体中の筋肉がギシギシ音を立てそうなくらい強張って体が重い。頭もわれ鐘を叩くようだ。
涼介は自室のベッドの中で顔を顰めた。
昨日レポートを仕上げるために無理して半徹したのが祟ったらしい。昨日から調子が悪かったのだが、今朝ベッドから起き上がろうと体を起こしかけた途端めまいに襲われて、そのままベッドの住人に逆戻りしてしまった。節々が痛む上寒気もひどい。
これは相当熱も高そうだ。
涼介はぼうっと部屋の無味乾燥とした真っ白な天井を見上げた。
「……医者の不養生ってやつか」
軽口を叩いてみるものの、全く気分は浮上しなかった。
はあっと溜息をつく。
親父は学会で出張、お袋も高校の同窓会があるとかで泊りがけている。いつも帰りが遅い両親だったが、この状況で今日一日誰もいない家で一人でいるのは正直キツかった。運が悪いとしか言いようがない。
下手に医学の知識があるせいで効かないとわかっている薬をのむ気にもなれず、涼介はうんざりと掛け布団を体に巻きつけて目を閉じた。
いつの間にか眠っていたらしい。涼介は遠くでチャラチャラと鳴っている癇に障る電子音に無理やり意識を浮上させられた。
……電話か……?
ぼうっとそう思った涼介は、次の瞬間ハッと目を開ける。
中里か!?
この着信音は紛れもなく中里毅にだけ設定してあるものだ。
涼介は急いで――動きとしては緩慢だったが――ベッドから起き出し、やたら遠くに感じられる机の上の携帯までふらふらと歩いて行った。
「はい」
「高橋涼介か?」
涼介の携帯なのだから当然涼介しか出るわけないのだが、昔の習慣が抜けないのか律儀に聞いてくる。相手はもちろん中里毅。
「ああ」
「今電話大丈夫か?」
「平気だ」
涼介は椅子にどさりと体を預け目をつぶりながら中里の声に聞き入った。
「教室の用でたまたま高崎の方に出てきてるんだけどよ、明日も休みだろ、今日は車じゃねえし、お前が暇だったらちょっと飲まねえかなっと思って」
ああそれはいい考えだ。ついでに泊まっていけばいい。涼介はふっと微笑み、そう言おうとした。
言おうとしたのだが……なんと間の悪いことだろう、声が掠れて出ないのである。
「…………」
意に反した沈黙。
「高橋?」
涼介と呼んでくれと前から言っているだろう、という非難も当然声にならない。
「あ、わりい、お前実習忙しいって言ってたもんな、こんな突然に言われたって予定が立たねえか。悪い邪魔したな、また今度にするわ」
切るな――――!!
「ま゛、待てっ……なか、ざとっ」
間一髪、涼介はそう叫んだ(声は小さかったが)。
「ん? お前声おかしいぞ。もしかして風邪ひいてるのか?」
その通りだ。
「マジわりい! 飲みどころじゃねえよな。電話して悪かったぜ、ゆっくり休んでくれよ」
「違う、中里っ」
「は? 何が違うんだ?」
「俺、今家に一人なんだ。今日誰も帰ってこねえし。熱すげえ高いんだ……」
「オイ、ほんとかよ! すぐ行くから、お前んちどこだ?」
涼介が言う住所を急いで書きうつしている気配がし、中里は慌てた声のまま涼介に言う。
「おとなしく寝てろよ。なんか食べれそうか? 欲しいもんあったら途中で買ってくから!」
「いや、お前が早く来てくれるのがいい……」
涼介が弱音を吐くなんてよっぽど弱っているんだなぁと中里は心を痛める。
(涼介の気持ちは伝わっていないらしい)。
とりあえず粥とスポーツドリンクは買っていかなければと思いながら電話越しにうなずいた。
「わかった。できるだけ早く行くから、待ってろよ」
切れた携帯をじっと見つめ涼介は満面の笑みを浮かべた。
中里が家に来る! 知り合って数週間経ったが、峠とファミレスで会うきりでまだ家に呼べていなかったのだ。風邪の功名ってやつか? 涼介は風邪に少し感謝した。
それからはっと我に返る。
いけない、中里が来るというのに自分は汗だくで完全に寝起きだ。こんなかっこ悪い姿を中里に晒す訳
にはいかない。
両手に買い物袋をさげた中里は高橋家の玄関に立った。
急ぎはしたのだがなんかいろいろ買ってしまった。両親が忙しくしていることを以前聞いていたから、冷蔵庫に何もないかもしれないと思い、思いつくものを全て買い物カゴに入れてしまったのだ。
レトルトの粥はもちろん、おじやの道具や涼介はパン粥派かもしれないと思い、パンやらなにやらと、子供頃風邪を引いたとき母親が作ってくれた精の付きそうな料理の材料一式である。涼介に遅いと責められるかと首をすくめ、中里はそれからはたと困った。
寝てるかな?
玄関開けてもらうために起こしちゃまずいよな?
だからといって、いくらたまたま二階の窓が開いてるのが見えたからといって、窓を乗り越えるのは家宅侵入罪だしな。
玄関先で悩むこと数分、もしかしたら鍵がどこかにおいてあるかも知れないと思って中里はやむを得ず涼介に電話する事にした。
電話はすぐに繋がった。
「遅い!」
「う、わりい。ちょっと手間取っちまってよ」
「今どこなんだ?」
「いや、お前んちの玄関先なんだけどな、お前寝てるだろ? 鍵どっか外に隠してねえかと思って……」
中里がすまなそうに携帯に話しかけていたとき、ガチャと目の前の扉が開く。
「へ? た、高橋涼介?」
思いっきり不機嫌そうで、しかもあり得ないほど真っ青な顔色で、そのくせ寝ていたとは思えないシャツにカットソーを羽織った高橋涼介が、扉越しに立っていた。
一瞬あっけに取られ、それから中里は怒鳴る。
「何やってんだよ! 寝てろって言っただろ!? 顔色すっげー悪いじゃねえか!! しかもお前のかっこそれなんだよ!?」
涼介も不機嫌そうな顔を崩さないまま答える。
「だってせっかくお前が家に客に来るんだぜ、きちんとしとくのは当たり前だろ?」
中里は怒りを通り越して呆れ返った。こいつ、風邪でおかしくなっちまったんじゃねえだろうな?「客じゃねーっつってんだよ!! お前の看病しに来たんだ! 寝てろ」
中里は人の家であることも忘れて涼介を中に追い立てた。文句を言う涼介を怒鳴りつけてベッドに追いやると、怒涛のごとく台所で病人食を作る。(一応一人暮らしなので簡単な物は作れるのだ)。
キッチンの荒々しい音を聞きながら涼介はベッドの上で溜息をついた。やっぱり風邪なんてひくもんじゃない。自分が中里の看病をするんならいいが、これじゃ何にもできやしない。シャワーを浴びたせいかさらに具合が悪くなった気がする。せっかく中里が泊まってくれるというのに……。
ウトウトとしながら、この風邪が中里に感染らないだろうかと涼介は真剣に願った。
Fin