「うっそ。知ってるよ? ホントはカノジョなんていないんでしょ」
くすくす笑いながら、女の子が康平を上目づかいで見ている。
ふんわり巻いた茶色のセミロング。
あの制服は、S女だろう。
チェックのミニスカートからのぞく足が寒そう、ではなくて寒いのはわかっている。
「嘘じゃないって。最近付き合いだして……。恥ずかしいから、周りに言ってなかっただけ」
「ええ〜っ! それ、マジで?」
「マジマジ。今もその子待ってるとこだし」
そこで、ちらりと視線が向けられた。
よし、合図だ!
オレは身を潜めていた本屋の看板の陰からそっとでると、さも今来ました、とばかり康平に駆け寄った。
「お、遅くなってゴメンね、康平」
やばっ!
緊張のあまり、声がひっくりかえった。
あ、でも、その方が良かったのかな?
「ううん。俺も今来たとこだから」
オレを見て、康平はふわりと表情を緩めた。
それがなんだか、すごく……優しくて、思わずドキリとした。
だってなんか、今の、彼女に向ける笑顔みたいじゃなかったか?
って、いやいや。いいんだよ、今はそれで!
だから、アホみたいに見とれて場合じゃないんだってば!
「ユミちゃん?」
康平が、どうしたの? みたいな顔でオレを見る。
それはまさに、彼氏そのものだ。
お前っ、演技上手すぎるんだよ……!
「う、ううん! それなら、よかったなって!」
ちょっと高い声を作りつつ、オレは半ばやけくそで答えた。
ちくしょう、だからそこで笑うなあっ!
「………ホントだったんだ」
沈んだ声が近くから聞こえてきて、テンパっていたオレは一瞬忘れていたその存在を思い出した。
さっきまでは、キラキラ輝いてた女の子は悲しげに目を伏せた後、すがるような顔で康平を見た。
「うん。だから、ごめんね」
康平は、ちょっと申し訳なさそうな感じで言った。
女の子は、口を開いて何かを言おうとして、結局何も言わなかった。
そしてそのまま、スカートを翻して立ち去ってしまった。
オレはその後ろ姿を、何だか泣きたいような、切ない思いで見送った。
呼びとめて、ホントは違うんだ、って言いたくなったのを、ぐっと我慢した。
「助かった。ありがとう、ユミちゃん」
ほっとした様子で声をかけられて、オレはじろりと康平を睨んだ。
「ユミちゃん言うな。キショい」
「彼氏に対して冷たいこと言うなよ、弓人」
肩に手をまわされて、康平が俺の顔を覗き込む。
その手を容赦なく振り払う。
ったく、調子に乗りやがって。
「誰が彼氏だっ!」
「それはもちろん、俺」
「あのなあ、いつまで……」
「ゆーみ。ここで言い争ってたら、目立つよ?」
「あ……」
いつの間にか、オレたちはじろじろと見られていた。
確かに、こんな店先で言い争ってたら他人の迷惑だよな。
不本意だが、今のオレの格好じゃ、カップルの痴話げんかにしか見えないだろうし……。
「行こう?」
だからそう康平に促されて、オレは渋々ながら従ったのだった。
足が、スースーして、寒い。
こんな真冬に足出すのなんか、小学校の体育の授業以来じゃないか?
