この町には今は少なくなった悪魔に立ち向かう聖職者がいた。
人を助ける職業と人柄から皆から好かれるその者の名は中里毅といった。
この世界では悪魔は不吉の象徴として人々に忌み嫌われており、人をあやめたり攫ったりする悪魔の深刻な被害の話も耳に入ってくるが、幸いにも毅の地域で確認される悪魔はさほど人へ害を成す者はいなかった。
それに悪魔祓いなどしなくても説得すれば帰って行く場合も多く、毅は街の人達から街に近付けさせないようにしてほしいと頼まれているから追い払っているという程度でしかなかった。
そのため毅にとって悪魔は街の人ほど怖いものという認識も薄い。
追っ払っても追っ払ってもまた毅の元に訪れる悪魔は、ただ人間が珍しいだけなのではないかと思う。
何が愉しいのかさっぱり分からないが、何度も来る特定の悪魔達が現れる分には問題無く終わるのだが、最近多く顔を見せるようになった啓介という悪魔にだけはまだ注意をはらっていた。
一見すると綺麗な顔立ちをしているため悪魔に見えないが、時折見せるこちらが震え上がりそうな冷たい表情を垣間見ると悪魔なのだなと感じてしまう。
何をするか分からない悪魔へ警戒をするのは当然であり、安全だと毅が確信できるまでは気を許せない。
何度か対峙している時にこの街へ近付くなと説得を試みた事もあるのだが、小生意気なソイツは毅には食ってかかるような口答えをし、更に近付こうとするものだから、方法もなく毅は悪魔祓いを行っていた。
そんな日常が過ぎていたある夜だった。
音を消し忍び寄る影が一つ、暗闇に乗じて毅の寝台へと移動して行った。
しかし真夜中ということもあり、深い眠りに落ちていた毅は全く気付かない。
そして辿り着いた影は姿を露わにしてベッドへ足をかけた。
ギシリと軋む音がして、二人分の重さを受けたスプリングがたゆんだ。
安らかな寝息を立てる肢体の上が陰り、そして毅の姿が闇に包み込み込まれて消えた――。
目を覚ました毅は、鎖で動きを制限されている事に目を瞠った。
すぐに周りを見回し現状を把握すると目の前にいた男に声を張り上げた。
何となくだが、こういう事をしないのではないかと思い始めていたために、多少なりのショックがある。
「これを外せっ!啓介!」
どうしてこんなことするのかという憤りもあり、啓介に掴み掛かろうとしたが鎖が毅を戒める。
家畜か奴隷のような扱いが毅の屈辱感を煽った。
精一杯の抵抗として動きを制限された自分を見下す啓介の顔を毅は睨む。だがそれを悪魔は鼻で笑った。
「威勢があっても囚われの身じゃな」
「どういうつもりなんだ?!」
聞いても納得いかないかもしれないが、理由があるのならば知りたい。
「ふん、悪いのはそっちなんだからな。俺にちょっかい出すから」
「それはお前が悪魔だから…。それに俺は何度もここに来るなって言っただろ?!」
「なんで俺が人間の言うことを聞かなきゃならないんだよ」
「近付かないならお前だって俺みたいなのと戦わなくて済むだろう?」
「ふん、『お前のためだ』みたいなこと言って偽善ぶりやがって。ウザいんだよ、そういうの。俺が何したんだよ?」
そう聞かれてもまだ何もしていない。だからといって毅は街を守るために見逃す事も出来なかった。
「悪魔は地上に居てはいけない存在だ」
それは小さい頃から教わってきた事で、例え害を成さない悪魔であっても共存は出来ないと思う。
啓介は蔑む目をした。
「じゃあ天使は居ても良いのかよ?」
「天使は人間に幸を与えるために地上に現れるんだ。お前ら悪魔と違う」
「アンタ、考えが甘いんだよ。天使も道を外れれば墮天使になる。それがどういうものか知らないわけじゃないだろ?」
その末路は毅だって知っている。
道を誤った天使の末路。墮天使は悪魔に最も近い存在だ。
「それは…」
「白い天使だって堕ちれば黒くなるってこと。アンタも清純そうな顔してるけど何処まで堕ちるか試してやろうか?」
顎を持ち上げられた毅は首を振って啓介の手を振りほどいた。
「俺は悪魔の言いなりにはならない」
「いつまでそんな言葉が出るか…愉しみだぜ」
ニヤリ笑んだ口は血を吸ったかに赤く見えた。
のしかかられて身動きを封じられた毅は、ほとんどの衣服を剥ぎ取られていた。
抗う効果は無いが、鎖だけがジャラジャラと金属的な音を立てる。
素肌を撫でる手は性急な動きをしており、毅は啓介がしようとしている事が解った。
嫌だと強い気持ちで拒んでも精器に啓介が触れると、身体が反応する。
「何で、こんな事…ッ?!お前、淫魔だったのかっ?」
「あんな低級なヤツラと一緒にするな」
「どんだけ階級が上か知らないが、こんなことをして喜んでるお前は低級だ」
ククッと愉しげに喉を鳴らして啓介が笑った。
「そういや階級数えたことなかったな」
言葉と全く噛み合わない仕種で組み敷いた毅を蹂躙する。
「痛…ッ…!…ぅう…痛い」
「動くな、すぐ済む。暴れると余計痛いぞ」
高ぶった切っ先に最奥を押し拓かれ、毅は眉間に皺を寄せた。
十分に解されていない狭い入口に半ば無理矢理挿入され、内側から身体を引き裂かれるような苦痛に毅は顔を歪めた。
性交と言うにはあまりに乱暴な行為の最中に意識を手放してしまった毅を啓介は寝室へ連れ帰った。
そのまま置き去りにする事も出来たが、ぐったりとした毅を放ってはおけずに穢れた肢体を清めて横たえる。
「人間ってどうしてこう軟弱なんだろう」
この程度で意識を無くすとは思わなかった。
啓介は毅の顔にかかる髪をそっとはらった。
「もっと優しくしたら俺にも笑ってくれんのかな?」
それは顔を見ていた啓介の口からぽつりと漏らした言葉だった。
何故そう思ったのか分からない。
だが代わりに兄の言葉が蘇る。
お前は人間を慈しむ気持ちが足りない。そう言われた。
啓介は暫く会っていない兄の姿を思い浮かべた。
輝くように白く、風のように軽い羽根を神々しく背負っていた兄。
下界の人間に無関心な自分を地上に堕したのも兄。
お前のためだと、嫌がる自分から羽根をもぎ取り悪魔の姿へ変えたのも、誰よりも自分が尊敬しているだった兄だった。
「なぁアニキ、俺分かんねぇよ…」
人間を知れと言われたから街に行ったが、何処へ行っても有無を言わせず酷いめに合わされて追いやられ、漸く自分の話を聞いてくれる人間に出会えたと思ったら「ここには来るな」なんて言われて、もうどうしたら良いのか分からなくなった。
だから毅にこんな所業をしたのは、自棄になっていた事と…多分自分を見てほしかったのだろう。
「俺の元の姿見せたらちゃんと俺の事見てくれるのかな?」
再び啓介は毅の顔に目を落とした。
「アンタ、聖職者なら神の考えも解るんだろ?だったら教えてくれよ…なぁ中里」
しんと静まり返った部屋に啓介の苦しみの滲む声が立ち消えていった。