*約束*



「ほら、さっきのように視線をこっちに移して。そうそう。もっと遠くの空でも眺めるように顔を上げるんだ。」
シンと静まりかえったスタジオに加持の穏やかな声だけが朗々と響きわたる。指示を受けているのはカヲルの幼なじみで人気アイドルグループ”リリス”の一員、惣流・アスカ・ラングレーであるが、彼女の動作はどこか投げやりで緩慢だった。いつもなら憧れの加持の言うことに瞬時に反応し、そのニーズ以上の行動をしてのけるのに、今日の気合いのなさは体調でも悪いとしか考えられない。
「どうしたんだ、アスカ?ノリが悪いぞ。最近、スケジュールが押せ押せで疲れ気味なのはよく分かるが、今日の撮影でラストなんだからあとちょっと頑張れ。」
”リリス”はこの度、初の写真集の出版が決まった。撮影は番組収録や取材の合間を縫って続けられており、端から見ていてもよく倒れないなと思うほどの過密日程が続いている。それでも結局は3人一緒の部分だけ先にロケで撮影し、残りのソロパートはそれぞれの空き時間に個別に撮るという特殊な形態にせざるを得なかった。メンバーの個性がハッキリするに連れ、徐々に単独での仕事も増えて来ており、そこでの反響が彼女たちの人気を一層揺るぎない物にしていた。 
「どうして神聖な撮影場所にコイツがいるんですか?これじゃ撮影に集中できませ〜ん。」
さっきから傍らに所在なげに座っているカヲルをオーバーアクションでビシッと指さして、いかにも不満げに加持に問いかけるアスカ。すっかり邪魔者扱いされたカヲルだったが、このまま言われっぱなしで泣き寝入りするつもりはさらさらない。
「このオジさんがどうしても写真撮りたいってしつこく頼むから、わざわざ来てあげたんだよ。」
「今までもこれからも仕事なんか入ってないくせに何がわざわざよ。時間がないのはアタシの方なんですからね。この後だって雑誌の取材3件と歌番のリハがあるんだから。その点、アンタはいいわねえ、いつも暇で。」
「そ、そんなことないもん。僕だってネットアイドルになるためのHP製作で日々忙しいんだよ。」
「何よ、それ?まるっきり素人の女のコじゃない。アンタってホントやることないのね〜。」
「ひ、ヒドイやあ〜(><)。」
昔の力関係を払拭することが出来ず、アスカに言い負かされてカヲルは半べそ状態だ。ここでようやく加持の助け船が入る。
「そんなにカヲル君にきつく当たるもんじゃないよ、アスカ。確かに今日彼をここに呼び出したのは俺の方なんだから。」
「ええ〜っ!?どうしてなんですか?カヲルなんかまだデビューできるかどうかすら分からない卵以前の代物なのに。」
「本当は彼のHPに載せる写真を撮りたくてネルフプロに頼みに行ったんだが、同級生と約束が出来ているからダメだと断られてしまってね。粘った末、やっと一枚だけ撮影させて貰えることになったんだよ。」
「・・・・・・・・加持さん、その話本当なの?」
予想もしなかった経緯にあっけに取られて、口を半開きにしながら、アスカは加持とカヲルを代わる代わる見比べた。



