*くちづけの波紋〜前編*



ぽつんと取り残された小芋が、慣れた箸さばきで鍋から運ばれる。肉じゃが、五目豆、筑前煮、野菜のきんぴら、そして、芋の煮っ転がしで予定の献立は終了だ。香り付きの湯気を散りばめた総菜を器へ入れ、白鳳は会心の笑みを浮かべた。
「これで全部完成っと♪」
「きゅるり〜」
当地での目標も滞りなく達成し、白鳳一行は明朝、出立する予定だ。フローズンの調査によると、次の国へのルートは、うしバスも使えぬ獣道で、山越えには丸一日費やすという。途中で食材や飲み水を確保出来る保証はなく、当然、前もって準備しておかなければなるまい。そこで、白鳳は宿の厨房を借り、せっせと調理に勤しんでいたのだ。普段の食事とは異なり、冷めても風味が落ちないよう、こしらえたのは全て常備菜の類である。大小の容器に蓋をしながら、白鳳は肩先のスイへにこやかに語りかけた。
「後は宿を出る直前に、井戸水を水筒に入れなきゃね」
「きゅっ、きゅるり〜っ」
「まだ、何か忘れて・・・・!?」
白鳳の研ぎ澄まされた五感が、只ならぬ気配を感じ取った。禍々しい気が1秒ごとに膨らみ続け、今にも破裂しそうだ。ダンジョンでもめったに遭遇しない強烈な闘気を、訝しく思う間もなく、耳を破る爆発音と共に、煉瓦造りの建物全体が激しく揺れた。
「きゅるり〜っっ」
「スイ、こっちへ」
弟を両の掌で包み込み、白鳳は素早く調理台の下へもぐり込んだ。いくつかの鍋とおたまが床へ落ち、チャイナ服の足元まで転がってきたが、幸い、調度品が倒れる心配はなさそうだ。程なく揺れは収まり、白鳳は安全を確認して、ゆっくり立ち上がった。入魂の作品の数々は、調理台の端まで寄ったけれど無事で、白鳳は安堵しつつ、器を並べ直した。
「いったい、何だったんだろうね」
「きゅるり〜?」
件の巨大な気との関連を思えば、地震とはまるっきり別物だ。けれども、ダンジョンに巣くうモンスターが街中へ出向くわけがない。そもそも、一般モンスターがあのレベルの闘気を放つことは出来まい。
「う〜ん、神風やフローズンなら分かるかな」
下手な考え、休むに似たり。疑問が湧いたら、聡明で博識な従者の見解を聞くのが一番だ。総菜が詰まった容器を残し、白鳳が厨房のドアを開きかけた時、すき間から一寸の虫が飛び出した。



