《 龍心寺−屋代村上氏菩提寺−》

この寺は、能島村上氏の菩提所として創建され、安養寺と称されていましたが、武吉によって「大龍寺」と改められ、関が原の戦い後、武吉が和田に移封されたので内の入元正寺(東和町)を大龍寺としました。
後に、屋代片山に移されましたが、全焼によって現在の地に移し、「龍心寺」と改名されました。
笹龍担(家紋でと併用)を配した豪壮な本堂、その左手奥の慰霊所には、海の王者として一世を風靡した武吉(最前列中央−戒名:法名大仙寺殿覚甫元正居士−)をはじめ、歴代一族の木牌が安置されています。

武吉の木牌:長生寺(竹原市)


《龍心寺境内》

=村上水軍の墓=
村上武吉(村上水軍)の長男元吉の子元武は屋代給領主として屋代に田屋を置いた。龍心寺裏手山には村上代々の墓があります。
=大友様の木像=
龍心寺東隣に堂宇が建てられ、大野友之丞(村上家の家老大野屋の次男)の木像が高村光雲の高弟松本昇の作により安置されております。

=観音堂=
龍心寺の西隣、村上水軍の守り本尊十二面観音菩薩がまつられている堂宇は、当時左甚五郎と並び称された地元の宮大工藤村籐三郎が永田孝衛門に頼まれて安政2年(1855)建築・彫刻したものです。観音堂は木造平屋約30平方メートル、老朽化したため平成16年12月4日150年ぶりに建てかえられ、鮮やかな花と観音の絵天井が描かれております。
<観音堂> <観音の絵天井> <花の天井絵>
橋から右折し、車で15分
西屋代・龍心寺

[戻る] [ホームページ]