私が渓流釣りを始めたのは、1966年、良く通ったのは八ヶ岳の千曲川支流・魚野川上流でミミズの餌釣り専門だったが1968年7月釣行の際、越後中里の民宿へ泊まった,その日の天候は、晴天でとても暑く小型のイワナ1匹しか釣れませんでした.
宿で仮眠とっていると宿の主人が宿の下の魚野川本流で1時間足らずで 9寸ほどの岩魚を10匹ほど釣上げて、私に土産だと言って釣って来たイワナと 仕掛を竿から外して私にくれました。
 毛鉤は、12号ぐらいの袖針に、ぜんまいの綿毛を巻き鳥の羽で作った簡単な毛鉤と(現在私が作っている毛鉤のほうが断然綺麗)3mほどのテングスと馬素で撚ったテーパーラインでした。
 それからは、餌釣りは、やめて毛鉤専門となりました(当時は、釣り道具屋に馬素は売っておりました)毛鉤釣りにしてからは、魚は出るがなかなかタイミングが掴めず釣上げることが出来なかつた(現在の息子と同じ)
が餌釣りに戻さず現在に至っても続けております。

イワナ釣行ヘ行こう

ひと昔前の釣行記

寝袋と米・調味料だけを持ち夜行列車で未明の土樽駅に降り徒歩で沢に入り釣った、イワナが魚籠に入りきらなくなるほど釣れ2日ほど沢に入ると2〜3kgにはなった。

1972年8月 山形県 野川釣れたイワナの一部


大塚君と私の愛車スバルFF1ー1100Sで山形県の野川に入る、この川ではアブの大群に襲われ川に潜り交わしたり写真には無いがウサギを川で捕まえたり持ち切れないほどイワナが釣れ、地元のキャパーに分けビールをご馳走になったり、泊めてくれた山師にお礼に分けたりした。

1971年8月 新潟県魚野川 毛度沢にて

魚籠に入れたイワナの匂いが川原いっぱいに広がり入渓した川全体イワナの香りする錯覚になった事を記憶している。

 1972〜5年頃,魚野川水系にて、この頃より本格的に毛鉤釣りとなるが仕掛けは、長い竿に短い糸でチョンチョン水面を叩くか水面を引く、引き釣りだった。

大月川にて大塚君

後輩の彼は、ガッチリしているので当初テント持ちとして大白川の釣行に同行し以来テンカラを覚え以後彼とは良く同行するようになった。
 ある時私が毛度沢へ彼が仙の倉沢へ釣り登った時の事、テント場へ18時には帰って来るようにと話し合ったが19時を過ぎ真っ暗くなっても帰って来ない此処は遭難で有名な谷川岳の仙の倉(せんとは滝のこと)滑落し骨折でもしたのかと心配になり懐中電灯片手に捜索に向かった、30分もしない所で彼に会い遅くなった経緯を聞いた所あまりイワナが釣れたので時間を忘れたとの事である釣果を見せてと言ったら彼の腰に着けていたイワナの入ったビニール袋は穴が開いて一匹も入って居なかった、良い思いでである。

40年位前の写真で恐縮だが記載をしました、この頃は渓は、イワナの釣堀の様でキャッチアンドリリースなどと言う言葉は無かった。

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イワナの天ぷらを調理中 

昭和42年7月大白川にてカメラマニアの神保氏と

この頃は交通手段の良い谷川水系へ良く出かけた、夜上野から各駅停車の夜行列車に乗り朝 3時には土樽の駅に着いた。
 ある時雨の降る真っ暗な中を一人で川音を聞きながら懐中電灯を頼りに上流へ向かつたが川の音が人の呼ぶような声に聞こえた、さすがに怖いもの知らずの私だが此処は遭難者の多い谷川岳の沢、駅まで引き返し明るくなるのを待つた思い出がある。

若い頃の私

使つているコッフェルは後輩の貰い物だが彼はマッターホルンで滑落し若くして亡くなった、彼は私のスキーの弟子で今でも遺品として大切に保管している。

大白川本流で大塚君と(彼はこの時が初釣行となった)
大白川釣行ではテントの中に重い思いをして運んできた今晩の宴会用のウイスキーを誰かにもって行かれ、疲れて帰っ来てから釣った岩魚での宴会だったのにアルコール無しで神保君と大塚君の怒りは収まらなかった。
1970年7月19日 新潟県魚野川 毛度沢にて、この時神保氏と電車の座席に座っていたら、ザックよりみみずがぽたぽた落ちてきて慌てて拾い集めた思い出がある。
何年頃か忘れたが初秋の魚野川仙ノ倉沢にて
   1975年5月 八ヶ岳水系にて  

大白川でキャンプ