*優しい瞳の静けさも愛〜3*



玄関の隅に並べられていた黒い靴を見ただけで、鼓動がドクンと響くのが分かった。母と妹に旅人の特徴を聞き、もう間違いないと思った。まさか彼がこの家で疲れ果てた身体を癒していたなんて。
「あっ、お兄ちゃんってば」
広くもない家の中、いきなり駆け出して、妹はきっと驚いただろう。でも、逸る気持ちを少しでも抑えるにはこれしかなかった。とにかく一秒でも早く会いたい。そして今の率直な思いを伝えたい。抱き寄せるようにノブを手に取り、ドアを開け放ったセレストだったが。
「!!」
空のベッドとそよ風に揺れるカーテンが目に入ると、全身がカッと熱くなった。まだ温もりの残るシーツに掌で触れながら、ぎゅっと唇を噛む。枕に残る白金の糸。語り合おうとか謝ろうとか考えていたはずなのに、一瞬、そんな穏やかな感情はキレイさっぱり消え失せていた。
(また逃げ出したのか、あの人は)
いや、一年前はいい。セレストも朧気に予感していたし、当時の白鳳の立場と状況を考えれば、むしろ当然の行動だ。ひとり残されて、自分でも驚くほどの喪失感に襲われた。けれども、一連の出来事や互いの言動を冷静な目で見つめ直して、新たな発見をすると共に、これからなすべき仕業を自分なりに結論づけることも出来た。辛い空白期間だったが、決してマイナスではなかったと思う。が、今回は条件がまるっきり違う。起きあがるのも困難な状態で、どうしてこんな無茶をするのだろう。そこまでして俺に会いたくないのか。人の心は移ろうものだから、大きなことは言えないが、少なくともあの時点では白鳳は自分に対し、何らかの特別な感情を抱いていたはずだ。なのに、帰宅した途端、いきなり逃げ出すなんて。それ以前に己の体調を顧みず、外へ飛び出す無謀さにいたく腹が立った。一年前と全然変わっていない。なぜ、この人はもっと自分を大事にしないんだ。
(今なら遠くへは行ってないはずだ)
ルーキウスで生まれ育ったセレストだから、この国は自分の庭みたいなものだ。白鳳がどこへ逃げようと見つけ出す自信はあった。取りあえず窓だけを閉め、足早に自室を出た。
「ちょっと出掛けてくる」
日頃に似合わぬ険しい表情を隠しもせず、大股で玄関まで戻って来たセレストを見て、セリカもシェリルも思わず目を見開いた。
「今、帰ってきたばかりじゃない」
「どこへ行くの」
「ウサギ狩りに」
「え」
ふたりに疑問解消の余地も与えないまま、ドアを叩き付けるように開くと出ていってしまった。まだ激突の余韻が残る中、あっけに取られる母と妹。
「ウサギ狩り・・・・・っていったい何のこと?」
「ああいうドアの開け方はお父さんにそっくりねえ」



