夏思う5題

02 線香花火またたいて

 水面にオレンジ色の夕陽が射しこんできらめいている。 
 日暮れまでは、もうしばらく時間がかかりそうだ。
 夏樹は河原にしゃがみこんで、ライターから直接花火に火をつけた。
 明るくてもさほど支障のない、ロケット花火やねずみ花火などの、音や勢いを楽しむ類の花火ではない。線香花火だ。
 ちなみに、他の種類の花火はない。線香花火のみ、だ。
 夏樹は傍らに立つ幼なじみに、ライターを渡しながら尋ねた。
 
「花火やるにしても、もっと他に選択肢あるだろ……」  
「線香花火、嫌いだった?」 

 そうめんと麺つゆとおもちゃの金魚、というおかしな組み合わせの差し入れを持って現れた幼なじみは、忘れてた、と言ってバッグの底から線香花火を取りだした。これも縁日で一緒に買ったものらしい。

「……そんなこと、ねーけど。こんな夕暮れ時に、こんなぼんやりした花火したってパッとしないだろ。雰囲気でないし」

 ベランダも庭もないアパートでは、花火は出来ない。
 アパートからバス停までの間に、花火をやっても問題がない河原があったので、幼なじみを送りがてら、やっていくことになったのだ。
 暗くなるまで待っていたら、道秋が家に帰りつくのがかなり遅くなってしまう。

「そうだね。確かに、情緒はかけるか。うーん……だったら、盛り上げるために、ちょっと怖い話でもする?」
「えっ。や、それ、盛り上げる方向違うだろ。いや、違うからな。別にコワイのが嫌ってわけじゃないからな」
「そんな構えなくったって、幽霊やお化けがどうのとか、そんなおどろおどろしい話じゃないよ。どっちかと言うと、ちょっと怖くて……ちょっと不思議な話。あと、俺にとっては、大切な話」
「なんだよそれ。結局、怖いのか怖くないのか、どっちだよ」
「うん。それは夏樹くんが聞いて、判断して?」

