信じがたい事実が、現実として目の前にいる。
 その現実と、相対して、ゲンドウは戸惑っていた。
 目の前にいる少年は、シンジの同級生である渚カヲル。
 しかし彼は、そう、自分の同級生でもあったのだ。
 否。
 自分の中学の時の同級生に、渚カヲルと云う同姓同名で同じ顔をした少年がいた。
 天文学的な、だがそれだけの偶然だ。
 シンジの同級生の渚カヲルと、自分の同級生の渚カヲルが同一人物であるはずなどない。
 わかってはいるが、どうしても感情が納得しない。
 その眼差しは、まさに自分の知る渚カヲルのものだった。
 何でも知っていて、偉そうで傲岸不遜で、昔からその目で見られると、ゲンドウはまるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなったものだ。
「渚……カヲル……なのか?」
「……」
「お前は、渚カヲルなのか?」
「……」
 答えを待つ間の沈黙に耐えきれずに息を飲む。
 たっぷりと時間をかけて、カヲルは口を開いた。
「ええ。僕はカヲル。渚カヲルですよ。シンジ君とはいつも仲良くさせてもらってます、碇司令」
 その優等生然とした答えは、ゲンドウが求めるものそのものであり、彼の恐れを払拭してくれるはずであったはずなのに、何かが違うと警鐘が鳴り響く。
「違う!お前は……あのカヲルなのか?!」
「ええ。僕の名前は渚カヲル……」
 そう云って、カヲルは笑った。
 記憶の底に沈んでいた、いやーな気配が満載の笑顔で、天使のように優しく囁いた。
「久しぶりだね……赤点ゲンゲン」
 その言葉は、悪夢のようだった。
「そ、その呼び名を知っているとは……まさしくお前はカヲル!カヲルだな!」
 蒼白になって必死で声を出すゲンドウに、カヲルはしれっと答える。
「もう、みんなの足を引っ張ったりしてはいないかい?」
「な、何故お前がここに……昔のままの姿で」
「ふふ……君は本当に赤点ばかりとっていたからね。一種奇跡とさえ思えるほどだったよ」
「いや……私の問いに答えてくれないか……」
「そうだね。今はもう、敬語を使うべきなのかな、あなたの物覚えの悪さと云ったら、本当に猿以下でしたね」
「だから、私の問いに……」
「それが今では、ネルフの総司令ですからね。立派に髭まで生やして……」
 くすくすと笑いながら、カヲルはゲンドウを仰ぎ見た。
 そしてそのまま髭を掴むと、みにょーんと左右に伸ばす。
「格好つけちゃって……」
 言葉とは裏腹に、嬉しそうに髭をいじっているカヲルに、ゲンドウは、疲弊しきった声で無駄とも思えるセリフを続ける。
「どうしてお前は、昔と何も変わっていないんだ」
「あなたは変わりましたね……。もう、赤点ゲンゲンでもないし、髭もこーんなに伸びて、ひとりで大人になってしまった……」
 カヲルの声は、ほんの少しだけ寂しさを含んでいたが、髭をいじる手は少しも止まらない。
 気が付けば、ちょうちょ結びなんかにされちゃってもいる。
「お前は昔から、人の話を少しも聞かなかったな……」
 ゲンドウはとうとうカヲルから話を聞き出すのを諦めた。
 カヲルが、自分の知っているカヲルならば、きっと自分には一生聞き出す事はできないだろう。
「いい加減にしないか」
 代わりに、髭をいじる手を掴んで止めさせる。 
 昔は、好き放題に遊ばれても何もできなかったが、今はそうではない。
 自分は大人になり、彼は子供のままだ。
 その気になれば、力ずくでなんでもできてしまうのだ。
 掴まれた手を不思議そうに眺めた後、カヲルはまたゲンドウを見上げた。
「僕は、またあなたに会えて良かったと思ってますよ」
 その目が、「あなたは?」と聞いているのがわかったが、今のゲンドウに答えられる言葉はなかった。
 カヲルは続ける。
「またあなたに会えて、良かったと、そう思ってますよ」
 きっと、自分が答えるまでそう言い続けるのだろうと思った。
 ゲンドウの知っているカヲルは、そういう奴だった。
 だけど、同時に飽きっぽくて、すぐに話題を変えるような所もあった。
「また会えて、良かった……」
 端から見たら、手を握り合って、恋人同士の睦言のように聞こえるかもしれないセリフを、カヲルはずっと続けている。
「私は……」
 けれど、ゲンドウには答えられる言葉がない。
 大人になると、自分の感情だけでは何を言う事もできなくなるのだと知っていた。
「私は……」
 あの頃のように、気が変わって別の話題を振って欲しいと思いながら、馬鹿のひとつ覚えのように言葉を繰り返す。
「君はやっぱり、昔のまま、不器用なままだね……」
 そう云ってカヲルはなんだか嬉しそうな哀しそうな、複雑な笑みを浮かべて、そっとゲンドウの手を離した。
「僕が貸したノートも教えた事も、もう、覚えてないんじゃないかい?」
 そう云うと、目を伏せて数歩下がる。
 ゲンドウの知っている渚カヲルは、何でも知っていて、偉そうで傲岸不遜で、そのくせ何故かいつも寂しげで、昔から、どうしても目を離せなかった。
「私は……昔お前に似た少年と会えなくなった時、とても寂しかった事を覚えている……また彼に会えたら、きっと嬉しいだろう」
 欺瞞だと思いつつ、ゲンドウはそう答えた。
「……それが今の君の限界?」
「ああ……そうだ」
「大人になるって、寂しい事だね」
「そうだな」
「でも、ありがとう……」
「……そうか」
 目を伏せたまま、カヲルが笑うのが見えた。
 その顔はとても――――。






ゲンゲンとカヲルンが同級生だったなんてー!!!!(笑)




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