033: 無音



 この部屋で、ひとりになることは初めてだった。
 ふっと、隣のベッドを見ても、そこは、当然、空っぽで。
 時計のチクタク言う音が、いやに耳に突き刺さる。
 
「………静かだ」

 思わず、独り言なんか呟いちゃったりして、誰が見てるわけでもないのに、片手で口を押さえてしまう。
 たまには一人で、静かに過ごしたいと、ずっと思ってた。
 なのに、今、念願のその状況が叶っているというのに、特に、いや、ちっとも嬉しく感じないのは、何故なのだろう。

 ―――先輩、先輩、オレ、今日、体育の授業のバスケで、ダンクシュート決めたんですよ!スゴイでしょ!
 
 ―――先輩、今夜のAランチ、肉多くなかったですか?いつもそうだといいですよね。
 
 ―――先輩、オレ、明日の英語、当たるんですよ。この問題、教えてもらえませんか?
 
 先輩、先輩、先輩………。
 ああ、わかった。
 うるさいから、お前ちょっと黙れ。
 あいつと寮の同室になってから、いつも途切れることなく、繰り広げられていた、会話。
 人数の関係で、一組だけ先輩後輩の組み合わせになって、最低だと思ってた。
 でもまあ、自分より先輩じゃなく、後輩と組み合わせになったのはまだ少しはマシだったかな。
 相手に取っては、最悪だろうけど。
 部屋割りを見たときは、そんな風に思ってた。
 遠方からの学生だけが寮住まいの学校に、入学早々、慣れないうちに、いっこ上のヤツと同室なんて。
 自分だったら、やってらんないな。
 って、そう思った。
 ので、たぶん、同室の後輩も、そんな風に思うだろうと、勝手に想像してた。
 なのに、実際は、全然、違くて。
 ひとなつっこいを通り越して、それは最早、なれなれしい、と言うレベルで、ヤツは慕ってきた。
 朝、目が覚めてから、夜、眠るまで。
 図体ばっかり――ムカつくことに、オレよりもデカイ――育ってる、見た目はあんまり可愛くない後輩が、先輩先輩呼ばわってくる。
 朝と夜も一緒に食ってるのに、何故かヤツは、昼の学食時でも、オレを見つけると、尻尾を振った犬のように寄ってきて、『ここ、いいですか』ときたもんだ。
 オレは、『いい』なんて言ってないだろ、と突っ込むまもなく、ちゃっかり座ってる。
 おかげで、オレはクラスのヤツらから、『お前、後輩くんの分の席とっとかなくていいの?』とか聞かれる始末だ。
 何でオレがヤツの席取りまでしなきゃいけねぇんだよ!
 あいつは校外合宿で今日はいないんだよ、と言ったら、『あらら、寂しいねぇ』なんて言われるし。
 寂しいわけねぇだろ!
 オレはむしろせいせいしてるね!
 って、たんかを切った。
 無理しちゃってぇ、とか言われて、じょーだんじゃない、と思った。
 その時は。
 何をふざけたことを、と。
 でも……。

「………」

 いつもと同じはずなのに、いつもより上手く感じられない、夕飯が終わって。
 いつもは寮生皆が使う広い風呂に入りに行くんだけど、そんな気になれなくて、部屋にあるシャワーで済ませて。
 とりあえず、宿題なんかをやって。
 共有スペースで、いつもみてるテレビのバラエティ番組も、見に行く気になれなくて。
 部屋で一人、座ってたりすると。

「………何してんのかな、あいつ」

 とか、つい口にしてしまって、必要以上に慌てている自分がいる。
 おかしい。
 こんなハズじゃ、なかったのに。
 自分は別に、特別、寂しがりやでも、ひとりが耐えられないとかでも、なかったはずだ。
 これは、ホラ、あれだ。
 去年はフツーに、同学年のヤツと同室で。
 同室のヤツがいない時は、当然自分もいないわけで。
 学年が同じだと、泊りがけになるような行事も同じわけだし。
 帰省するのも同じだし。(これは学年が違っても、同じわけだが)
 そんなわけで、二人一組のこの部屋で、ひとりになれる機会、ってのは、必然的になかったのだ。
 だから、その状況に、ちょっとだけ、戸惑っている。
 そう、ただ、それだけだ。

「深い意味は、ないんだ」

 誰に聞かれたわけでもないのに、自分に言い聞かせるように、呟く。
 うん、そうだ。
 それだけだ。

「………」

 って、思って、る、の、に……っ!
 自分で強調してる時点で、もうすでにそれ、違うんじゃねぇの?
 と、ツッコミを入れている、自分もいる。
 断じて、断じて、認めたくないのだけど。

 ―――先輩、ひとりでも、へーきですか?
 
