだろう」
「…そりゃ正論だな」
「説明して、それで相手が納得してくれりゃあ、身体だけってのもアリなんだろうけどよ。……お前だったら、相手もそういう関係でも良いって返事くれることもあんじゃねえのか? 告白してみたらどうだ」
「……告白」
「しねえと、始まんねえだろ?」
「……………」
啓介はしばらく考え込んでいたが。
「無理だ」
「?」
「絶対、すっげー勢いでフラれる」
またも意外だった。
いつも無駄に自信に溢れているようなコイツの、弱腰の部分を初めて見てしまった。
「お前だったら、大抵の相手なら大丈夫なんじゃねえか?」
コイツから告白されて、断る相手というのが正直想像つかない。
気後れして断るという感じなんだろうか。それならば、誠意をもって接し続ければ、そのうち気持ちを受け入れてくれるのじゃないだろうか。
身体の欲求が差し迫っている中辛いかも知れないが、相手あってのことである。
だが、その手順の煩雑さや不安が走りに悪影響を及ぼす心配はある。
フラれるというのは、かなり精神的ダメージを受けるものだ。
最近しみじみとその辛さを味わった経験のあるオレだから分かることだ。
……なるほど、だからコイツは、オレにそんな相談をしてるって訳か…?
ん?でもオレがフラれたって話を高橋啓介が知っているのか? まあそれはともかく
「啓介、男には妥協ってもんも、時には必要なときもあると思うぜ。意中の相手は時間をかけるとして、とりあえずその差し迫った欲求をどうにかしたらどうなんだ。それなりの相手とか、昔の知り合いとか、誰かいるだろ?」
「とりあえず…それなりの相手…か………」
啓介は視線を遠くにさ迷わせた後、真剣な表情で語りはじめた。
「割と最近なんだけどよ、オレを好きだっていう女の子がいたんだよ。同じFDに乗っててさ、線の細さはあったけど女にしては尊敬できる良い走りっぷりだった。
顔もまあ可愛かったしスタイルだって良い方だと思ったぜ。性格も良い子でさ。一度オレのミスでFD壊しちまった時、彼女のFD借りてピンチをしのげて、恩人でもあるんだ。
オレのこと真剣に好きだってのも分かった。一緒にいて居心地も良かったし」
何だそんな相手がいたのか。意中の相手ってのはその子のことじゃないのか?
「けど、付き合えねえってきっぱり断った」
驚くオレに、啓介は言葉を続けた。
「抱いてやることは出来たぜ。男なんてヤれるなら誰でも良いって時期もあるだろ、オレもそういう時期あったしな。
けど、あの子は良い子だったから、大事にしてやりたかったんだ。
それなりの相手として付き合ったとしても、多分オレは… 多分…オレが、オレ自身が、満たされきれない部分を抱えるって分かるんだ。それを知ったらきっと、彼女自身が傷つくことも」
語る啓介の目が、いつしかギラついた光を帯びていることに気づいて、オレはそこに本能的な危険の匂いを感じ取ってしまった。
「満たされないって…?」
「オレが欲しいのは… 欲しいって思う時は… 相手を食い殺したいと思うほど欲しがるだろうって…。分かるんだ。彼女のことをそこまで求めることは無いってことも」
本能をギラつかせる目だった。
こいつは…。
多分駄目なのだ。
コイツ自身が本当に満足できなければ。
間に合わせの獲物では駄目なのだ。
間に合わせの獲物として選ばれた相手は、自身が啓介を満足させることは永遠にないのだといつか気づいてしまい、傷つくということだ。
なのだとしたら。
「だったらもう、今、お前自身が欲しいって思ってる相手ってのが、そのどうしようもなく欲しい相手だってことなんじゃねえのか? お前はもう分かってんだよ。欲しいって感じてる時点でさ。そうじゃなきゃ、お前が欲しいと思う訳ねえだろ。違うか?」
「……………オレは…もう分かってる…か……」
「そうだ。そしてそこまで欲しいと思う相手なら、走りだけじゃなく、その相手にも本気でいくしかねえだろ。でなきゃずっと禁欲だ。言っとくが、世の中には禁欲したい訳じゃねえのに禁欲し続けてる野郎がいくらでもいるんだ。自慢じゃねえが、ウチのメンバーなんか大体そんな感じだぜ。だから、禁欲し続けたって死にはしねえんだ。ヤりてえなら本気でぶち当たれ。出来ねえなら禁欲し続けたって良いんだ」
「禁欲はもう無理だぜ」
「そんなら本気で相手に立ち向かうしかねえだろ」
「立ち向かうってどうやって」
「………そりゃ、まずは…告白から………か?」
正しいと思ったことを熱く語ったのは良いのだが、実践編を訊ねられると、経験値が足らないことが露呈するのが口惜しい。
