*良い遊び、悪い遊び〜中編*
日が暮れると一気に人通りがまばらになる自国と違い、不夜城の煌めきの中、着飾った人々が行き交う風景は、カナンにとって全く未知のものだった。物語の世界に足を踏み入れた気分で、どんな些細なことでも見逃すまいと周囲を見渡し、目に入るひとつひとつに驚嘆し、感激していた。
「うわ〜っ、パンを買うのにあんなに並ぶなんて、よほど美味しいんだろうなあ。おっ、向こうの雑貨屋も凄い人だかりだ。いったい何を売っているんだろう」
「坊ちゃん、少しは落ち着いたらどうです」
「お前こそ、カーニバルみたいに皆が浮かれている様を見て、何とも思わんのか」
「世界各地を回っていれば、そこまで珍しい光景でもありませんので」
自分も初めて歓楽街を訪れたときは、今のカナンのように興奮して街中を歩き回ったものだった。旅慣れて世慣れて、いつしか瑞々しい感覚を失ってしまったとしたら、それは随分寂しいことだ。ほんのちょっぴり少年の素直さが羨ましかった。
「ちぇっ、つまらんヤツだ。これならセレストの方が派手なリアクションを見せそうなだけ面白かったかもしれん」
「セレストが一緒だったら、そもそも外に出ることすら出来ませんよ」
「それもそうだな。あれっ、左にあるやたら派手な看板は何だ?」
「おや」
カナンの指し示す方をちらりと見るやいなや、白鳳の緋の双眸がきらりんと光った。
「ふふふ、あそこが先程言った男性ストリップ劇場ですよ」
「そうか。で、どんな場所なんだ」
「・・・・・・・・・・」
純粋培養のお坊ちゃんには根本から説明しないといけないのか。やれやれとばかり、白鳳は軽く肩を竦め、ため息をついた。
「端的に言えば、ショーの一種ですね」
「ショー?」
「ええ。音楽に乗って、ダンサーが一枚ずつ服を脱いで行くんです」
その他のいかがわしいアトラクションについては、説明が面倒なのであっさり省略した。本番ショーやマナ板ショーの意味をカナンに理解させるのは、一晩かけても難しそうだし、そこまで話したことがばれたら、セレストを本気で怒らせる可能性が大きい。いくら白鳳でも最悪の事態だけは避けたかった。
「なるほど。そんなものを見て、どこが面白いんだ」
「分かる人にしか分からない面白さなんですよ」
「うーむ。でも、商売として成り立ってると思うと結構イヤだなあ」
露骨にウンザリした表情で呟くカナンは、客層を××趣味の人間だけだと考えているが、実のところ、この手の店は女性客も決して少なくはない。
「ねえ、坊ちゃんも行ってみませんかv」
程良く下品なキンキラの電飾が男心に訴えかける。せっかくここまで来て入らない手はなかろう。いよいよヤバくなったら、カナンには適当に目隠しするか、いざとなったら薬で眠らせてもいい。カナンから決定的な証言さえ出なければ、セレストにはいくらでもごまかしは効くはずだ。
「イヤだ。お前と違って、僕には男の裸を鑑賞する趣味はない」
「こんな機会、二度とありませんよ」
「一度もなくていい」
もちろん、カナンの応答はにべもない。だが、ここで引き下がったら、何のために恋人を騙くらかして出奔してきたか分からない。形としてはカナンの願いを叶えたようにも見えるが、本音は自分が好き勝手に夜遊びしたいからに決まっている。
「まあまあ、そう言わないで。オトナの世界を見てみたいと思わないんですか」
「オトナの世界・・・・・なあ」
オトナの世界というより××の世界なのだが、このフレーズは背伸びしたい微妙なお年頃の心のツボを巧妙に突いた。さらにカナンの性格からして怖いモノ見たさの好奇心もむくむくと芽生えて来たに違いない。
「ちょっと覗いてみるだけならいいでしょう」
「う〜む、でもなあ」
顔付きや口調からして、相当心が動いている。もう一押し。カナンの背中をとんと押す効果的な決めセリフをあれこれ思案する白鳳だったが、そこに予定外の邪魔者が現れた。
「カナン様っ、白鳳さんっ!やっと見つけましたよ!!」
大がかりなからくり時計が目立つ建物に面したT字路から人の波に逆行して、セレストが凄まじい勢いで駆けて来るではないか。遠目からでもぶわっと立ち上る怒りオーラに二人は一瞬たじろいだ。
「大変だ。セレストが追い掛けてきたぞ」
「ちっ、こんなことならロープを用意して、亀甲縛りとかやっておくんでしたね」
あの太めのベルトでは食い込みも浅いし、騎士団で本格的な訓練を積んでいるセレストなら、少々抗えば解かれることもありうる。彼を見くびったつもりはないが、気が逸ったあまり、やり方が生温かったのは否めない。
「なあなあ、亀甲縛りって何だ」
「そんなに知りたければ、ホテルに戻ってから、実地で見せてあげましょう」
