*FIRST CONTACT2〜DEATH夫&フローズン・前編*
直前まで澄み渡っていた空一面に、雨雲がどんよりたれ込めた。夕暮れを思わせる暗さは、今にも泣き出しそうな風景と相俟って、道行く者の気持ちを重く沈ませる。だが、紺袴のお供を引き連れ、間道を行く青年が落ち込んでいる理由は、決して天候のせいばかりではなかった。
「白鳳さま、早く雨宿り出来る場所を探さないと」
「きゅるり〜」
「う・・・ん」
神風とスイに促されても、白鳳の反応はどことなく鈍く、表情にも生気が感じられない。それもそのはずで、彼は今さっき、お目当ての男の子モンスターの捕獲に失敗したのだ。幾重にも罠を張って、待ち構えていたにもかかわらず、ほんの一瞬の隙を突かれ、まんまと逃げられてしまった。成功を確信した己の気の緩みが招いた事態だけに、悔やんでも悔やみきれない。
「そんなにガッカリしないで下さい。今回は間が悪かっただけです。明日、また挑戦しましょう」
「きゅるり〜。。」
肩先で声を絞り出して啼くスイの背中を撫でながら、白鳳はポツリと呟いた。
「・・・・・神風は優しいね」
「え」
「あれはどう考えたって、私のミスなのに」
「いえ、追いつけなかった私にも非がありますから」
淡々と返して、素直に頭を下げると、神風はまた雨よけになりそうな建物を探し始めた。その溌剌とした姿を目で追いながら、白鳳は掛け替えのない同行者を得た幸運に感謝していた。彼と旅するようになってから、そろそろ一年が経つ。あの日、神風が追い掛けてきた時は意図が分からず、面食らったものだった。でも、戦いの基本も知らなかった自分を、みっちり仕込んでくれたおかげで、ハンターとして恥ずかしくない戦闘力を身に付けたし、捕獲時のみならず、道中でも耳に痛い内容を含め、実のある助言をしてくれる。媚びはしないが、常に誠意に溢れた言動に、白鳳は絶大な信頼を寄せていた。もちろん、こちらの真の事情は言えないし、神風もまた、故郷のダンジョンを出た経緯については朧気に仄めかすだけだ。それでも、会話も交わせぬ弟との旅を続けていた身に、語り合える存在が出来たことは大きかった。恨み言のひとつも言えない姿に変えられたスイの方が、何十倍も何百倍も辛いのは承知の上でも、誰かと他愛のない話でもしていなければ、心を支えきれない日もある。真性××なことでも分かるように、元々リベラルな性質なので、相手が男の子モンスター云々は全く気にならない。むしろ、あんな出会いにもかかわらず、私心なく自分に仕えてくれる神風にただただ頭が下がる思いだった。
しばらく四方を眺め遣っていた神風だったが、ふと動きが止まり、吸い寄せられるがごとく、一点を見つめている。怪訝に感じ、その方向へ目を凝らすと、遠目に古ぼけた水車小屋が見えた。
「あそこで雨風を凌ぎましょう」
言いかけた神風の左頬に水滴がぽつんと当たった。ついに降り出したらしい。本降りになる前に、速やかに建物へ避難しなければ。
「うん、そうしよう。行くよ、スイ」
「きゅるり〜」
弟を庇うように羽根ショールでくるみ、白鳳は神風と並んで駆け出した。が、どうしたことか、小屋に近づくに連れ、徐々に異臭が強まって来た。血の匂いとは似て非なる生臭さに閉口しつつも走り続けると、角を曲がったところで凄惨な光景に出くわした。
「うっ」
「酷いですね」
地面に染み込む深緑の体液とばらばらに散らばる四肢を見かね、白鳳は即座にショールでスイの目を塞いだ。この地域に生息するモンスターだろうか。それにしても惨い殺され方をしたものだ。
「いったい、何があったのかな」
「連中は普通のモンスターとは違うみたいです」
切り刻まれた遺骸と周囲の状況を注意深く観察してから、神風は冷静に告げた。
「なぜ、そんなこと分かるんだい」
「・・・・・空間に残る気でしょうか」
「ふぅん。私でももっと修行を積めば、分かるようになる?」
「ええ、白鳳さまは筋が良いですから」
