*優しい瞳の静けさも愛〜1*



壊れかけた柵にしどけない仕草で寄りかかったまま、せわしげに働く農夫たちをほんやり眺めていた。自然と共存し、時には戦い、日々の糧となる作物をこしらえる。実に地道で生産的な営み。これもまたひとつの人生。でも、自分にはこんな生き方は出来ないし、する気もない。さわさわと頬を掠める風の感触に違和感を覚えながら、その甲斐甲斐しい働きぶりを目で追っていたが、やがて、息をひとつ吐いて、肩先でくつろぐ小動物に声を掛けた。
「行こうか、スイ」
「きゅるり〜」
尻尾の花をふんわり揺らす若草色の塊に柔らかく微笑みかけると、青年はゆっくりと歩き始めた。陽の光を映す白金の髪と緋の瞳は、遠目からでもその存在を強烈に印象付ける。彼の名は白鳳。旅の男の子モンスターハンターだ。表向きは趣味と実益を兼ねて選んだ職業、と嘯いているが、その秘められた真の目的を知る者は殆どいない。”スイ”と呼ばれる生き物が、呪いで姿を変えられた彼の弟だということも。
「おい、旅の人」
「・・・・・何ですか?」
「顔色が悪いようだが、しばらくここで休んで行ったらどうだね?」
呆れるほど人が良いのは、この国の国民性なのだろうか。こすっからい海千山千の連中が屯している国ばかり渡って来たから、たまに情に溢れた言葉をかけられると、背中がこそばゆくなるような戸惑いを感じる。そういえば、かつてここで会った盗賊団の親分も、住民は鍵すらかけないのんき者揃いと言っていたっけ。
「お言葉はありがたいですが、先を急ぐもので」
「そうか。あまり無理しないようにな」
「ええ、それでは」
にこやかに軽く会釈すると、白鳳はその場をそそくさと離れた。元々ここ、ルーキウス王国に足を踏み入れる気などなかった。一刻も早く通り抜けてしまいたい。今回、目指しているのは、ここからさらに南方にある貿易国だ。その国だけに生息するモンスターを捕獲するため、綿密な計画を練ってやって来た。彼らは春先のほんの僅かな期間しか外界に姿を表さないのだ。ところが、行程の途中でどうも体調が芳しくないことを自覚した。無論、戻って快復を待つ余裕など無い。男の子モンスターの数が掴みきれない以上、正体が知れたものについては、情報を得た時点で確実に捕獲しておきたい。やむを得ず、薬草や薬湯で症状を抑え、身体を騙し騙し最短ルートを選んで、どうにかこのルーキウス王国までたどり着いたのだ。正規のルートだったら、この国に入る必要はない。いや、仮にこちらが正しい道筋だったとしても、敢えて避けて通っただろう。が、そうすることが出来ないほど、細身の肢体は限界に近づいていた。とにかくこの種族さえ捕らえたら、私邸に戻ってしばらく休養しよう。もう一息の辛抱だ。



