062: 電話



 ウチの学校は、どの学年も毎回、2泊以上のお泊り行事がある。
 3年は修学旅行、1、2年は校外合宿、といった感じに。
 時期は一応、どの学年も被らないように、3年が1学期、2年が3学期、1年が2学期となっている。
 1年坊主な俺は、だから2学期の今、校外合宿中だったりする。
 やることは、まあ、社会化見学の延長版みたいなものだ。
 体験学習とか、資料館見学とか、そんな感じ。
 しがない男子校でいつも同じ面子とは言え、教室の机で、じとっと勉強しているよりは、外であちこち見て回った方が楽しいってことで、校外合宿は概ね、生徒の評判を取っている。
 俺も校外合宿自体は、まあ、嫌いじゃない。
 秋晴れの中、知らない場所を歩いているだけでも、清々しくて気持ちいい。
 ただひとつだけ、問題があった。
 合宿、ということはもちろん、泊まりがけなわけで。
 そうすると、その期間は帰れないわけだ。
 もうすっかり、実家よりもくつろげる空間になった、あの寮の部屋に。

「あれ、お前、どこ行くの?」
「んー、ちょっとね。電話」
「へー。まさか、カノジョ?」
「違う違う……んー、しいて言うなら、家族?」
「なんじゃそりゃ。こんなとこまで来て、家族に電話って、物好きだなー」
「そうか? こういうとこに来てるからこそ、電話するんじゃないの」
「そういうもん?」
「そういうもん」

 まあ、別にどうだっていいけど、見回り来る前には戻って来いよ〜、とクラスメイトは手をぴらぴら振って、手元のカードに目を戻した。
 クラスメイト数人で、今カード大会が開催中だ。
 どうも何か賭けているらしく、皆結構真剣だ。
 俺も誘われたけど、電話でぬけなきゃいけないので、断った。
 あまり干渉しないが適度に気にかけてくれる、このクラスの距離感が、俺には心地いい。
 ホントはクラスメイト達と更なる親交を深めた方が、いいのかもしれないけど。

 ―――じゃあな。気ーつけていってこいよ。
 
 そんな風にどうでもよさそうに、でも気遣いもうかがわせて、見送ってくれた先輩。
 長期休暇以外で先輩の顔を見ない時ってないから、なんだか落ち着かない。
 のんきに合宿の夜を、楽しめないくらいには。
 俺が、今から電話をかけようと思っている相手は、本当は家族ではない。寮の同室の先輩だった。
 バカ正直に寮の先輩に電話する、なんていうと、もっと突っ込まれそうだったのでそう言った。
 俺がそう言われても、『何で?先輩にかけんの』って感じだもんな。
 4月から、ずっと一緒に居る、先輩。
 人数の都合で、一組だけ先輩後輩の組み合わせになったと知った時は、正直なところ、大丈夫かな、と思った。
 他の1年の寮生のやつらも、災難だな、なんて慰めてくれて。
 でも、いざ、寮生活が始まってみれば、それは、全くの杞憂だった。
 1学年上の先輩は、優しい……とか言ったら、本人は顔を顰めて否定するだろうけど、本人が思っているよりもずっと、親しみのあるひとだった。
 見た目は、ちょっとキレイ系というか、用もなく話しかけちゃいけないような、そんな雰囲気のある人なんだけど。
 実際は、全然違って。
 こっちがうるさく付きまとっても、迷惑そうなそぶりはみせても、ちゃんと相手をしてくれる。
 春先の頃はこっちがまだ学校生活にも、寮生活にも慣れてないだろうと、さり気なく気を配ってくれた。
 だから、俺が彼を好きになるのに、それほど時間はかからなかった。
 もちろん、先輩には、まだ、好きだなんて、言えないけど。
 もしかしたら、ある程度は、バレてるかな……。
 いやいや、それはないだろう。
 先輩、鈍そうだもんな。
 自分の容姿にも無頓着だし。
 それで、女ッ気のない男子校で何事もなく過ごせてるんだから、ある意味すごい。
 きっと、危機回避能力が、本能でついてるんだろう。
 そういう、不思議なところも先輩にはあった。
 だから、寮の自室は、俺にとってすごく居心地のいい場所であると同時に、緊張感のある場所でもあった。
 だって、そうだろ?
 学校の中に居る時以外の生活圏では、常に一緒なんだから。
 湯上りでテキトーにシャツ引っ掛けただけの姿で、目の前をうろつかれたりするし。
 でも、そういう時、うかつに飛びついちゃいけないような雰囲気もあるんだよなあ……。
 こー、さり気なく、バリヤー貼ってるっていうか。
 本人にはそんなつもりないんだろうけど、あの切れ長の目で、すっと視線をやられると、それだけで、不可侵の存在のように思えちゃうんだよな。
 しゃべりかけると、全然、フツーに受け答えしてくれるんだけどなあ。
 ……と、朝しか姿を見られなかったので、いつもより余計にぐるぐると先輩のことを考えながら、廊下の隅の自販機の前でケータイを取り出した。
 一番上に、登録している番号を呼び出す。
 たとえケータイがなくても、公衆電話からでも掛けられる様に、先輩のケータイ番号はすでに頭にインプット済みだ。