「うお〜い、てーへんだ、てーへんだっ!!」
セリフこそおちゃらけた時代劇モードだが、顔付きを見れば、いつになく真剣だ。ひょっとしたら一大事かもしれないと、白鳳は低い声で問いかけた。
「ハチ、どうしたの」
しかし、3界一の食いしん坊は、光り輝く料理を見るやいなや、白鳳の質問を無視して、一目散に調理台へ向かった。厨房へ来た目的は、いとも簡単に忘れ去ったようだ。もっとも小振りの容器の蓋を開けたハチは、じっくり煮染めた芋と感激の対面をした。
「おっ、美味そうな芋だな〜」
鼻の穴をピクピクさせて、小芋を両手で掴んだハチだったが、TPOを弁えない愚か者には、白鳳の厳しい制裁が待ち受けていた。
「非常時くらい食欲は捨てな、このスットコドッコイ」
「あてっ」
「きゅるり〜っ」
たおやかな手が一閃して、ハチは調理台からあっけなく叩き落とされた。しかし、床を転がりながら、なお小芋を放すことなく、歯をむき出してがぶりとかじり付く。ぷっくりほっぺをもごもご動かし、ハチは芋の煮っ転がしを十分堪能した。
「やっぱ、かあちゃんの料理は世界一だ♪」
物理的な迫害にもめげず、見事、目的を達成したハチは、顔じゅう口だらけにして豪快に笑っている。満足げに哄笑する様を見遣りつつ、白鳳は心ならずも軽い敗北感を覚えた。
(こ、こいつ・・・・ある意味、漢だね)
いかなる障害に見舞われても、一旦、手にした食料を決して放さないあたりはたいした根性だ。食い物とオトコ、性質は180度異なるが、生涯を賭けて追い掛ける対象であることに変わりない。ハチに比べ、自分のオトコへのアプローチはまだまだ甘いのではなかろうか。もっと、なりふり構わず、粘着すべきでは。己の首をいっそう絞める方針を選択しかけたとも知らず、白鳳は素直にハチの執念に感服した。
「負けたよ、ハチ。。」
「えっへん」
ハチはいつも通り、胸を張ったつもりで腹を突き出した。日頃のやり取りなら、これで一段落するところだが、今日ばかりはハチの”てーへんだ”の内容を聞くまでは終われない。白鳳は人差し指でハチの太鼓腹をつついて、事情の説明を促した。
「ムダに威張ってないで、とっとと用件をお言い」
「あっ、そーだっ・・・かみかぜとですおがようっ」
メンバー中、唯一微妙な関係で、ペアになるはずもないふたりの名が出て、白皙の美貌が微妙に強ばった。胸の奥が不安でざわつくのが分かる。
「神風とDEATH夫がどうしたの?」
「大ゲンカしたんだよう」
「えええっ」
「きゅるり〜っっ」
一般モンスターにあるまじき気も、彼らのいずれかなら納得が行く。ついに恐れていた事態が生じてしまった。けれども、生来、好戦的なDEATH夫はともかく、温厚で慎重な神風が腕ずくに出るなんて信じられない。どんなにDEATH夫に挑発されようと、賢く受け流してきたのに。
「とにかく、当事者から話を聞かなきゃ。ハチ、神風とDEATH夫のところへ案内して」
「きゅるり〜」
「がってんだ、裏庭だかんな」
ようやく、メッセンジャーの使命を思い出し、ハチのひょうきんな面差しも心なしか引き締まっている。小刻みに羽を動かすハチに続き、白鳳とスイは現場へ向かった。



