*へっぽこ魔法陣〜前編*
いつもより時がゆるりと流れる館の自室で、大きなソファにしどけなく横たわる白鳳。窓から降り注ぐ鮮やかな陽の光が目に眩しい。ベルト部分に陣取り、うつらうつらするスイを気遣いつつ、白鳳は大きく四肢を伸ばした。
「う〜ん、今日もいい天気だねえ」
「きゅるり〜」
数ヶ月もの過酷なロードを終え、白鳳一行はひとまず館へ帰ってきた。気候や環境が異なる様々な土地を訪れ、未知のモンスターを探し求める日々は、どんなに無理のないスケジュールを組んでも、気力と体力を削ぎ落として行く。未だ終わりが見えない行程だけに、たまには諸々のしがらみから解放された休息も必要だ。私邸で待つ男の子モンスターの数が増えるたび、確実に目的へ近づいたと感じるし、戦闘も捕獲も忘れ、まったり過ごす贅沢な時間は心身の疲れを癒し、新たなエネルギーを与えてくれる。
「あれ、もう11時かあ。そろそろ昼食をこしらえなきゃ」
「きゅるり〜♪」
時報に呼応するごとく大あくびをした、スイのしっぽの花がくるりんと回る。丸っこい身体を抱き上げて、そっと右肩へ乗せると、白鳳はおもむろに上体を起こした。
「今日のおかずは何にしようかな」
慢性的な怠け癖で従者を悩ませている白鳳だが、弟との極上のまどろみを中断しても、おさんどんに励むところを見ると、根っから料理好きなのだろう。
「取り合えず、今ある材料を確認して来ようっと」
「きゅるり〜」
この地方には特に目新しい食材はないものの、農作物は新鮮で質も良い。帰路に立ち寄った市場で最低限の野菜は購入したし、前回作ったおいた漬け物や果実酒が、すっかり熟成しているはずだ。少なくともランチに支障を来すことはあるまい。厨房へ移動すべく、白鳳がすっくと立ち上がった途端、ドアが90度近く弧を描き、フローズンが可憐な顔を覗かせた。
「・・・・白鳳さま・・・・」
「フローズンは出掛けなかったの?」
珍しく、パーティーメンバーが姿を見せなかったので、白鳳邸では昼過ぎまで眠るDEATH夫以外、全員外出したとばかり思っていた。
「・・・・はい、書斎で本を読んでおりました・・・・」
「他のコは?」
「・・・・神風とオーディンは散歩のついでに、次の旅に備えて、戦闘用のアイテムを物色して来るそうです・・・・。・・・・ハチは日課の花畑へ、まじしゃんは薬草を採るため、奥の森へ参りました・・・・。・・・・DEATH夫はまだ就寝中かと・・・・」
せっかくの完全オフにもかかわらず、生真面目な従者たちは一部を除いて、次の旅の準備に余念がない。大方、フローズンが読んでいるのも男の子モンスター関連の本だろう。彼らの誠意はありがたいけれど、休む時には心おきなく休んで欲しい。日頃の献身を考えたら、ちょっとくらい羽目を外したってかまわないのに。
「ここにいる間はさしたる仕事はないんだから、フローズンも午後は遊びに行ったらどう」
「きゅるり〜」
白鳳のみならず、スイも促すように一声鳴いたが、フローズンは微笑を湛えたまま、おっとり切り返した。
「・・・・いえ、私は読書している方が楽しいので・・・・」
「本当にフローズンは本が好きなんだね」
「・・・・白鳳さまの書斎には貴重な学術書がたくさんございますので、つい時を忘れて読み耽ってしまいます・・・・」
学者だった父が、様々な分野の研究者と交流があったおかげで、館の蔵書は質量共にかなりのものだ。向学心旺盛なフローズンが、頬をほんのり紅潮させ、喜びを隠さないのもうなずける。もっとも、肝心の白鳳がそれを役立てる場面はほとんどない。××道楽ばかりに血道を上げて、父は草葉の陰でさぞかし嘆いているに違いない。
「で、読書タイムを中断して来たってことは、何かあったのかな」
白鳳のもの柔らかな問いかけに、フローズンは申し訳なさそうに口を開いた。
「・・・・大変言いづらいのですが、本が1冊見当たりません・・・・」
「え」
「きゅるり〜」
暢気な休日の予期せぬアクシデント発生に、白鳳とスイは呆けた声を漏らすと、しばし硬直した。
朝からずっと書斎にいたフローズンは、主人の蔵書が紛失したことに責任を感じているのか、面を深く沈めたまま、消え入りそうな声で言葉を紡いだ。
「・・・・左側の奥の棚が1冊分抜けているんです・・・・」
「左側の奥・・・ねえ」
「・・・・周囲から推測するに、魔術系の本ではないかと・・・・」
