この部屋で、ひとりになることは初めてだった。
ふっと、隣のベッドを見ても、そこは、当然、空っぽで。
時計のチクタク言う音が、いやに耳に突き刺さる。
「………静かだ」
思わず、独り言なんか呟いちゃったりして、誰が見てるわけでもないのに、片手で口を押さえてしまう。
たまには一人で、静かに過ごしたいと、ずっと思ってた。
なのに、今、念願のその状況が叶っているというのに、特に、いや、ちっとも嬉しく感じないのは、何故なのだろう。
―――先輩、先輩、オレ、今日、体育の授業のバスケで、ダンクシュート決めたんですよ!スゴイでしょ!
―――先輩、今夜のAランチ、肉多くなかったですか?いつもそうだといいですよね。
―――先輩、オレ、明日の英語、当たるんですよ。この問題、教えてもらえませんか?
先輩、先輩、先輩………。
ああ、わかった。
うるさいから、お前ちょっと黙れ。
あいつと寮の同室になってから、いつも途切れることなく、繰り広げられていた、会話。
人数の関係で、一組だけ先輩後輩の組み合わせになって、最低だと思ってた。
でもまあ、自分より先輩じゃなく、後輩と組み合わせになったのはまだ少しはマシだったかな。
相手に取っては、最悪だろうけど。
部屋割りを見たときは、そんな風に思ってた。
遠方からの学生だけが寮住まいの学校に、入学早々、慣れないうちに、いっこ上のヤツと同室なんて。
自分だったら、やってらんないな。
って、そう思った。
ので、たぶん、同室の後輩も、そんな風に思うだろうと、勝手に想像してた。
なのに、実際は、全然、違くて。
ひとなつっこいを通り越して、それは最早、なれなれしい、と言うレベルで、ヤツは慕ってきた。
朝、目が覚めてから、夜、眠るまで。
図体ばっかり――ムカつくことに、オレよりもデカイ――育ってる、見た目はあんまり可愛くない後輩が、先輩先輩呼ばわってくる。
朝と夜も一緒に食ってるのに、何故かヤツは、昼の学食時でも、オレを見つけると、尻尾を振った犬のように寄ってきて、『ここ、いいですか』ときたもんだ。
オレは、『いい』なんて言ってないだろ、と突っ込むまもなく、ちゃっかり座ってる。
おかげで、オレはクラスのヤツらから、『お前、後輩くんの分の席とっとかなくていいの?』とか聞かれる始末だ。
何でオレがヤツの席取りまでしなきゃいけねぇんだよ!
あいつは校外合宿で今日はいないんだよ、と言ったら、『あらら、寂しいねぇ』なんて言われるし。
寂しいわけねぇだろ!
オレはむしろせいせいしてるね!
って、たんかを切った。
無理しちゃってぇ、とか言われて、じょーだんじゃない、と思った。
その時は。
何をふざけたことを、と。
でも……。
「………」
いつもと同じはずなのに、いつもより上手く感じられない、夕飯が終わって。
いつもは寮生皆が使う広い風呂に入りに行くんだけど、そんな気になれなくて、部屋にあるシャワーで済ませて。
とりあえず、宿題なんかをやって。
共有スペースで、いつもみてるテレビのバラエティ番組も、見に行く気になれなくて。
部屋で一人、座ってたりすると。
「………何してんのかな、あいつ」
とか、つい口にしてしまって、必要以上に慌てている自分がいる。
おかしい。
こんなハズじゃ、なかったのに。
自分は別に、特別、寂しがりやでも、ひとりが耐えられないとかでも、なかったはずだ。
これは、ホラ、あれだ。
去年はフツーに、同学年のヤツと同室で。
同室のヤツがいない時は、当然自分もいないわけで。
学年が同じだと、泊りがけになるような行事も同じわけだし。
帰省するのも同じだし。(これは学年が違っても、同じわけだが)
そんなわけで、二人一組のこの部屋で、ひとりになれる機会、ってのは、必然的になかったのだ。
だから、その状況に、ちょっとだけ、戸惑っている。
そう、ただ、それだけだ。
「深い意味は、ないんだ」
誰に聞かれたわけでもないのに、自分に言い聞かせるように、呟く。
うん、そうだ。
それだけだ。
「………」
って、思って、る、の、に……っ!