中学からは冬はジャージだからな……。
この感覚は、久しく忘れていたものだ。出来ればずっと忘れていたかったが。
「あのさあ……ここまでする必要、あったのか?」
首にぐるぐる巻いた赤いマフラーに手を入れてあっためながら、オレは隣を歩く康平に突っ込んだ。
さっきの、本屋の前での一連のやり取りは、康平に頼まれたものだった。
あの女の子の、悲しそうな顔がまだ瞼に焼き付いていた。
「うん。やるならこのくらいしなきゃ、納得してもらえそうになかったから」
康平はちょっと困ったように眉を下げて、そう言った。
―――話そのものは、そう複雑なことじゃない。
康平がさっきの女の子から付き合いを迫られて困っている、という。
オレからしてみれば羨ましい限りの話で、どこが困るんだっていう贅沢な話だけど。
特に中学から男子校なオレからしてみれば、そんなありがたい話を断ろうって言う康平の神経が知れない。
康平もオレと同じく中学から男にまみれて学校生活を送ってるのに、どうして康平にだけそういう話が舞い込んでくるんだろう。
不公平だよな、まったく……。
『好きな子がいるから無理って言っても、付き合ってるんじゃないならいいでしょって話が通じなくて。だから、付き合ってる子がいるって言ったら、それなら最初からそう言うはずだし、嘘でしょって言われて。いるなら見せてって。でなきゃ納得できないって』
ほとほと困った、と言った体で、康平はオレにそう言った。
確かに、その子の言う事は筋が通っているって、オレは思う。
たとえ好きな相手がいても片思いなら、自分にもチャンスはあるんじゃないか?
ためしに付き合ってみて、それでも駄目だったのならあきらめる。
……そんな流れになるのは、何もおかしなことじゃないだろう。
なのに康平は、どうしても駄目なのだと言う。
好きでもない子とは付き合えないから、と。
ホント、真面目だよなあ、康平は……。
だけどその話の後。
『だから、ゆみに、弓人に彼女のフリをして欲しいんだ』
何が、だから!?
正直そう言われた時は、何言ってんだコイツ、って思ったよ!
そりゃ確かに、中学から男子校のオレらに女子の知り合いはいないけど……。
小学校時代のクラスメイトに頼んでみるとか、誰かの妹あたりに頼み込むとか、やりようはいくらでもあるだろ?
そもそも、オレが彼女のフリって、わけわからん。
そう、当然の突っ込みをしたら。
『ホントの女子に頼んで、後々何かあったら申し訳ないだろ。誤解されたりとか……』
確かにそれも一理ある。
たとえば別に好きなヤツがいるのに、フリをしているところをうっかり知り合いに見られてしまったりしたら、ヤバイよな。
絶対ない、とも言えないし。
今は完全フリーでも、その後、そういえばあの時……みたいにならないとも限らないし。
親しくもない女子を巻き込みたくないと言うのも、康平らしい話だが。
そこで、何でオレ。
『ゆみなら、エクステつけて、女の子の格好したら絶対バレないから。だから頼む! な?』
その根拠は一体どこから……。
そりゃ、背は康平よりちょっと……いやだいぶ、低いけどさあ。
でもオレまだ高1だから! オレの成長期は今からだから!!
康平が伸びすぎなんだよ! なんだよ、高1で185とかさ! オレに5センチよこせ!!
『1回だけでいいんだ。1回、俺の彼女のフリするだけで。……ダメか?』
そんな風に頭を下げられたら、イヤとは言えなくて。
康平とは小・中・高とずっと一緒で、色々世話になってるし。
その康平がマジで困ってるのなら……やっぱり、放っておけないし。
だからオレは、渋々ながらも頷いたのだ。
1回だけの約束で。
康平の『彼女』のフリをすることを――――。
「その必要性はわかったけどさ」
オレは、あったかそうな茶色のダウンジャケットに黒のズボンをはいてやけに長いコンパスで歩く康平を、震えながら睨んだ。
冷たい風が足に直接吹きつけて、もう凍えそうだ……。
「わざわざスカートまではくことはなかったんじゃ。ええと、なんだっけこの付け毛」
「エクステ」
「そうそれ、エクステ付けてりゃ十分じゃん」
そう。
オレは、『彼女』のフリをするにあたって、完全に女装していた。
頭にはエクステをつけて肩までの髪になってるし、服も女もの。
紺色のPコートは学校の制服とそんなに変わらないけど、その下にはズボンじゃなくてスカートをはいていた。
ひだひだのついた……ええっと、ボックスプリーツの茶色いスカート。
ロングスカートはいてるオレらの年の女子なんてめったにいないから、当然膝より上の。
おかげで足が寒い寒い。
靴下はハイソックスだけどソックスとスカートの間に隙間があるし!
