*スイはなんでも知っている?・前編*
大雨による土砂崩れのせいで、うしバスは山ひとつ分、迂回せざるを得なくなった。結果、半日程度で済む所要時間が倍となり、白鳳一行は夜半にようやく当地へ着いた。宿へ入るやいなや、荷物の整理もせずに就寝し、最低限の睡眠時間は確保したが、全員の体調を考え、白鳳は今日一日休養に充てようと決めた。速やかに捕獲を進めたいのは山々だが、長丁場に無理は禁物だ。予定通りに行程をこなすためには、疲労の蓄積はもっとも避けなければならない。思い掛けない休みを得て、紺袴の従者を除いたメンバーは、昼食の後、おのおの部屋を出ていった。宿の周囲は美しい景観に囲まれており、食後の散歩には打ってつけだった。
「これで万全だ」
弓形の調整を終え、神風は愛用の武器を居間の隅へ立てかけた。貴重な自由時間にもかかわらず、神風は留守番役を甘受していた。仲間たちは外出したが、白鳳は明日の遠出に備え、借りた厨房で全員の弁当をこしらえている。神風の感覚では、作業中の主人を残して、遊びに行くなんて考えられなかった。もちろん、他者を責めているのではなく、自分だけがこだわっている行動規範に過ぎない。根っから生真面目な神風は、常にマイルールに合わせ、己を厳しく律していた。
「・・・・どうも落ち着かないな」
荷物を片付け、弓の手入れもし、すっかり手持ちぶたさとなった神風は、室内に居たたまれず、すっくと立ち上がった。白鳳の世話焼き以外、関心が薄く、さしたる趣味もないので、せっかくの余暇も持て余してしまう。かと言って、実直な働き者ゆえに、ぼんやり時間を潰すのは、罪悪感を覚えるらしい。
「よし、白鳳さまに手伝いを申し出てみよう」
道楽者&怠け者の白鳳ではあるが、皆の活力の元たる料理関係には、決して手を抜かない。味も栄養も申し分ない献立を、丹誠込めて作っているに違いない。優秀な神風も、正直、料理は守備範囲外だが、後片づけなら十分役立てる。ここで無為に過ごすより、少しでも主人の助けになりたい。方針さえ定まれば、動きは早く、神風は厨房へ向かうべく、即座に部屋を出た。ドアに鍵をかけつつ、左へ軽く視線を流す。
「?」
神風の切れ長の瞳に映ったのは、広い廊下を右往左往する白鳳の姿だった。紅に映える白いエプロンをかけたままで、まだ作業は完了していまい。白鳳が調理を中断することはめったにない。いったい何があったのだろう。神風は訝しげに声をかけた。
「白鳳さま、どうなさいました」
「あ、神風」
振り向いた白鳳の虹彩に、あからさまな困惑の色が窺えた。数年間仕えてきて、一目見れば、主人の心中は大抵分かる。非常事態発生を確信して、神風は口を真一文字に引き結んだ。
「スイが行方不明になっちゃって。。」
「えっ」
肩先にいるはずの緑の小動物が、消え失せているではないか。もはや料理どころではあるまい。白鳳にとって、スイはまさに掌中の珠。パーティーの当てのない道中も、全て弟を元へ戻すためなのだ。白鳳の憂い顔を見遣る神風の胸の奥で、新たな使命感がふつふつと燃え上がった。やはり、居間へ控えていて良かった。一刻も早くスイを探し出して、主人を安心させなければ。鍵を閉め終えた神風は、白鳳の傍らへ恭しく馳せ参じた。
白鳳は軽く息を弾ませており、宿中を一通り探して、なお見つけられなかったようだ。ダンジョンではぐれたのと異なり、スイ単独で行動しても、危難に遇う確率は低そうだが、護身する術を持たないだけに、万が一の事態を案じる気持ちも分かる。宿泊客に胡散臭い輩はいなかったけれど、通りすがりの冒険者は玉石混淆で油断出来ない。
