実写版・涼中

小説 秋羅 様
        

 宴の後 〜後悔と決意と罠〜


 自分にはないものをもっている中里に、いつしか自分は惹かれていた。
人の心の裏の裏まで読んでしまう自分と違い、中里は素直だった。
疑うことを知らずに人を信じて、それで傷つくことが有っても、やっぱりその純粋な心は変わらずに……、それが自分には不思議でならず、同時に自分にはないその眩しい光に引き寄せられずにはいられなかった。
自分の計算高く荒涼とした心が、中里の笑顔や言葉によって確かに癒されているのを感じた。

 いつも人と一線を画して、物事を客観的に分析して他人を信ずることもなかった。誰かが自分を理解するとも思えなかったし、誰かに理解してもらおうとも思わなかった。
 打算や計算のない関係などないと思っていた。――しかし、中里は違ったのだ。

人を疑うことを知らない中里は、涼介の心の闇など気付きようもなく、ただ純粋に涼介のことを親友として受け入れた。
 涼介のことを心から心配し、ときに涼介のことを思って意見したり叱ったり、涼介の成功を自分のことのように喜んだり――、そんな存在は涼介にとって新鮮で、その無条件の友情が心地よかった。
 中里に会っていなければそれ無しで生きていくのもなんともなかっただろう。しかし知ってしまったら失うことなど考えられなくなった。

 中里に出会ってからまだ一年ぐらいしか経ってないのに、いつの間にかその存在は自分の心をこんなにも大きく占めている。

「いつから俺はこんなに弱くなってしまったんだろうな……」
 自嘲するかのように涼介は唇を歪めたが、自分の気持ちはわかっていた。中里なしの人生など考えられない。

失いたくない。

つねに傍らにいてほしい。

中里がいなかったら、この世のどこにも俺の休める場所はない。
そう思うから失わないために必死になるし、用心深く行動していた。
――裏のないあの笑顔が俺にとってどれだけ支えになっていたか、失ってみて初めてわかるとはな……。

涼介は自嘲の笑みを浮かべた。

自業自得だ。

自分はそれだけのことをやった。あの秋名でのナイトキッズと藤原拓海とのバトルの時に。

中里を絶対失うことはないという自信は、なんと根拠がない傲慢さだったろう。
結果、あいつをこれ以上ないほど傷つけ、失ってしまった。

藤原拓海をあの時追わなければ良かった。
別に、あのときでなくてもよかったはずなのだ。
どこの誰かも、家の場所すらもわかっている。バトルに誘うのはいつだってできたはずなのだ。
それなのに、あのときの自分は冷静さを欠いていた。自分の求める公道最速理論を体現する存在の発見に興奮し、己の走り屋としての血が対等なバトルのできる相手を見つけて騒いで、いつもは働く正確な判断力を狂わせてしまった。

 秋名の5連ヘアピンでGTRの横に呆然と佇んでいるあいつとすれ違った。

 あのときなぜ自分は止まらなかった? 
 あいつが一番傷ついているときになぜ一人放って、藤原の後を追いかけることなどできたのだろう?

 自分の横を素通りしていった俺を見てあいつはどう思ったのだろう?
 ちらりと見たバックミラー越しにあいつがこっちを振り向いていたような気がするのは、多分気のせいではない。

「くそっ……」
 涼介は何度ついたかわからない悪態をついた。
 右手で顔を覆い後悔の念に駆られる自分の姿はいかにも滑稽な道化だろう。
 後悔などという言葉とは無縁だと思ってきたのに、中里に関してはこんなにも自信も判断力も失ってしまう。無力でしがない一人の男に成り下がってしまう。

 それでも諦めるわけにはいかないのだ。
 この世で見つけたたった一つの安息場所だから。失ったら自分は壊れるとわかるから。
 取り戻すための手段は選んでいられない。どんな卑劣な手を使っても必ず再びこの手に捕まえてみせる。
 覆った手を除き、涼介は暗く強い意思のこもった目を上げた。