自分で強調してる時点で、もうすでにそれ、違うんじゃねぇの?
と、ツッコミを入れている、自分もいる。
断じて、断じて、認めたくないのだけど。
―――先輩、ひとりでも、へーきですか?
―――はぁ? 何、キッショいこと言ってんの、お前。
―――だって、俺がいなかったら、先輩、この部屋にひとりですよ。寂しいでしょ。
―――わけわかんね。むしろ、お前がいなくてせーせーするね。
―――ひどいなあ、先輩。俺は先輩と二晩も離れ離れになるなんて、寂しいですよ。
―――お前、寝言は寝て言えよ。帰省する時はどうなんだよ。
―――そういうのとは、別でしょ。いや、同じかな……。帰省してる時も、寂しいですよ。
先輩に、会えないのは……と、続けられた言葉を鼻で笑ってやったのは、つい昨日の事だ。
なのに、今、この部屋で、たったひとりでいる状況が。
「寂しい……」
なんて。
嘘だろって、思う。
思うけど、そう感じてしまうことは、止められない。
きっと、この無音状態がいけないんだ。
時計の針の音が静寂を強調するような、この状態が。
でもだからって、何か音楽でも聴こうか、という気分にもなれない。
聴きたいのは、音楽なんかじゃない。
―――先輩。
あの、ウザくて、しつこくて、すっかり耳に馴染んだ………。
と、そこまで思ったとき。
ぴぴぴぴぴ、とケータイが鳴った。
びくっとして、ケータイを取って、着歴を見たら。
「も、もしもし……?」
オレは飛びつくようにして、ケータイに出た。
『先輩? どうしたんですか、そんなに慌てて』
想いが、伝わったのかと思った。
声が、聴きたい、今すぐ。
そう、思ったのが。
だが、先輩の面子にかけて、そんなことが言えるはずもなくて。
「べ、別に。お前こそ。どうしたんだよ」
ケータイを握り締めるように耳に押し付けてるなんて、向こうには見えてないから、いいのだ。
『別にどうもしませんけど。先輩の声が聴きたくなって』
「なんだよ? オレがいなくて、寂しいのか」
どっちかというとそれは今のオレなのだが、あえてそう言って見る。
と。
『ええ、寂しいです。先輩は、どうですか?』
だから、何でお前はそんなことがさらっと言えるんだ!
後輩の癖に生意気だぞ。
「オ、オレは……ひとりを満喫してるね!エンジョイしてるさ。でも、まあ、何だ、その。いつも居るヤツがいないってのは、ちょっとこう、落ち着かないっていうかだな……って、何お前、笑ってんだよ!」
電話越しに、くすくす笑う声が聞こえてきて、オレはムッとする。
ヤツはスミマセンと、一応謝ってから、笑ってる顔が見えるような声で囁いた。
『明日の夜も電話します。なんだったら、朝も、昼も電話しますよ』
「い、いらん、そんなの……!」
実際は、かけて欲しかったりするのだが。
口から出るのは、あべこべな答えだった。
『でも俺は先輩の声、聴きたいですから。寂しがり屋の後輩のワガママなんです。きいてくださいよ』
「ちっ……しょうがねぇな。お前がかけたいんだったら、別にその、構わねーよ」
『ありがとうございます。……それで、明後日には、ちゃんと帰ってきますから。待っててくださいね」
「……ああ。待ってる」
それじゃ、と最後は素っ気無いくらいにあっさりと、電話は切れた。
しばらくオレは、ケータイを両手でぎゅっと握り締めていた。
なんとか、先輩としての見栄を保とうとしたけど、そんなの全くの無駄だった気がする。
だって、最後の一言が、すべてを語っていたんだから。
相変わらず、部屋は時計の針が進む音以外、無音状態で。
隣のベッドは空っぽで。
住人が、一人欠けたままの部屋で。
オレは、ひとりで。
でも、ひとりじゃなくて。
掌の熱で温まったケータイを片手に握ったまま、ベッドに仰向けに横たわった。
明日はオレから、電話をかけてみてもいい。
もうちょっと先輩らしく、気の利いた話でもしてやろう。
そして、明後日には。
誰よりも先に、この部屋で。
『おかえり』
と、言ってやるんだ―――。
Fin.
062: 電話と対になったお話です。
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