*へっぽこ魔法陣〜中編*
穏やかなフローズンにそぐわない、刺々しい気が小柄な肢体から立ち上った。不意にあたりの雰囲気が一変したので、幼いスイとハチは為す術もなく、不安げな面持ちでふたりを見遣っている。日頃、温厚な者ほど、本気で怒ると恐い。白鳳は半ば気圧されながらも、フローズンを宥めるべく、ぎこちない笑みと共に言いかけた。
「あ、あまり睨まないでよ。こっちにも事情があってさあ」
「・・・・いったい、どんな事情があるというのです・・・・。・・・・DEATH夫の身を少しでも案じていれば、過酷で非情な悪魔界へ帰そうと、考えるはずがありません・・・・」
いくら天賦の戦闘力を秘めていようと、DEATH夫はあくまで男の子モンスターに過ぎないのだから、悪魔界に骨を埋める必要など微塵もない。放逐されたのがきっかけとは言え、大陸で個性的な仲間と出会い、徐々に本来の世界へ馴染んできたのだ。今更、全ての縁を断ち切って、孤高の道を歩ませたくないと願うのは、友として当然の思いであろう。
「フローズンの気持ちは分かるけど、DEATH夫自身の意向が変わらないと」
「・・・・確かに、この件に関しては、彼は私の言葉に耳を傾けてくれませんでした・・・・。・・・・だからこそ、白鳳さまや皆の力を借りて、説き伏せたかったのに・・・・」
言い差したフローズンの藍色の瞳が、咎めるように淡い光を放つ。白鳳は眼差しから逃げることなく、スイを調理台に降ろしながら、おっとり切り返した。
「いや、DEATH夫はフローズンの助言を、ちゃんと胸に刻んでるよ」
「・・・・え・・・・」
主人の一言を耳にするやいなや、まさに張り詰めた糸だったフローズンの表情が僅かに緩んだ。この機を逃してはならない。白鳳は相手の機嫌が直りそうなコメントを、即座に付け加えた。
「現実を冷静に見据えた方がいいかもって、言ってたし」
「・・・・つまり現状のまま、私たちと旅を続けると・・・・」
「うん」
大きくうなずいた白鳳の双眸に、感激で顔を綻ばせる雪ん子が映った。まさか、DEATH夫がここまで軟化しているとは、予想外だったに相違ない。
「・・・・ああ、やっと理解してくれました・・・・」
「表向きはそっけなく接していても、内心では我々のパーティーを認めてたんだね」
「・・・・良かった・・・・」
白鳳の締め括りに満足して、一旦は和やかな面を取り戻したフローズンだが、ふと大きな矛盾点に気付いた。先程のハチの報告は、明らかに流れと相反しているではないか。可憐な口元を引き締めると、フローズンは訝しげに問いかけた。
「・・・・でしたら、白鳳さまがDEATH夫に全面的に協力するというのは・・・・?」
「うううっ」
精一杯巧妙に話をすり替えたつもりだったが、聡明な従者をごまかすことは出来なかった。
「・・・・なぜ、協力する必要があるのです・・・・」
「だ、だから、いろいろと事情が、ねっ」
白鳳のあからさまな狼狽えぶりを見て、事実は別のところにあると確信したのか、フローズンはますます厳しく追及して来た。
「・・・・事情とは何でしょう・・・・」
完全に元の木阿弥だった。こうなったら、もはや全ての経緯を明らかにするしかない。そもそも、白鳳がフローズンとの話し合いを、先送りにしていたのが悪いのだ。とは言うものの、まだ腹が座り切らない白鳳は、フローズンの顔色を窺いつつ、恐る恐る絞り出した。
「あの時、DEATH夫がいつになくたそがれていたから、見かねてうっかり励ましちゃった。。」
「・・・・どう励ましたのです・・・・」
フローズンの冷ややかな声音が、白鳳の肝を凍えさせる。スイとハチは会話に割り込む隙が見いだせず、眉を八の字にして、調理台の上をおろおろと右往左往するばかりだ。
「元気出せって」
「・・・・それだけとは思えません・・・・」
「弱気になるなとか、発破かけたかなあ」
「・・・・他にもございますね・・・・」
「ひょっとしたら、諦めちゃダメなんて言った・・・かも」