 ―――はぁ? 何、キッショいこと言ってんの、お前。
 
 ―――だって、俺がいなかったら、先輩、この部屋にひとりですよ。寂しいでしょ。
 
 ―――わけわかんね。むしろ、お前がいなくてせーせーするね。
 
 ―――ひどいなあ、先輩。俺は先輩と二晩も離れ離れになるなんて、寂しいですよ。
 
 ―――お前、寝言は寝て言えよ。帰省する時はどうなんだよ。
 
 ―――そういうのとは、別でしょ。いや、同じかな……。帰省してる時も、寂しいですよ。
 
 先輩に、会えないのは……と、続けられた言葉を鼻で笑ってやったのは、つい昨日の事だ。
 なのに、今、この部屋で、たったひとりでいる状況が。
 
「寂しい……」

 なんて。
 嘘だろって、思う。
 思うけど、そう感じてしまうことは、止められない。
 きっと、この無音状態がいけないんだ。
 時計の針の音が静寂を強調するような、この状態が。
 でもだからって、何か音楽でも聴こうか、という気分にもなれない。
 聴きたいのは、音楽なんかじゃない。
 
 ―――先輩。
 
 あの、ウザくて、しつこくて、すっかり耳に馴染んだ………。
 と、そこまで思ったとき。
 ぴぴぴぴぴ、とケータイが鳴った。
 びくっとして、ケータイを取って、着歴を見たら。

「も、もしもし……?」

 オレは飛びつくようにして、ケータイに出た。

『先輩? どうしたんですか、そんなに慌てて』

 想いが、伝わったのかと思った。
 声が、聴きたい、今すぐ。
 そう、思ったのが。
 だが、先輩の面子にかけて、そんなことが言えるはずもなくて。

「べ、別に。お前こそ。どうしたんだよ」

 ケータイを握り締めるように耳に押し付けてるなんて、向こうには見えてないから、いいのだ。

『別にどうもしませんけど。先輩の声が聴きたくなって』

「なんだよ? オレがいなくて、寂しいのか」

 どっちかというとそれは今のオレなのだが、あえてそう言って見る。
 と。

『ええ、寂しいです。先輩は、どうですか?』

 だから、何でお前はそんなことがさらっと言えるんだ!
 後輩の癖に生意気だぞ。

「オ、オレは……ひとりを満喫してるね!エンジョイしてるさ。でも、まあ、何だ、その。いつも居るヤツがいないってのは、ちょっとこう、落ち着かないっていうかだな……って、何お前、笑ってんだよ!」

 電話越しに、くすくす笑う声が聞こえてきて、オレはムッとする。
 ヤツはスミマセンと、一応謝ってから、笑ってる顔が見えるような声で囁いた。

『明日の夜も電話します。なんだったら、朝も、昼も電話しますよ』

「い、いらん、そんなの……!」

 実際は、かけて欲しかったりするのだが。
 口から出るのは、あべこべな答えだった。

『でも俺は先輩の声、聴きたいですから。寂しがり屋の後輩のワガママなんです。きいてくださいよ』

「ちっ……しょうがねぇな。お前がかけたいんだったら、別にその、構わねーよ」

『ありがとうございます。……それで、明後日には、ちゃんと帰ってきますから。待っててくださいね」

「……ああ。待ってる」

 それじゃ、と最後は素っ気無いくらいにあっさりと、電話は切れた。
 しばらくオレは、ケータイを両手でぎゅっと握り締めていた。
 なんとか、先輩としての見栄を保とうとしたけど、そんなの全くの無駄だった気がする。
 だって、最後の一言が、すべてを語っていたんだから。


 相変わらず、部屋は時計の針が進む音以外、無音状態で。
 隣のベッドは空っぽで。
 住人が、一人欠けたままの部屋で。
 オレは、ひとりで。
 でも、ひとりじゃなくて。
 掌の熱で温まったケータイを片手に握ったまま、ベッドに仰向けに横たわった。
 明日はオレから、電話をかけてみてもいい。
 もうちょっと先輩らしく、気の利いた話でもしてやろう。
 そして、明後日には。
 誰よりも先に、この部屋で。

『おかえり』

 と、言ってやるんだ―――。


Fin.

062: 電話と対になったお話です。


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