涼介×中里

二週間後





■1

「ああ分かった、じゃあ7時に群大病院に迎えに行くからよ」
夕方もう一度携帯に電話があって、俺と高橋涼介は今日の約束の時間を確認した。

高橋涼介とほとんど二年ぶりの再会をしてから二週間後の金曜日。
あの時の約束通り時間を作った俺は、今夜もう一度高橋と会うことになった。

大学病院で再会した時は、本当に驚かされることばかりだった。高橋涼介が走り屋として現役の時もプロジェクトDの活動時も、走り屋同士として少し話しをする程度の間柄だったから、あんな風に親密に頼られることになるとは予想もしていなかったのだ。

だが…

「あいつがまた峠に戻ろうとしてくれてるのは、やっぱちっと嬉しいぜ」

大学病院にRを走らせながら、俺はつい一人言をつぶやいてしまっていた。

赤城の白い彗星

自分と同世代の群馬の走り屋なら、あいつに憧れめいた拘りを持たないやつはいないはずだ。
実際俺だって、高橋涼介の放つ強烈なオーラをずっと以前から認めていた。
奴に勝つことが群馬最速の証しだと密かに目標にしていた。
峠で不敗神話を築き、ジムカーナで連勝記録を作り、サーキットのプロドライバーとしても引く手数多。
そんな奴が秋名のハチロク戦後に一線を退き、壮大なプロジェクトを達成した後すんなり医者になって、走り屋から完全に引退してしまったのだ。
競い合うべき目標の一人だった相手がいなくなって、俺は妙義最速を守りながらも、胸の奥にどうにも塞がらない穴を抱え込んでしまった気分でいた。

それが、先日の再会での高橋涼介復帰宣言である。
不眠症が治ったら…という条件付きであるが、またあの強い輝きを放つオーラを纏った走りを見ることができるなら、同じ走り屋として何でもしてやりたいと思う。

「まあその治療法が、俺が肩を貸してやること…だなんてのが分からないんだけどな」
肩を貸す奴なんて、もっと身近にいくらでもいそうな…と思うが、身近過ぎても却ってそんな弱みを見せたくないものなのだろう。
自分では良く分からないが、たまたま肩の居心地(?)が良かった相手が自分で、涼介にとっては適度な距離の知り合いで頼み安かったのかも知れない。






群大病院の駐車場にRを停めると、探すまでもなく、高橋涼介は直ぐに姿を現した。
運転席から手を延ばして助手席のドアを少し開けて促すと、「失礼するよ」と礼儀も正しく高橋涼介がシートにおさまった。

「すまねえ、ちょっと時間かかっちまったな、駐車場で待ってたのか?」
「いや、駐車場前の研究棟の方にいたから、お前が入って来るのが良く見えたんだ。それより忙しいのに本当に悪いな。こんなこと頼んじまって」
「良いって言っただろ? 一度引き受けたことだからな。お前は細かいこと気にし過ぎるんじゃねえか? あんま気とか頭とか使わないで俺がいる時くらいボーっとすりゃあ良いんだよ。その為に来てやってんだからな」
「ありがとう…感謝するよ中里。お前に出会うことができて、俺は本当についていたよ」

運転しながらでも、隣で高橋が嬉しそうに微笑んでいるのが分かった。

早くこいつの不眠症を治してやって、峠に戻してやりたい…という使命感にも似た想いが強くなる。


前橋の群大病院から、先日送って行った時に覚えた高崎の高橋の自宅へと17号線を走っていると
「中里、その先の信号を左に」
「? お前んちは右だろ?」
高崎市街ではなく、安中方面へと向かうルートを不思議に思いながらも、Rを左車線に寄せる。
誘導されるまま走っていくと、18号線から少し山の中ほどに寄った場所に建つ小綺麗な造りの新しいマンションの地下駐車場に、気づけばRは停まっていた。
「?」
「最近買ったんだ」
「え、ここに住んでんのか!?」

てっきり高橋の自宅に行くのかと思っていた俺は、つい驚きの声をあげてしまっていた。
エレベーターで上の階に上がって、部屋に案内されて俺は更に驚いた。

間取りは3LDK、一部屋だけでも、俺が住んでいるアパートより随分と広い。
一番広い見晴らしの良い部屋に値段の張りそうなダブルベッドが一つ。反対側の壁際一面の長い机の上にパソコン機材が整然と並べられている。
別の部屋には天井までの簡素な書棚に本とファイルがみっしりと。
もう一部屋はやはりかなりの広さだが、何も置かれていなくて、がらんとしている。
リビングにはベッドにもなりそうな幅の広い黒いソファー。ローテーブルの向こうに大型のプラズマTV。
広いキッチンには立派な冷蔵庫。
そしてやはり広くて小綺麗な風呂…もといバスルームは…
「温泉付きなんだ」
「マジかよ…………」
うらやましい等とすらも思えず、ただただ俺は感嘆していた。

「医者ってのは、こんなに儲かるもんなのか…」
「まさか。まだ俺は研修医で医者でも無いしな。学生の頃にオンラインの株取り引きを少しやってたんだ。そういうのは得意分野だったし、プロDの遠征費用が必要だったから。あまり対戦相手と差がつくのは本望じゃなかったから車にも人にも最低限の費用しか掛けないようにしていて、結局かなり余ってな。それでここを買ってみたんだ」
「何つーか… お前は頭の良い走りをする奴だとは思ってたけどよ…頭の良い奴ってのはやっぱ他のこともすげえんだな…」
大学を出てからあまり親に頼りたくなかった俺は、働きながらRのローンやら走りの費用やらを捻出していたから、住んでいるのは1Kのボロアパートだ。車以外のことには頓着はないから、こんな所に住みたいとは思わないが。

「それより中里、その荷物こっちに置いて、楽な格好にでも着替えろよ。こっちの部屋は余ってて使ってないからお前の好きに使ってくれ。クローゼットに少し来客用の着替えとか用意もしてあるから」
明後日の日曜日まで高橋の睡眠不足解消に付き合う約束をしていたので、一応ボストンバックに色々と着替えを詰め込んできてある。明日は一緒に車を見に行って、夜は秋名あたりに走りに行ってみる予定だ。

「中里、腹減ってるだろ? 直ぐに用意するから」
「え? お前が作るのか?」
「いや、実家に来てる家政婦に、こっちにも寄ってもらって冷蔵庫に作り置きしてもらってるんだ。まあ俺も作ろうと思えば作れるが、中里も一人暮らしなんだろ?食事とかどうしているんだ?」
「家政婦って………。俺は一人暮らし長いからな、一応一通り何でもできるつもりだぜ? まあ料理は見てくれの良いもんは作れねえけど、腕は良い方なんじゃねえかな。学生の時は昼間は学食でバイトもしてたしな」
「すごいな、俺は一人暮らしは初心者なんだ、色々教えてもらっても良いか?」
「おう、そういうことなら任せろ」

一人暮らしの仕方なんて難しいことではないだろうが、高橋に教えてやれることが自分にもあるということが、ちょっと得意な気分にさせる。

作り置きの食事以外にも、冷蔵庫の中の食材で俺は温かい料理を作ることにした。
高橋も手伝うと言い出して、わざわざ二人分の同じ柄のエプロンを出して来たので、台所はなんだか男の料理教室みたいな感じになった。

完成した料理をソファー前のローテーブルに並べ、ワインやら日本酒やら、高橋お薦めの銘柄を堪能する。ケーブルTVのレース専門チャンネルで車談義にも花が咲いて、酒も適度に回ってすこぶる気分が良いままソファーに深く身体を沈めると、…肩にコツン…と重さがかかった。


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