「きゅるり〜っ」
当の白鳳こそ手にする機会は少ないが、蔵書全てが父の形見みたいなもので、兄弟にとって掛け替えのない大事な宝だ。学者志望のスイが元に戻る日が来れば、必ずや役立ってくれるし、そもそも、屋敷内の物品がいきなり紛失するなんて、外部から侵入者でもない限り、普通あり得ない。
(男の子モンスターで一杯の館を、盗賊の類が狙うかなあ)
土地のものですら、気味悪がって近寄らないのだ。まして、確実に利益を獲得したい者が、正体の知れない家をターゲットにするわけがない。となれば、邸内の誰かが持ち出した可能性も検討すべきだが、館に常在する男の子モンスターは、書物に興味がない連中ばかりで、書斎の学術書を求めるとは思い難い。正直、犯人の見当が付かず、白鳳もフローズンも首を捻った。
「とにかく、屋敷内を隈なく探してみよう」
「・・・・はい・・・・」
「きゅるり〜」
白鳳の提案に賛同して、フローズンとスイも消えた書物の探索に乗り出した。まずは私邸に残った男の子モンスターに聞き込みだ。紅いチャイナ服は遠目からでも目立つ。廊下に現れた白鳳を目にしたしもべたちはわらわらと周りに群がった。
「ご主人様、遊んで、遊んでー」
「また旅のお話して欲しいなあ」
「ご主人様の大活躍、聞きたいですう」
お得意の捏造武勇伝&大河ロマンスを語りたいのは山々だが、残念ながら今はそれどころではない。後方まではっきり伝わるよう、白鳳は腹部に力を入れて絶叫した。
「誰か書斎から本を持ち出したコはいないーっ?」
「本?」
「ひょっとして、ご主人様が読んでくれるのー」
「わーい、嬉しいな」
「ご主人様、大好き♪」
どうやら、白鳳が皆に絵本を持ってきたと思い込み、無邪気に喜んでいるようだ。やはり、彼らが悪さをしたと判断するのは、明らかに無理がある。
「・・・・この様子ですと、何も知らないのではございませんか・・・・」
「きゅるり〜」
「そうだね。じゃあ、地道に各部屋をチェキするか」
最後の手段とばかり、ふたりと1匹は広い白鳳邸を、玄関から一部屋一部屋見回った。だが、本が見つかる気配はこれっぽちもない。父の蔵書だから気合いを入れて頑張ったけれど、元は根気に欠ける白鳳は、段々苛ついてきた。
「んもう、いい加減出て来たらどうなのさ。昼食の準備だってあるんだよっ」
うんざりした面持ちで言い捨てた白鳳へ、フローズンがはっとして言いかけた。
「・・・・まだ、厨房を見ておりません・・・・」
「台所で読書するおバカがいるかなあ」
「きゅるり〜」
恐らく厨房へ行っても、解決の糸口にはなるまいが、風呂場やトイレまで探したし、どうせこれから料理をするのだ。捜索は一時中断するつもりで、白鳳たちは長い廊下をてくてく歩いた。蔵書の行方は気掛かりではあるが、一旦、調理に集中しよう。
「フローズンはもういいよ、ありがとう」
厨房の扉の前で、白鳳はうなだれる雪ん子の背中を優しくさすった。フローズンに責めはないし、むしろ楽しい読書中に、嫌な思いをさせて申し訳ないくらいだ。しかし、責任感が強いフローズンは、その場を離れようとはしなかった。
「・・・・本が消えたままでは、私の気が済みません・・・・」
「そんな暗い顔しないで。失せ物は血眼になって探すほど発見出来ないものだよ。きっと、忘れた頃にひょんな場所から出てくるさ」
「きゅるり〜」
白鳳の肩先で、スイが大きくうなずいたが、相変わらずフローズンの表情は晴れなかった。
「・・・・そうおっしゃられても・・・・」
「取り合えず、ちゃっちゃと昼食こしらえちゃうから、フローズンは居間で男の子モンスターたちと一緒に待ってて」
健気な従者にこれ以上、心理的負担をかけまいと、快活な笑顔と共に告げてから、ドアを開いた白鳳は、紅の双眸に映る光景に驚愕した。
台所で読書に勤しむ大バカ者、いや虫がいた。調理台の真ん中で、あぐらをかいたハチが、うんうんうなり声をあげている。前に置かれた分厚い本は、紛れもなく書斎にあるべき本だ。
「・・・・ハチ」
「きゅるり〜。。」
「・・・・まさかハチが・・・・」