ハチに連れられ、建物の裏へ回った白鳳は、一部が無惨にえぐり取られた花畑を見た。間違いなく、先程の衝撃波の爪痕だろう。その空ろを間にして、神風とDEATH夫は無言で睨み合っていた。DEATH夫の傍らにはフローズンが、神風の傍らにはオーディンとまじしゃんがおり、危うい気配を察知した仲間が、ふたりの対決を慌てて制止したらしい。ハチは大ゲンカと表現したが、実のところ、戦闘未遂に終わったようで良かった。しかし、最悪の事態こそ回避出来たが、根本的な問題は何も解決していない。肝心なのはむしろこの後の処置だ。白鳳は従者たちのところまで駆け寄ると、きつい口調で切り出した。
「何があったの?!」
「きゅるり〜」
「白鳳さま」
「・・・・スイ様まで・・・・」
「調理中なのに、すぐ来てくれたんだっ」
黄色い花々をかき分ける主人の姿が目に入り、フローズン、オーディン、まじしゃんは張り詰めた糸をやや緩めた。が、当の神風とDEATH夫は白鳳を一瞥もせず、拒絶のオーラを放ち続けている。この分だと争いの根は相当深そうだ。前途多難を再認識させられ、白鳳は内心ため息をついた。
「皆、ケガはない?」
「大丈夫だよっ」
「うむ、一撃のみで止められたからな」
「・・・・オーディンがいち早く気付いてくれたおかげです・・・・」
「んだんだ、さすがはおーでぃんだ」
「そう、良かった。となると、後は・・・・」
お供に物理的被害がないと分かるやいなや、白鳳はなおも静かな火花を散らす神風とDEATH夫へ詰め寄った。
「どうして、いきなり実力行使に走ったの?」
「「・・・・・・・・・・」」
主人の真摯な問いかけも虚しく、彼らは口を閉ざしたままだ。激しい闘気は未だ収まらず、仲間の目さえなければ、いつ戦闘を再開してもおかしくなかった。
「ふたりの間にわだかまりがあるのは知ってたけど、ずっと大きな揉め事もなく、旅してきたじゃない。それとも、数年間抑えてきた感情が爆発しちゃったのかな」
「「・・・・・・・・・・」」
白鳳は神風とDEATH夫を頭ごなしに叱ろうとは思っていない。彼らの諍いは決定的な破綻が生じなかったのを幸いに、亀裂の入った関係を放置しておいた自分の責任でもある。もっと進んで対策を講じていれば、こんな結末は回避出来たのだ。だが、事ここに至っては仕方ない。どん底まで落ちたのをきっかけに、ふたりの仲の修復に本気で着手しよう。とは言うものの、具体的な状況が判明しないと、方針の立てようがない。なんとか神風たちから争いの訳を聞き出さなければ。
「ねえ、何を聞いても怒ったりしないから、正直に話してみてよ」
「「・・・・・・・・・・」」
神風もDEATH夫も相変わらずだんまりだった。が、決して白鳳の質問を無視しているわけではない。強者と全力で闘うべく、気と五感を限界まで高めたので、まだ日常モードに戻っていないのだ。目一杯高ぶった感情を、静める時間も必要だろう。その辺の要素を察し、ひとまず追及を止める知恵があれば、一人前のマスターだが、残念ながら、短絡的な白鳳は深謀遠慮や根気とは無縁だった。逆に、せっかく下手に出たのに、冷たくシカトされ、”怒らない”と告げた舌の根も乾かないうち、すっかりおかんむりになった。元々反抗的なDEATH夫はまだしも、神風が答えてくれないのが火に油を注いだようだ。
「麗しい主人の求めに、あくまでも応じない気だね。ふんだ、言いたくなければ好きにしなよ。その代わり、事情を教えるまで一切食事抜きだから」
「「・・・・・・・・・・」」
「げげーん!!」
神風やDEATH夫に子供のお仕置き程度の罰で効果があるはずもなく、打ちのめされたのは無関係な食いしん坊1匹だった。真っ青な顔で糸目になって迷走するハチが目に止まると、白鳳は苦笑混じりに言いかけた。
「ハチに言った訳じゃないのに、ショック受けることないでしょ」
「でもよう、メシ抜きだなんて、他人事でも胸が苦しくてよう」
腹ぺこになった自分を想像しているのか、必死の形相で歯を食いしばっている。場に似合わぬハチの滑稽な仕草に、深刻だった一同の顔が仄かに綻んだ。
「安心おし。一食抜いて、即、死にかけるのはお前しかいないって」
「そっかなあ」
「きゅるり〜」
ひとり小首を傾げるハチの頭を優しく撫でつつ、フローズンがおっとり提案した。
「・・・・白鳳さま、DEATH夫たちとて争いが本意だったとは思えません・・・・。・・・・白鳳さまの問いに答えないのは、気持ちの整理がつかないだけでは・・・・。・・・・しばらく時間を置いてみてはいかがでしょう・・・・」
「・・・・そうした方が良さそうだね」
聡明なフローズンの意見で、白鳳もやっと冷却期間が必要だと悟ったようだ。取りあえず、尋問を打ち切ると、白鳳は男の子モンスターたちと連れ立って宿へ戻った。