『も、もしもし……?』

 俺が、まだ何か言う前に、先輩がどこか慌てた様子で出た。
 12時間ぶりの、先輩の声だ。

「先輩? どうしたんですか、そんなに慌てて」

 何か、あったんだろうか、と少しだけ不安になる。
 
『べ、別に。お前こそ。どうしたんだよ』

 返ってきた声は、努めて平静な声でしゃべろうとしていて、でも失敗しているのがバレバレな感じだった。
 よかった……、何かあったわけじゃ、なさそうだ。

「別にどうもしませんけど。先輩の声が聴きたくなって」

『なんだよ? オレがいなくて、寂しいのか』

 俺は思わず電話越しに、聴こえないように気をつけながら、息を呑んだ。
 先輩、わかってるのかな?
 今、すっごく、たよりなさそうな声を出してること。
 
「ええ、寂しいです。先輩は、どうですか?」

 だから俺は、正直に、自分の気持ちを伝える。
 同じ気持ちなんだよ、って言いたくて。
 
『オ、オレは……ひとりを満喫してるね! エンジョイしてるさ。でも、まあ、何だ、その。いつも居るヤツがいないってのは、ちょっとこう、落ち着かないっていうかだな……って、何お前、笑ってんだよ!』

 だって、笑うなって言う方が無理だよ、先輩。
 そんなに一生懸命、必死になって言われたら、先輩のホントの気持ちがどこにあるのかなんて、すぐにわかってしまう。

「明日の夜も電話します。なんだったら、朝も、昼も電話しますよ」

『い、いらん、そんなの……!』

 そんな、物凄く動揺しなくてもいいのに。
 顔を赤くして、わたわたしている先輩の姿が、容易に想像できて、俺は更に笑い出してしまいそうになるのを、堪えるのに必死だった。

「でも、俺は先輩の声、聴きたいですから。寂しがり屋の後輩のワガママなんです。きいてくださいよ」

『ちっ……しょうがねぇな。お前がかけたいんだったら、別にその、構わねーよ』

「ありがとうございます。……それで、明後日には、ちゃんと帰ってきますから。待っててくださいね」

『……ああ。待ってる』

 ………胸が、一杯に、なった。
 俺が帰ってくるところは、先輩のところなんだって、思ってもいいんだよね?
 意地っ張りの先輩が、ふっともらす言葉に、俺はいつも、嬉しくてたまらなくなる。
 自分の一方通行なだけじゃないんだって、信じられて。
 これ以上何か言おうとすると気持ちが溢れすぎて、今すぐ帰って、先輩の顔を見て抱きしめたくなっちゃうから、わざと素っ気無いくらいに、それじゃ、と簡単に言って、電話を切った。

「あああああっ!先輩、ずるい!!」

 ケータイを握り締めて、誰もいない廊下で、思い切り、叫ぶ。
 会いたい。
 会いたい。
 今すぐ、会いたい。
 電話越しの声なんかじゃ、全然、足りない。
 
 
 しばらく気持ちを落ち着けてから、グループ単位で使っている合宿の部屋に戻ると、さっき話しかけてきたヤツが、ちらりと目を上げた。

「家族に電話、終わったのか?」
「ああ、うん」
「ホント、マメなヤツー」

 呆れたように笑うクラスメイトに、ちょっとだけ笑い返して、俺は早々に布団にもぐった。
 あれ、もう寝るの、なんて言葉を背中に聞きながら。
 本当は、家族に電話したんじゃないんだ。
 でも、今は、家族よりもずっと近くにいるひと。
 俺に、『おかえり』って言ってくれるひと。
 ああもう、早く寝よう。
 寝て、起きて。
 明日が来れば、声だけじゃない、あのひとの元に帰って行けるのだから。


Fin.


033: 無音と対になったお話です。


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