「一旦、白鳳さまと厨房へ入りましたよね」
「ようやく全品完成させて振り向いたら、影も形もなかったんだ」
「私がスイ様をお預かりしていたら・・・・気が利かなくて、申し訳ありません」
「ううん、神風のせいじゃない。私がもっと注意していれば、こんなことにはならなかったのに」
弟絡みのアクシデントとあって、白鳳にしては珍しく100%非を認め、しょんぼり肩を落としている。他の男の子モンスターが不在の今、主人の悩みを解決しうるのは自分しかいない。我知らず目を輝かせながら、神風はおもむろに切り出した。
「私にお任せ下さい。必ずスイ様をお連れします」
忠義者の力強い宣言に、白皙の美貌はほころんだ。が、白鳳はこのまま彼の厚意に甘んじようとは思わなかった。
「ありがとう。でも、神風に任せ切りにはしておけないよ。私も行く」
「ご心配には及びません。白鳳さまは片づけに専念して下さい」
「だって、ひとりよりふたりの方が捜索範囲も広がるじゃない」
「外に行けば、仲間たちもおりますし、ひとりではありません」
「う・・・ん」
私邸での出来事なら、神風がどう返そうと、強引に参加するところだが、宿の厨房を放っておくわけにはいかない。早く厨房を返さないと、一般の宿泊客にも迷惑をかけかねない。非常に不本意ではあるが、白鳳は神風の申し出に従わざるを得なかった。
「では、行ってまいります」
「頼むね、神風」
「はい」
白鳳の面持ちに手放しの信頼を見て取り、神風は至上の幸福を感じた。誇らしげに顔を上げ、大丈夫だと視線で告げる。意思の疎通を済ませ、踵を返しかけた神風を、不意に白鳳が呼び止めた。
「待って、神風」
「え」
「ちょうど良かった。神風にあげたいものがあったんだ」
緊急時にそぐわぬ柔らかな笑みを浮かべ、白鳳は懐から紐状の何かを取り出した。藍色の紐の先に、翠色の石がのぞく。窓から射し込む陽光を吸って、天然石が鈍く光った。
「この石は」
「翡翠だよ」
濃い翠の翡翠は勾玉状になっており、ある種の強烈なオーラを漂わせており、単なるアクセサリーではなさそうだ。相手の意図が読めず、戸惑う神風にかまわず、白鳳は勾玉を彼の細い首へ装着した。
「宝玉の神秘の力が、神風を護ってくれますように」
白鳳の言葉が終わらないうちに、勾玉から緩やかな気が立ち上り、全身を覆うのが分かった。どうやら装飾品というより、防具系アイテムの一種らしい。しかし、神風はオーディンに次いで防御力は高い。防御力補助アイテムなら、むしろフローズンやまじしゃんが使うべきではないか。白鳳の的外れのプレゼントに、神風は首を捻りつつ言いかけた。
「白鳳さま、なぜ私に贈り物など」
「うふふ、ささやかなお礼の印だから、気にしないでv」
気にするなと言われても、律儀な神風には到底出来ない相談だ。数分、着け続けたことで、石のパワーは結界のみではなく、回復を助ける効果もあると分かった。このレベルの上級アイテムは、普通の道具屋ではまず入手不可能。闇市場か宝箱でしかゲット出来まい。白鳳からの贈り物は嬉しいが、あまりにも貴重品なので、神風はかえって手放しで喜べなかった。
変わらぬ忠誠に感謝する、白鳳の心根に嘘はない。神風が不安なのは、勾玉の販売経路だった。特別なアイテムは効力こそ高いものの、盗品だったり、呪われていたり、瑕疵のあるブツも少なくない。目先の利益に負け、怪しいルートに手を出してなければ良いのだが。
「白鳳さま、こんな貴重品をどこで入手したのですか。私には何やら曰くありげに見えます」
「さすが神風、慧眼だねえ」
