*琥珀のMERMAID〜前編*
国境でいきなり役人に検問された時、白鳳は少しだけ身を強ばらせた。ルーキウス王国での王冠盗難事件こそ事なきを得たけれども、心当たりならあり過ぎるほどある。もちろん、旅の目的を果たすまでは捕まるわけにはいかない。力ずくで強行突破するか、袖の下か色仕掛けで目こぼしを狙うか、どんな手を使っても逃げ切らなくては。ただし、現在に限り、金子をばらまく作戦は実行不可能だった。目当ての男の子モンスターを捜すのに手こずり、宿への滞在が長引いたため、予想以上に費用がかかってしまったから。あくまでも供をすると主張した神風たちをどうにか説得して、捕獲したモンスターを連れ帰らせ、最大限の節約をして帰路についたものの、すでに路銀は使い果たしており、宿泊代どころか食事代にも事欠く有様だ。
「ほら、もう通っていいぞ」
役人の前では落ち着き払った風を装いながらも、内心は緊張と懸念で一杯の白鳳だったが、簡単な質問と身体検査が済むと気が抜けるほどあっさり解放された。小さな息をひとつついて、左肩に陣取るスイの頭をそっと撫でながら、街に足を踏み入れる。ただし、最大の危機を回避しただけで、今、そこにある問題は何ら解決していない。宿は野宿で済ますとしても、空腹だけはしのぎようがない。実のところ、白鳳は昨日の昼から何も口にしていなかった。人間なら水だけでも数日はどうにかなると思い、わずかながらの食料は全て弟に与えていた。不確定要素が多い旅なだけに、道中、アクシデントは付き物だ。路銀が底をついたこともなかったわけではない。しかし、今回は様々な悪条件が重なり過ぎた。
(せめて途中にひとつでも歓楽街があればなあ)
どうにでもして稼ぐ方法はあったのに。だが、この地方一帯は農業や鉱業で細々と生計を立てている地味で堅実な国ばかりで、いかがわしい遊興施設すら存在しない。しかも、若者からすれば退屈な場所なのか、皆、刺激を求めて余所に出ており、住民は枯れ果てた老人ばかり。これでは得意の色仕掛けも使いようがない。加えて、誰もが妙に用心深く、強固な門構えの石造りの家には、どこもがっちり鍵がかけられていた。そんなこんなで路銀を調達する術もなく、ここまで来てしまったのだ。
黄昏時のオレンジの光を浴びて、家も人もまばらな広い道を歩きながら、白鳳は先の対策を練っていた。これだけ警戒されていると、民家に侵入するのはまず無理に違いない。中心部にある市場にも行ってみたが、国の住民だけが対象であろうこぢんまりした店しかなかった。
(到底、金になりそうもない国だ)
とはいうものの、状況は切羽詰まっている。ここで金を調達出来なければ、スイの食べ物すらなくなってしまう。しかし、こうして見れば見るほど、国の落ち着いた雰囲気と先程の検問がどうもしっくり来なかった。いったいこの国でなにがあったのだろう。空きっ腹を抱えながら、しばし考え込んでいたが、不意に目の前を見覚えのある物体が横切るのに気付いた。
(あれ?)
緑のしましまバンダナに青いオーバーオールを着た子供が、川沿いにある森の方へ駆けていくではないか。
(空腹のせいで幻まで見えるようになったのかな)
どうせ幻ならもっと美しい光景を見たい、とやや不機嫌になった白鳳の目に、今度はオレンジと赤のバンダナをした瓜二つの子供たちが飛び込んできた。もう疑う余地はない。ナタブーム盗賊団だ。
(ふぅん、あの連中が来ていたとはね)
こんな寂れた国に彼らの欲しがるお宝があるとも思えないのだが。もっとも、地道で堅実な生活をしているからこそ、しっかり小金は貯め込んでるのかもしれない。子分たちの姿を目にしたことで、ようやく国境での検問が納得いくものになった。と言うより、あの場面と盗賊団が無関係のわけがない。白鳳はさっそくリサーチを開始することにした。あたりを見渡して、楡の木陰で談笑している老人ふたりに声をかける。
「あの、少々よろしいでしょうか」
相手は露骨に警戒した様を見せたが、白鳳は出来る限り穏やかな語り口と表情を保って話を続けた。
「この国に入るとき、検問があって驚いたのですが」
「ああ、それは国一番の領主さまの家宝が盗まれたからじゃ」
「家宝?」
白鳳の紅の双眸が妖しい輝きを帯びた。
「なんでも琥珀で作られた人魚像だとか」
「まさか、この国でこんな事件が起こるなんてのう」
「本当に物騒な世の中になったもんじゃ」
