ついでチョコ
「今年はなに作んの?」
二月に入ったばかりの某日、昼下がり。小学校低学年のころ郊外の新興住宅地に越してきた頃からのお隣さん、つまり幼なじみが、期待に満ちた声で聞いてきた。俺は読みかけの雑誌から顔を上げないまま、さくっと答える。
「ガドーショコラ」
「……って、ナニ?」
「まあ、チョコレートケーキみたいなもん」
「ひろちゃん、そんなの作れるんだ!? すっげー!」
「そうでもない。基本、混ぜて焼くだけだからな。やろうと思えば、お前だって出来る」
「そんなことないよ! チョコレートケーキ作れる高校生男子って凄いって!」
凄い、凄い、と連呼するナオに俺は苦笑して、雑誌を閉じた。
長い脚をもてあますように抱えて、でかい図体をソファにちんまり収めて座っている。俺んちでの、ナオの定位置だ。
自分の部屋は2階にちゃんとあるけど、俺の両親も大学生の姉も遅くならないと帰ってこないので、俺たちは1階のリビングで過ごすことが多い。ここだと、冷蔵庫も近いし。食べ盛りの高校一年生は四六時中、腹が減っているので食糧確保は最優先事項だ。
「そんな持ち上げなくたって、お前の分もちゃんとあるって。すでに今年も材料をたっぷり渡され済みだからな。作らないと、姉ちゃんに殺される」
「ひろちゃんのねーちゃん、怒らすとおっかないもんね。外で会ったら、すっごい優しいのに」
「あんなにオンオフの切り替えが激しい女は、ウチの姉だけだと思いたい……」
ふう、と俺は苦いため息をつく。俺がほんのちょっぴり女性不信の気があるのは、間違いなく姉のせいである。
なんせ俺の姉は、毎年毎年、バレンタインのチョコレートを弟に作らせるのだ。
そしてその手作りチョコは、当然、姉自身が作ったチョコとして、何も知らない男の手に渡って行くのである……。
「いくつか作って、会心の作をその年の本命に渡すのが姉ちゃんのバレンタインのお約束だからな。それ以外のチョコは今年も俺が美味しく頂いていいことになってるんだし、心配しなくても、おまえの分も余裕だ」
ちょっと失敗したり、形がイマイチだったり。姉の検品を通らなかったチョコは俺とナオの腹に消えて行く。
もともと少し多めに作ってることもあって、全部が上手いこと作れたとしても、余りは出るのだ。その余りこそが、姉から弟へのバレンタインギフトなのである。(作るのは、俺だが)
「でもさ、お前って……」
隣で膝を抱えてニコニコしている幼なじみを眺めやって、俺は目をすがめた。
「結構、モテるだろ?」
小学生の頃は俺より背が低くて可愛かったナオは、中学に上がった時くらいからぐんぐん背が伸びて、それに伴い顔からも幼さが抜けていって、昔から幼なじみを知る俺から見ても、悔しいことに格好良くなった。
隣んちの可哀そうな弟が姉の命令で作らされているチョコレートなどアテにしなくても、自力で女の子からチョコをもらえるだろう。
クラスは違うが同じ高校に通っているので、その辺はまあ、雰囲気でわかる。俺のクラスの女子からも、ナオの彼女の有無について聞かれたこととか、あるし。
「偽装チョコの余りなんかじゃなくて、本当の女の子からチョコもらえよ」
至極まっとうなアドバイスをしたつもりだったのに、ナオは顔をしかめた。不満げに俺を見て、言う。
「なんで? ひろちゃんからもらうのわかってるのに、他の女の子からなんてもらうわけないでしょ」
「えっ。もらわないのか?」
言われてみれば、ナオが女の子からもらったチョコを食べてるとこ、見たことないな。
あれ? でもおかしいぞ。中学ん時、女子がナオにチョコやってなかったか……?
「………断ってるよ。気づいてなかった?」
ムスッと言われて、去年のバレンタインの光景を思い出す。
中三の時はクラスが同じで――――そうだ、クラスの女子からチョコ渡されてたけど、受け取ってなかった。
あの時も気になって、いいのか? って聞いたら、ひろちゃんのチョコがあるからいいとかそんなこと言ってたっけ。いつもそうだ。
こいつもしや俺に気をつかってるんじゃ……って思ったけど、その辺突っ込むと俺のささやかなプライドが傷つきそうだったんで、うやむやにしたんだった。
しかし俺ももう高一。幼なじみに変な気をつかわせたりはしたくない。第一、カッコ悪いだろ。正直、面白くはない。だがここはひとつ、寛大な態度を取るべきだろう。そう思って、
「俺のことは気にしなくていいんだぞ?」
と、言ってみたら、ナオは盛大な溜息をついた。
あれ? 違った?
