*バースディケーキ〜後編*




「カヲル君、また碇さんから注文入ってるわよ。」
「ええっ?今週だけで3回目だよ。」
依頼内容も毎回きっちり判で押したようにケーキの材料の配達だ。見た目の無骨さとは裏腹に小さめの読み易い字で食材名と個数orグラム数が細かく記してあるメモに目を通すカヲル。
「今日のは料理教室で習ったのとは違うなあ。」
研究熱心なゲンドウは学校の課題以外にもいろいろな作品をこしらえて、更なるレベルアップを目指しているようだ。もっともプロ志望なのだから、このくらい気合いを入れて取り組むのは当たり前。趣味で習っている連中と同じ心構えではお話にならない。だが、カヲルにはひとつだけ疑問かつ不満なことがあった。
「どうして自分で材料買いに行かないんだろ。僕が行くよりよっぽど早いのになあ。」
そう、ゲンドウのアパートの方が遙かにスーパーに近いのだ。なのに、わざわざ手間賃まで払ってカヲルにお使いを頼む理由がさっぱり分からない。
「・・・・・もしかしてカヲル君、気に入られちゃったんじゃないの?」
奥の調理室から運んできた出来たてケーキを手早くトレイに振り分けながら、ミサトは茶化すようにこう投げかけた。開店まであと30分を切っており、準備もすでに最終段階に入っている。
「まさかあ。」
と受け流しつつ、カヲルは満更でもない気持ちだった。それは取りも直さずカヲルがゲンドウのことを好意的に思っていたからに他ならない。生まれたときから常に一緒だった使徒猫ゲンに似ているのはもちろんだが、ゲンドウを見ていると記憶の片隅にすらない父のイメージがなぜかくっきりと具現化されて来るのだ。今の境遇に不満なんかない。キールおじいちゃんは自分を実の孫以上に大切に育ててくれたし、ネルフタウンに来てからも使徒を特別視しない人たちと出会うことが出来た。けれども、こんな父親が居たら、また別の生活もあったかもしれないな・・・・・と時折考えることもあった。
「ぼんやりするな。行くぞ。」
肩の上でふんぞり返っているゲンに促されて、カヲルは慌てて踵を踏んづけていた真っ赤なズックを履き直す。田舎に居たときからいつも注意されていたにもかかわらず、どうしてもこのだらしない履き方が改まらない。元々靴を履くのは違和感がして苦手なのだ。故郷ではいつも素足で野山を駆け回っていたカヲルにしてみれば、自室以外では靴を脱ぐ場面のない今の生活は少々窮屈な感じがするのは否めなかった。
「もう、今行こうと思ってたんじゃないか。全くゲンはうるさいんだからあ。」
不満げに口を尖らせながら、裏口へ急ぐカヲルにミサトが笑いながら声をかける。
「いってらっしゃい。気を付けてね、カヲル君(^o^)。」
「は〜い、いってきま〜す!」



ゲンドウに幻の父の面影を見ているカヲルだが、だからといって胸の中のわだかまりをうやむやにする気はない。そんなわけで、敢えて頼まれた材料を買わないまま、カヲルはゲンドウのアパートに急いだ。
「こんにちわ〜、カヲルちゃん便だよ。」
少し間をおいてエプロン姿のゲンドウがのそのそと出迎えてくれる。しかしカヲルが手ぶらなのに気付くと怪訝そうにこう尋ねた。
「頼んだものはどうした。」
「これからオジさんと一緒に買うんだよ。」
「何だと。」
「いつも思ってたんだけど、オジさん、どうして自分で食材を買いに行かないのさ。職人さんは材料から自分で吟味して最高のものを選りすぐるんじゃないのかい。加持さんだっていつもそうしてるよ。」
「う、うむ。」
どことなく歯切れの悪い生返事を漏らすオヤジにカヲルはぴしゃりと言い放つ。
「まさか一人でケーキの材料を買うのが恥ずかしいんじゃないだろうね。」