予想外の犯人に合点が行かず、白鳳は抜き足差し足で調理台へ近づいて、ハチの行動を覗き込んだ。脳みそ3グラムの頭をわきまえず、学術書を理解しようとして、全精力を使い果たしたのか、ハチは戸棚にしまってあったクッキーを食していた。一口かじるごとに、甘い欠片がページへぱらぱら飛び散る。放っておいたら、大事な本に油が付着して、汚れてしまう。白鳳は思いっ切りバックスイングすると、しなやかな腕を振り下ろした。
「本の上でモノを食ってんじゃないっ」
「あてっ」
強烈な一撃をまともに受け、ハチは台の上から無様に転がり落ちた。白鳳は素早く本を手に取り、食べかすを丁寧に払いのけた。後頭部を押さえながら、よろよろ浮上したハチに、厳しい叱責が浴びせられる。
「ホントにお行儀が悪いねえ。かあちゃん、こんなコに育てた覚えはないよっ」
「でへへー」
白鳳が”かあちゃん”と自称したのが嬉しくて、ハチは叱られたことも忘れ、屈託なく破顔した。が、肝心の白鳳は反省の色が見られないと解釈したらしく、先細りの指がぷっくりほっぺを力任せにつねった。
「これでも、へらへら笑ってられるかな」
「あててててっ」
つきたての餅にも似た、ハチの頬肉がぐに〜っと伸びる。短い手足をバタつかせ、涙目になってもがく仕草を、フローズンが見かねて主人を制止した。
「・・・・白鳳さま、あまり手荒な真似は・・・・」
「しょうがないねえ。んじゃ、お仕置き終わり」
フローズンに憂い顔をさせるのは本意ではない。白鳳は渋々ハチから手を離した。とは言うものの、ハチの根本的な罪は別にある。書斎から勝手に本を持ち出した事実は明白だ。
「なぜ、黙って書斎の本を持ってったの?屋敷の中を散々探しちゃったじゃない」
「きゅるり〜っ」
ハチとは大の仲良しのスイも、紛失したのが父の大切な本だけに、頭からぷんすか湯気を出している。白鳳兄弟の怒りのオーラを目の当たりにして、ハチはいつになく神妙な面持ちで、ぺこぺこ頭を下げた。
「ゴメンよう、はくほー、スイ」
「・・・・どうか、ハチを許してあげて下さい・・・・。・・・・ハチにもハチなりの事情があったと思います・・・・」
「もう、しないよう」
元気者のハチがしょんぼりする様は、決して気持ちの良い眺めではない。ほんの出来心で悪気はなかったのだろうし、本自体は無傷で取り戻せたのだから、そろそろ勘弁してやろう。白鳳の険しい美貌がふっと緩み、緋色の瞳に温もりが戻った。
「よし、今日のところはフローズンに免じて許す」
「きゅるり〜」
「おおおっ、やた〜♪」
「・・・・良かった・・・・」
「ただし、今度悪さをしたら、3食+おやつ抜きだからね」
「げげーん!!」
これだけ過酷な制裁内容を告げておけば、まず間違いなかろう。ハチには一番効果的な釘の差し方だ。叱られてしょげたり、浮かれてコサックダンスをしたり、ショックで糸目になったり、ちっこい珍生物の生態は全く見てて飽きない。
「にしても、寄りによって、ハチが本を持ち出すとはねえ」
「きゅるり〜」
日頃、頭脳労働とはまるっきり無縁で、読書から最も遠い存在ではないか。果たして、いかなる本を選択したのだろう。白鳳・フローズン・スイは、訝しげに本のタイトルに視線を送った。重厚な装丁の表紙には、飾り文字で”魔法陣大全”と記されてあった。
「父さんの蔵書にこんなのあったっけ」
「・・・・まじしゃんが師匠からいただいた本です・・・・」
「あ、なるほど」
そうだ、まじしゃんの修行用の本を、何冊か預かっていた。蔵書の紛失に衝撃を受け、スイと一緒に大騒ぎしたけれど、結局、父の所有物ではなかったのだ。まあ、まじしゃんの本であろうと、貴重な研究書には変わりないし、一旦、預かったからには責任持って取り扱わなければ。
「・・・・ハチは魔法陣に興味があるのでしょうか・・・・」
「ねえ、この本でいったい何を調べようとしたんだい」
ハチに対する怒りはすでにないが、本を求めた動機だけははっきりさせておきたかった。魔力もないハチが魔法陣大全に挑戦した意図が分からない。
「オレ、閃いたんだー」
「・・・・閃いた・・・・」
「ハチが閃いたぁ?」
「きゅるり〜。。」
読書同様、ハチに400%似合わないアクションに、白鳳たちは目をぱちくりさせて、顔を見合わせた。が、ハチは仲間たちの鈍い反応を尻目に、天真爛漫な笑顔で言い放った。
「魔法陣を使えば、悪魔でも呼び出せるって」
ハチの危険極まりない発想に、白鳳は整った眉をきゅっとたわめた。召喚魔法は術者が害される恐れを伴う諸刃の刃ゆえに、未だまじしゃんにも許可していないのだ。