「では、やはり闇商人から」
「違う、違う。こないだ私邸へ戻ったときに、蔵の奥で偶然、見つけたんだ。我が家に代々伝わる御守りなんだってさ」
後ろ暗いルートへの心配こそ希有に終わったが、神風は別の意味で拒否反応を起こし、声を荒げた。
「いけません、白鳳さま。大切な家宝はご自分でお持ち下さい」
白鳳が一従者である自分へ、惜しげもなく家宝を差し出してくれた。その事実のみで、神風は満足だった。白鳳やスイを差しおいて勾玉を受け取ろうとは、これっぽちも考えていない。翡翠のパワーが強力であればあるほど、白鳳兄弟の護身に役立ててもらいたい。が、神風の断りは十分想定範囲内だったらしく、白鳳は間髪を容れずに言い返してきた。
「私の所有物をどう処分しようと勝手でしょ。私はぜひ神風に使って欲しいんだ」
「ダメです、いただくことは出来ません。第一、私ひとりに特殊なアイテムを贈るなど、マスターとして不適切な行動だと思います」
全員へ同じ品を贈るならまだしも、自分だけ白鳳の情けを受けるのは明らかに不公平だ。もし、発覚すれば、パーティーの和を乱しかねない。神風は険しい表情で、白鳳の申し出を固辞した。
「その辺を指摘されると、辛いものがあるけど・・・私と道中を共にした期間は、神風が一番多いんだもん。誰よりも世話になったのは間違いないって」
出会った頃は、新米ハンターの白鳳は激弱だったし、協力してくれる仲間もいなかった。当時の神風の負担たるや、筆舌に尽くしがたかっただろう。
「昔は昔、今は今です。皆で一緒に旅しているのに、特別扱いされたくありません」
「状況に応じて、100%公平に出来るとは限らないよ。たとえば、ハチには多めにおやつをあげるけど、他のコは全然、気にしてないじゃない」
「おやつと家宝では大違いです」
「え〜っ、そうかなあ」
品物自体の価値は置いておいて、本人にとっての価値なら、対ハチのおやつの方が圧倒的に勝るはずだ。しかし、白鳳がいかに力説しても、妙な部分で融通の利かない神風にはまず理解してもらえまい。
「とにかく、勾玉はお返しします」
手早く紐を解こうとする神風を、白鳳がやんわり押しとどめた。
「プレゼントに抵抗があるなら、旅の終わりまで貸すってことでどう?」
石頭ゆえに、形式にこだわる神風だ。貸与であれば、彼の頑なな抵抗も弱まるに決まってる。取りあえず、神風が御守りを付けてくれたらオッケーで、贈与だろうが貸与だろうが大勢に影響はない。
「ですが」
案の定、神風の語気が微妙にトーンダウンしている。後一押しだ。白鳳はお得意の上目遣い&猫なで声で、ムダに色香を振りまきながら囁いた。
「スイの呪いが解けた暁には返してもらうけど、しばらくは神風の助けにしてよ、ねっ」
「・・・・そこまでおっしゃるのなら、ありがたく使わせていただきます」
贈与が貸与にすり替わったとて、実のところ、条件はさして変化していない。現状でははっきりした旅の区切りは分からないのだ。なのに、神風は無意識理に己の心を納得させていた。忠誠心の塊の彼にして、いや、だからこそ主人の家宝を愛用出来るという誘惑に抗えなかったのかもしれない。
「ああ、良かったぁ♪」
「なぜ・・・・」
「え」
小躍りする白鳳にきょとんとされ、神風は言い差した問いかけを飲み込んだ。本当は宝玉を自分に与えた真の理由を知りたかった。名家だった白鳳家の蔵には、勾玉の他にいくらでも家宝の類はある。夥しいアイテムの中から、わざわざ防御系を選んだあたりに、単なる感謝を超えたものが潜んでいる気がしたのだ。けれども、必要以上に主人の思惑を追究する様がふと卑しく感じられ、神風は疑問を胸から追い払った。
