蛾と蝶
「うをぉ!?」
あぐらをかいて雑誌を読んでいた慎吾は、悲鳴をあげて立ち上がった。
その悲鳴につられて毅はびくりと慎吾の方を向く。いきなりの大声にちょっとビビってしまっていたり。
「なんだいきなり、うるさい声上げて……」
何かに怯える様に自分の方へとやってきた慎吾に、いぶかしげに訊ねた。訊ねられた慎吾は先ほどまで自分がいたスペースを指差し叫ぶ。
「蛾! 蛾!! 蛾が来た、蛾が!」
「ががが?」
必死である。
だが言っていることが理解できないのか、毅は慎吾の指の先をみつつ首を傾げるばかりだ。察しの悪い男である。
「何が言いたいんだ?」
「だから蛾が入って来たって言ってんだろ!? 早く追い払え」
「蛾だぁ???」
その言葉に、毅はやっと床付近をジタバタしている蛾の存在に気付き、納得した様子でうなずいた。
「あ〜あ〜、確かに蛾がいるな。もうそんな時期かー。
なんだ、お前蛾なんかがダメだったのか? あっ、そうか、虫苦手だったっけか」
蛾如きにチキンだなぁ、と毅はケラケラ脳天
気に慎吾の慌てぶりを笑う。そんな毅の背中を思いっきり蹴り上げ、慎吾は鬼の様な形相で叫んだ。
「ってぇ!?」
「バッカ、わかったなら早く追い払え! 一瞬でも早く追い払え!!」
「お前、今、マジで入ったぞ!
ったく、いちいち蛾ごときでうるさいなあ。イテテ」
「は・や・く!」
それほどに嫌いなのか毅をせかす。
毅は仕方なく重い腰をあげ、問題の蛾を窓の外に追い払うべく四つん這いで近づいていった。
「ん?」
ふと、蛾と相対した瞬間違和感を覚えた。
なんか蛾っぽくないような……
毅の疑問に答える様に、机の上にとまった蛾は、翅を二枚合わせる様にたたんでいるではないか。
それを見て毅は拍子抜ける。
おいおい、こいつぁ……
「なんだ慎吾、蛾なんかじゃなくて蝶だぞ」
色や模様は確かに蛾の様に見えるが、その虫は明らかに蝶であった。紛らわしいことこの上ない。毅は無造作にその蝶を捕まえると、部屋の隅で小さくなって警戒している慎吾に呼びかけた。
「ほら見ろよ」
毅は蝶を差し出し慎吾に見せる。
虫が嫌いな人
になんて仕打ちを!
だからデリカシーがないとか言われるんだろうなぁ。
「早く逃がせ!」
「蛾じゃなくて蝶じゃねーか。なに怖がってるんだ?」
「翅に目があったんだ! 目が!! 気色悪い」
差し出す蝶から一定の距離をおき、蝶の存在を否定する慎吾を不思議そうに見やる。多分、彼に虫嫌いな人の心を分かる日は来ない。
その後、慎吾からすればやっとのことで、毅は蝶を外に逃がした。
部屋から虫が消えやっとひとごこちついた慎吾は、改めて虫の多さに気づく。あそこにもちっちゃいのが、ここにもややおっきいのが……
なんでこんな虫がいるかって、窓が開きっぱなしだからだ。
「ついでに窓も閉めろ! なんで窓なんか開けてあんだよ!! んでベープかアース」
「窓閉めたら暑いだろーが。
アースノー○ットはあるけど……リキッド買わないとなー」
「バカ、今すぐ買ってこい!」
「面倒くせぇ。俺は気にならねーから別にいいし。そもそも、自分の欲しいものは自分で買ってこいよ」
「気にならねーなんて、ありえねぇ……」
「あんま蚊とかにも刺
されない質だしな」
「お前の性質なんか知るか。そうだ、そもそも、なんで網戸してねーんだ」
「なかったんだもん」
「は?」
「なかった。買わないと。別にいらねーし」
「買え!」
キレかけた半眼で言われ、毅は不承不承うなずく。
「買うことについてはやぶさかじゃねーが、お前気にし過ぎなんだよなー。ゴミは平気で散らかすくせに……」
「それとこれとは関係ないだろ!」
騒ぎ疲れたのか、慎吾はぐったりと座り込むと、毅の言い種にあきれた様に大きくため息をはいた。
「例えばだ、飯を食っている時虫が入ってきて、飯に虫がたかったら嫌だろう?」
「まぁ、なぁ……」
「俺は絶対食わねー」
「その部分だけとって食えよ。勿体ない」
「あり得ねぇ!
それにだ、もしヤってる時虫なんか入ってきてみろ、俺はすぐさま逃げるね。しばらく虫がいない所まで避難して、んでテメーは放置だぞ!
それでもいいのか、えぇ? 良くねーだろ」
「その嫌な例えはなんなんだ……」
毅は理解できないという態度を崩さない。てか、はじめから話半分である。
「お前
は、虫の最悪さが分かってない」
「わかんねーよ。とりあえず嫌だったら自分でなんとかしろよ」
「ここはお前ン家だろ?」
「都合の悪いときだけ俺ン家にすんなよ!」
その後、結局どちらも歩み寄りを見せぬまま喧嘩に移行したとかなんとか。そういう所だけは仲が悪かった頃からかわっちゃいないのである。
次の日、結局慎吾が自分自身でこの夏、この部屋で快適に過ごすための道具を至急そろえたのであった。
めでたしめでたし。