力の入らない体を持て余しながら、左右一面麦畑に囲まれた道を小走りで進んでいく。頬に刺さる風が冷たく、素足に尖る小石が痛い。時に激しく咳き込んだりもしたが、今はセレストと顔を合わせないことが全て。具合が快復しなければ、また別の国で医者にかかればいい。
「まずは服と路銀をどうにかしないとね」
パジャマのまま、アーヴィング家を出た白鳳は当然無一文だ。通常なら小金を稼ぐ方法は硬軟取り混ぜていくらでもあるが、現状では子飼いの男の子モンスターに届けて貰うしかない。
「誰にしよう。神風かフローズン、それともDEATH夫あたりがいいかな」
スイに相談するように言いかけた彼の耳に聞き覚えのある、でも出来れば今だけは聞きたくない叫び声が飛び込んできた。
「白鳳さんっ!!」
慌てて振り返ると、向こうの方からセレストが凄まじい勢いで駆けて来るではないか。出来るだけ小道裏道を通って、慎重に移動していたのに。
「げっ」
白鳳も速度を上げたが、如何せん体調不良はどうしようもない。見る見るうちに詰まっていくふたりの距離。遠目では背景に過ぎなかった相手の姿が、互いの瞳にはっきり映る。懐かしい想い人。一年ぶりの再会。心がじんわり溶けるのが分かる。鼻先につんとミントのごとき感触が上ってきた。が、ここであっさり手のうちに落ちるわけにはいかない。今回会うつもりはこれっぽちもなかったし、なにより相手に屈服したみたいで嫌だ。
(そう簡単には捕まらないよ)
白鳳は立ち止まってかがみ込むと、足元の小石を二つ三つ拾い上げた。その間にもセレストはどんどん接近してくる。彼からすれば、白鳳がうずくまったのはついに力尽きたか諦めたのかとばかり思っていた。ところが。
「うわっ!!」
唐突にヒュンと石が飛んできた。不意をつかれ、一つがこめかみのあたりに炸裂して、一筋の血が流れた。間髪を容れず、次々と正確に飛来弾が投げつけられる。セレストがそれを避ける隙を突いて、白鳳は素早く脇道に入ると、農家の庭先に飛び込み、家畜小屋を掠め、そのまま通り抜けて行った。セレストの性格からして、無断で他家に侵入することは出来ないだろうと踏んでの作戦に違いない。
(・・・・・・・ここまでするか)
セレストは完全にキレてしまった。日頃は温厚で優しく見えても、頑固な父の血を引いて、根っこの部分では相当気が強いし、本気で怒ると何をしでかすか分からない。シェリルの話を誤解して、婚約者時代のエリックに剣を抜きかけたことさえあった。





民家を通り抜けた後、白鳳はしばらく後ろを気にしていたが、青い人影が現れないのを確認して、ようやく一息ついた。現在、自分が国のどの辺りにいるのか、全く分からないのが難だが、取りあえずセレストさえ撒けば、どうにでもなる。
「スイ、もう大丈夫だよ・・・・・多分」
とはいうものの、また身体の節々が痛み始めてきた。少しでも気を抜いたら、倒れてしまいそうだ。
(でも、一目でもセレストの顔が見られて良かった)
相手に投石までしておいて、こんなことを思うのはとんでもないが、生き生きとして元気そうだった。きっと今も変わらず自分の世界を大切に守り続けているのだろう。なんだかほっとしたし、嬉しかった。セレストにはいつまでも変わらずに居て欲しい。そしてお似合いの伴侶と幸せになって欲しい。これまでは心惹かれたものを闇雲に自分の所有物にすることに躍起になって来た。でも、彼だけは違う。手に入らなくてもいい。ただ、自分の愛した彼のままでいてくれればそれでいい。
(私のことはきっと呆れただろうけど。。)
苦笑混じりで道の端をふらふらと歩いて行く。さっきはじっくり見惚れる間もなかった彼の面影を心に抱きながら。しかし、若葉を散りばめた木々が目印の曲がり角で、不意に青い髪の青年に行く手を塞がれた。
「白鳳さん」
「あッ・・・・・・・・」
胸に描いたイメージが突如、眼前で具現化したので、驚きのあまり絶句した。そんな。完全に撒いたはずだったのに。
「この国は俺の生まれ育った場所ですから、どんな裏道も知り尽くしていますよ」
疑問を言葉にする前に、刺々しい口調で告げられてしまった。いつもはもの柔らかな表情をしているだけに、厳しい眼差し、真一文字に引き結ばれた口元から、その怒りは一目瞭然だ。
「さあ、俺と一緒に戻って下さい」
まだ半ばうろたえている白鳳に、静かに手を差しのべたセレストだったが、いきなり鳩尾に拳を入れられて、わずかに体が揺らいだ。
「ぐっ・・・・・は、白鳳さん」
「寄らないで下さい。次は蹴り倒しますよ」
肩にいた弟を脇に避難させると、しなやかな四肢を揺らし、美しい姿勢で構えを取った。彼の人の国に伝わる拳法の一種だろうか。たったひとりで旅を続けるのに、鞭一本で全てを乗り切るのは困難極まりないし、ダンジョンや危険地帯で獲物を奪われることもあり得る。そういうアクシデントを想定して身に付けたに違いない。やはり、筆舌に尽くしがたい月日を送ってきたのだ。が、その感慨とは全く別のところで、セレストの腹立ちは更に募っていた。
(まだ抵抗するつもりなのか)
そんなに自分と顔を合わせたくないのだろうか。あの夜、心ない言葉で白鳳を深く傷つけてしまったのだろうか。そこまで思いが至ると、じくじく胸が痛む。だが、今の状態の彼を放って置くわけにはいかない。直前の一撃で分かったけれども、やはり病のせいで本来の力の半分も出ていない。セレストは相手の動きに構わず、その懐に入り込もうとした。
「いい加減にして下さい」
「セレスト、あっち行けっ」
「うわっ、イタタ!!」
滑らかな動きと共に、まともに2発蹴りが入った。思った通り、威力はさほどでもなかったものの、確実に急所を突いてくる。相手の続けざまの攻撃をどうにかガードするセレストだったが、段々虚しくなってきた。普通なら、一年ぶりの感動の対面と相成るはずではないか。それなのに、逃げられるわ、石を投げられるわ、蹴られるわ。
(どうして、俺たちこんなことしてるんだ。。)
再び会う日が来たら、言おうと決めていた言葉が山ほどあるのに。だけど、こんなはちゃめちゃな状況でも再会できたことには変わりない。この人を連れ戻しさえすれば、また違った展開もあるかもしれない。