お世辞を言わない従者に褒められ、満更でもない気分になった白鳳は勇気を出して、恐る恐る現場へ視線を流した。すると、広がる体液とは別物の血痕があることに気付いた。それは点々と彼方まで滴っており、件の水車小屋まで続いていた。
「ねえ、神風」
「はい」
「我々の雨宿り場所には先客がいるようだね」
「そのようです」
直前に繰り広げられた戦いで、正体不明の輩はここに骸を晒し、生き残った方も負傷して、小屋で傷を癒しているに相違ない。さて、これからどう行動すべきか。すでに雨足は相当強まっている。
「あの血痕の様子だとふたり、かな。薬草や痛み止めは充分持ってるけど」
「えっ、白鳳さま」
「きゅるり〜」
白鳳が躊躇いなく小屋へ向かい始めたので、神風はあっけに取られた。彼らにこの争いの事情を知る術はない。ゆえに、現段階でいずれが善か悪かを判断することは出来ない。場の状況を見る限り、生き残った方は手傷を負っているとは言え、相当の手練れだし、容赦ない残虐さも有している。下手に刺激すれば、こちらに火の粉が降りかかって来ないとも限らない。
「そんな不安そうな顔をしないで。まずいと思ったら、慌てて逃げるから」
「危険だと分かっているなら、最初から行かなければいいじゃないですか」
「だって、こんな大勢の怪物を粉々にした強者を一目見てみたいんだもんv」
「・・・・・・・・・・」
白鳳の浮かれた調子に、神風はがっくり肩を落としたが、すぐ気を取り直すと、珍しくきつい口調で言い放った。
「白鳳さま、無謀な好奇心はケガのもとですっ」
「きゅるり〜っ!!」
「平気、平気。神風もいてくれるし」
「はあ・・・・・」
ケガどころか、弟を悲惨な境遇に追い込んだ原因と言えなくもないのに、性懲りもないというか、全く反省の色が見られない。お気楽な主人を放っておけるはずもなく、神風はため息混じりの深呼吸をすると、白鳳とスイを護るべくずいと前へ出た。白鳳が判断した通り、小屋の中の気はふたつ。少しでも相手の手がかりを得ようと、集中して内部を探る神風だったが、不意にある種の気配を感じ、ほっと口元を緩めた。
「どうやら、中にいるのは男の子モンスターみたいです」
「えっ、ホント!?」
「きゅるり〜」
趣味と実益を考え、顔をほころばせた白鳳に、神風はきっぱり告げた。
「むろん、強力なはぐれ系ですから、白鳳さまに捕獲なんて出来ませんよ。そもそも、相手の負傷につけ込んで、捕まえるなんて良くないです」
「ふう、そうだよね」
従者の正論に肯きつつも、ちょっぴり無念だったが、相手が男の子モンスターと分かれば、いくらでも対処の仕様はあるし、ケガの手当てもしてやらなければ。根は優しく、面倒見の良い白鳳は、早くも懐から薬草を取り出すと、軋みかけた扉に手をかけた。
ギギギ・・・と響く不気味な音を、瞬時に掻き消すほど雨は激しくなっていた。白鳳と神風は出来る限り五感を研ぎ澄ませ、暗い小屋の中に足を踏み入れた。辺りに漂う血の匂い。せめて、相手の姿だけでもはっきりさせておきたいと、ふたりは暗がりに目を向けたが、目が慣れる前に背後から白鳳の細い首筋に冷ややかな刃が突き付けられた。あれだけ注意を払っていたにもかかわらず、露ほどの気配も感じなかった。
「!!」
「きゅ、きゅるり〜っ」
「白鳳さまっ」
神風は即座に身構えたものの、主人を人質に取られた状態では戦うことが出来ない。恐らくこちらが反撃に出る前に、白鳳の喉笛はざっくり切り裂かれるだろう。間道の残骸の見事な切り口を見れば、相手のレベルは容易に想像がついた。
「なんだ、人間か」
闖入者の動きが完全に封じられたのを確認して、抑揚のない物言いが呟いた。黒ずくめの服を纏った男の子モンスター。これでは闇に紛れて姿が見えないはずだ。白鳳を脅かした切っ先を外すと、金色の瞳からキンと尖った光を放った。刃だと思ったのは彼が手にした大鎌の先端だったらしい。
「あ、このコ、図鑑で見たことあるよ。確か、DEATH夫だっけ」
