二本の弦が張られただけの、素朴な楽器は、その見た目に反して意外なほど、澄んだ音色を響かせる。
サスラが古道具屋で、その古ぼけた弦楽器を欲しがった時は、旅の荷物にはなっても、利益にはならないだろうと、オレは思った。
それなのに買ったのは、ヤツが何かを自分から欲したのは、それが初めてだったからに他ならない。
それが、手持ちでも十分に、まかなえる代金だったことも、大きいけれど。
「今夜もいい稼ぎになりましたね」
宿屋で荷物を下ろして、サスラがにっこりと微笑んだ。
城を落ちる時に、金目になりそうなものはありったけ身につけてきたとは言え、いつまでもそれがもつわけはない。
どんなに切り詰めて旅をしたとしても、あてもない旅だ。
路銀は、必要になってくる。
そんな時、元・王族なんていう身分「は、塵ほども役に立ちはしないということを、オレは嫌と言うほど、この旅で知った。
結局、オレは城を出れば、単なる役立たずでしかないのだ。
世間知らずで、何も持っていない、ただの十五歳。
同じように城で育った、元・従者のサスラは、それならオレと同じなのかと言うと、そんな事はなく、ずっと一緒に居たのに知らなかった特技を発揮して、路銀を稼いでいた。
「……お前に、こんな才能があったなんてな。今まで、どこに隠してたんだ?」
思わず、どこか拗ねた口調になって尋ねると、サスラは長い髪を揺らして、おっとりと首をかしげた。
「隠していたわけではありませんが……。城に来た、旅芸人の一座に教わったのです。久しぶりに弾いたのですが、思ったよりも指が覚えていて、驚きました」
「城でも、弾けばよかったんだ」
「王子の従者が、芸人の真似事をするわけにはいきませんから……」
少し困ったように、サスラは目を伏せた。
音楽を嗜む趣向は、王族や貴族階級にもあるが、それはもっぱら『聴く』専門だ。
そして、楽器を生業とする者たちは、城付きの楽団でもない限り、地位は低い。
旅芸人は、城でその芸を披露することはあるが、城の中にまで入ることは許されない。
許されるのは、前庭で、主に城に勤める者たちを楽しませることまでだ。
王子だったオレは、それを城仕えの者たちに混じって聞く事は禁じられていたが、時々こっそり聴きに行っていた。
従者であるサスラも、もちろん、一緒に。
「まさか、お前がリュウナまで習っているとは思わなかったぞ」
「ふふ……。主が主でしたから。こっそりお忍びで何かをするのは、こう見えても得意なんですよ」
「ふん、よく言う。オレよりお前の方がよっぽど、抜け目無かったくせに」
そう返して、堪えきれずに、互いに笑い出す。
決して、のびのびと、とは言いがたい、窮屈な城での生活。
だが、思い返してみれば、そんな生活にも、楽しい事も、それなりに多かった。
もう取り戻せない日々だと思えば、よかった事が、美化されているのだろう。
……いや、失われた日々は、確かに美しかった。
取り戻したい、とは、思わないけれど。
隣には、今もサスラが居る。
それは、昔も、今も、変わらないのだから。
何も持っていないオレが、唯一、持っているもの。
オレは、それだけで、いい。
いや、違うな。
正しくは、それ以外、必要ないんだ。
「私がリュウナを弾ける事よりも、ローディルが歌がお上手な事に驚きました。今夜の稼ぎだって、私の力と言うよりも、ローディルの力ですよ」
「馬鹿言え。オレの歌なんて、つけたしだ。お前の奏でるリュウナを皆聴いているんだ」
「いいえ、あなたの、歌ですよ」
サスラが酒場や広場で、弦楽器……、リュウナを弾いている間、ただぼけっと見ているのも癪なので、最近では曲に合わせて、オレは歌うようになった。
歌なんて習った事もないので、即興だ。
世継ぎの為の勉学その他諸々の教育の中には、残念ながら「歌う事」は含まれていなかった。
歌詞は、昔、歴史で習った、国を興した英雄たちの武勇伝や、乳母に聞いた御伽噺、城で女中たちが話していたのをこっそりと聞いた恋の話なんかを、適当に曲に合わせてその場で作っている。
そんないい加減な歌なのに、思ったよりも、聴衆の受けは良かった。
「ローディルこそ、城でも歌えばよろしかったんですよ」
「王子が吟遊詩人の真似事などできるか……ふっ。あはは……」
「ふふっ……」
そしてまた、互いに笑い合う。
世継ぎの王子と、その従者。
それが、今はどうだ。
明日がどうなるのかも分からない、風任せの旅に身をゆだねる、吟遊詩人のような日々を送っている。
そんな自分たちを、悲観するでもなく、むしろ悪くない……、まんざらでもない、と思っているなんて。
漠然と、このまま王になるのだろうと、思っていた。
それが決まりきった未来のようで、うんざりしていた時期も、あった。
今はもう、遠い日々。
吟遊詩人のように、いや、吟遊詩人そのものに、人々の前で即興の歌を歌う、自分を、オレは気に入っていさえ、いる。
隣から響いてくる、リュウナの音色を誰よりも心地よく思う、オレがいる。
サスラが、リュウナを奏でる。
子守唄のような、優しい旋律が、少しだけ開いた宿の窓から、青い月が輝く夜に溶けて流れていく。
その響きにあわせて、小さな声でそっと歌う。
もうずいぶんと遠くなった、故郷の山並みを思う、そんな歌を。
月だけが、静かに、オレたちの奏でる歌を聴いていた。
Fin.
100: 終わりの後の物語の続きにあたるお話です。
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