カナンに怪訝そうに尋ねられ、含み笑いを漏らしつつ返した白鳳だったが、追っ手との距離が詰まっているのに気付くと、さすがに余裕を見せていられなくなった。もはや一言も発することなく、巧みに人混みを塗って逃亡したものの、努力の甲斐もなく互いの間隔は縮まる一方だ。
「このままじゃ捕まってしまうぞ」
「そうですね」
「うわあっ」
ずいと前に立ちふさがると、白鳳はカナンを思いっ切り後方に突き飛ばした。不意を付かれたカナンは、その場に腰から倒れ込んだ。大通りの真ん中で尻餅を付いた主君に慌てて駆け寄るセレスト。
「カナン様、お怪我はありませんかっ」
「あ〜あ。。」
体勢を立て直す間もなく、心配そうに跪く従者に敢えなく捕らえられてしまった。その一部始終を見遣りながら、白鳳が冷ややかに投げつけた。
「お気の毒様。せいぜいセレストのお小言を受けて下さいね」
「むか」
トカゲの尻尾みたいにカナンを切り捨て、まんまと自分だけ逃亡しかけた白鳳だったが、ふと、セレストの肩に乗っかっている若草色の塊が目に入った。
「あっ、スイ」
「きゅるり〜」
寂しげな啼き声が去り行く兄に切々と訴えかける。その途端、影を縫われたみたいに動けなくなった。いくら白鳳でもここで弟を置き去りにすることは出来なかった。次の行動に迷って立ちすくんでいると、セレストに細い手首をぎゅっと掴まれ、引き戻されてしまった。
「ああ、もう。本当に面倒をかけてくれますね」
「狡いですよ、セレスト」
「え」
白鳳に恨みがましい視線を向けられ、セレストの方が面食らった。だいたい自分を騙し討ちしてベッドに縛り付けたくせに、どこから狡いなどという表現が出てくるのだろう。図々しいにも程がある。
「私が抵抗できないと分かっていて、スイをわざわざ連れてくるなんて」
「何言ってるんですか、貴方は!スイ君ひとりをホテルに残して行けるわけないでしょう!!」
相手の物凄い剣幕に気圧され、一瞬言葉に詰まった。
「そ、それは・・・・・そうですけど」
冷静に考えれば、セレストがスイを同行させたのは純粋な善意からに決まっている。それは彼がスイの正体を知ればこその心遣いだし、元々、人を陥れる企てが出来る性分でもない。逃げおおせることが出来なかったのは、カナンを犠牲にした事の報いを受けたのだろう。つまりは自業自得ということだ。
「ほら、ホテルに戻りますよ」
スイを白鳳に手渡しながら、淡々と帰還を促す。
「ねえ、少しだけどこかに」
「ダ・メ・で・す」
恋人の誘うような眼差しが目に入ると、心がぐらつくので、わざと視線を合わせないようにして、一歩踏み出した。と、その時。
「惜しかったなあ。これから男性ストリップとやらを鑑賞するところだったのに」
カナンが口を尖らせて、こんな風に言いかけたので、セレストは衝撃で飛び上がった。
「な、な、なんてことをっ!!」
ああ、本当に危ないところだった。到着がもう少し遅かったら、カナン様の従者として顔向けできない事態になるところだった。ここは心を鬼にして、きっちりお仕置きしなければ。
「カナン様、こちらへ」
セレストはカナンと向かい合う形で立つと、両の拳をそのこめかみに置き、頭を挟み込む感じで力を込めて回した。ぐりぐりぐり。
「うー。。」
端で見るより痛いのか、カナンは涙目で歯を食いしばっている。
「白鳳さんと共謀して私を騙すなんて嘆かわしい。全く、こんなことだけに知恵が付かれて・・・・・」
今からこれでは先が思いやられる。暗澹たる気持ちで力なく息を吐くセレストだったが、その息を飲み込ませる申し出が彼を待っていた。
「セレスト、私にも今のやって下さいっ」
「きゅるり〜」
「ええっ?!」
不意に押し倒されんばかりの勢いで詰め寄られ、セレストはあんぐりと口を開けたまま固まった。
「私も同罪なんですから」
「い、いえ、それはちょっと」
いくら諸悪の根元だと分かっていても、子供に対する罰則の類を自分より年上の恋人になすのは躊躇われる。けれども、この気遣いがかえって裏目に出て、白鳳はいかにも不服そうに眉を顰め、拗ねたような物言いで呟いた。
「坊ちゃんに出来たことが出来ないなんて。やっぱり、セレストにとって、私より坊ちゃんの方が大事なんですね」
「誰もそんなことは言ってないでしょう」
「だって、同じコトをしたのに坊ちゃんだけ叱るなんて」
叱る方だって少しは更生の可能性のある方を叱りたい。だが、面と向かってそんな正論を吐く度胸は無論ない。
「そ、それは私がカナン様の従者兼教育係だからで」
「でも、私の恋人でもあるんでしょう」
「そうですが」
「でしたら、私にもぐりぐりってして下さいv」
期待に充ちた瞳で、わくわくとこちらを見つめている。これではまるっきりお仕置きの意味をなさない。表向きこそ案内係だが、セレストからすれば、単に世話のやける子供がひとり増えただけだった。
