2001/10/20 ゲスト:新庄 剛志

(福)はいお待たせしました、今夜のゲストは、ニューヨーク・メッツの4番打者、帰ってきた新庄剛志選手でーす!!(拍手)
(新)どうもー!ただいま〜!
(福)おかえり〜!!
(新)ただいま〜。
(福)もうあの、ほんとにお久しぶりということになりますが。
(新)そうですね。
(福)1年・・約1年ぶりですかね。12月でしたからね。
(新)そうですね、はい。大阪城で。
(福)大阪城で。もうあの時お会いしてですね、なんとあの、大阪城ホールに来ていただいて、阪神時代の背番号5番のユニホームを頂いたんですよね。
(新)あの時はねぇ、もう実は、いらなかったんです。
(福)そうなんですよ。ちょうどその時色んな、メジャーに行くんじゃないかなんて話がとりだたされてる中だったんで、でユニホーム僕頂いて、新庄選手に「これは実際に使っていたユニホームということなんですが、これはひょっとして使わないってことなんですか?」って聞いたら、「それは今は言えないんですが・・」っていう話だったんですよね。
(新)(笑)いやほんとは言いたくて仕方なかったんですけど、ほらやっぱりね、一応決まるまでは。
(福)えぇ。色々ありますからね。
(新)そうですね。
(福)でそれにサインをして頂いて、僕はアンコールの時にその新庄選手のユニホームを着て、登場していったわけなんですよ。
(新)ありがとうございます。見てました。
(福)何か、鼻高々でしたね。
(新)(笑)
(福)あの時ね一緒に出てたあの、かの有名な宇宙からやってきた天才ギターリスト、Charさん。Charさんがえらいジェラシーでございましてね。
(新)(笑)あ、そうなんですか。
(福)「お前が、何でもらうんだ」と。「俺がこんなに好きなのに、何でもらうんだ、お前が」て言う風に怒られましてですね。
(新)あーそうですか。
(福)いやいやまぁ、それほどですね、人気の新庄選手でございまして。
(新)ありがとうございます。
(福)はい。などと話をしていると、相槌を打って、したり顔でこう何かしゃべりたそうな男は1人、あなたは誰?
(ア)どうも、ニッポン放送のスポーツ部アナウンサーの福永です。よろしくお願いします。
(福)お久しぶり。
(ア)お久しぶりでございます。
(福)もうスポーツ選手がね、お客さんでいらっしゃった時は、必ずこうスポーツの・・ねっ、もういまやニッポン放送の何て言うんですかね・・至宝!
(ア)(笑)いやいや。大変なこと言われますよ、後で。
(福)ニッポン放送のスポーツアナの4番打者と呼ばれている・・
(ア)になるように、頑張ってまおりす。
(福)福ちゃん。今日は、何しにきたの?
(ア)今日はですね、あのー実はですね、この新庄選手に会いにきたというと御幣がありますけども・・。
(新)(笑)
(福)またミーハーか、コノヤロウ。
(ア)確かに今日、メッツのTシャツとか着てますけど。
(福)で、何しにきたの?
(ア)新庄選手の輝かしいプロフィールを紹介しようと。
(福)素晴らしい!じゃあ輝かんばかりのナレーションでよろしくね。
(ア)(笑)わかりました。
(福)頼むよ。
(ア)はい。頑張ります。
(福)はい。
(ア)新庄剛志選手。1972年1月28日生まれ、現在29歳。福岡県出身。高校卒業後、 1989年ドラフト5位で阪神タイガース入り。入団3年目で、レギュラー獲得。その後、人気・実力ともに阪神の顔に。 球団グッツの売上の80%は新庄さんグッツということもありました。ベストナイン、そしてゴールデングラブなどを獲得。 2000年4番として自己最高のシーズンを送る。2000年終了後、FA宣言。阪神から5年契約で12億円の提示をけり、12月19日大リーグ、ニューヨーク・メッツとメジャー最低年俸で契約。そして時は変わりまして、2001年4月3日メジャーデビュー。代走そしてその後、公約通り初打席初ヒット。4月9日にはメジャー初ホームラン。8月3日日本人初の4番打者になりました。メジャー1年目、2割6分8厘、ホームラン10本、56打点、成績以上に記憶に残る活躍を見せてくれました。
(福)うまいね〜。福ちゃん。
(新)ファンになっちゃった。ファンになりました。
(ア)(笑)いえいえ、僕がファンですから。
(福)・・はい、でですね、このメジャー行きのね、あの・・あったじゃないですか、福ちゃんのさぁ、あのお話の中に、阪神から5年契約で12億円の提示をけり、ニューヨーク・メッツと契約。まぁ、いわゆる最低年俸というやつ。これはねぇ、かっこいいなと思いましたよ、実際。
(新)いえいえいえ。もうかっこよさとか、そういう問題じゃなかったですね。やっぱり夢。夢というか、一度はやってみたい、あそこのグランドに立ってみたいという気持ちだけで、選んだという・・。
(福)あー。いつぐらいから、メジャーに対して夢を持っていたんですか?もう野球始めた時からですか?