「どうしてそうなるんだよ……。あのねえ、俺は、本命以外からチョコはもらわないの」
本命!?
嘘、全然、気づいてなかった!
まさか、まさかナオが………!!
「ね、姉ちゃんのこと、好きだったのか!?」
驚きのあまり、声がうわずった。
いやー、我が身内なれど、正直あまりお薦めはできないぞ。
それに、姉ちゃんとナオがくっついたら、ナオって俺の兄になる訳か? うーん、それもどうなんだろう……。
などと瞬時に考えていたら、ナオにがしっと両肩を掴まれた。
「違う! ねえ、ひろちゃん、それ、わざと? わざと言ってるの?」
目が。目が怖いんですけど。下手なこと言ったらヤられそうな勢いなんですけど。普段のおっとりしたお前はどこ行った?
「あー………」
至近距離から見ても耐えられるイケメンに育ったなコイツ……ではなく。
今までの話を整理してみよう。
ナオはモテるけど、女の子からチョコはもらわない。何故なら、本命以外からもらわない主義だから。そして姉が作ったことになっているが実は俺が作っているチョコはもらう予定である。それはすなわち……。
「あっ。俺が本命?」
「そうだよ! ひろちゃんが本命で、俺はひろちゃん以外からのチョコなんていらないんだよ……。ああ、もう……」
勢い込んで叫んだナオは、次第に声を落としていった。再び膝を抱えて、今度は顔までうずめている。
「わかってたけど、わかってたけど、ひろちゃん俺のことなんて眼中にないんだって思い知って辛い……」
何もそんな繰り返して言わなくったって……。
地の底から響いてきそうな暗い声で言われれば、驚きよりも申し訳なさが募ってくる。
そうだ。振り返ってみれば、ナオは今までだって、サインを出していた。俺を好きだって言う。
去年のバレンタインだって、きっとそうだったのだ。
なのに、何で女の子からチョコもらわないんだ、なんて。無神経にも俺は聞いちゃって。隣で幼なじみがマジへこみしている。
悄然としたナオを見ているうちに、俺は何とかしなければ、と思った。
「今年はナオにガドーショコラやるの、やめる」
「えっ!」
うつむいていたナオは、がばっと顔を上げてこっちを見た。その顔はもうほとんど泣きそうだ。
「本命だなんて言ったから!? ひろちゃん、俺のことイヤになった……!?」
「ばか、違うって」
俺は手を伸ばして、ナオの頭をぐしゃぐしゃかき回した。まあ、俺の言い方もちょっと意地悪だったけど。
でも、俺の言いたいのはここからなんだよ。
「本命だからだよ。ガドーショコラは、姉ちゃんの命令で作る偽装チョコだ。そんなチョコを、本命チョコだってナオに渡すのは、なんか違うだろ。だから、今年はナオのために、ナオだけのチョコを作ってやるって言ってんの。材料も、姉ちゃんからの横流しじゃなくて。ちゃんと自分で買って。一から、作ってやるって言ってるんだよ。ついでチョコじゃなく、本命チョコをな」
「ひろちゃん、それって……」
さっきまで泣きそうな顔してたくせに、現金な奴だな。
俺は照れ臭くなって、ふいっと顔をそらして、ソファから立ち上がった。
「わかったら、さっさと帰れ。今年は二回チョコ作らなきゃいけなくて、忙しいんだよ俺は」
「ひろちゃん、顔赤い」
にやにやすんな、ばか。いい気になるなよ。
って思うのに、なんでかな。俺も気がついたら、笑っていた。
ついでチョコ、なんてさっきは言ったけど。今までのだって、たぶん、本命チョコだったんだ。
だって俺、毎年、姉ちゃんの見たこともない男じゃなくて、ナオの顔、思い浮かべながらチョコ作ってたから。ひろちゃんのチョコがいいなんていつも言われてたら、ちょっとは張り切っちゃうだろ。……なんて、本人には絶対、言わないけどな。
Fin.
→おまけの当日
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