「今はそんな悠長なことを言っている場合ではありませんよ」
育ちの良さが出るのか、どこか暢気な主人に現状に対する自覚を促したが、白鳳はおっとりと眼前の男の子モンスターを眺めている。青白い頬にべっとり付着した血が生々しい。まさか、この非常時に値踏みでもしてるのではと、神風はいささか不安になってきた。一緒に旅を始めてから一週間も経たないうち、主人の少々特殊な嗜好を知った。それ自体は個人の自由だし、嫌悪感を持つこともなかったが、時と場をわきまえない男漁りと、時折、自分の寝床にまで忍んでくるのだけは困りものだ。もっとも、今の白鳳に神風を押し倒す力はなく、毎回激しい抵抗に遭って、たんこぶを作るのがオチだったが。
「特別に見逃してやるから出て行け」
「出て行けって、外は土砂降りなんだけど」
会話もロクに聞こえないくらい激しい雨音。天井からはぽつぽつ水が垂れて来ている。
「そんなのは知ったことか」
「雨宿りくらいさせてくれたって」
「優しく言っているうちに消えろ」
どこが優しいのかと口を尖らす白鳳だったが、ようやく目が慣れて来て、相手の全身を目にした途端、あまりの惨状に思わず息を飲んだ。DEATH夫の脇腹には青龍刀みたいな大きな刃が突き刺さっており、そこから少なからぬ血が流れ、滴っていた。
「酷いっ、すぐ手当てしなきゃっ」
白鳳は苛立ちも忘れて、DEATH夫を介抱しようと、彼の真っ正面に進み出た。が、間髪を容れず、大鎌の柄で強かに打ち据えられ、その場に転倒した。
「痛〜いっ」
「きゅるり〜」
はずみで床に転がったスイを、神風が両手でそっと抱き上げた。
「白鳳さま、大丈夫ですか」
「うん」
白磁の額にうっすらと血が滲んでいる。これまでは方針を決めあぐね、様子を窺っていたけれど、大切な主人が傷つけられたとあっては黙っていられない。神風は白鳳にスイを渡すと、ふたりを庇うように立ちはだかって、DEATH夫と対峙した。
「白鳳さまに危害を加えるなら、私が相手になる」
口を真一文字に引き結び、決意に充ちた面持ちで言い切った神風を一瞥すると、DEATH夫はふんと鼻で笑った。明らかに軽蔑した笑いだった。
「人間風情に使われてる輩に何が出来る」
「!!」
相手の言動にはっきり悪意を感じ、さすがの神風も堪え切れず、右手に矢を取った。しかし、それを番える前に繊細な指がきつく手首を捕らえたので、目をしばたたかせて主人の端麗な顔を見つめた。
「相手のケガにつけ込んじゃダメって言ったのは神風じゃないか」
「きゅるり〜」
「で、ですが」
「彼と比べたら、この程度、傷のうちに入らないよ」
「・・・・・白鳳さま」
優雅な仕草でやんわり神風を押しとどめると、白鳳は再びDEATH夫に声を掛けた。普通だったら気を失ってもおかしくない状態なのに、痛覚が麻痺しているかのごとく、無表情のままで佇んでいる。
「私たちが邪魔なら立ち去るけど、その前に手当てくらいさせて欲しいな」
叩かれた事実を水に流せるほど心は広くないが、さりとて、腹に穴を開けた男の子モンスターを捨て置くことも出来やしない。今の白鳳はハンターという立場を完全に忘れ、手負いの相手をどうにか癒してやろうと思い極めていた。
「手当て・・・だと」
「うん、薬草や痛み止めはたくさん持ってるし、万能薬も少しならあるよ」
差し出された数々の薬に目を留め、しばし沈思していたDEATH夫だったが、やがて軽く息をつくと、大鎌の切っ先で小屋の奥を指した。
「なら、あいつだけ手当てしてやれ」
「え」
示された方を速やかに注目すれば、薄暗がりの中、人影が微かに蠢くのが見えた。
そうだ。小屋に潜む先客はふたりだと、白鳳も神風も確信していたのだ。腐りかけた木の床を踏み抜かないよう奥まで進むと、儚げな風情の男の子モンスターが仰向けに横たわっていた。青い和服のあちこちに染み付いた血が痛々しい。
(フローズン・・・か)