いきなり図星だった。そもそもスーパーで買い物をすること自体に抵抗がある年代なのだ。ましてやよりによってお菓子の材料を買うなんて・・・・・という認識をどうしても払拭できない。ケーキ作りに対する真摯な思いには嘘偽りはないが、それでも長年身に付いた考え方を一変させるのは困難だった。ゆえにこのような矛盾した行動を取る羽目になる。
「ダメだよ。そんな心構えじゃ立派な職人になれないよ。」
言い終わらないうちにカヲルはゲンドウの手をぎゅむと握りしめ、強引に外に連れ出そうとした。
「ま、待て・・・・・。」
「今日は特別サービスで僕も一緒に行ってあげるよ。」
「おいっ!?」
小柄で華奢なカヲルの外見に油断していたら、ものすごい力で引っ張られてゲンドウは泡を食った。真っ赤なリボンにひらひらワンピがよく似合っていてもやっぱり男のコだと妙なところで感心させられる。こうなったらもう観念するしかない。確かにカヲルの言っていることは正しい。自分でも目一杯自覚がありながら、これまでもう一歩踏み出すことが出来なかったのだが、今日はいいきっかけかもしれない。だいたい女ばかりの料理教室に入学したことを考えたら、スーパーで買い物するくらい大したことではなかろう。
「え〜と〜、今度はタルト生地の材料だよ。」
「今度はバニラエッセンス。」
次々と指示を出しながらゲンドウを率いて食品売り場を練り歩くカヲル。ネルフタウンには大きいスーパーが2件あるのだが、食材に関してはこの駅向こうの店舗の方が断然品揃えが良かった。珍しい輸入品や専門店じゃないと置いていないような特殊な品も多い。
「ほ〜ら、何でもないじゃん。オジさん、少し自意識過剰なんじゃないの?」
「ううむ。」
開店直後ということもあったが、店内の客は誰一人としてゲンドウに見向きもしない。料理教室のようないたたまれない思いをするんじゃないかと恐れていた身としてはまったく拍子抜けだった。これまでの葛藤はいったい何だったのであろうか。
「今度からはちゃんと一人で買うんだよ。」
「・・・・・・・。」
まるで保護者のような口を利くカヲルにゲンドウは言葉もなく、苦笑するしかなかったが、この子のおかげでまた新たなる一歩を踏み出せたのだ。様々なことに挑戦する気持ちはあっても、性格的年齢的なものからどうも勢いが伴わないゲンドウにとって、カヲルの後押しがどれだけ力になることか。かごを振り回しながらスキップしてレジに向かうカヲルの姿にうっすらと光が差していたのを、ゲンドウは確かに見たような気がした。




相変わらず料理教室でゲンドウと一緒の班になるのはカヲルとマナとアスカの3人だけだった。他の女の子達の視線は冷ややかで、遠巻きに彼らを眺めながら何やらひそひそと囁き合っている。もっともその反応の何割かは使徒であるカヲルに向けられたものかもしれないが。
「感じ悪いよなあ。」
ほっぺたを膨らませてぷんすかするカヲルだったが、その腹立ちは当然ゲンドウに対する嘲けりにも似た視線に対してである。自分の夢に向かって真摯に取り組んでいるゲンドウのことを馬鹿にする雰囲気を察すると、なぜかいらだちにも似た感情が沸いてくるのだった。
「何笑ってるんだよ!」
とうとうカヲルの怒りが爆発した。熱心に飾り付けするあまり、クリームが顔についても気付かないゲンドウのことを、指さして大笑いしていた数人の少女たちの前につかつかと歩み寄る。生憎ナオコ先生もリツコ先生も急の電話で席を外していた。
「な、何よ。」
「オジさんに謝れよ!」
「別に謝らなきゃいけないようなことはしてないわよ。」
そっぽを向いたまま、小憎らしい物言いで返すリーダー格の少女。
「いつもいつもオジさんのことを馬鹿にして、笑いものにして、それでも謝る必要なんかないって言うのかよ。」
「あったり前じゃない。いい年して娘くらいの女のコたちと一緒の料理教室へ入学するなんて。」
「あの髭面にエプロンなんて笑わないでいろって言う方が無理よね〜。」
「案外ホントは若い子にちやほやされるのが目的なんじゃないの。」