具合が悪いのも当たり前かもしれない。ここ一年近く、今までにも増して過酷なスケジュールばかり組んで来たから。彼を思い出す時間が少しでも減るように、と。しかし、そんなことをしたところで、いつもひとりだから、考える時間だけは無駄にある。結局、気が付けば、必ず彼のことを考えている。セレスト・アーヴィング。この国で騎士団近衛隊副団長兼第二王子の従者をしている青い髪の優しい目をした青年。最初はほんの戯れで声を掛けただけなのに、惑わせて楽しむつもりがいつしか魅せられていたのは自分の方だった。
(後味が悪い別れ方をしてしまったな)
最後まで気持ちがすれ違ったままの仮初めの一夜。彼の厳しい糾弾を受けても、頑なに意地を張るばかりで、合わないパズルを無理やりはめ込んで齟齬をきたしたような辛いひとときだったが、時を経てみると、あの夜は大切な宝物のごとき、唯一の想い出だった気さえする。彼が伝えようとしたことの真意が今の自分なら理解できる。もっとも、それを認識したからといって、これまでの行いを、反省も後悔もする気はないし、生き方自体が変わったわけではない。路銀に困れば些細な悪事は平気でするし、危険な火遊びも日常茶飯事、新たな男の子モンスターの情報を得るためにはどんな汚い手段も厭わない。相変わらずの刹那的で自堕落な生活。それでも、ほんの少しだけ崖っぷちで踏み止まるのが早くなった。ボーダーラインを踏んでも踏み越すことをしなくなった。それはきっと彼のおかげ。たとえやり方は不器用だったとしても、彼は心からこの身を案じ、どうにかしようと意見してくれたのだ。良薬は口に苦しの喩え通り、耳に痛い言葉こそ真心を以てなされた忠告。これまで自分に対し、口先三寸で上手いことを言ったり、悪し様に罵る連中はいても、行きずりのこの身を案じ、身を投げ出してまで説得しようと試みた人間は誰もいなかった。この広い世界にたったひとりでも、自分のことを心から考えてくれた人がいる。しかも、それは自分が本気で愛した相手なのだ。自分はきっと彼の望むような生き方は出来ないだろう。でも、彼のなした仕業だけは一生忘れない。たとえ彼が自分を忘れてしまっても。
(いつか普通に会って、何事もなかったように話せたらいいんだけどね)
まだ会いたくない。胸の炎が燻っているうちは。いや、この炎はひとつふたつ揺れたところで、きっと誰にも消せはしないのだろう。今だって、鳥のさえずりに促されたわけでもないのに、ふと振り返り、麦畑の彼方に青い人影を探している。直には対面したくないと思っているくせに、遠くから一目見たいという願望を捨てきれない。
(未練だな)
この世の中に男は星の数ほど居るのに。
(でも、セレストはひとりだけなんだよねえ)
自分らしくもない、と白鳳は苦笑した。恋を失ったことがないわけではない。でも、それは常に新しい恋と時の流れが解決してくれた。気を紛らわすのは下手ではないし、立ち直りも早いほうだ、と思う。なのに、今回だけは特別だった。他の男と床を共にしていても、不意にセレストの面影が浮かぶのだ。今、自分の身体を組み敷いている相手が彼だったらどんなに幸せだろう。そんな小娘みたいなことを本気で考える自分が面映ゆかった。もう彼とのことは終わったのに。苦く甘やかな契りだけをこの身に残して。