「告白って…したたことがねえ。どうやんだ」
「…は?」
「来るもんをあんま拒まなかった時期があって、何でもどうでも良かったんだよな。見てくれさえ好みだったら、来るヤツから適当に食ってただけだった。自分から行った事はねえんだ、考えてみたら。まあそれなりに続いた相手もいたけどよ」
分かった………コイツは男の敵だ。女性の敵でもあるだろう。つまりは人類の敵だ。
「大体いきなり告白とかして、フラれたらどうすんだよ」
「フラれたら…… 諦めるか、諦めずに食い下がるかじゃねえのか?」
オレは諦めてしまった方だが。
「諦めるのはねえし、食い下がるのはストーカーっぽいじゃねえか。普通は告白する前に、色々ご機嫌とったりするんじゃねえのか? そんでお互い気分が盛り上がってきたタイミングでっていう」
「何だよ、オレより分かってんじゃねえか。だったらそうすりゃいいだろ」
そういうものだったのか…と、オレは内心汗をかいた。
「気分か… どうすりゃ盛り上がるんだ?」
「そんなの分からねえよ…」
「んだよ 投げやりだな 真剣に考えろよ」
「何でオレが真剣に考えんだ、お前のことだろ」
啓介の真剣さに当てられて丁寧に質問に答えてはきたが、経験値の少ない分野に入り込んできて、正直もう考えるのが面倒になってきた。
「誠意の無いヤツだな、そんなこと言うんならこうしてやる!」
「!?」
啓介はおもむろに立ち上がったかと思うと、襖向こうの台所へと向かい、そして冷蔵庫を勝手に開けると中に冷やしてあった缶ビールをいきなり取り出し、止める間も無くプルタブを開けて一気にぐびぐびと飲み乾した。
「てめえ!人んちのビールを!っていうか、飲んだら運転できなくなるだろーが!」
「フン、人をないがしろにするからだ。っつーか眠い… あーでもシャワー使いてえな、風呂借りていいか」
しっかり居座る気だ、というか、酒を飲まれてしまっては、酔いが冷めるまで運転を許すわけにはいかない。何て悪知恵の働くヤツなんだ…
それにオレだって眠いし風呂も使いたい。
「あーオレ、シャワー短いから心配すんな」
「………」
諦めのため息とともに、洗濯済みのタオルを渡してやる。
啓介は言葉の通りに、ちゃんと身体を洗ったのか不安なくらいの短い時間で風呂から上がってきた。
客用の布団などはないが、冬用のこたつ布団が押入れに入っているので、面倒だったが敷物の方を出して畳の上に敷いてやる。暑いし、エアコンを切れば掛布団はいらないだろう。
そしてオレも風呂で汗を流し、さっぱりして上がってくると、
ベッドの上でトランクス姿の啓介が、気持ち良さそうに眠っていた。
「くそっ どこまで図々しいヤツなんだ! 畳の方で寝ろ!少しは遠慮ってもんを知れ!」
声は大きくなかったので、啓介が健やかな眠りから覚める気配は全く無かった。
オレはまた、諦めの溜息をつく。
本当に気持ち良さそうに寝ていやがる。
ほぼ一年ぶりに再会して、急に話があるとぬかして人のウチに上がりこんで、結局訳のわからないシモネタを真剣に語りあって、挙句の果てに寝てしまった。人のベッドで。
高橋啓介がオレのベッドで寝ている光景は、Dのギャラリーをしていたつい先ほどまでの自分にとっては信じがたいものだったが、実際の今の自分にとっては、どこか妙に馴染んだものを不思議と感じてしまっていた。
目を閉じると、相手を威圧するような鋭さが和らぐからだろうか。少し幼さすら感じて、傍若無人さも許してやってしまう風情がある。
珍しいものを見る感覚で、眠る高橋啓介を眺めてみた。
悔しいが本当に整った顔立ちだ。甘さと精悍さを備えていて、男の自分から見ても、魅惑的だと言わざるを得ない。明るい色の髪も似合っている。
すらりと伸びた痩身の体躯も雄らしい筋肉に飾られて、貧相さなどは微塵も無い。絶対言ってやりたくないが、同じ男として羨ましい。
こいつが出す全力の本気で告白されて、断れる相手が果たしているんだろうか。
こいつがフラれるとか、やはり想像ができない。こいつの本気だ。
高橋啓介が本気で挑んでくるのだ。
それが色恋沙汰のことであるというのに、その相手に何所か羨む自分を見つけそうになって、オレは慌てて頭を振った。
やっぱりコイツなど告白してフラれれば良いのだ。
コタツ布団にごろりと横になる。外の明るさも気にする暇も無く、オレは睡魔に飲まれていった。
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