《 日本ハワイ移民資料館 》

平成11年2月8日開館 場所はこちら

−ハワイ移民の歴史−

ハワイへの移民の先駆けとしては、1868年(明治元年)に到着した148人の「元年者(がんねんもの)」と呼ばれた人々があります。しかし、真のハワイにおける日本人の歴史は、1885年(明治18年)に第1回のグループが到着した「官約移民(かんやくいみん)」によって始まったといえます。
19世紀の半ばより急速に発展したハワイの砂糖産業は、ポリネシア系原住民の人口減のため、その労働力を外国からの移民に求めました。日本からの移民の受け入れを望んだハワイ政府は、日本政府と交渉を重ね、ついに1884年(明治17年)日本側は日本人の渡航を承諾、直ちに移民の募集が始まりました。
この初期の移民は、政府の監督かで行われたため「官約移民」と呼ばれ、1894年(明治27年)に移民の取り扱いが政府承認の移民会社に委託されるまで、26回にわたって約29,000人の日本人が海を渡りました。



−移民たちのハワイ到着−

第1回の移民募集には、予定人数の600人を遙かに越える28,000人以上の応募がありました。そこで選ばれた944人を乗せた「シティーオブトーキョー号」は、1885年(明治18年)2月8日、2週間にわたる船旅を終えホノルルに到着しました。
数日間検疫などのため移民局の収容所ですごした移民たちは、3年間の契約労働に従事するため、ハワイ島16カ所、マウイ島6カ所、カウアイ島6カ所、オアフ島1カ所、ラナイ島1カ所の計30カ所のサトウキビ耕地に分かれていきました。


−大島郡と官約移民−

江戸時代の中期以降人口の増加が著しかった大島郡では、島の限られた土地では生活できず、伝統的に大工、石工、船乗りなどによる出稼ぎが盛んでした。さらにハワイ移民の話が持ち上がった頃には、全国的な不況に自然災害が加わり、大島郡では人々が餓死寸前まで追い込まれていました。こうした事情を知る山口県は、大島郡からの募集に力を入れ、郡役所、村役場も大いに努力を傾けました。住民にとっても、ハワイでの好条件は耳寄りな話でした。その結果、第1回の官約移民では大島郡出身者が全体の3分の1を占め、官約移民時代を通して約3,900人が大島郡からハワイにわたっています。かつては「イモくい島」と呼ばれていた大島郡は、こうして「移民の島」として知られるようになりました。


資 料 館 風 景

明治18年から27年まで10年間大島郡から数多くの人々が官約移民としてハワイに渡りました。移民の先駆者である郷土の先人たちの記録を後世に残すべく、平成11年2月に開館いたしました。

ハワイ移民の遺族により土地建物の寄贈を受け、国の『ふるさとC&C』モデル事業の採択を経て、移民資料館として改築、整備を行い、日本移民とハワイの歴史等を資料・映像で展示紹介している他、移民渡来者のデータも検索できます。

また、周防大島ではハワイのカウアイ島と姉妹縁組を結び、島ぐるみでの交流をしています。

開館時間 9:30〜16:30
休 館 日 月曜日
(祝日の場合はその翌日)
入 館 料 大人400円
 (団体20名以上320円)
小人200円
 (団体20名以上160円)

入館券は受付でお求めください。
身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者福祉手帳等をお持ちの方はお申し出ください。(半額割引)


お土産物コーナー
ハワイのお土産を販売しています。

■ 場所 山口県大島郡大島町大字西屋代2144番地
■ 交通 JR山陽本線 大畠駅下車
乗合タクシー 奥畑方面行き 屋代橋バス停下車 徒歩5分
■ お問い合わせ ■
日本ハワイ移民資料館 TEL 0820−74−4082
大島町教育委員会 TEL 0820−74−1009
橋から右折し、車で15分

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