心ない悪口雑言を言いたい放題の連中に、カヲルの拳がぶるぶる震えてきた。自分でも顔の筋肉がピクピクしているのがわかる。でも、いったいどう逆襲したらいいのだろう。暴力に走るわけには行かないし、かといって多勢に無勢。一言言ったら十言くらい返って来そうだ。 
「アンタたちいい加減にしなさいよ!!」
「そうよ。一所懸命やっている人を笑うなんて失礼だわ。」
「アスカ、マナ。」
カヲルにとって誰よりも頼りになる加勢が現れた。マナの話では未だかつて言い争いでアスカに勝った人間を見たことがないそうだ。理論・理屈というより、きっと迫力で相手をねじ伏せてしまうのだろう。
「しょうがないわねえ。こんな連中相手にするのは時間の無駄だっていつも言ってるでしょ。」
「まあ、一度はびしっと言っておかなきゃいけないかもね。どうせ言ってもわからないでしょうけど。」
「な、何よ。」
アスカの登場で少女達は明らかに怯んでいる。どうやら彼女の武勇伝は学校外にも知れ渡っているらしい。
「アンタ達と違って、オジさんは遊びでここに来てるわけじゃないのよ。毎回が真剣勝負なの。それを笑い者にするなんてオジさんが許してもアタシ達が許さないわ。」
アスカの過激な科白にゲンドウの方が困り果てた。自分に対する周りの反応はとうの昔に分かっているし、今更、それを怒ったり詰ったりするつもりもない。温かく見守ってくれる少数の味方に感謝しつつ、一歩ずつでも夢に向かって進んでいくだけだ。
「ま、待ってくれ。」
これ以上、事を荒立てまいと声をかけたゲンドウだったが、かえってアスカに
「オジさんは黙ってて!!」
と言い放たれる始末。一端堰を切った奔流はもう止まらないようだ。
「さあ、謝りなさいよ。」
「う・・・・・・・・・・・。」
人数は少ないはずなのに相手の少女達は完全にカヲル達に気圧されていた。3人の一歩も引かないという気迫が伝わってくる。躙り寄るカヲル、アスカ、マナ。後退りする少女達。このままあと一押しすれば、連中もゲンドウに謝罪してくれそうな手応えがあった。が、その時だ。
「あなたたち、何やってるの!?」
戻ってきたナオコ先生の姿を見かけるやいなや、相手の少女たちは大慌てで自分たちの調理台に戻っていった。先生がゲンドウに好意的な眼差しを向けているのは分かっている。ここで事が明るみに出たら、まず勝ち目はないと見たのだろう。
「いったいどうしたっていうの?」
「いえ、何でもないんです。」
「・・・・・・・・そう・・・・・・・・。」
ナオコ先生はいまいち腑に落ちない様子だったが、皆に何もないと言われれば、これ以上追究する術はない。アスカたちも敢えて告げ口のようなことはしなかった。そこまで追い込まなくてもこの程度つるし上げておけば、以後ゲンドウに対して無礼な振る舞いもすまいと考えたのだ。第一、これは生徒間の問題であって、先生達の手を煩わせるようなことではないし、更に諍いが大きくなると、むしろゲンドウが気を使うに違いない。事実、ゲンドウはいたたまれないような様子で大きな体を縮こまらせていた。



「ふう・・・・・・・・・。」
ゲンドウはため息混じりでひとり夕暮れの駅前通りを歩いていた。まさか自分が原因であんな大騒ぎになってしまうとは考えても見なかった。あのような町の料理教室ではしょせん自分は異端者なのだろうか。何より自分個人のことでカヲル達にまで迷惑をかけてしまったのが辛い。もちろんあの程度の事で凹む3人ではないし、あれで彼らの立場が悪くなることもないだろう。しかし、自分があの教室に通っている限り、この先も一触即発でもめ事が起こる危険性があるのだ。たとえ、ゲンドウが我慢しても若い彼らは我慢などしないだろう。自分のためにカヲル達がこれ以上不愉快な思いをすることは避けたかった。
(それに・・・・・・・。)