答えを小出しにするのみならず、語尾を濁すのが実に情けない。けれども、ここまで聞けば、フローズンにとって、状況を把握するには十分だった。DEATH夫が白鳳パーティーを容認する発言をする前後に、もっと深刻な会話があったのだろう。日頃は冷静な死神が迷う姿を目の当たりにして、根は情け深い主人が感情移入する様が容易に浮かんで来る。フローズンはやれやれと深いため息をついた。
「・・・・で、私も全面的に協力するから、となったのですね・・・・」
「は、はあ」
きまり悪そうにうなだれる仕草は、まるで取調室の容疑者だ。フローズンの容赦ない詰問に負け、白鳳はひとたまりもなく、真相を白日の下に晒してしまった。
白鳳の言動が純粋な善意から出たのは分かるし、気難しいDEATH夫がそこまで内面を晒したのは正直、驚きだった。が、心優しい仲間たちとの道中を経て、せっかく彼が悪魔界に見切りを付けかけていたのに、白鳳のお節介のせいで全部台無しである。
「・・・・白鳳さまは、DEATH夫が悲惨な目に遭っても、かまわないのですか・・・・」
大人しいフローズンが声高に責めるのは、DEATH夫を掛け替えのない親友と認識しているからこそだ。フローズンの見解ももっともだし、真っ向から否定しようとは思わない。だが、白鳳とて場の雰囲気に流され、DEATH夫に同調したのではない。白鳳には白鳳なりの根拠があった。
「あのDEATH夫が為す術もなく、蹂躙されたりしないって。それにマスターだって、一度は助けに来てくれたんだし、まるっきり脈がないとは言えないよ」
封印中の身にもかかわらず、本来の気を解放したせいで、落命寸前だったDEATH夫を、マスターは人間界へ降臨してまで救ってくれた。DEATH夫が不要な存在であれば、わざわざ手間暇をかけるはずがない。しかし、瀕死のDEATH夫を最初に発見し、親身になって介抱したフローズンからすれば、白鳳の楽天的な意見には納得しかねるものがあった。
「・・・・彼の夥しい傷をご覧になって、なお、そんな発言をなさるのですか・・・・」
「そりゃあ、客観的に見れば、辛くて惨い境遇だけど、DEATH夫自身は納得して、身を置いていたんじゃないかなあ。案外、楽しい出来事もあったかもしれないし」
同胞たる男の子モンスターを、歯牙にもかけないプライドの高さに加え、上流紳士顔負けのマナーや無意識の豪奢嗜好を考えると、戦闘以外の場面では甘やかされ、大事にされて来た気もするのだ。まあ、本人から直に聞いたわけではなく、あくまで想像に過ぎないが。
「・・・・仲間と一緒に諸国を巡って、新たな目的を見出すことが、DEATH夫の幸福への道なんです・・・・。・・・・誰が考えたって、悪魔界に幸せの要素などございません・・・・」
「傍から見れば、そうだろうけど、皆がDEATH夫にとって、最善だと感じたことを、本人が望んでいるとは限らないもん。DEATH夫の意向を無視して、我々に従うのを求めるのは、ただの押し付けだよ」
「・・・・押し付け・・・・・」
主人の翻意に対して、不満を隠そうとしなかったフローズンが、幾分トーンダウンしているのが見て取れた。元々、激しく自己主張するタイプではないし、公正なバランス感覚も持っている。DEATH夫のため、良かれと思ってなすアドバイスでも、旅の目的を捨てろと強要するのは、あまりにも友の気持ちを無視した仕打ちではなかろうか。フローズンの揺れ動く胸の内を察し、白鳳は一気に畳み掛けた。
「追放されて、下界へ来るまでは、マスターがDEATH夫の全宇宙だったんだから、諦められないのは当たり前。あのコの性格を考えると、主人と対面して結論を出さない限り、いつまでも踏ん切りが付けられないだろうね」
「・・・・・・・・・」
この点に関しては、白鳳もDEATH夫に近い部分を持つからよく分かる。たとえ心身に痛手を被ったとしても、白黒はっきりさせないと気が済まないのだ。心に屈託を抱えたまま、未練を残して人間界で暮らすのは、DEATH夫にはマイナスにしかなるまい。
「オレもはくほーの言う通りだと思うぞー」
「きゅるり〜♪」
今まで議論に参加できなかった小動物コンビが、高らかに賛同の意を唱えた。
「おや、スイとハチも賛成してくれるのかい」