(新)あのね、監督・・タイガースの時にちょっと監督ともめちゃって、そん時にあのー「行こうかな」と。
(福)(笑)・・そういうのがあった中で、メジャーに行こうと思ったということで・・
(新)そうですね。
(福)不安はなかったですか?
(新)めちゃくちゃありましたよ。
(福)やっぱありましたか?
(新)ありました、ありました。だって、もうパワー、スピード、体力面が全然違うなっていうのが自分でもわかってて、選んでしまって。でも、何か自分だったら、やれるんじゃないかなっていう少しのその・・可能性というか、あって、でもほとんど、まっでもマイナーリーグの経験でもいいかなと、2・3年頑張って、上がれたら十分だという気持ちで・・行ったんですけどね。やっぱり実際キャンプに入って、もうそのパワーに・・
(福)ねー。最初のキャンプ・・ねー。
(新)もうねぇ、「やばいっ!何で俺はここに来たんだ!」っていう感じになる・・なったんですよ、実際。
(福)(笑)はいはいはい。
(新)んで、「俺どうしよう。本当にやばいわ」と思いながら、まあキャンプ迎えて、オープン戦始まって最初の頃、全然当たらなかったんですよ、バットに。
(福)それはやっぱりプレッシャーとか緊張?
(新)やっぱ緊張でしょうね。緊張・・あとイイとこ見せようという変な気合が入ってて。そいでもうバットがすっごく重く感じて、振れないんですよ。
(福)もう全然、軸がこう・・軸がない感じの。
(新)(笑)そうそう。めちゃくちゃだったんですよ。でピッチャーの球も140キロぐらいだったんです。最初の方のピッチャーが。それでも150キロぐらいのスピードに思えたぐらいもう、緊張したというか・・
(福)ちょっと萎縮しちゃってた部分があったんですね、やっぱり。
(新)うん。で結果でないでしょ?「あらあらあら、やばいやばい」と思いながら、そしたらボビー、監督も「まだ始まったばっかりじゃないか。大丈夫だよ」って言ってくれるんだけど、目がちょっとねマジなんですよ。
(福)(笑)頼むよと。
(新)(笑)「大丈夫か?」って目をしてたんですよ。それでもう、気合入れなおして、俺は何しにこっちに来たんだっていうのをまた考え直して、楽しめりゃいいと。うん、楽しもうと。もうダメでもいいじゃないかという気持ちで、やり始めたらすっごい体が楽になって、それからもう、バンバンバンって打てだして。
(福)そこで気持ちがそういう風に切り替えられたっていうのがやっぱり、新庄選手ならではだと思うんですよね。やっぱり普通だとその、例えば理詰めで考えた時に、楽しむっていうことに切り替わらない場合は、「あーやっぱもう1回基礎トレーニングから」とかって考えがちじゃないですか、スポーツ選手って。
(新)そうですね、うん。
(福)で、「メジャーの選手は一体何をやってるんだろう?」っていう風に、その何だろう・・情報をたくさん入れようとする?
(新)はいはいはい。
(福)僕なんかね、どっちかというとそういうタイプなんですよ。(笑)理詰めで考えるという。ところが、新庄選手は全く逆で、折角来たんだから、ダメモトでもいいや、楽しもうっていう風に思えるってところがやっぱ新庄選手の強みですよね。
(新)思えるというか、そういう風に思わないと仕方ないなって思う状況になったんですよ。
(福)まっそこまで追い詰められていたと。
(新)追い詰められていましたねぇ。・・で追い詰められてても、その発散の仕様がないんですよ。
(福)はいはいはい。
(新)周りに何もないし。日本だとほら、カラオケ行ったりとか飲みに行ったりとかして、まあ明日頑張ろうっていう気持ちになってたんだけど、向こうは何もないから・・うーんまぁとりあえず洗濯しようかとか、なに食べ行こうかとかそれぐらいしかないんで。
(福)そうかそうか。まあそういうこう・・気分替えみたいなものもやっぱできないってなると、もう本当に結果を出すしかないというところにいったわけですね。
(新)そうですね。
(福)でもね、そういう新庄選手の・・まあこう言っちゃあ失礼ですけど、新庄選手の耳にも届いてたと思いますけど、多分ダメなんじゃないかっていう話もたくさんあったわけじゃないですか?
(新)はいはいはい。
(福)で、そんな中で、まあこういうその・・5年契約12億円の阪神の提示を蹴り2400万で行ったって、これ1つの新庄スタイルだと思うんですけど、でそれで色んなこう・・まぁきっとねうまくいかないんじゃないかみたいなのをはねのけての、この活躍っていうのはね僕もねすごい勇気もらった感じしましたよ、実際に。
(新)あそうですか。ありがとうございます。
(福)僕なんかやっぱりこう、1回お会いしたことがあるんで、もうそれだけでかなり情が入るじゃないですか?