「いえ、スイ様を探してまいります」
「うん、お願い」
屈託ない笑みで見送る白鳳を残し、神風は奥の階段へ行くべく、早足で廊下を縦断した。
さんさんと降り注ぐ陽光の中、スイは草むらをのんびり歩いていた。いつもの移動は兄の肩上か、ハチ頼みがほとんどなので、自力で踏みしめる地面の感触が心地よい。
「きゅるり〜」
風が流れる方に目をやれば、色とりどりの花が咲き乱れている。名もない雑草類ではあるが、生命力を感じさせる眺めに、スイのどんぐり眼は惹きつけられた。背の高い草もなんのその、半ば草原に埋もれつつ、一歩一歩お目当ての場所へ近づくスイ。と、その時、小さな鼻腔を甘い香りが掠めた。
「きゅ?」
紫の花が揺れる方角から、いい匂いがして来る。草花の芳香とは違う味覚をそそる香り。新鮮な果実でも生っているのだろうか。花より団子とばかり、スイはあっさり方向転換をした。美味しい実があれば、兄への土産に持ち帰ってもいい。草に視界を遮られながらも、匂いを追って慎重に進んだスイは、見覚えのあるメンバーがハイキング宜しく、シートを広げている姿を見た。
「きゅるり〜」
花柄のビニールシートに仲良く陣取っているのは、オーディンとフローズンだった。彼らの周りには、いくつかの容器が置かれ、様々な菓子やフルーツが並んでいる。甘い香りの発生源は、ここに間違いなかろう。
「きゅるり〜」
戦闘力のないスイではあるが、2メートル程度の距離に近づいても、話に夢中なふたりは一向に気付かない。でも、スイは腹を立てるどころか、むしろ微笑ましく感じていた。進展の遅さに耐え切れず、白鳳はしょっちゅうオーディンをけしかけていたが、睦まやかな雰囲気を見る限り、余計なお世話だったらしい。だいたい、毎度自分が玉砕している戦法を、よくもまあ他人に勧められるものだ。
「きゅるり〜。。」
相変わらず浅はかな兄に呆れ、つい、ため息混じりに漏らした声が、雪ん子の耳まで届いた。おっとり面を起こすと、フローズンは優しく呼びかけた。
「・・・・スイ様・・・・」
「ひょっとして、白鳳さまとはぐれたのか」
「きゅっ、きゅるり〜っ」
オーディンの問いかけに短い首を振り、スイは精一杯身振り手振りで、事情を説明した。聡明なお供たちは言葉は通じずとも、表情や声音で言わんとすることを、大方、察知してくれる。
「・・・・おひとりで散歩なさっているみたいです・・・・」
「そうか、良かった」
「きゅるり〜」
無事、意思を伝えられた安堵で、スイは何度もうなずいた。その頬にひんやりとした空気が触れた。フローズンがスイを歓迎して、両手を差し出してくれたからだ。
「・・・・スイ様もご一緒に召し上がりますか・・・・」
「うむ、遠慮はいらんぞ」
「きゅるり〜♪」
スイの居場所を確保すべく、オーディンは早くも容器とカップを移動させた。兄を反面教師にして、常に控え目を心がけているスイだ。本来なら、ふたりの邪魔になる前に、即、立ち去るところだが、思えば、ハチ以外の従者と単独で触れ合う機会はめったにない。貴重なチャンスを逃さず、敢えて招待を受けようと、スイは心に決めた。自分のため、兄のため、誠心誠意尽くしてくれる男の子モンスターに、拙いながらも、改めて謝意を示したい。期待と意欲を胸に秘め、スイはフローズンたちの待つシートへ駆け寄った。
TO BE CONTINUED
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