普段の会議ではみそっかすになりがちだが、今日は立派な頭数だ。この展開で3対1に持ち込めたのはかなり心強い。白鳳の喜びが伝わったのか、ハチは、誇らしげに胸を張ると、語りモードに突入した。
「おうっ、オレだって、かあちゃんいないって知ったときは、すんげーショックだったけど、事実が判明したおかげで、心おきなくはくほーを真のかあちゃんとしてだなー」
「真のかあちゃんって何さ、おバカっ」
「あててっ」
「きゅるり〜」
いっちょまえに腰に両手を当て、滔々と経験談を述べていたハチは、白鳳の強烈なデコピンで、またもや調理台の上から転げ落ちた。
へっぽこキャラクターのせいで、戯言扱いされがちだが、ハチの話も稀に侮れない。母親を捜して旅を続けたハチは、DEATH夫に強く共感を覚えているに違いない。ゆえに、ハチの心境の告白には、ある意味、説得力があった。短い首筋をさするハチを、持っていた本と引き換えに、ふんわり掬い上げながら、フローズンは躊躇いがちに言いかけた。
「・・・・DEATH夫の気性に関しては、白鳳さまのおっしゃる通りでしょう・・・・。・・・・ですが、もし、彼の心が定まる前に、万が一の事態が生じたら・・・・」
白鳳やハチとは違い、悲観的なきらいがあるフローズンは、最悪の場合を想定して顔を曇らせた。無理もない。悪魔界は大陸での常識など通用しない。力こそ正義の世界だし、状況次第では、命を失う可能性も否めない。フローズンの心配はむしろ当然だろう。けれども、説得を成功させるためには、この難題をどうにかクリアしなければ。可愛い従者の懸念を取り除くべく、白鳳はにっこり微笑んだ。
「大丈夫、今のあのコはみすみす命をムダにしないさ」
「・・・・え・・・・」
「たとえ何処に居ても、DEATH夫はパーティーの一員だもん。頑張ってもダメだと悟ったら、気楽に戻ってきたらいいんだよ。我々が取るべき行動は、彼を頑なに引き止めることじゃなく、首尾良く行かなかった時、暖かく迎えることじゃないかなあ」
「きゅるり〜っ」
「・・・・白鳳さま・・・・」
まだ、不安はあるものの、白鳳たちが難しいDEATH夫を十分理解し、信頼した上で、前向きな提言をしてくれるのが嬉しかった。自分がくよくよ考えてばかりで、行動に移せない質なのも承知している。案外、主人の能天気さの方が、現状打破には役立つのかもしれない。
「・・・・分かりました・・・・。・・・・全面的に協力とまではまいりませんが、DEATH夫を静かに見守りましょう・・・・」
「ありがとう、フローズン」
「うんうん、良かったなっ」
「きゅるり〜」
ハチの効果的なアシストもあり、フローズンを無事、納得させて、白鳳はしみじみ達成感に浸っていた。やれば出来る。胡散臭い小細工に走らず、真摯に誠意を尽くしたのが功を奏したようだ。この姿勢を日常生活に生かせば、恋愛関連だってもっと実りがあるだろうに、悲しいかな、白鳳には一般人の真っ当な発想が絶望的に欠けていた。
「でも、仮にマスターと再会したって、身の振り方はDEATH夫自身が決めるんだから、悪魔界へ戻るとは限らないよ。いかに育ての親でも、所詮は昔のオトコじゃない。気高く麗しい現マスターの素晴らしさを改めて認識した結果、DEATH夫はめでたく私の愛人に・・・な〜んて、ふふっv」
説得の成就に気分が高揚して、お調子体質全開で妄想をぶちまける白鳳へ、フローズンは冷たく背を向けると、一言呟いた。
「・・・・あり得ません・・・・」
「が〜〜〜ん」
「きゅるり〜。。」
久方ぶりに、まともな兄を見て、丸っこい瞳を潤ませていたスイだが、人並みの振る舞いはやはり長続きせず、しょんぼり肩を落とした。白鳳が腐れ××野郎でいられるのは、天下太平の証拠なのだが、度重なる暴れうしの突進も、他人なら生温かく眺めていれば済むが、肉親にとっては居たたまれまい。
「よし、そうと決まったら、善は急げだよ。すぐラック様とやらを呼び出そう」
白鳳の突然の宣言に、フローズンもスイもハチも口を半開きにして、互いに顔を見合わせた。さっきはハチに召喚の危険性を説いていたではないか。フローズンを言い負かしたことで、すっかり気が大きくなっている。浮かれポンチの暴走ほど傍迷惑なものはない。