想い出は時と共に美化されるものだ。あれほど辛く感じた一夜も、今では白鳳の中で懐かしい記憶となっている。が、たったひとつだけ回想から抹消したい場面があった。
(・・・・・・・ふ・・・・・・・)
あんなに慣れ切った感じでセレストをリードしていたのに、行為に及んだ途端、顔一面を朱に染めて。いくら意中の相手だったとはいえ、少なくとも25歳の男が陥る状態ではない。思い出すたび、不面目のあまり軽い目眩に襲われる。
(きっと、セレストもこいつ遊んでる癖にとか思っただろうな〜。ああ、一生の不覚。。)
もはや彼にどう思われようと関係ないのに、こんな他愛もないことでひとり心を乱したり。きっとセレストは新しい生活の中で、行きずりの相手など、記憶の彼方に葬り去ってしまったに違いない。むしろその方がいい。それでも、自分はずっと彼を好きでいるだろう。誰かのことを心から想う気持ち。誰かを真剣に愛する気持ち。彼はそんな瑞々しい気持ちをも自分に取り戻させてくれた。
(でも、気の毒な人、とだけは言われたくなかったかな)
彼を愛しているからこそ、同情される存在にはなりたくなかった。立場はどうあれ、彼とは常に肩を並べていたかった。もっとも、客観的に見れば、あの時の自分はああ言われても仕方なかった。5年もの孤独な闘いの積み重ねに疲れ果て、心が荒み、全く周りが見えなくなっていた。世界のあり方すら変えてしまうような恐ろしい陰謀に荷担するなんて、完全に自分を見失っていた。あれだったら、危険を顧みず温泉きゃんきゃん捕獲に挑戦した方がどれほどマシだったか。先の見えない目的のためには、多少は手段を選ばなくてはいけないのだ。
「さて、この道か」
草原のダンジョンに続く道に、ちょっと見では分かりにくい間道がある。ここを抜けると彼が目指す国への近道になるのだ。草も木も伸び放題の荒れ果てた道なので、国の住民でもこのルートを知っている者は殆どいない。
「もう一息だよ、スイ。ここを越えたら、食事にしよう」
しかし、しないでもいい無理を重ね続け、白鳳の体調はすでにデッドゾーンに突入していた。間道に足を踏み入れた途端、唐突に激しい頭痛と目眩に襲われる。
「・・・・・っ・・・・・・!!」
まともに立っていられず、その場に膝を付いた。側頭部から突き刺す痛みが、後頭部からは殴打のごとき痛みが、彼の意識を確実に苛んでいく。そのうち胃までキリキリ締め付けられてきた。苦痛に口を閉ざしきれず、唾液の糸が地面に滴る。
「・・・・く・・・ゥあ・・・・・」
こんなところで倒れるわけにはいかない。気持ちだけは挫けていなくても、四肢の方は言うことを聞いてくれなかった。もう、膝を付いた姿勢すら保てず、身を横たえ、ただのたうち回っている。草の匂いがツンと鼻に染みた。スイが落ちてしまったのではと懸念したが、幸い彼が倒れる前に肩から下りていたようだ。霞んだ目を必死に凝らし、若草色の塊に手を伸ばした。
「・・・・・ス、スイ・・・・・・」
息をつぐのも困難な激痛に耐え、自分を不安げな瞳で見る弟になんとか微笑みかけようとした。ところが、スイはその傍らに寄り添うどころか、いきなり踵を返して駆け去ってしまったではないか。これまで弟が勝手に自分の元を離れたことなどなかったのに。追い掛けるべく、どうにか上体を起こそうと試みたものの、その段階で完全に力尽きてしまった。
(・・・・・・・・スイ・・・・・・・・・)
ばったりと地に伏したきり、白鳳の意識は完全に闇に飲み込まれた。



草原のダンジョンからの帰路を十数人の男達が談笑しながら歩いて来た。演習帰りの騎士団の一行だ。セレストの父親で、騎士団長たるアドルフを先頭に一糸乱れぬ隊列を保っている。その中にいきなり若草色の小動物が突っ込んで来たので、一同は列を崩して、その生き物を取り囲んだ。
「これは・・・・・見慣れないモンスターだな」
何人かの騎士達は顔を険しくして、剣の束に手などかけている。その様子を見て、アドルフが怒鳴りつけた。
「こらっ!お前ら、剣なんか抜くんじゃない!!」
「だ、団長、しかしですね・・・・・」
「害意があるかないかくらい、一目見て分からんのか!!」
自分を庇ってくれたことで見込んだのか、スイはアドルフの足元に駆け寄った。ちっこい手で足の甲の辺りをペタペタと叩く。
「ん、何だ?」
アドルフが注目するやいなや、スイはとてとてと間道目指して走り出した。その丸っこい身体を目で追うアドルフだったが、ふと何かを感じ取り、後を追い掛けようと思った。数歩踏み出してから、振り返ると、残して行く部下達に一声かける。
「お前らはここにいろ」
「団長、我々も行きます」
「いや、あくまでも俺の勘で後を追うだけだから、お前らを付き合わせるわけにはいかん。ただ、あてもなく逃げ出しただけかもしれんしな」
他の団員を押しとどめて、アドルフはスイの後を付いていった。茜色の空に揺れる夕陽の中、左右を緑に囲まれた道をしばらく行くと、普段めったに使われない間道の入り口に出た。スイが速度を増しそこに飛び込むのを見て、ぼうぼうに伸びた雑草をかき分け、足を踏み入れると、奥に人が倒れているのが見えた。
「あれは・・・・・!?」
周囲の気配に気を配りつつ、アドルフは人影に徐々に近づいた。きっとこのモンスターの飼い主に違いない。現に人影の足元で若草色の塊が不安げにウロウロしていた。
「にしても、見も知らぬ我々に、こうして危急を知らせに来るとは、賢いヤツだ」
感心したようにしみじみ呟きながら、改めて、倒れている人物に視線を落とした。色鮮やかな紅いチャイナ服に豪奢な羽根ショールを纏った美貌の青年。透き通るような白い肌に輝く白金の髪は明らかにこの国の人間ではない。まあ、スイ自体全く馴染みのないモンスターだから、多分そうだろうとは思っていたが。
「おい!しっかりしろ!!」
耳元で叫んだが、彼はピクリとも動かない。白を通り越した蒼い顔と苦悶の表情が、その身体の軋み具合の酷さをよく表していた。
「・・・・・これは一刻を争うかもしれん」
アドルフは躊躇うことなく、その見知らぬ青年を抱き上げた。華奢な外見通り、骨張って薄く軽い身体。さらに困り果てて右往左往するスイをそっと自分の肩先に乗せてやった。
「団長、どこまで行ったんだろうなあ」
きっぱり来るなと言われてしまい、なす術なく佇む団員たちだったが、誰かを抱きかかえて戻って来るアドルフの姿が目に入るやいなや、皆、慌てて駆け寄った。団長の鬼のような強さは知っているし、めったなことはないと分かっていても、何事もなく戻れば、やはり嬉しいし、ほっとする。
「この青年は?」
「どうやら行き倒れらしい」
「それは可哀相に。病院まで運びますか」
あいにく、国唯一の病院は城の近くにあり、ここからは相当、距離がある。
「かえって動かす方がまずいかもしれん」
「でしたら、どうするんです?」
「幸い、俺の家はここからそう遠くない。取りあえず運んで、それから様子を見ることにしよう」