「そだよ。」
「アンタには聞いてないわよ!!」
「全くカヲル君と来たら義理堅いというか友情に厚いというか・・・・正直、俺もこうなるなんて考えても見なかったよ。」
言葉とは裏腹にその表情には大して悲壮感はなく、加持は柔らかな含み笑いを漏らしている。
「呆れたわね。」
「そうだろ、このオジさん強引なんだもん。」
「・・・・・何ボケかましてるの。呆れたのはアンタのおまぬけ加減によ!!」
「ええ〜っ!?どうしてさあ?」
「アンタ、カメラマン加持リョウジの価値がこれっぽちも分かってないのね。たとえアンタのサイトのコンテンツがどんなにへっぽこでも、加持さんの撮影した写真があるだけでお客は殺到するはずよ。こんなアクセスアップの千載一遇のチャンスを逃すなんて、アンタばかぁ!?」
「そ、そうなの?」
まだ半信半疑のまま、カヲルは上目遣いでアスカに恐る恐る聞き返してみた。
「もうアンタもネルフプロも終わったわね。」
妙に静かな物言いが限りない信憑性を感じさせる。実のところ、カヲルは加持の話を単なるハッタリとしか受け取っていなかったのだが、どうやら何もかも掛け値無しの事実だったらしい。
(・・・・・碇さんも社長も血相変えて止めてたっけ・・・・・・。)
初めて自分の判断ミスをはっきりと自覚したカヲルだったが、だからといって、あの時の選択を後悔はしていない。目先の利益こそ逃したものの、それ以上に大切なものは守れたはずだ。ただし、唯一にして最大の問題はネルフプロにはもう残された時間がないということだった。
「な〜に、そう心配することはないさ。」
「!?」
「俺もプロだ。たった一枚でも見た者に君の只ならぬ魅力を十分に伝える自信はあるよ。俺のサイトに掲載させてもらうつもりだから、それなりに業界人の目には触れるはずだし。」
極端な話、どこのページであろうとカヲルの存在さえ皆に認識してもらえればいいのだから、これでも効果をあげることは十分可能である。しかし、面白くないのはアスカだ。どうして加持がつぶれかかった事務所の超音痴の少年にそこまで入れ込むのか納得いかないし、自分がおざなりにされているようで不愉快でたまらなかった。
(カヲルをスタジオまで呼び出して待たせておくなんて。まるでアタシの方が前座みたいじゃないの。)
けれども、アスカは加持が決して興味本位でカヲルに固執しているわけではないのもよく分かっていた。これまでも無名のモデルを発掘して、一躍有名にしたことが幾度となくあったのだ。悔しいけれど、きっとカヲルの中に何か光り輝くものを見い出したのだろう。他の人間ならいざ知らず、加持がいったいカヲルに何を見たのか、アスカはどうしても確かめたかった。
「そういう事情ならカヲルがいてもオッケーよ。でも、一つ頼みがあるの。」
「頼み?」
「アタシも残ってカヲルの撮影を見たいの。ね、いいでしょ?」
「アスカはこの後に取材があるんだろう?」
「撮影が長引いたって言えば、わかりゃしないわ。どうせ一枚だけなんだし。」
「いや、アスカは帰った方がいい。」
加持がそっけなく突き放すように言ったので、アスカは完全に頭に血が登ってしまった。
「な、何でカヲルがアタシの撮影を見てるのが良くて、アタシがカヲルの撮影を見ちゃダメなのよ!!まさか一枚だけなんて嘘なんじゃないでしょうね。もう頭来た!ずぇ〜ったいに居座ってやるからっ(><)!!」




怒りのあまり眉をつり上げ、両手足をばたつかせるアスカをなだめすかしながら、どうにかこうにか残りの写真を取り終えた加持だったが、先ほどの宣言通り、彼女はその場を一歩も動こうとはしない。
「アスカ、早く戻らないと取材の時間に間に合わないぞ。君のところの赤木社長は時間と礼儀には厳しいし、特に今日は先輩たちとの合同記者会見もあるんだから、遅れたらお小言くらいじゃ済まないだろうな。」
「そんな風に脅したってムダよ。アタシはカヲルの撮影現場を見届けるまでは一歩も動かないんだから。」
アスカはすでに度胸を決めてしまっている。先ほどの興奮したサル状態はどこへやら、その態度には落ち着きさえ見て取れた。身動ぎもせずに仁王立ちするアスカの表情をしばらくじいっと見つめていた加持だが、彼女の決意が揺るぎないことを悟り、ふうっと大きく息を吐いた。
「わかったよ、アスカの好きにしたらいい。だけど果たして最後まで見ていられるかな?」
「え?」
加持の問いかけの真意が読めずにきょとんとしたまま目を見開いて首を捻るアスカ。そんな彼女の様子を見ているうちにカヲルはなんだか胸騒ぎがしてきた。
(どうしてアスカを追い払おうとするのかな。単に時間に間に合わない云々だけではない気がするんだけど・・・・・・・。)
こんなことなら自分一人でのこのこ飛び込まないでゲンドウにも一緒に来てもらうんだったと、今更ながら後悔の念で一杯になるカヲルだったが、仮にカヲルが頼んだところで多分ゲンドウは後込みして同伴してはくれなかっただろう。加持がネルフプロを訪れたあの日から、ゲンドウはあの勘の鋭い男が自分とカヲルの仲を怪しんでいるのではないかと密かに懸念しているのだ。そんな危うい状況の中、むざむざカヲルと共に行動して、加持の推測を実証するような材料を提供するわけにはいかない。
「お待たせ、カヲル君。じゃ、始めようか。」
「はい。」
「まず向こうで準備してからセットに来てくれ。」
この制服姿じゃあまりに愛想がなさすぎるもんね。にしても、わざわざ服まで用意してくれているなんて、さすがプロのカメラマンともなるとスナップ一枚でも本格的なんだなあ、と何も知らないカヲルはつくづく感心した。ところが更衣室のような場所まで移動したものの、カヲルの着るべき衣装が見あたらないではないか。
「あれえ??」
元々捜し物は苦手な方だ。もしかしたら見落としているのかもしれないと思い直し、改めて辺りをきょろきょろと見渡すカヲルだったが、いくら目を凝らして見ても身に纏えるようなものはどこにも存在しない。
「あのぉ、僕の着る服、一体どこにあるんですかあ?」
我ながらおまぬけだなあと軽い自己嫌悪に陥りながらも、ここは加持に聞いてみるしかない。しかし、加持の口から出た答えは、カヲルはもちろんアスカもどぎもを抜かれるような内容だった。
「何も着る必要はないよ。全部脱いだらこっちにおいで。」