本格的に菓子職人を目指すのだったら、やはり今の体制では不十分だ。もっと大きな料理の専門学校に入学するか、実際のプロに弟子入りして本格的に修行しなければ、にっちもさっちもいくまい。只でも大幅に出遅れているのだ。
「あ、オジさんじゃない。」
「今頃どうしたの?」
突然声をかけられて、ぎこちなく振り向くとそこには見覚えのある2つの顔。マナとアスカだった。ミニスカートからすらりと伸びた長い脚が眩しい。それぞれ可愛くラッピングされた小振りの包みを抱えている。
「君たちこそ・・・・・・。」
後が続けられないゲンドウだったが、その視線の先を敏感に察したマナが彼の疑問を解消してくれた。
「あ、これ?明後日カヲルの誕生日なのよ。」
「あの子、この街に来てまだ日も浅いから、誕生日を祝ってくれるひとも少ないと思って。」
「学校にも行ってないしねえ。」
自治体の長がいくら使徒に対して好意的でも教育機関はまた別だった。残念ながら今の学校には使徒の受け入れ態勢は整っていない。もしカヲルを入学させれば、人型以外の使徒も受け容れざるを得なくなる。個人差はあるものの、世間一般ではまだまだ異形の使徒への風当たりは非常に厳しいものがあった。
「いきなり渡したら、カヲルどんな顔するかしら。」
「きっとびっくりするわね。」
お互いに悪戯っぽく微笑み合う二人の少女。カヲルと彼女たちとの間には着実に友情が育まれつつあるようだ。もっとも天真爛漫で無邪気そのもの、裏表のないまっすぐな性質は、相手に使徒に対する偏見さえなければ、愛される素質十分と言えよう。
「そうだ!オジさんもカヲルに何かプレゼントしてあげたら?」
「そうよね。私たちと違って自由になるお金も多いんだもん。そもそもカヲルが居たからオジさんとも一緒の班になったようなものだし・・・・・!!」
そこまで言いさして、先日の諍いを思い出し、思わず言いよどむマナ。でも、すぐに明るく顔を上げてこう続けた。
「あ、気にしないでね。私たち何とも思ってないから。それどころかオジさんにいろいろ教えてもらえていい勉強になってるもん。」
「そうよ。あんな連中の横やりに負けちゃダメ。もっともアタシたちがついてる限り、ぐうの音も出させやしないけどね。」
ゲンドウは柄にもなくじ〜んと胸が熱くなってきた。カヲルのみならず、マナとアスカも自分のことを心から応援してくれている。このようなキュートな味方が出来ただけでも思い切って料理教室に足を踏み入れた甲斐があったというものだ。
「・・・・・・・・・・。」
なんとか一言でも感謝の気持ちを伝えようとするゲンドウだったが、胸が一杯なのに加え、生来の口下手もあって適当な言葉が出てこない。そんな状況にオロオロしてるうち、駅ビルのからくり時計から楽しげなメロディーが鳴り響きはじめた。文字盤から飛び出す可愛い動物たちに親子連れやカップルが足を止めて見入っている。慌てて時計に目をやる少女たち。
「いっけない。バスの時間に間に合わないじゃない。」
「じゃ、オジさんまたね〜。」
ひらりと身を翻して駈け去っていくアスカとマナ。
「む・・・・・。」
結局、ゲンドウは何も言えなかった。せめてもの気持ちの代わりに右手を控えめに上げて彼女たちを見送るのが精一杯。二人は一度だけ振り返り、大きく手を振ると、街灯に吸い込まれるように消えて行った。その光景をぼんやり眺めながら、ゲンドウは我知らず呟いていた。
「そうか・・・・・・・・誕生日か。」




「カヲル君、またまた碇さんから注文が来てるわよ。本当に気に入られちゃったみたいね。」
いつものように開店準備をテキパキと進めながら、ミサトが声をかける。配達の仕事がないときはバイトが来るまで、代わりに店の掃除やレジの手伝いをしているカヲルだったが、今日は無理っぽい雰囲気だ。
「ええ〜っ、仕方ないなあ。こないだあんなに言ったのに。」