                *


 トゥルルルル……、トゥルルルル……、
 コール音十回目にして電話が繋がった。高橋涼介は静かな声で切り出す。
「京一か?」
 一瞬の沈黙。

「……。なんだ、高橋涼介か? 何の用だ」
 不審と敵意の入り混じった声で須藤京一は答えた。

「バトルの話しなんだがな――」
「なんだ、やる前に降参か?」
「そんなわけはないとわかっているだろう?」

 間髪を入れないやり取り。京一は嫌味を言うことを早々に切り上げて用件を聞く事にした。
 こいつの余裕たっぷりの声は聞いているだけでむかむかする。
「ふん、そうだな。……で、何の用だ? 場所の変更も可能だぞ」
 暗にお前のホームコースでもいいんだぜという挑発は正確に涼介に伝わり、涼介はそっけなく返答する。
「結構だ。手短に聞く。栃木のお前たちが群馬に来た目的は?」
「お前を潰すためだ、まずな。あと清次になめた真似をしてくれたハチロクに見せしめだな」
「ほう。意外に視野が狭いんだな」
「なにっ!!」

 涼介の小馬鹿にしたような言葉に京一は瞬時に噛みついた。相手の精神の揺らぎを正確に感じ取り、涼介はさらに相手を刺激する言葉を吐く。
「俺は関東の峠という峠のコースレコードを塗り替える。いずれは日本全国だ。赤城以北の群馬の峠はもう俺がコースレコードを立てているが、三週間暇だろう? 俺とやる前にそこのレコードを破ってきたらどうだ?」
「何が目的だ?」
 用心深く京一は答えた。
「別に。俺とやる前にそこのコースレコードを破れなかったら、お前も冷静になるんじゃないかと思ってな」
「俺が破れないとでも言うのか!?」
「さあな。だがお前はプロでサーキット専門だろう? 現に峠で俺に負けた」
「一度勝ったからといっていい気になるなよ高橋涼介!」 
 京一は低い声で唸った。

「気に障ったか? 別に俺は事実を言っただけで、お前のドラテクは一目置いているつもりだぜ? 暇だろうしウォーミングアップにどうだ、と言ってるだけさ」
 あくまで淡々とした涼介の口調に、一瞬カッとした京一は冷静さを取り戻す。
 高橋涼介は頭の切れる男だ。こちらが平静を失ったら相手の思う壺だろう。
「ふ、ふん、お前の下らない策には乗らねえぜ。バトルする前に何かいちゃもんをつけようって魂胆だろうが、そうはいかねえ」
 ふと思う所があって京一はニヤリと笑った。

「別にお前のレコードを破るなんざ簡単だが、お前の見え透いた挑発に乗るのも俺の美意識に反するからな、ふっ、涼介、お前こそ俺のコースレコードに苦しむがいいぜ。お前が走る前に俺が南の方でコースレコードを作っておいてやるよ。これでお前は群馬ですら最速になれねえってことだ」

 涼介の裏を掻いたと京一はほくそ笑んだ。

 そして涼介も電話の裏で微笑を浮かべる。

「そうか、ま、好きにしろ。せいぜい俺が眠くならないようなレコードを作っておいてくれよ」
「はっ、お前こそ泣き面掻くなよ」
 
 切られた電話をゆっくりと下ろし涼介は深い笑みを刻む。
用意は整った。再び中里毅を手に入れる用意が。


              *


 約二週間ぶりにかける電話だった。携帯のディスプレーに写し出された中里毅の文字と見慣れた番号をしばし見つめてから涼介は腹に力を込めた。ゆっくりとボタンをプッシュする。

コール音、一回、二回……十三回――――。

涼介の右手にじっとりと汗がにじむ。このまま中里は出ないのだろうか?
二十回目で自然に留守電に切り替わることは知っている。
今出られないだけ、だよな?

留守電に切り替わってメッセージを残したとして、いや、着信履歴は残るのだから自分から電話があったことはわかるはずで、以前ならば都合がつき次第中里の方から電話がかかってくると信じることができたが……、今は、もしかかってこなかったらという恐怖が心を侵す。

トゥルルル――ピッ。

「…………。はい」
 十九回目のコール音が途中で切れ電話が繋がったとわかったとき、涼介は自分がいつの間にか息を詰めていたと知った。

「中里……。久しぶりだな」
「……ああ」

 硬い声音に涼介の心はズキと痛むが、わかっていることだったので無理やり気持ちを切り替える。

「寝ていたのか?」
「いや、別に」
 その意味することは明白だった。話したく無いという意思を暗に中里は涼介に伝える。
 もちろん涼介はその声にならない言葉を正確に聞き取ったが、静かに無視した。