「ええ〜っ!?何よそれぇ〜!!つまりヌード写真ってことぉ?」
驚愕のあまり言葉を忘れたカヲルの代わりに、アスカが500メートル先にも通りそうな大声で目一杯叫んでくれた。が、カヲルはまだ一言も発せられずに金魚のようにパクパクと口を動かすのみだ。
「だからアスカは帰った方がいいって言ったろ。」
「”女性の魅力を限界まで写し取る男”加持リョウジともあろうものが、ピッチピチの芳紀14歳、惣流アスカラングレー嬢じゃなくて、どうしてこんなガリガリにやせ細った、しかも男のヌードなんて撮るんですかあ?カヲル、アンタもアンタよ!!まだデビューもしてない身でいきなりヨゴレ路線に突っ走ってどうすんのよ!?仮にもアイドル目指してるんでしょ。」
あまりのことにいきり立ち、一気にまくし立てるアスカだったが、加持は表情も変えないで淡々と続ける。
「写真は俺の好きなように撮らせるという約束だったよなあ。」
その通りだ。しかし、まさか裸の写真を求められるなんて夢にも思っていなかった。
(やっぱり碇さんと一緒に来るべきだったなあ。このオジさん食えないタイプだし、曲がりなりにも約束しちゃった手前、この場を切り抜けるのは容易な事じゃなさそうだぞ。)
ようやく、カヲルも己に降りかかっている危機的状況を冷静に受け止めつつあった。もちろんヌード写真を撮影させる気なんてこれっぽちもない。死ぬほど恥ずかしいとか思っているわけではないが、その反面、全く抵抗がないと言えば嘘になるし、ゲンドウだってそんなことを喜ぶはずがなかろう。けれども、そのゲンドウは今ここにはいない。この先どんな展開になっても自分ひとりで切り抜けなくてはならないのだ。
「あの〜、僕そういうの困るんですけど。」
「ここまで来て何だ。好きなように撮ってかまわないと君自身が言ったんだぞ。」
「でも、僕は清純派で売る予定ですから(はぁと)。」
どこまで本気か冗談か分からないしれっとした口調でカヲルが返す。ここでおたおたと取り乱しては相手につけ込まれるだけだ。その辺のことはこれまでのいじめられ人生の中でイヤと言うほど学んでいる。
「俺だって今日はそんなハードな写真を撮るつもりはないさ。ともかくプロを目指す以上、一旦約束した事柄をいきなり反故にするなんて通用しないからな。」
やや厳しい雰囲気を漂わせながら加持が言い放つ。思わずごくりと唾を飲み込むカヲル。
(・・・・・さ〜て、どうしよう・・・・・。)
せめてもの救いはこの場にアスカがいることだ。とはいうものの、自分から(しかも偉そうに)約束してしまった手前、どこまでも苦しい立場なのは変わりがない。ここで颯爽と自分を助けるために飛び込んでくるイカリマン・・・・・は想像するだけ虚しいのでやめておいた。
(あ〜あ、デビュー前からトラブルばっか。もういやんなっちゃうな〜。)
ため息まじりにあちこち視線を泳がせながら、次の一手をつらつら考えるカヲルであった。




TO BE CONTINUED


 

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