とはいうものの、例の事件でゲンドウが落ち込んでいるのでは・・・・・と内心気が気じゃなかったので、カヲルはほっとしていた。でも、食材を買って行ってやる気はさらさらない。今日はゲンドウの買い物が済むまでスーパーの前で待っているつもりだ。
(いくらあんな事の後だって甘やかしたりはしないもんね〜。)
「あら、自宅まで注文を聞きに来てくれだって。どこかに届け物でもあるのかしら?」
それを聞いて、カヲルはおやと思った。ということは食材とは関係ないらしい。
「誕生日もゆっくり出来ないなんてね。」
「いいんだよ。それだけ繁盛してるって事だもん。最近、お客さんが増えてきて嬉しいな(^o^)。」
そう、今日はカヲルの15回目の誕生日。わざわざ登校途中に寄ってくれたマナとアスカには可愛い洋服を、ミサトと加持には自炊に使う調理用具セットを貰って、朝からすっかりご機嫌だ。田舎のキールおじいちゃんからはカードと一緒に収穫したばかりの葡萄と図書券が送られて来た。店が終わってから、ささやかな祝いの宴も催されることになっている。
「気を付けて行ってらっしゃい。」
「は〜い。」
お使い以外にゲンドウが自分に頼むことがあるなんていったい何だろう?
(う〜ん、分からないなあ。)
そんなことをつらつら考えながら出かけたので、途中で何度もビルや街路樹に追突しそうになって、ゲンに手ひどく叱られた。
「こんにちは〜。カヲルちゃん便だよ。」
いつもの挨拶と共に鍵がかかってないのを良いことに、勢いよく駆け込んできたカヲルの鼻腔を甘〜い焼きたてのケーキの香りがくすぐった。
(あれれ?)
なるほど。これならカヲルに材料の調達を頼むはずもない。
(もしかしたらこのケーキを誰かに届けるのかな?)
勝手知ったる他人の家のフローリングの床をぺたぺた踏みしめながら、カヲルは香ばしい匂いの元まで導かれて行く。台所ではゲンドウが取り出したスポンジケーキに飾り付けをしているところだった。集中しているのでカヲルがすぐ側まで来ているのにもまるっきり気付かない。慣れた手つきで全体にベースの生クリームを塗り、更に細かいトッピングをして行く。中央には誰かの顔を形づくっているようだ。
「おい。あれはお前ではないのか?」
ぶっきらぼうな一本調子で肩先のゲンが指摘するまでもなく、カヲルもその大きなデコレーションケーキに描かれているのが自分の顔だということが分かった。
「オジさん!!」
いきなり声をかけられてゲンドウの肩先がびくっと震える。
「な、何だ。手元が狂うだろうが!」
せっかくのフィニッシュで危なくあさっての場所にクリームをくっつけるところだったが何とか回避した。
「だって、このケーキ・・・・・・・。」
「む・・・・・・・。」
「どうしたのさ?」
「・・・・・・前に試食したいと言ってただろう。」
遠慮がちにゲンドウはやっとこれだけ言葉を絞り出した。でも、カヲルの愛らしい笑顔の下にチョコクリームで記してある”HAPPY BIRTHDAY”の文字を見れば、このケーキの意図は明白だった。
「・・・・・これ僕のために・・・・・。」
感極まって思わずこう漏らしたカヲルだったが、ゲンドウの答えはない。その奥ゆかしい反応が一層カヲルの心の琴線に触れた。
「・・・・・・・ありがとう。」
言いたいことは山ほどあるのに、こんなありきたりの一言しか出て来ない。朝方に貰った皆からのプレゼントにも感激したが、ある意味それ以上の喜びだった。
「口に合うかどうかわからんが。」
「ううん、オジさんが心を込めて作ってくれたんだから美味しいに決まってるよ!!さっそくご馳走になるね。」
カヲルは軽い興奮状態のまま、自分の顔が型どられた部分はきっちり外して、ケーキをフォークで大きめに切ると、それをぐっさり刺して、あんぐりと開けられた口に投げ込んだ。もぐもぐと味わうように何度も咬むカヲルの愛嬌のある顔をじいっと見つめるゲンドウ。やがて、カヲルは満面に笑みを湛えて弾むような声で