口々に嘆く老人たちに丁寧に礼を言うと、白鳳はこの場から離れた。口元にはすでに笑いが滲んでいる。
(これはいいことを聞いた)
きっと家宝とやらを盗んだのはナタブーム盗賊団に相違ない。あのお間抜けな連中が相手なら、それをこちらが手に入れるのは赤子の手を捻るようなものだ。
「ようやく運が向いてきたようだよ、スイ」
思えば、連中にはせっかく手に入れたレアアイテム、ゴールデン捕獲ロープを盗られてしまった苦い思い出もある。ここで彼らのゲットしたお宝を横取りしたところで、何ら良心は咎めないし、むしろ当然の権利だ。もちろん、彼の記憶からは自分が盗賊団の首領アックスにしてのけた数々の悪行はキレイさっぱり消え失せていた。
「よし。野郎ども、食らえ」
アックスの号令と共に、子分たちは皿一杯に盛られたご飯に口を付け始めた。今日の夕食は甘口のカレーライスだ。食欲をそそるスパイシーな香りが、大鍋からテント内に漂っている。
「いただきまーす」
「食うぞー」
「おおっ、美味いぞー」
「ほっぺた落ちるぞー」
「やっぱ、親分のカレーは世界一だぞー」
自分なりの表現で味を褒めながら、カレーをかっ込む子分たちの顔は幸福感で一杯だ。そんな子分たちの様子を眺め、アックスも満足そうに頷いている。盗賊団と言うより、保育園を思わせるほのぼのとしたひとコマ。テントを覗き込んで、それを一瞥すると、白鳳は人魚像の捜索を開始した。住民に事情を聞いてから、子分たちが走り去った方向を辿っていき、森の中に作られたテントを難なく発見したのだ。あとは狙いのモノを手にいれるだけ。だが。
(カレーの匂いは空きっ腹に堪えるなあ)
ここでアックスを脅して、食事と寝床の両方を確保した方がよっぽど手っ取り早い気もするのだが、特定の人間と深い縁を作るのは本意ではない。基本的に火遊びの相手とは2度寝ないと決めているのに、成り行きで再び関係を結んだことさえ気に入らないのだ。渋太く抵抗する相手を心身共に追い詰めつつ、逞しい肉体を貪るのは悪くはないが、身体だけなら他にいくらでも変わりはいる。さんざん可愛がってやったお礼に人魚像をいただいて、さっさとさよならしたいところだ。そんな手前勝手なことを考えながら、テント内に目を凝らしていたが、右隅の方に大きめの木箱に乗せられた全長20センチ強の青い像を発見した。
(あれか)
琥珀といっても、あんな目の覚めるような鮮やかなものは見たことがない。突然変異の一種だろうか。透き通って艶のある外観は高級感に溢れているし、像自体の造作もなかなか麗しい。これならどこへ売りに出しても良い金になるはずだ。善は急げとばかり、白鳳はさっそく行動を開始した。が、もちろん、ここで中に踏み込もうとは考えていない。ひとりひとりは弱っちいけれども、頭数だけはいるので見つかると少々厄介だ。幸い連中は食事中だし、気付かれないうちにこっそりブツだけ奪ってズラかろう。白鳳は愛用の鞭を構え、慎重に狙いを定めた。これを像に巻き付け、そのままこちらに持ち運ぶ算段なのだ。右手を一閃させ、触手を伸ばすと、狙い通り鞭はしっかり像に絡まった。ほくそ笑みながら、それをぐいっと引き寄せた白鳳だったが、たったひとつだけ誤算があった。琥珀の像が予想外に重かったため、途中で鞭からすり抜けて、入り口近くで落下してしまったのだ。ドスン、と決して小さくはない音が響き渡った。
(しまった)
慌てて、像を取ろうとテント内に足を踏み入れたが、当然カレーを食べていた盗賊団一同がこちらを注目した。
「ふふふ・・・・・こんばんわv」
白鳳は人魚像を持ち上げると、状況に不釣り合いな涼しい笑顔で挨拶した。
「あ〜〜〜〜〜っ、何だ、こいつ!?」
「今はごはんどきなんだぞー」
「まさか、またおいらたちをムチでびしばしいじめる気じゃねーだろーな」
「あれは痛かったぞー」
「辛かったぞー」
先日受けた酷い仕打ちを思い出し、恨み言を言い募る子分たち。しかし、さすがにアックスは現在起こりつつある事の本質に気が付いた。こいつが今、手にしているモノは。
「て、てめっ、この像はっ!?」
「これはありがたくいただいて行きますよ」
白鳳は鞭と一緒に人魚像を素早く小脇に抱え、テントから脱兎のごとく逃げ出した。しばらくはあっけに取られていた子分たちだったが、直前までランプの灯りに照らされ、神秘的な光を放っていた像が消え失せたのを悟ると、すぐに我に返った。