ちなみにこれらの服は、康平の従姉のものだ。
だったらその従姉に頼めばいいだろ、と言ったら『顔が似すぎているから無理』と言われた。
見せてもらった従姉の写真には、確かに康平と繋がる面影があった。
康平が女の子だったらこう言う感じだったんだろうな〜と言う……結構可愛かった。
(別に康平が可愛いってことじゃない、康平の従姉が可愛いってことだ)
しかしその従姉もよく男に服を貸そうという気になるなあ。
その辺康平に突っ込んでみたら、ノーコメントだった。何やら裏取引があったようだが、詳細は不明だ。
胸がちょっとあまるくらいで、服のサイズはほぼぴったりだった……。
「エクステに、ゆみの普段の服じゃ、ちょっとボーイッシュな女の子なのか、実は女の子っぽい男なのか微妙だろ。スカートはいてたら女の子にしか見えない」
「そうか……?」
念のため、ってことでちょっと色のつくリップは塗ってるけど、それ以外はノーメイクだ。
喉仏はマフラーで隠したけど、よく見れば男ってわかると思うんだけど。
「うん。どこから見ても、可愛い女の子にしか見えないよ」
康平はオレを見て、なんだか嬉しそうに笑った。
いや、オレは全然、嬉しくないんですけど。
「早く帰って、いつもの格好に戻りたい……」
思わずぼやくと、ふわりと肩に腕をまわされた。
コイツ、性懲りもなく、また!
文句を言おうと、康平を見上げたら、思ってたのよりずっと近くに康平の顔があって、何故か焦った。
「ねえ、ゆみ。もう少しだけ………」
康平と、目が合う。
やけに真剣な顔するから、そらせない。
「もう少しだけこのまま、一緒にいて」
「なっ……、何言ってんだよ。もう、彼女のフリ、する必要ないだろ?」
笑おうとしたのに、上手く笑えなかった。
康平も、笑わない。
さっきみたいに、手を振り払ってしまえばいいのに、それも出来なかった。
「俺、ね。こんな風に、歩いてみたかったんだ、ずっと」
いつもよりずいぶん近い康平との距離に、戸惑っているのに、離れられない。
「好きな子と、一緒に」
康平の息で、エクステが揺れて頬に当たって、くすぐったい。
肩に回された手が、よく知ってるはずなのに何故か大きく感じられて、康平は男なんだな、と不意に思った。
そんなの、当たり前なのに。
当たり前なのに、どうしてだろう、さっきから心臓がやけにうるさい。
スカートはいてるから? 足が寒いから!?
「って、ちょっと待て、康平! それでなんでこの格好じゃなきゃいけないんだよ!? 別に着替えた後でもいいだろ!」
思わず何か色々流されそうになったけど、オレがこのまま女装を続行する意味はないよな!?
「だって、その格好の方が、堂々とくっついて歩けるじゃない」
康平は、しれっとそう言った。
オレはムッとして、叫んだ。
「寒いんだよ、この格好!」
「うん。だから、もっとくっついて歩こうね」
そして康平は、肩に回していた手を、オレの腰にスライドさせた。
密着度が更に高まる。
ちょっ……! 歩きづれえ!!
「それに目の保養にもなるし。ゆみって足キレイだよね」
「お、おまっ……! お前、そっちのが本音だろ! この変態っ!!」
ハハハ、と康平はくっついたままで爽やかに笑った。
そして、
「なんだ。知らなかったの?」
と、開き直った。
そうだよな、ズボンだって女の子っぽいデザインのもあるし、レギンス? とかだってあるしな!
なんだよ! これ、思いっきりただのお前の趣味なんじゃねーかよ、騙されたっ!!
