《 四境の役戦跡碑 》


『四境の後』とは、幕府軍が防長二州の四境(大島口・石州口・芸州口・小倉口)より攻入った“第二次長州征伐”の事を言います。
四境の役の戦いは、ここ大島口の戦いより始まりました。
慶応2年(1866年)6月7日、幕府軍は、室津・上関・安下庄の砲撃を皮切りに、8日には油宇・久賀を砲撃しました。11日には安下庄・久賀に幕府軍が上陸し、戦いは幕府軍に有利に展開していきました。このため、久賀の大州鉄然は、山口に事態の急を告げ、援軍を求めに行きました。しかしこの状況はすでに山口政事堂に伝わっており、援軍出発の命令は10日に出されていたとの事です。

この碑は、源明山(標高625m)の山頂に明治百年を記念して建立されたもので、ここから大島口の主戦場が最もよく見えます。
山頂から瀬戸内海国立公園を望む景観は絶景です。周防大島は『金魚の形をした島』と言われていますが、金魚の尻尾の部分(橘町・東和町)をこの地から見ることができます。
橋を右、車で25分、
以後徒歩1時間 源明山山頂

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