神風とDEATH夫にはそれぞれの寝室で謹慎を申し渡した。いささか強引な処罰に、また一悶着あるかと気を揉んだが、彼らは意外なほどあっさり指示に従った。白鳳と残りのメンバーで荷造りをして、旅立ちの準備を終え、食事や入浴も時間通りに済ませた。が、軟禁状態のふたりからはまるっきり音沙汰がなかった。経緯さえ言えば、すぐ解放すると告げたにもかかわらず、だ。
「ったく、神風もDEATH夫も頑固だねえ」
「・・・・いかがいたします、白鳳さま・・・・」
「この問題に決着が付くまで、出立は出来んな」
オーディンの言葉に、誰もが深くうなずいた。パーティー内の和が乱れたままでは、効率良い捕獲はもちろん、快適な道中すらおぼつかない。メンバーはおのおの固有の役割を担っているのだ。それに縁あって仕えてくれた彼らが、いつまでも冷たい関係なのは、マスターとしての己の未熟さゆえと、白鳳は密かに責任を感じていた。
「さて、どうしたものかなあ」
適当な打開策が浮かばず、嘆息する白鳳の眼前に、小太りの珍生物がやって来た。
「なあなあ、はくほー」
「何、もう眠たいの?」
「うんにゃ。オレ、考えたんだけどよう、かみかぜとですおが出て来ないのは、ひょっとしたら、ハラ減ってぶっ倒れてんじゃないかー」
脳みそ3グラムらしいへっぽこな発想に、暗い雰囲気がほっと和んだ。実務の役には立たなくても、ムードメーカーたるハチの存在は常に欠かせない。穏やかな笑みと共に、白鳳は諭すごとく切り返した。
「さっき言ったでしょ。普通の生き物は一食抜いたくらいじゃ倒れないよ」
「そっかなあ」
苦心して導き出した結論を一言で退けられ、肩を落とすハチだったが、そこに思わぬ援軍が現れた。
「でも、倒れなくてもお腹はすいてると思うよっ」
「きゅるり〜っ」
まじしゃんの素直な感覚に、スイが賛同とばかり声を張り上げた。しかも、神風&DEATH夫空腹説を支持したのは、無邪気な年少組だけではなかった。
「・・・・確かに、まじしゃんの言うことも一理ございます・・・・」
「うむ、ふたりとも昼以来、水さえ口にしていないはずだ」
「う〜ん、兵糧攻めを続けても、あのコたちには効果なさそうだし、かえって健康に悪いよねえ」
行き届いた栄養管理は、長旅を元気に耐え抜くには必須だ。いくら、諍いの原因を告白しないからといって、体調を崩すような罰則は好ましくない。
「んだんだ、早くメシ食わせてやりや」
「よし、夜食を差し入れるかあ」
「きゅるり〜」
弟や従者の進言を受け容れ、白鳳はあっさりメシ抜きの刑を断念した。居間の一角にある簡易キッチンへ移動した白鳳は、食事の支度をすべく、野菜スープの鍋を火にかけた。支度といっても、すでに完成したメニューを温め直すのみなので、たいした手間ではない。てきぱきと食器を並べる白鳳の後ろへ、雪ん子が忍び寄り、小声で囁いた。
「・・・・食事の合間にさり気なく事情を聞けないものでしょうか・・・・」
「あっ、それ、いいかも」
フローズンの提案は、白鳳に少なからぬ期待を抱かせた。真に美味しい料理は荒んだ心を癒してくれる。魅惑の味に気が緩んだはずみで、思いがけない背景を漏らすかもしれない。全貌を露わにしようなんて考えていない。ささやかなヒントさえ掴めれば十分だ。長年、燻っていた課題だし、一朝一夕には解決しないだろうが、どうにかして糸口を見出したい。白鳳は口唇をきゅっと引き結ぶと、力強く切り出した。
「なら、神風のところへは私が行くよ」
「・・・・DEATH夫の方は私がまいります・・・・」
「きゅるり〜」
夜食の準備を終えてから、白鳳とフローズンは新たに決めた方法を皆へ報告して、快く了承を得た。気心が知れた者との1対1の会話なら、他者には言えないことを口にする場面もあり得る。神風と白鳳、DEATH夫とフローズンの組み合わせも、一同、納得の人選だった。
「じゃあ、行ってくるね」
「・・・・出来る限りのことはいたします・・・・」
籐細工のお盆に置かれたバランスの取れたメニュー。各人のお盆を両手で持った白鳳とフローズンは、見送りの連中を前に、決意も新たに顔を上げた。
「はくほーもふろーずんも頑張れー」
「ちょっとでも進展があるといいねっ」
「くれぐれも無理強いはいかんぞ」
「きゅるり〜っ」
白鳳にとって、神風はもちろん、DEATH夫もまた掛け替えのない従者だ。対主人や対仲間への言動を見る限り、ふたりがあそこまで揉める理由が分からない。善悪抜きの相性はあっても、理解し合える可能性が1%でも残されているなら、あらゆる手を尽くして模索したかった。
「神風、私だけど入るよ」
もうひとつの寝室をノックするフローズンを見遣りつつ、やや上擦った声で叫ぶ。敢えて、相手の応答を待たず、白鳳は勢い良く扉を開けた。


TO BE CONTINUED


 

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