ふざけんな! って怒鳴ろうと康平を見上げて……、怒鳴れなくなった。
だって……。
「康平、お前、そういう顔、するなよ……」
「そういうって?」
「だからっ、か、彼女見てるみたいな顔だよっ!」
「だって、彼女でしょ」
顔を近づけてそう言われて、オレはとっさに反論できなかった。
彼女って言うのはただのフリで、それももう終わってるハズで……いや、終わってないのか?
いつまで、続ければいいんだ……?
「近い。顔、近いって!」
「このくらいフツーだよ? カレカノなんだし」
康平があんまり楽しそうにしてるから、何だか邪険にするのも悪い気がしてきて、無下にできない。
何これ、スカートマジック?
しっかりしろ、オレ!
「それより、さっきのは、スルーなの?」
図に乗った康平がますます顔を近づけてきて言うのに、オレは首をかしげた。
「さっきの……?」
「告白。好きって言ったの。あれ、ゆみに……弓人に言ったんだよ?」
わかってる? みたいに言われて、顔に一気に血が集まった。
忘れてたわけじゃないけど、なんか状況が特殊過ぎて色々吹っ飛んでたって言うか……!
いつの間にか大人しくなっていた心臓が、再び凄い勢いで血を全身に送りだした。
「そっ、そんなの、こんなアホなことに付き合ってる時点で察しろよ!」
さっき、あの女の子の後ろ姿を見てあんなに胸が痛かったのは、自分がそう言われたように思ったからだ。
女の子に告白されて、付き合ってる子もいないのに断るのに罰当たりなヤツめ、なんて口では言ったけど、本当はほっとしていた。
ほんとに好きな子がいるの、って聞きたくて聞けなかった。
たとえそうだったとしても、誰かのものになる康平なんて、見たくないって思った。
ずっとじゃなくていいから、せめて、今だけは。
同じ学校で、誰より近くにいる、今この時だけは、オレの康平でいて欲しいって思った。
いつも世話になってるから、なんてそんなの建前だ。
康平に頼まれたんじゃなきゃ、こんな格好、誰がするかよ……っ!
「うん。わかってるけど、ちゃんとゆみの口から聞きたいから」
もうほとんど、キスしてるみたいな距離で囁かれて、背中がぞわぞわした。
変な感じだけど、ヤじゃないっていう……。
「い、言わない!!」
「なんで?」
「こんな格好してんのに、そんなこと言えるわけないだろっ!」
寒空をスカートはいて歩いてる時に告白とか、ない。
ありえない。
「うーん、それは……。迷うな」
「何がだよ」
「ゆみに好きって言われたいけど、ゆみのその格好ももっと見てたい」
真面目な顔で返されて、オレは思わず力が抜けそうになった。
康平って、康平って、こんなヤツだったのか……!?
「康平……っ! お前、ほんとにオレのこと、好きなのか!?」
「うん、大好きだよ」
頬に、ちゅっと、かすめるように素早くキスされた。
それからオレを見て、またあの、可愛い彼女がそこにいるかのような顔をする。
「ば、ばかっ! 康平、やめろよ、往来だぞ! これじゃ、まるで……!!」
オレは今度こそ、意を決して康平から離れようとするのに、康平はさせまいと腰に回した手に力を入れる。
下手に動いたら、スカートがずれたりまくれたりしそうでコワイ。
そしてそうなったら、康平を無駄に喜ばせてしまうだろう……変態だからな!
康平は、相変わらず嬉しくてたまらないって顔で、尋ねた。
「まるで、何?」
さっきから全然冷めない、熱くなった顔とうるさい心臓を持て余しながら、オレは叫んだ。
「バカップルみたいだろ……っ!!」
それを聞いた康平は、オレにぴったりくっついたまま、身体を震わせて笑った。
オレの身体も一緒に揺れる。
康平を引き離すことは、やっぱり出来なかった。
Fin.
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