いかなる種族に出会っても落ち着いて対処すべく、各男の子モンスターの名前と特徴は、稀少種に至るまで全部頭に叩き込んであった。中でも、このフローズンは外見、性質ともかなり好みで、”趣味で捕獲したい男の子モンスターBEST3”のひとつだった。
(これで負傷していなきゃ、まさに据え膳だったのに惜しいなあ)
ケガ人を前に、こんな不純な理由で悔しがっていることはおくびにも出さず、白鳳は傍らの神風に指示を与えた。
「じゃあ、手伝ってくれるかな」
「はい」
ふたりは意識を失っているフローズンを挟んで、左右に腰を降ろした。肩先のスイをふわりと床に置いてから、手際よく治療用具を並べ出す。
「きゅ、きゅるり〜」
スイが丸っこい身体をせわしなく動かして泣き続けた。後方で兄たちを見張るように佇むDEATH夫が気に掛かるのだろうか。実のところ、どう見ても彼の方が深手なのだが、少なくともフローズンの治療を終えない限り、説得する術はなさそうだ。やむなく、白鳳たちは目の前の負傷者に専念することにした。帯を解き、衣服を緩めると、慎重に血止めをしつつ、傷薬を塗り込んでいく。左の二の腕付近の血を拭いているとき、ふと、フローズンが意識を取り戻した。
「・・・あ・・・」
見知らぬ人間が肌に触れているのに気付き、思わず身を固くする。そんな彼の緊張を少しでも解そうと、白鳳は優しく微笑みかけた。
「心配しなくても大丈夫だよ。さ、この痛み止めをお飲み」
口移しで飲ませたいのをぐっと我慢して、小さな掌に丸薬を握らせた白鳳だったが、突然、DEATH夫に乱暴に突き飛ばされ、その場に尻餅を付いた。不謹慎な考えを見抜かれたかとビクつきながらも、動揺を気取られないよう強気に言い放つ。
「いきなり酷いじゃないかっ」
睨み付ける白鳳をまるっきり無視して、DEATH夫はしゃがみ込むと、フローズンに静かに語りかけた。先程同様、声音には抑揚がないものの、斬り付けるごとき尖った眼差しは影を潜めている。
「気が付いたのか」
「・・・・うん・・・・」
「お前を巻き添えにして済まなかった」
闇色の手袋に覆われた手を透きとおった頬に伸ばした。その指先を己のそれで包み込んだフローズンの蒼い双眸に映るのは、床に広がる鮮やかな血の華。
「・・・・DEATH夫も早く手当てを・・・・」
「この程度、たいしたことはない」
完全に蚊帳の外に置かれた白鳳と神風は、彼らのやり取りを呆然と見守っていた。
「我々に対するクソ生意気な態度とずいぶん違うんだけど」
「正直、私もびっくりしました。よほど強固な信頼関係があるんでしょう」
「ひょっとして・・・出来てるのかな」
邪な好奇心が芽生えた白鳳は、身を乗り出して、ふたりの様子を事細かに観察し始めた。暗がりにもかかわらず、真紅の瞳がキラキラ輝いているのが分かる。
「白鳳さま、すぐそういう方向に考えるのは止めて下さいっ」
「だって、男の子モンスター同士の絡みなんて、ちょっとドキドキじゃないかv」
白鳳はわくわく顔で切り返したが、当然、従者の反応はにべもなかった。
「ドキドキなのは白鳳さまだけですよ」
「ええっ、そんなぁ」
「フローズンの手当てをするんでしょう」
本気でショックを受けている主人に半ば呆れつつ、神風は自分たちの果たすべき役目を提示した。ひとつのことに夢中になると、蝶々を追い掛ける猫よろしく、すぐまわりが見えなくなるのだ。
「あ、そうだったね」
「きゅるり〜。。」
「全く・・・・・」
世話が焼ける、というフレーズを飲み込んだのはこれでもう何度目だろう。
(もっとも、白鳳さまに手が掛からなくなったら、それも張り合いがなさそうだけど)
程なく、男の子モンスターたちの会話が一段落したので、白鳳主従はフローズンの治療を再開した。ふたりの的確で丁寧な処置を目の当たりにして、その後はDEATH夫も遮るような真似はしなかった。
TO BE CONTINUED
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