「美味しい!!」
と叫んだ。
「嬉しいな、嬉しいな。」
テーブルの前ではしゃぐカヲルの様子を目にしつつ、心ばかりのプレゼントではあるが、この子の誕生日を祝うことが出来て良かったとゲンドウは妙に満ち足りた気分になっていた。本当はこんな贈り物だけでは全然足りない。年齢的に遅すぎる、何のつてもない、畑違いの仕事・・・etcと不安だらけでスタートを切り、今も手探りで進んでいる状態ではあるが、そんな中でもカヲルの励ましでどんなに力付けられたことか。躊躇いがちにひっそりと抱いていた自分の夢に誇りさえ持つことが出来たのは全部カヲルのおかげである。
「貰いっぱなしじゃなんだか心苦しいなあ。」
ゲンドウ入魂のケーキを一気に平らげた後、上唇をペロペロなめながらカヲルがこう切り出した。ゲンドウはカヲルの腹具合の方が気がかりだったが、本人はマドレーヌ一個食べたくらいの感じでけろっとしている。小さな体に似合わず、大食い選手権に出場しても十分イケそうな底なしの胃袋の持ち主らしい。思えばあの手の番組の優勝者は決まってスリムな体型をしていたものだ。
「気にするな。」
「ダメだよ。世の中ぎぶあんどてーくだってキールおじいちゃんも言ってたもん。」
こんな表現を使うあたり、育ての親との微笑ましい関係が偲ばれる。そもそもカヲルの邪気のない素直な性格は、もちろん本人の素養も大きいが、養い親の厳しくも暖かい躾の賜であろう。
「そうだ!オジさんがちゃんと修行してお店を持つ日が来たら、僕が専属の店員になってあげるよ。」
しばらくの沈黙の後、カヲルが唐突にこんな提案をしてきたのでゲンドウは驚愕した。宅急便の仕事はどうすると言い聞かせても、暇なときだけでもと言い張って一歩も引かない。ふわふわしているようで案外強情なところもあるのだ。とうとうゲンドウは根負けして、カヲルを店員に雇う約束をさせられてしまった。
「わ〜い!やったあ!!これでお菓子食べ放題だね♪」
「太って飛べなくなっても知らんぞ。」
「何だよ、ゲンの意地悪(メ-_-)。」
口の周りにクリームをべったり付けたままで、カヲルはほっぺたをぷうっと膨らませる。そんな幼げな仕草を眺めながら、ゲンドウは未来の自分の店のにぎやかな光景を一瞬思い浮かべた。けれどもいつまでもそれに浸ることなく、ある決意を秘めてぎゅっと唇を噛みしめるのだった。


なぜかあれ以来ゲンドウがぷっつりと料理教室に来なくなってしまった。ナオコ先生に聞いても、突然向こうから一方的に行くのを控えたいと連絡があってそれっきりだそうだ。熟練の腕を持つゲンドウがいなくなったことで、カヲル達の班の実習作品の味はガタ落ちだ。いや、それはともかくとして、ゲンドウの消息が気になる。
「オジさん、どうしたのかなあ。」
「駅前通りで会ったときは落ち込んでいるようには見えなかったけど・・・・。」
それは誕生日の時のカヲルも同じだ。いや、それどころかやる気に溢れているようにすら見えた。でも、それは彼の大人としての精一杯の心遣いだったのかもしれない。
「ね、今日帰りに行ってみない?」
「うん、そうしよう!!」
ちょっとパサパサになってしまったスフレを食べた後、意気揚々とゲンドウのマンションに向かったカヲルたちだったが・・・・・・。
「嘘・・・・・空室だって・・・・・・・。」
古ぼけた木の扉でで〜んと存在を主張する張り紙には、事務的な字でこう書かれていた。思い切って管理人に消息を尋ねてみたが、むろん納得のいく答えが得られるはずもない。諦めて帰路に向かう3人だったが、傍目から見てもかける言葉を失うくらいカヲルはがっくりと肩を落としていた。
(どうしてなんだよ・・・・・・。せっかく僕が店員になってあげるのに・・・・・・。)