何度目かの襲撃をかいくぐり、セレストはついに相手の真っ正面に飛び込むことに成功した。形勢逆転を悟り、どうにか後ろに飛び退こうとした白鳳だったが、それは許さなれかった。
「あっ」
かわす間もなく、いきなり抱きすくめられて、不覚にも力が抜けた。いや、それ以前に肉体が限界を迎えていたせいもあるだろうが。
「放しなさい」
左右に身を捩ってみたものの、相手は全く動じない。一連の攻防で汗をかいたため、額に乱れた前髪が貼りついていた。
「放したら、貴方はまた逃げるんでしょう」
「無論です。この国に来る気だってなかったんですから」
至近距離でじっと睨み合う。身長が同じくらいなので、目線も同じ位置にあり、ふたりは互いに一歩も譲らず、視線をぶつけ合った。
(・・・・・・・・・・)
熱のせいなのか潤み加減の紅い瞳が妙に艶めかしい。顔が微妙に赤いのも、きっと熱があるからに違いないが、それでも妙に心がざわめく。絶対、ここでこの手を放すわけにはいかない。もう中途半端な形で別れるのは真っ平だ。
「それなら俺も強硬手段に出るしかないですね」
まなじりを決した厳しい顔付きで最終宣告を口にする。その表情に一瞬気圧されて、白鳳はゴクリと息を飲んだ。と、その時。
「え・・・・・あ〜っ!?」
セレストが素早く中腰になったかと思うと、相手の細いウエストのあたりに手をかけ、一気に肩に担ぎ上げたではないか。虚を突かれたこともあり、男性にしては細身の白鳳は、身体を折り曲げられた状態で、軽々と彼の右肩に乗せられてしまった。その脚をがっちり抱えたまま、セレストは困り果てて右往左往するスイを反対側の肩に乗せてやった。
「さ、帰りましょう」
当然白鳳はこれではおさまらない。四肢をばたつかせて、拳固でセレストの背中をぽこぽこ叩く。
「大人しくしてください」
セレストが掌で力任せにその引き締まった臀部を叩いた。パチンと大きな音が夕暮れの空に抜けて行った。
「痛〜い」
掠れた声と共に、一切の抵抗は止んだ。セレストは納得したように、早足で帰路を急いだ。国外れの小道は人通りもなかったが、街に近づくに連れ、人影が目立つようになってきた。いかに知らない相手とはいえ、白鳳からすればこの格好はあまりにも面目ない。
「もう、逃げたりしないから下ろしてくれませんか」
「ダメです」
これまでの行いが祟り、セレストの答えはにべもなかった。すれ違った家族連れがこちらを怪訝そうに見つめている。
(うう、みっともない。。)
けれども、どう持ちかけたところでこの状態が解消されることはなく、白鳳はセレストに担がれたまま、街中を通り、アーヴィング家まで連れもどされる醜態に甘んじるしかなかった。