 実は夏樹は、怪談があまり得意ではない。だが年上のメンツと言うものもある。
 そんな風に言われれば、話すなと言えるわけもない。

「仕方ねえな。だったら、話してみろよ」

 と、極力、何でもない顔で答えるしかなかった。
 道秋は線香花火に火をつけると、火花を見つめながら静かに語り始めた―――。


 8歳の夏に、こども会の行事で山にキャンプに行ったんだ。
 役員の誰かがアウトドア好きで、本格的なキャンプ用具一式持ってたから、連れて行ってもらえることになったんだとか。
 その辺の事情は後から聞いた話だからよく覚えてないんだけど、行ってもいいって親が許可してくれた時はすごく嬉しかったな。
 一泊二日で車で行けるような近場だったんだけど、俺が夏休みでも親はそうじゃないから、どこにも連れて行ってもらえなかったから。
 それにやっぱり、友達も一緒だしね。友達と一緒に泊りがけで遠出することって、小学生の低学年だとあんまりないだろ。
 昼は山でセミ捕まえたり、川で石投げして遊んだりして、楽しかったな。
 それ以上に楽しみだったのが、夕飯に皆で作ったカレー食べた後、日が暮れてからやった、花火。
 でも夏って、中々日が暮れなくて。待ってる間に冷たいものを飲み過ぎて、トイレに行きたくなったんだ。
 俺たちがいるキャンプ場からは少し離れた場所にあった。
 昼間はどうも思わなかったんだけど、だんだん薄暗くなっていく夕暮れ時に、一人で行くのはちょっと怖くて嫌で……。
 でも小さな子供でもないのに、トイレが怖い、なんて言うのはもっと嫌だったし。
 どうしようって困ってたら、『おれ今から便所行くけど、お前も行く?』って。
 俺より年上の友達が声かけてくれたんだ。あの時は本当にほっとしたな。
 そのまま二人でまっすぐトイレに行って、用を足して、皆がいるキャンプ場に向かった。
 すぐに戻れるはずだった。
 キャンプ場から多少離れた場所にあるとは言っても、途中に分かれ道があるわけじゃない。一本道だ。
 それなのに、しばらく歩いても、元いたキャンプ場が見えてこない。おかしいなって、思ったよ。
 つい何時間か前に皆でセミを追いかけた時は、ちっとも気にならなかったのに、道の脇に鬱蒼と茂る木々が葉っぱをざわざわと鳴らす音が、やけに耳に響いて聞こえた。
 何となく不安になって並んで歩いてた友達を見上げたら、友達は平気な顔をしていた。
 俺の視線に気づいて、どうしたんだよって笑ってさえ見せた。
 友達が何とも感じていないのなら、きっと大丈夫だ。
 そう思った時―――道からそれた藪の向こうで、ぱっと光がまたたいたんだ。
 薄闇の中、淡い光がまたたいて、消え、またたいて、消える。
 不規則に繰り返す、その不思議な光に俺は引き寄せられた。
 行かなきゃ、と思った。早くあそこに行って、あの綺麗な光をもっと近くで見たい。
 たぶん俺たちが戻るのを待たずに、花火が始まってしまったんだ。
 早く行かなきゃ、終わってしまう。
 焦がれるようにそう感じて、俺は光がまたたく方向に、駆けだそうとした。
 だけど俺は結局行かなかった。友達に手を掴まれて、止められたから。
 キャンプ場はそっちじゃない。
 まっすぐ歩いて来たのに道を外れたら、キャンプ場じゃなくて山の中に迷い込む。
 友達がそう言ったんだ。
 ハッとして、急に怖くなった俺はその場に固まって動けなくなった。
 友達はそんな俺の手をしっかり握って、振り返らずに、道なりに歩いて俺を連れて行ってくれた
 それからすぐ、何事もなかったように俺たちは元のキャンプ場に辿りついたんだ。
 キャンプ場はまだ夕暮れのオレンジ色に照らされていて、花火は始まってさえいなかった―――。


 
 話が終わっても、道秋の線香花火はまだ弱くまたたいていた。
 今にも消えそうな火花を見つめて、道秋は懐かしむように言った。
 
「あれって、なんだったんだろう。ちょっと、線香花火っぽかったよね」
「全然違う。花火よりもっと青白かった。日光と月光くらいには違う」

 夏樹の花火はとっくに消えていたが、新しいものに火をつける気にはなれなかった。
 座ったまま、道秋をじろりと見上げる。

「そうだっけ……?」
「そうだ。あんなあからさまに怪しい光に走って行くヤツがあるか。何がちょっと怖くて不思議な話だ。俺はあの時、物凄く―――」

 言いかけて、夏樹は口をつぐんだ。立ち上がって、何でもないようにズボンの後ろをはたく。
 その拍子に、道秋の足元に赤い球が、ぽとりと落ちた。

「あ、悪い」
「謝るようなことじゃないって。今の、ほとんど消えかけだし。それより夏樹くん、新しいの、まだあるよ」
「だからなんで全部、線香花火なんだよ……」

 線香花火の束を眺め、夏樹は呆れたように苦笑する。
 さあ、と道秋は首をかしげた。

「思い出の花火だからかな。ちょっと怖いけど、綺麗で、好きなんだ」

 そう言って道秋は新しい線香花火に火をつけた。
 すぐにまた火花がぱちぱちとまたたき始める。 

 ――――あの時、ほんとは夏樹くんも、怖かったんだよね。
 
 
 幼なじみの呟きは、聞こえなかったフリをする。年上のメンツがあるからだ。
 夕暮れのオレンジ色の光の中で、線香花火の淡い光がちらちらとまたたく。
 日暮れまでは、もうしばらく時間がかかりそうだった。 


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