「お、おやぶ〜ん!アイツ、人魚像持ってっちゃいましたぜ」
「なんて野郎だっ。おい、すぐに追っかけるぞ!!」
「でも、まだカレーが。。」
「そんなこと言ってる場合じゃねえだろがっ!ほら、とっとと行くぞ!!」
「待てー!!」
「返せー!!」
「強奪はんた〜い!!」
「どろぼー!!」
一部、己を顧みない発言もあるが、とにかく盗賊団はわらわらと白鳳の後を追い掛けてきた。足の速さにはそれなりに自信があったのに、思ったほど連中を引き離すことが出来ないのは、人魚像の重量がネックになっているからだ。その重さを内心持て余しているうちに、とうの昔に子分たちを振り切ったアックスがもの凄い勢いで迫って来た。
「てめえ、いい加減にしろよ!!」
怒声と共に、そのごつい手で白鳳の薄い肩先を掴もうとした。瞬時に太い腕をかい潜って交わしたものの、今度は巨体で行く手を塞がれてしまった。さすが盗賊団の首領だけのことはあり、体格の割に動きが素早い。
「とっととこの像を返しやがれっ!!これは俺たちの獲物なんだ」
「お断りします。貴方が持っていたって、まさに宝の持ち腐れ。隣国ででも換金して、せいぜい役立たせていただきますよ」
スイが落ちないよう気を配りつつ、アックスの次の一手に備えて身構える。冴えた月明かりで白金の髪がいっそう美しく煌めいた。
「ま、待て。それを金にするつもりなのか?」
「当然です。領主の家宝になるほどの逸品ですし、これだけ純度の高い特殊な琥珀なら、さぞ高く売れるでしょうね」
「何言ってやがんだ、それはな」
アックスの言葉を遮って、白鳳は挑発するごとき不敵な笑みを浮かべながら言い放った。
「痛い目に遇う前に、諦めて手を引いたらどうです」
「おめえこそ、売るなんてよしといた方がいいぜ」
「偉そうに意見しないで下さい。貴方のモノは私のモノ、私のモノは私のモノなんですから」
「何だとぉ、そりゃどういう理屈だ、コラァ!!」
「言葉の通りです。それにあんなに悦い思いを二度もさせてあげたにもかかわらず、私は貴方に何の恩返しもしてもらっていないんですよ」
どこが恩かという疑問はこの際置いといて、お手製プリンなどお返しのうちに入らないらしい。もっとも、あれとて子分のひとりを人質に取って、無理やり作らせたものなのだが。
「てっ、てめえっ!どの面さげて、そういうセリフをほざきやがるっ!!」
いきり立ったアックスは勢いよく腕を伸ばすと、白鳳の左の二の腕を力任せに掴んだ。落下しそうになったスイに手を添えたため、地べたに人魚像が取り落とされた。なおも、細い腕をひっ掴んだまま捻り上げるアックスだったが、苦痛に顔を歪ませた白鳳が悲鳴に近い叫び声をあげた。
「あうッ・・・・・い、痛いッ!!」
その一瞬、彼の力が仄かに緩んだ。もちろん、その隙を見過ごす白鳳ではない。強引に腕を振り解くと懐に入り込んで、股間を力任せに蹴飛ばした。
「ぐ、あっ!!」
男の急所にまともに攻撃が炸裂し、アックスは股間を押さえてその場にうずくまった。彼がのたうち回る様を冷ややかに見遣りつつ、白鳳は放り出された人魚像を再び手に取った。
「ふふ。親分さん、悪事には向きませんね。」
この様子だとアックスに手加減させるため、わざと大げさに苦痛を訴えたのかもしれない。
「て、て、て・・・・・・。」
てめぇ、ぶっ殺してやるとでも言いたいのだろうが、急所を苛む激痛に耐え、息を詰めるのが精一杯で、言葉など何ひとつ出て来やしない。
「まあ、使えなくなることはないでしょうが、万が一そんな事態になったら、お詫びに後ろの方で可愛がってあげますよ、ふふふふふv」
憎まれ口と呼ぶにはあまりに容赦のない相手の言い種に、どうにか反撃すべく、立ち上がろうと足を踏ん張ったが、股間を襲う痛みの波は一向に治まらない。が、必死の思いで腹の底から怒りの言葉だけは絞り出した。
「ま、待ちやがれっ!盗人の上前はねるなんて汚ねえぞっ!!」
「さっき言ったでしょう。貴方のモノは私のモノ。それでは」
言い終わるやいなや、白鳳は軽やかに踵を返すと、街道への道を一直線に走り出した。
「て、てめえ!畜生っ、覚えてやがれっ!!今度会ったときこそ、ぜってーぶっ殺してやるからなっ!!!」
アックスの悪態も虚しく、紅いシルエットは一度も振り返ることなく、闇に紛れて消えていった。
TO BE CONTINUED
|