「・・・・本気ですか・・・・」
「きゅっ、きゅるり〜っ」
「おっ、ですおのご主人様、呼び出すんか」
未だに召喚を分かっていないハチは無邪気に破顔したが、フローズンとスイは即座に白鳳を制止した。
「・・・・無茶です・・・・。・・・・召喚の恐ろしさは、よくご存じのはずではありませんか・・・・」
「きゅるり〜っっ」
決して判断力がないわけではないのだが、困った主人は天真爛漫な好奇心の塊だった。機嫌上々になるにつれ、恐ろしいことに、白鳳は目的より手段の方に心奪われていた。DEATH夫をマスターと会わせるより、自ら上級悪魔を呼び出してみたい。まじしゃんにすら禁じた危険な技を、ど素人の分際で試す気満々である。
「無茶じゃないもん。考えてみれば、魔法陣を使うんだから、召喚魔法とは別物だよ」
「・・・・一定の魔力を持つ術者がいないことには、魔法陣だって発動いたしません・・・・」
「フローズンがいるじゃない」
「・・・・私、ですか・・・・」
「うん」
本式の召喚魔法なら、まじしゃんの不在で頓挫するところだが、魔法陣の作用に限れば話は別だ。魔法の方向性こそ異なるが、純粋な魔力の比較では、フローズンはまじしゃんにひけを取らない。
「・・・・我々だけで召還の儀式を行うのは無謀です・・・・。・・・・せめてまじしゃんが帰るまで待って、詳しい説明を聞いた後で、結論を出しても遅くはないかと・・・・」
「ダメダメ、皆が戻って来たら、話が大げさになっちゃう」
白鳳に従順なまじしゃんならまだしも、先に神風とオーディンが登場すれば、間違いなく計画は露と消える。邪魔が入らないうち、もっともらしい屁理屈を並べ立てて、強引に押し切ってしまえ。他者に無関心なDEATH夫が、あそこまで執着しているのだ。きっとラック様は極上のオトコに決まってる。悪魔界の主従ふたりを、同時に愛人にするのも悪くない。胸の奥で、邪な期待がむくむくと湧き起こる。
「・・・・失敗して、未知の魔物に襲われる羽目に陥るかもしれません・・・・。・・・・私は結界は得手ではございませんし、ハチやスイ様を戦わせるおつもりですか・・・・」
「きゅっ、きゅっ、きゅるり〜」
執拗に反対するフローズンとスイに対し、白鳳は恥もなく、でっちあげ&綺麗事をまくしたてた。
「心配性だねえ、フローズンは。召喚魔法と違って、失敗した場合は何事も起こらないだけだと思うよ。フローズンだって、DEATH夫が手放しで喜ぶ顔を見たいでしょ?」
「・・・・それは、そうですけど・・・・」
普段なら断固として、暴れうしを止めるのだが、親友絡みの要素を持ち出されると弱い。フローズンがDEATH夫の帰還に反対し続けたのも、心から彼の身を案じればこそだ。
「ねっ、ねっ、ハチが”魔法陣大全”を持ち出したのも何かの縁だよ。絶対、挑戦する価値はあるって」
「そだな、ですおのために、思い切ってやってみようぜー」
己の策が採用されそうとあって、両手を勢い良く振り上げたハチがにんまり笑った。真ん丸顔に、ぷっくりほっぺ。緩くカーブした糸目に、鼻梁も小鼻もない鼻。造作は不細工そのものだが、不思議なことに、屈託のない笑みを見遣ると、頭の中に色とりどりの花が咲き乱れ、どこからともなく楽しげなメロディーが聴こえてくるのだ。
「ほら、ハチのお気楽な顔を眺めていると、何もかも上手く纏まりそうな感じじゃない」
「・・・・私もそんな気がしてまいりました・・・・」
「きゅるり〜♪」
幸福きゃんきゃん顔負けのハチの和みパワーで、フローズンたちは一瞬、正常な思考力を失った。この機を逃す白鳳ではない。調理台の本を手早く掴み取ると、どさくさに紛れて、白鳳はひとり勝手に次の段階へ走った。
「じゃあ、さっそく悪魔の召喚方法を調べようっと」
「・・・・え・・・・」
「きゅるり〜?」
「おおおっ、頑張れ、はくほー」
認めた覚えはない急展開に、首を捻るフローズンとスイを尻目に、白鳳は真紅の虹彩を煌めかせ、いそいそとページをめくり始めた。
TO BE CONTINUED
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