「ただいま」
「早かったの・・・・・あら」
何げなく言葉を返したセリカだったが、息子の担いでいる物体を見て、一瞬息を飲んで固まった。
「お兄ちゃん、この人」
「全く世話のやける病人だ」
最後まで事情が飲み込めず呆然と佇む家族を尻目に、セレストは白鳳を自室まで運び込むと、ベッドの淵に座らせた。その脇にちょこんとスイも下ろしてやった。
「ちょっと待っていて下さい」
一旦、部屋を出たセレストは、程なく濡れた雑巾を持って戻ると、白鳳の汚れた素足を拭いてくれた。自分の足元で動く青い頭をぼんやり見つめながら、これは本当に現実の出来事なのかなあ、と白鳳は思った。再会の場面を想像したことはいくらでもある。しかし、それはもっと見栄えのする舞台で、気の利いたシチュエーションだった。ちょっと斜に構えて、そっけない言葉の一つも投げつけてやれたら最高だと。少なくとも相手に担がれて連れ戻される情けないシーンは予想だにしなかった。
「これでいいですよ。さ、ベッドに入って」
言うやいなやセレストは白鳳を床の中に押し込んで、掛け布団を乱暴に被せた。
「相変わらず無茶ばかりして」
彼と再会したら、自分が軽率に口にしたことを詫びようと思っていた気持ちは、彼方へ吹き飛んだままだった。なんだかとても腹立たしかった。”久しぶりですね”も”お元気でしたか”もない。事実、相手は全然元気じゃないわけだし。
「・・・・・”ばかり”してるわけではありません」
露骨にぷいとそっぽを向かれた。
「だったら、この状態は何ですか。倒れたのも極度の過労が原因と聞きました」
「貴方には関係ないでしょう」
「奴隷だか愛人だか知りませんが、一度は俺を手に入れようとしたくせに」
突き放した言い方にカッと来て、あえて挑発的な物言いをしてしまった。これでは一年前と同じではないか。この空白の間、あれだけ激しい悔恨に苛まれてきたのに、どうしてこうも進歩がないのだろう。そもそも、この人と向かい合うとなぜ日頃の自分らしからぬ素の部分が顔を出してしまうのか。
「貴方みたいな生意気で可愛くない奴隷は願い下げです」
刺々しい口調と冷ややかな眼差しで言い返され、怒りが増幅しかけた。が、その途端相手が激しい咳き込みに襲われたので、慌てて傍らに寄り添うと、優しく背中をさすってやった。そうだ。本当はもっと穏やかな気持ちで、彼と心ゆくまで語り合いたいのに。
「大丈夫ですか」
答えることが出来ないくらい激しい咳が続く。スイが悲しげに何度も絞り出すような声で啼いた。セレストは会話を断念すると、今度は薬を取りに部屋を出た。


薬が効いて、咳はどうにか収まったが、結局、ふたりは一年間ため込んだ気持ちを殆ど吐露することは出来なかった。治りかけですらない状態で無理をしたため、白鳳は夜半から再び高熱を出し、意識不明の状態が2日間続いたから。



TO BE CONTINUED


 

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