「今週の土曜、最近群馬に出張ってきている栃木のエンペラーと交流戦があるんだろ?」
「……ああ」
 昔と変わらない調子で話しかけた涼介に、中里は低く短く返事を返す。
「サポートどうするんだ? 今回もレッドサンズがやっていいだろ?」
「別に、いらねえよ」
 中里は涼介の意図を測りかね、苦々しく吐き捨てた。

 あの日――、朝焼けの山を眼下に見下ろして車のこと、走りのこと、他愛のない話しに興じていたあの日、自分はこれまでもよくあったように涼介にバトルを申し込んだ。
 いつもは何だかんだ言う涼介が、このとき初めて一つの提案をしてきた。
「群馬の峠で頭とってみろ」
 そうしたらバトルしてやる。
 その提案に自分は乗った。
「ああ、いいぜ。この群馬で頭とってやる! そしたら高橋涼介、約束だぜ、俺とバトルだかんな!」


 あの約束はもう無効なのだ。自分は秋名でハチロクに負けた。
 そして涼介はもの凄いスピードで秋名を下ってハチロクを追って行った。
 涼介にとって自分は対等にバトルできる相手ではないと言われたようで酷く傷ついた。
 その高橋涼介が一体自分に何の用というのだろう?
 今更なんで自分に関わろうとするのだろう?

「……人手、足りてるからな」

 だが、傷ついたというのは自分の都合であって実力が足りなかったのは涼介のせいではない。
涼介がハチロクとバトルしたいと思うのは走り屋として当然のことだ。自分が涼介に対して苦しさをぶつけるのは見当違いなのだ。涼介はいつものように、今までそうだったからと善意で言ってくれている。
 そう罪悪感が中里の心をよぎり中里はそう言葉をつけたした。
 人の好い中里の心の動きを涼介は正確に読み取った。

「そんなことないだろう、中里。エンペラーは知ってのとおり県外チームだ。ここは群馬のメンツをかけて完璧なバトル体制を敷かなければならない。俺たちレッドサンズは群馬の走り屋としてナイトキッズを応援したいし、サポートも絶対必要だと思う」

 涼介は群馬の面子という言葉を強調した。そう言えば中里が断れないということがわかっていた。
 しばらく沈黙がおりた。

 中里は葛藤した。そうだ、自分は今回群馬の代表みたいなものなのだ。私的な感情に囚われているわけにはいかない。

「…………わかった、レッドサンズにサポートを頼む」
「ああ。打ち合わせは?」
「ナイトキッズの奴らを明日にでも行かせるよ」
 いつもなら大まかなことは二人で会って決めてきた。だが中里はまだ涼介に会いたくなかった。
 涼介にもそれがわかったし、ここまで引き出せたら今は満足だった。

「じゃあな、土曜そっちに行くから」
「ああ、じゃあな」

 切れた電話を見つめ、それから涼介は窓を見やった。闇に赤みがかった半月が浮かんでいる。

 涼介は唇を歪めた。自分の残酷さに自嘲する。

 誰よりも大切な相手なのに――。それなのに俺は酷い事をやっている。

中里が京一に勝てるとは全く思っていないのに京一と中里のバトルを仕組んだ。中里が峠の走り屋としては群馬でトップクラスであることは疑わない。でもプロに勝てるほどではないだろう。
妙義という己のホームコースであることの有利さは、中里のメンタルが今最悪であることを考えれば差し引きゼロであるどころかマイナスに違いあるまい。

それでも俺はこうせずにはいられなかった。
傷ついて弱った中里の心に付け込むような真似だということはわかっている。
けれどそのときなら再び中里が俺の元に戻ってきてくれるだろう。
お前の隣でお前を慰められるのも支えられるのも俺だけだ。
いや、その位置を他の誰にも渡しはしない。

すまない中里……。

涼介は目を閉じ低くつぶやいた。その懺悔は誰にも聞かれぬまま闇に吸い込まれていった。






策士全開な涼介さんに痺れました(〃∇〃) っっありがとうございます〜vvv
恋する相手を失わないために涼介らしい手段の選ばなさに惚れ惚れです〜//
そうか、京一は涼介に誘導されて妙義に行ったのですね!
傷心の中里は可哀想で胸がキュっとなりますが
中里は可哀想なところも美味しそうなので仕方ありません(爆)