「悪魔だって!?」
「んだんだ」
「悪魔を召喚してどうするのさ」
白鳳の疑問へハチが答えようとするやいなや、フローズンが虹彩に光を灯して呟いた。下向きの長い睫毛が小刻みに揺れる。
「・・・・もしかしたら・・・・」
「心当たりがあるんだね、フローズン」
「・・・・ハチはDEATH夫の主人を召喚するつもりなのでは・・・・」
「えええっ」
「きゅるり〜っ」
そう来たか。ハチとしては働きの悪い脳を目一杯使って、絞り出した知恵に相違ない。フローズンにずばり言い当てられ、ハチは感心したように左右の触角を大きく弾ませた。
「おうっ、よく分かったなっ。これでですおもきっとご主人様に会えるぞー」
DEATH夫の願いが叶った図を思い浮かべて、ハチは嬉しげに歯をむき出している。けれども、魔法陣での召喚は単に図形だけ象れば成功するわけではない。魔法陣を発動させるための魔力は必須だし、細かい条件やアイテムを要する場合もある。しかも、仮に召喚出来ても、相手が意に添う行動をするとは限らないのだ。
「ハチ、召喚は簡単なものじゃないんだよ」
「・・・・召喚対象が強大なほど、交渉は困難を極めますし、失敗した時の代償も重いのです・・・・」
相手が悪魔であれば、願いを聞く代わりに魂を要求されるのは、火を見るより明らかだ。客観的に見て、こんな割に合わない召喚はない。白鳳とフローズンの説得で、ハチもようやく計画の無謀さを悟ったようだ。
「そっか、オレ、本の通りにしたら、うまく行くと思ってた。。」
「あくまで書物は机上の空論で、実戦とは微妙に違うからさ」
「きゅるり〜」
「・・・・もう、魔法陣のことは忘れましょう・・・・。・・・・本は私が片付けてまいります・・・・」
フローズンが抱え上げた魔法陣大全を無念そうに睨みながら、ハチが心の叫びを高らかに吐露した。
「く〜っ、早くですおをご主人様と会わせてやりたいぜー、なっなっ」
ハチは当然のごとく、皆に同意を求めたが、途端に厨房内に不穏な空気が漂った。今でもフローズンはDEATH夫の帰還に断固反対しているのだ。雪ん子の愛らしい顔が微かに強ばったのを白鳳は見逃さなかった。
(あちゃー、フローズンに再会話は禁句なんだってば)
ハチの心情は察するに余りあるが、呼びかけにうっかり返事したら最後、フローズンとの冷たい戦争が待っている。実のところ、白鳳とて当初はフローズンと同じ意見だった。しかし、DEATH夫が垣間見せる主人へのひたむきな思慕に心を打たれ、結局、彼に協力することを約した。その時、フローズンとの折り合いをつけるべきだったのに、言い出せないまま、ずるずる来たのがいけなかった。破局はいつも突然に訪れる。今回も例外ではなかった。
「なんだよう、はくほー。全面的に協力するって言ってたじゃないかよう」
「げっ」
「きゅるり〜っ」
無言でスルーされたハチは業を煮やし、主人の本音の誓いを口にのぼせた。息を飲んで、恐る恐る傍らを見遣った白鳳は、日頃の穏やさの欠片もない冷徹な眼差しに射抜かれた。肩先のスイも青ざめ、震え上がっている。フローズンがこんな怖い顔をするなんて。
「・・・・白鳳さま、いつの間にDEATH夫の味方になられたのです・・・・」
「ふ、フローズン」
ひょんなことから、現在の立場が発覚してしまった。今更、己の怠慢さを悔やんでも仕方ない。
(神風に相談して適切な助言を貰おうと思ってたのに。忙しさにかまけて、先延ばしにするんじゃなかったなあ)
DEATH夫の悪魔界行きについて、いずれ、フローズンと対峙するにしても、まだまだ先の話だと高をくくっていたのだ。前触れもなく翻心した白鳳へ一瞥もくれず、フローズンは棘のある声音できっぱり言い捨てた。
「・・・・私は絶対、彼を悪魔界へは帰しません・・・・」
形にならない夥しい冷気が直接、胸へ吹き込む。本を発見した喜びと安堵感は、すでに綺麗さっぱり霧散していた。折悪しく神風もオーディンもまじしゃんも不在だ。白鳳団きっての頭脳派たるフローズンを、白鳳ひとりの力で宥め、説得せねばならない。眼前の氷の面を見つめつつ、白鳳はこの窮地をいかに脱するか、思いあぐねるのだった。
TO BE CONTINUED
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