2005年1月25日
◆なにわっ子になって、もう4年◆


みかん漫画:明けましておめでとう
▲画像をクリックすると拡大します。
 ウチ(大阪弁で”わたし”の意味)、聴導犬のみかん申します。
みなさん、はじめまして。
 2001年の1月に、長野にある(福)日本聴導犬協会から大阪の阿倍野区に来て、もう4年がたつねん。すっかり言葉も大阪弁になったわ。
 このごろは、町をおかぁちゃんと歩くとな、顔見知りの商店街の人なんかが、
「わぁ、みかんちゃん、ゲンキ?」「いっつも、かわいいなぁ」
なんて、声をかけてくるんやで。ウチ、うれしい〜わぁ。
 
  おとうちゃんは、うちを「天才」と呼びはるんやで。おとうちゃんが言うには、
「料理タイマーと、ファックスの受信音が同時にしたら、みかんは、料理タイマーをまずおかあちゃんに教え、
それから、私にファックスを教えるために戻ってきた。これは、先に料理タイマーを教えることで、
火事を起こさないためや」

 ま、ごっつー誉めすぎとは思うけど、親ばかは、うちにとってはうれしぃことや。愛情やからなね。
ほんとは、そんなことないねん。

 「おかあちゃんを先にして、『次におとうちゃんにしらせなあかんねん』って、思っただけや。別に、そこまで深い考えがあるわけではないわなぁ」って、言いたいけど、おとうちゃんはもっとうちを誉めるねん。

 「私の友達の車が来たら、彼がドアベルを押す前に、みかんが2階にいる私のアトリエまで
走り上がってきて、教えただよ。おかあちゃんは台所にいたのに。本当に、みかんは、誰に教えるべきかをちゃんとわかっているんだね。すばらしい。天才だね」って。
 おとうちゃんもおかあちゃんもウチを誉めてくれてばっかりやぁ。こんなに誉められると、もっともっと、
ふたりのお役にたちたいって、おもうわな。

 こんなに幸せな夢のような生活があるなんて、前は、信じられへんかった。感謝。感謝や。ほんま。

◆ウチは元捨て犬◆

 聴導犬は、世界的にみても、捨てられた犬から育てるのが一般的なんやて。 

 ウチも、もともとは、茨城で徘徊していた捨て犬なんよ。亀山さんという、とても心のあったかいおねえさんが、スーパーの前をウロウロとしていたウチを見つけて、お家に連れて来てくれはりました。

 亀山さんのお宅には、シベリアンハスキーやプードルなど、先輩のワンちゃんが3頭いたんやけど、みんなおだやかで、ウチをやさしく受け入れてくれるねん。
 うちは、まだ2ヶ月か3ヶ月くらいで、ボロボロに疲れてて、亀山さんのおうちでは、何日も寝ては食べ、寝ては食べって過ごしていたらしい。そのへんは、よう、覚えてんけど。 
拾われたとき、ウチの体の毛はところどころ、ハサミで切られていて、首にはビニールひもが
きつく巻かれていたらしいわ。  
亀山さんは「きっと、子どもたちがこの子犬をどこかに縛って、時々ごはんを上げたりしていたんだろう」
と言ってはりました。うち、捨て犬のわりには、やせていなかったんよ。

 そのころ、テレビで見た(福)日本聴導犬協会のことを、亀山さんが思い出して、
長野に連れていきたいなぁって思ったそうです。

 でも、長野は茨城から遠いし、ウチがいくら気質の良い子犬でも、聴導犬になれるかどうかって
、わからないやろ?だから、1度「捨て犬の里親会」に連れて行ったらしいねん。
その会の決まりで、犬を持ち込んだ人は、犬のゲージから遠くにいなくちゃならない。
だから、遠くから亀山さんが見ていたら、うちがな、
「ここは嫌だよ〜。長野に連れて行ってぇ〜」  
って言ってるように、見えたんやて。心の優しい人には、犬の言葉もわかるんやなぁ。

◆「聴導犬に選ばれるのは、300頭に1頭」◆

 「茨城から長野にわざわざお越しいただいても、聴導犬に選ばれるのは300頭に1頭くらいなんですよ。適性の審査で、聴導犬には合わないと判断された場合には、
そのまま連れて帰っていただかなければなりませんし・・・」