「し、しかしですね」
紅いチャイナ服に迫られて、困り果てるセレストを横目で見ながら、カナンは抜き足差し足で移動を開始していた。まだ夜遊びを諦めていない。
(白鳳はお前に任せた。これも僕の有意義な社会勉強のためだ。悪く思うなよ、セレスト)
二人の隙を突いて、こっそり人混みに紛れようとしたカナンだったが、瞬時に白鳳の鞭が一閃して、上半身をグルグル巻きにされてしまった。
「うわっ」
「ひとりだけ逃げようとしてもそうは行きませんよ、坊ちゃん」
「きゅるり〜」
自分がカナンを突き飛ばしたことは、キレイさっぱり忘れ去っている。
「カナン様、お願いですから大人しく戻って下さい」
「イヤだ。どうしても連れ戻すというなら、先日のお前の夜遊びを父上たちに報告するぞ」
「が〜〜〜〜ん」
追い詰められたカナンはとうとう非常手段に出た。もちろん、白鳳との本当の関係は伏せるだろうが、見舞いだと称してバーで遊んだ事実をばらすだけで十分だ。もっとも、カナンがそれを告げた程度で、今まで忠誠を尽くしてきたセレストの信用が落ちるはずもないのだが、ここでおたおたしてしまう辺り、完全に従者体質だった。
「坊ちゃん、やるじゃないですか」
「さあ、どうする、セレスト」
ここでまともに対峙すると間違いなく負けるので、切り口を変えて説得を試みることにした。
「・・・・・お気持ちは分かりますが、カナン様が行って楽しめる場所なんてないでしょうに」
「おや、楽しいかどうかなんて、行ってみなければ分からないじゃないですか」
「白鳳さんは黙っててください。俺はカナン様と話をしているんです」
白鳳さえ同行しなければ、ここまで話はこじれなかったのだ。そもそも、いかがわしい場所の存在自体、知らずに済んだだろうし。
「僕はストリップ場には全然拘ってないから、面白ければ、別の遊び場でも一向にかまわんぞ」
「ええ〜、私はぜひストリップ場へ行きたいですけどねえ」
「白鳳さんっっ!!!!!」
「はいはい。もう、うるさいなあ」
青年の強硬に反対する様子に、どんな手を使っても許しは出ないと悟ったのか、白鳳はやむなくストリップ場を諦め、別の提案をしてきた。
「なら、競うしをやってみませんか?」
「競うし」
「ええ、レース場でうしを走らせて、どのうしが勝つか当てるんです」
「きゅるり〜」
「面白そうだな」
過激路線からあっさり転向したのは、スイが一緒になったせいもあるだろう。うしはルーキウスでも身近な動物だけに、カナンはかなり興味を惹かれたようだ。しかし、またしても従者が壁となって立ちはだかった。
「ダメですっ。ギャンブルなんてとんでもない」
「カジノなんかと違って、小遣い程度で出来ますし、場内も家族連れが殆どで、競うしは健全な娯楽ですよ」
「いいえ、絶対に許しません。お金は自力で稼いでこそ価値があるものです。それをギャンブルだなんて」
「お前にだけは言われたくないぞ」
「どういう意味ですか」
「寄りによって、男を恋人にするなんて無謀な賭けをした人間に、ギャンブルを批判する資格はない」
「なっ。。」
主君のあまりにも的確、且つシビアな指摘に、セレストは思わず絶句させられた。確かに、節目節目で重要な決断を迫られる人生は、ある意味大きな賭けの繰り返しだ。それでも、この年までは一切冒険をせず、無難な道を選び取ってきたつもりだったのに。
「普通、これだけ無謀な選択はなかなか出来んぞ」
「カナン様ぁ・・・・・」
「でも、思い切った選択だからこそ、当たると見返りも大きいんですよねえ、セレストv」
「きゅるり〜」
「は、はあ」
蠱惑的ににっこり微笑むと、華奢な肢体がしなだれかかって来たが、まだ当たったかどうか確定しかねるだけに、その返事もどこか曖昧だった。本当にこれで良かったんだろうか。いや、白鳳のことは心から愛しているし、その想いに偽りはない。が、恋人の規格外れの言動を目の当たりにするたび、一抹の不安と後悔が心をよぎることは否めなかった。
「じゃあ、さっそく競うし場へ行くか」
悩むセレストを尻目に能天気に切り出すカナン。彼からすれば、己の発言で従者がどれほどショックを受けようが知ったこっちゃない。とにかく、遊興施設へ行けさえすればいいのだ。
「そうですね」
「あっ、まだ許可したわけではっ」
「お前に拒否権はない」
「そ、そんな。。」
カナンのきついツッコミですっかりペースを乱されたセレストは、左右から二人に両の腕を取られ、スイの同情の視線を浴びつつ、ドナドナのように競うし場へ引きずられていった。
TO BE CONTINUED
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