(新)はいはいはい。
(福)で見てて、今日打ったかなぁとか。あぁ打てたんだっていう日とかやっぱりねぇ、嬉しかったし、僕自身もなんかこう、そういう風に頑張ってる人がテーマソングに使ってくれてるんだったら、俺も頑張らなきゃって思いますからねぇ、実際。
(新)(笑)それ行く前に、色んな評論家が、無理だと・・お前の力じゃ。日本でどんだけの成績をね、残してるんだっていう情報、てか言ってる人すごく耳に入ったんですよ。その人たちのおかげで、今年1年活躍できたと・・
(福)あー、逆にね。
(新)逆にね。そういう声がなかったら、自分に甘えてたと思うんですよ。だからそれを励みに、うん、頑張ったっていうひとつの・・まあ顔は覚えてますけどね。
(福)まあね。そういうのって大体覚えてますよね。(笑)
(新)(笑)そうそうそう。
(福)まあでも、今日ほんとにこれを聞いてるですね野球少年も多々いますよ、多分。小学校・中学校・高校生。非常にですね、1つのこう何て言うか、新庄スタイルというものに勇気をもらっている選手たくさんいると思います。・・福ちゃん、何か質問ないの?
(ア)僕はですねぇ、とにかく一時期最下位までいって、優勝争いまでいったじゃないですか?あの時って、もういけるんじゃないかっていう・・。
(新)思いましたねぇ。俺は始めての経験するんじゃないかなと。
(福)あぁ。
(ア)そうですよねぇ。
(新)ほらタイガース時代。いつもオールスター終わった時にはもう、「今日の試合早く終わらないかなぁ」って。(笑)
(福)(笑)オールスター終わったら、シーズンも終わってたみたいな。
(新)(笑)終わってた、実際。まぁメッツに入って、「あれっ?タイガースと一緒じゃない?」って思った。でもやっぱりそこは違うね、去年のチャンピョンチームは。もう後半から、ドゥヮーって勝ち始めて、またあの・・ニューヨークのああいう事件もあって、一丸となって、何とかニューヨークのために頑張ろうと、いうね、選手だけで、話し合って、それからもう3ゲーム差。最高17ゲームあったんですよ、トップとの。
(ア)そうですよね。
(新)それがだんだんちじまって、残り3ゲーム、頑張ろうと。でも残念ながらこういうね、まあ優勝できなかったけど、来年また、楽しみが・・
(福)でもそういう興奮を初めてのメジャーでね味わえたっていうのが、それまた来年の励みにもなるし、凄くこういいばねになりますよね。
(新)最高!あのムードは。
(福)出た!新庄最高!きたよー!この後CMを挟んで、まだまだ続いていきますんで、よろしくお願いします。
(新)よろしくお願いします。


(福)でね、新庄選手あのーお迎えしてるわけなんですけど、メールも来ておりますよ。
メール:なかなか英語を覚えないので、とうとうチームメイトが日本語を覚え始めたらしいというのは事実か?
(福)これどうですか。事実なんですか?これ。
(新)結構当たってますねぇ。
(福)素晴らしい!
(新)(笑)素晴らしい。
(福)僕ねぇ、いつも思うんですけど、あのじゃあアメリカのね人が日本に来た時に、どれぐらい日本語をあの覚えて日本に来てるのかって話ですよ。
(新)全然覚えてない。
(福)覚えてないでしょ?で、僕らは一応いつも海外とか行く時に、イ・・ションやらなんやらあるから、やれ、何だ?「Can I Have・・」とか覚えたりとか、「I'd Like To・・」とかね、覚えていくわけじゃないですか。
(新)覚えましたねぇ。
(福)ねー。それなのに、もう海外の人たちときたら、日本に来て平気で母国語を。素晴らしい、新庄選手。
(新)(笑)あのねぇ、気つかってくれないんですよ。向こうは。だから、こっちが何とか片言の、単語、単語で何とか言おうとしてるんだけど、ブワァーって英語で言ってくるんですよ。自分さっぱりわかんないじゃないですか。もういい!通訳通して「俺がもう日本語を教える」と、ねっ、「だからお前が覚えろ」と、「俺面倒くせぇよ」って言って。
(福)(笑)いい!
(新)でそれで、やっぱりその日本語を教える時は、やっぱりこう下ネタ系がね。
(福)なるほど!
(新)はい。そういう方・・そっち方向が多いですね。
(福)なるほどねぇ。
(新)えぇ。そいでこう仲間になっていくという。
(福)それ大事ですよね。
(新)大事ですね。
(福)・・素晴らしいじゃないですか〜。
(新)でも、当たってますね。メールの・・
(福)当たってますよ。・・新庄選手は、ニューヨーク・メッツで外国人選手たちに、九州弁の下ネタを教えてると。
(新)それは、なかですね。(笑)
(福)それは、なかですか。

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