 長野にある(福)日本聴導犬協会に亀山さんが電話したら、なんとも、冷たい返事やったん。
 後で、わけを聞くと、
「亀山さんと同じように、長野までワンちゃんを連れてきてくれて、審査で落ちてしまい、
無駄足になる方がいっぱいいらしたので、それが申し訳なくて・・・」
 (福)日本聴導犬協会では、甘い言葉は言わず、できるだけ現実を話して、
相手が傷つかないようにしているらしい。それもやさしさやろ?
 亀山さんは、茨城から夜中に国道を走って、すごいハードスケジュールで、朝、長野に着いたらしい。
うちは長野に来る前に、亀山さんの家族から「みかん」という名前がつけられてました。
「みかんが聴導犬の候補になったら、避妊代として寄付するために、今回は高速を遣わない」
 そう決心してはったらしい。往復、国道を走るって、大変やったと思うわ。

心から、ありがとうございました。亀山さんのご家族のみなさん。ご恩は忘れませんよ。

◆うち、ここで、がんばる!◆
聴導犬協会へ来たときです。
 (福)日本聴導犬協会は、長野県の宮田村という無人駅のそばにあるんや。線路脇の駅前に、亀山さんが車を止め、協会のスタッフを呼びに行ったらしい。ご主人がうちだけを車の外に連れて、スタッフを待ってたんや。そこに、(福)日本聴導犬協会のMAYUMIさんと、有馬さんがニコニコと笑って、やってきて亀山さんたちと話をしてました。亀山家の犬たちも、ワゴン車の空けた窓から顔を出して、
「どうしたの?  みかんはどうなるの?」
 って、不安そうに、外の様子を眺めてんやって。

 MAYUMIさんが、うちのリードを持ってちょっとだけ歩いたり、(福)日本聴導犬協会の
オリジナルな審査表で、チェックしたりされたんや。けっこう、緊張したよ。
 そのとき、黄色い帽子をかぶった小学校の新入生たちが、手をつないで踏み切りを渡って
やってきたんやって。 若い女の先生が、引率してたんやけど、
 「あ、かわいい、子犬だぁ」 一人の子どもが言うと、もうぐちゃぐちゃになって、
子どもたちがうちに走り寄ってきたらしい。
 有馬たちさんたちは、止めようとしたけど、あっというまに、子どもたちのもみじのような手が
うちの顔や体を取り囲む。
 捨て犬だったころは、たぶん、子どもたちにご飯をもらっていたわけやから、うちは、
子どもが大好きなんよ。 子どもたちにうれしそうに尻尾を振っているうちを見て、
協会のスタッフが、「こんなに人好きなら、大丈夫だね」

 おかげさまで、協会にお世話になることに決またんよ。
 亀山さんから、医療的な検査やワクチンがきちんと済ませてあるっていう、証明書を見せていただいたスタッフが、ウチを協会の犬たちに会わせてくれた。

 そのころは、タカちゃんと、クロちゃん、ケンタ君、ななちゃん、はなちゃんくらいしか、
協会にはいやしませんでした。
 まだ子犬だった「さわちゃん」たちは、ソーシャライザーと呼ばれる「子犬育てのボランティア」家に
預けられてたらしい。 
ウチが、協会に入ると、先輩の犬たちが、「誰だ? 誰だ?」
 いっせいに、うちの臭いをかぎに集まってきたけど、うちが尻尾を振って、
じっとして臭いをかがれていると、「なーんだ。まだ子犬だ」

 すぐに、みんな自分のベッドや窓の方へ行ってしまった。これが、協会での初日でした。
 亀山さんたちは、お茶を飲みながら、(福)日本聴導犬協会とうちのための譲渡契約書っていう、
「(福)日本聴導犬協会にみかんをもらってもらう」という 約束を取り交わしてました。
「本当に、良かった。ここまで来た甲斐がありました」
 亀山さんは、自分のことのように、とっても喜んでくれはったん。
 うちは、茨城に帰る亀山さんを協会の中から、うれしそうに見送りました。
「みかんが、『ここでわたし、がんばる』って、いってるみたい」
 笑いながら、そう言って、おとなしく待っていた3頭の犬たちを遊ばせるために、
駒ケ岳のふもとを目指して去って行きました。

◆訓練は、楽しい◆

 (福)日本聴導犬協会では、生後10ヶ月から1年目で訓練を始めるんよ。
子犬が、精神的にも、身体的にも大人になった段階でなければ、訓練は始めません。

 ウチも、東京の矢野さんや、大澤さん、長野の林さんなどのソーシャライザー(子犬の育て親)のお宅で、「愛情をいっぱい受けて」育てられました。
 その間は、しつけは二の次で、それよりも「人間が好きで、人間と一緒にいると安心」と思える、
信頼関係を築くことが第一と、協会では決めているらしい。

 生後10ヶ月になったとき、音の訓練が始まりました。初めの日は、たった15秒・・・。(続く)

▲上にもどる