扉がバンと開け放たれた音を耳にして、セリカは少なからず驚いた。豪快にドアが開けられるのはいつものことだが、夫が日暮れ前に戻って来ることはめったにない。
「あら、あなた。随分早かっ・・・・・・・・・・その方は?」
アドルフが抱き上げている見慣れぬ青年に気付き、怪訝そうに尋ねる。
「演習の帰りに道に倒れていたのを見つけてな。しばらく家に置いてやってくれんか。医者の手配はもうしてある」
「そうでしたの。私は構いませんよ。ちょうどセレストの部屋が空いているから、そこで休んでもらえばいいんじゃありません?」
「うむ、そうだな」
アドルフは相変わらずスイを肩に乗せたまま、白鳳を抱きかかえて、足早に息子の部屋へ向かった。程なく医師が訪れ、診察をした。極度の過労が原因の症状で、しばらくは絶対安静にして、十分な療養が必要とのことだった。旅の行き倒れとの事情を聞き、医師は入院を勧めたが、アドルフとセリカはやんわりと断った。どうせ療養するのなら無機質な病院よりは、ここで疲れ果てた身体を癒す方が遙かにいいだろうと。
「すまんな、しばらく手間をかける」
「シェリルも頻繁に尋ねてくるし、何とかなりますよ。それに、知り合いひとりいない国でこんなことになって、この人もさぞ心細いことでしょう。出来る限りのことをしてあげたいですよ」
もちろん彼らは息子セレストと白鳳の経緯をまるっきり知らない。白鳳はこの国に初めて足を踏み入れたエトランゼだと信じて疑っていない。白鳳もまた、病に倒れた自分が最愛のセレストの実家に拾われたとは夢にも思うまい。熱に浮かされた身体を横たえるベッド。身に纏う洗い晒しの麻のパジャマ。それらは紛れもなく愛する人の使っていた物なのだ。
「お前もさぞ心配だろうな」
苦しむ白鳳の様子を見て、ぽつりと呟くと、アドルフはベッドの縁にそっとスイを下ろしてやった。とてとてと枕元まで駆け寄り、兄の頬に鼻面を寄せてみるが、いつもならいろいろ語ってくれる兄が何一つ声をかけてくれない。閉ざされた瞳。苦しげな息。熱で火照った肌。全てが日頃見知っているそれとは別物だった。
「きゅるり〜」
上下するか細い肩先でスイは不安げに一声啼いた。


TO BE CONTINUED


 

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