ふるさとの写真集

私の郷里は島根県浜田市というところ

山陰の片田舎です。

交通の便が良くなく、過疎の地ではあるけれども、

私にとっては大切な大切なふるさとです。

自慢したいところもたくさんあります。

海がとにかくきれい、魚が美味しい、人が良い。

そんな部分が垣間見られる写真を、

これから少しずつアップしていこうかなと考えています。

萩・石見空港

島根県益田市に1993年開港。
一時は1日に東京便2往復、大阪便1往復だったが、
東京便は1往復に減り、大阪便は2011年に廃止になってしまった。
今は夏季限定で大阪便が1往復しているようで、
大阪便常時1往復、東京便2往復復活の運動がなされているようだ。
その一環なのか「萩・石見空港間快適アクセス事業」というので、
空港から益田駅までのタクシー券と、
益田駅から浜田駅までのJR乗車券が公に助成されている。
山陰本線益田駅

山陰本線は、京都駅から下関市の幡生駅を結び、
新幹線を除いた在来線としては日本最長である。
本線といわれていても、約半分は電化されておらず、
複線化されていない区間も長い。

このように近代化から取り残されてはいるが、
車窓から見える日本海と、山の迫る海岸線の風景は絶品で、
「偉大なるローカル線」と言った鉄道ファンもいるそうである。

益田から浜田にかけての鉄道沿線

夏の晴天の日。
青い空と青い海が美しい。
白い波と白い砂も美しいのだが・・・・・。

夏の曇りの日。
残念ながら海の色が冬の時のよう。
海岸線は美しいのだが・・・・・。

「ゆうひパーク三隅」から日本海

道の駅「ゆうひパーク」からのながめ。
海と山陰本線との絶妙なコラボが話題の場所。
撮影の絶好のポイントとしても有名で、
BOSSのCMにも登場。

小さな駅のホームの待合室。

沿線の集落。
山陰本線と海の間のわずかな平地に、
このような集落が断続的に続く。
漁村も多く、
家から歩いて数分で海水浴が出来る

三保三隅駅ホーム

母の故郷三隅町の最寄り駅。
昔は那賀郡三隅町。
2005年浜田市と合併。

ディーゼル機関車の運転席横から。
この区間は単線。
右は山、左は海。
の・ど・か。
三隅発電所

浜田市三隅町にある中国電力の火力発電所。
1998年に運転開始した1号機は
国内最大級の石炭火力発電を誇る。
林地残材バイオマス石炭混焼発電実証試験が
2011〜2012年に行なわれている。
2号機は現在建設中。
山陰本線浜田駅

島根県西部のJRを管理する直営駅。
鉄道だけでなく、広島を結ぶ高速バス路線の要であり、
東京や大阪への直行バスも発着している。
2009年新駅舎完成。
移転新築された浜田医療センターと通路でつながり、
ますます浜田市の中心的位置を占めている。
どんちっち神楽時計

浜田駅南口にあるからくり時計。
2003年に設置。
立派な屋根は地元産の石見瓦で、
常時作動している波のからくりは水産都市浜田を表している。
毎正時5分間で、
須佐之男命のおろち退治の全演目をやってしまうのは驚き。
神楽囃子も本物で、数ある各地のからくり時計の中でも、
特出しているのではないだろうか。
浜田の石見神楽

島根県西部(石見地方)の伝統芸能。
演目は豊富で、神話を題材としたものが多い。
大太鼓、小太鼓、笛によるお囃子のリズムは、
他に類を見ない勇壮で活発な八調子と呼ばれる
テンポの速いもので、
幼児語で「どんちっちどんちっち」と
言っていたことから、
石見神楽全体を「どんちっち」というようになった。
演ずる団体は多数あり、すべてボランティアらしい。
いろいろな場で盛んに公演を行っているようだ。
左の写真は2009年8月に、
駅前の(どんちっちタウン)で行われた「大蛇(おろち)」。
石見神楽の中で最も人気のある演目で、
スサノオノミコトの八岐大蛇退治を題材にしている。
数頭の大蛇が大暴れするスケールの大きいもので、
ドライアイスによる白煙の演出もあって、
自然に雰囲気に呑まれ気持ちが高揚してくる。

浜田城跡の碑

石見国浜田藩の居城跡。
維新時の藩主は松平武聡で、徳川慶喜の弟。
長州征伐の際に城は消失。
何度か城再建の話があったが、
今も古い石垣だけが残っている。
付近は城山(じょうざん)公園と呼ばれ、
桜の季節にはぼんぼりが飾られ、
花見客で賑わう。
松原湾

浜田城の天守閣跡より撮影。
名前のとおり、松の木と岩と青い水がコラボする
形の良い入り江である。
この松原湾のそばに私の生家があった。
3歳くらいまでしか住んでいなかったが、
いろいろなことを覚えている。
父が私をおんぶして
子守歌を歌いながら海岸を散歩していたこと・・・・・等♪
石州瓦の家

石見地方(島根県西部)で生産されている石州瓦は
日本三台瓦の一つで、石見の赤瓦とも呼ばれ、
つやのある明るい茶色が美しい。
家はもちろん、納屋や、昔は畑の肥溜めにも使用され、
非常に強度が強いので、
建物が朽ちてきても
屋根だけは変わらずキラキラ美しい風景は独特。
柿本人麻呂終焉の地

万葉の歌人柿本人麻呂は石見の国で亡くなったとされ、
具体的な場所については3説あると言われている。
その一つである「石川」のそばの「鴨山」。
現在の「浜田川」は当時「石川」と呼ばれ、
浜田城のあった「亀山」は当時「鴨山」と呼ばれていた。
ちなみにこの看板の少し右側に私の実家がある。
柿本人麻呂諸説あり?

終焉の地は石見の国であっても、
浜田ではなく益田であるという説もある。
その益田駅にあったようこそ看板。
あら?「終焉の地」でなく「生誕の地」?
そういう説もあったの?

柿本人麻呂のお人形

同じく益田駅にある大きな座像。
人をくったようなひょうきんな顔である。
「さてもさても私はどこの生まれであろうか?
死んだのはどこであろうか?
わっかるかなぁ〜?」

亀甲山無量院多陀寺仁王門

高野山真言宗。
中国観音霊場二十二番札所。
浜田海岸に位置し、
後ろの小山に登ると、
天然記念物畳ヶ浦の絶景が一望できる。
参道は急な石段からと、
山腹を迂回した自動車道がある。
仁王門の左右には
昔から阿吽の仁王像があったのだが、
現在の仁王像は
平成15年に新しく作られたものだそうだ。
仁王門の傍には天然記念物の大楠が。
多陀寺本堂

本尊は一寸八部の観音像。
石州瓦の大きな屋根が美しい。
珍しい流木仏60余体を蔵していることでも
広く知られている。

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