足取りも重く、無言で商店街を通り過ぎるカヲル・マナ・アスカ。いつもは迷惑なほどに姦しい3人だけにもし知り合いがこの光景を目撃したらきっと驚愕することであろう。この沈黙を破ったのはアスカの一言だったが、今のカヲルたちには更に痛い宣告だった。
「こんなときにとっても言いにくいんだけど・・・・・・・今週でバイトやめるつもり。」
「ええっ?」
「ネルフタウンの芸術祭に出品することが決まったから、しばらくは本格的に制作に専念したいの。」
ネルフタウンは昔から文化事業に力を入れており、特にこの4年に一度の芸術祭は他の街からもたくさんの見物客が訪れる大規模なものだ。逸材を発掘しようと各方面の目利きの人物が足を運ぶことも度々で、これをきっかけにプロの道に進んだ者も少なくない。
「・・・・・そうなんだ。でも凄いじゃない。参加枠は全校で2人だけなんでしょ?」
アスカたちの学校は特に美術系のカリキュラムが設けられているわけではないが、こうした普通校からも作品が出展されるあたり、この催しの盛大さがよく分かる。もっとも彼女自身は幼少の頃からゼーレタウンの絵画教室に通っており、この道に対する志は抱いているようだ。
「うん、選ばれたんだから、結果はどうあれ、やれるだけのことはやっておきたいの。もっと早く言うつもりだったんだけど、二人の顔を見るとなんとなく言えなくて・・・・・。」
「アスカが自分の夢に近づくためだもん、仕方ないよ。芸術祭、頑張ってね。絶対見に行くから。」
「でも、せっかく仲良くなったのに・・・・・・・・つまんないなあ。」
感情をこれっぽちも抑えることなく、項垂れるカヲルを見て、かえってアスカの方が気を使ってしまう。
「そんな顔しないでよ。料理学校は息抜きとして続けるつもりだし、店にはお客として寄らせてもらうわ。忙しい時間を割いて買いに来てあげるんだからサービスするのよ、アンタ達。」
発言内容こそいつも通りの強気なものながら、アスカの表情は寂しそうだ。もちろんこれからいくらでも会う機会はあるのだが、毎週バイト先で繰り広げられていた楽しいやり取りとはもうさよならなのだ。三人三様の思いを抱えて商店街を抜けていくうちに、いつのまにか分かれ道に差し掛かっていた。
「じゃ、また料理教室でね。カヲル、しゃんとしなさいよ!」
「私はこれからもバイト続けるわよ。だから元気出して、カヲル。」
ひとりぼっちになってしまうと、ますます気分が滅入ってきた。誕生日の日のゲンドウの優しげな表情が頭から離れない。
(いったいどこに行っちゃったのかな・・・・・・・。)
真剣に考えだすとじわりと涙が滲んでくる。こんなことくらいでゲンドウが自分の夢を捨ててしまったなんて思えないが、見かけとは裏腹に案外デリケートなところがあるので、先日のもめ事にすっかり居づらくなってしまったのかもしれない。
(どこかよその町に引っ越して頑張ってるのならいいけど・・・・・・)。
会えないことには変わりはなくても、それならそれでしょうがないとカヲルは割り切ろうとした。いつかゲンドウが町の噂になるようなケーキ職人になれば、また会えるチャンスもあるかもしれない。でも、カヲルが待ち望んでいた情景は違うのだ。無言で作業をするゲンドウの周りで喜々として飛び跳ねながら手伝いをしている自分・・・・・・。
「こんな可愛い店員が待っているっていうのに・・・・オジさんのバカ・・・・・・・。」
俯いたカヲルの瞳からぽろりと滴が零れた。


「カヲル君、ちょっと。」
「何?ミサトさん。」
「今日はカヲル君に紹介したい人がいるのよ。」
「ふうん。」
振り向きもせず、気のない声を漏らすカヲル。あの日以来、カヲルは日頃の弾けっぷりが嘘のように沈み込んでいた。ゲンドウからは連絡のひとつも来ない。全ての気力をなくしたように動こうとしないカヲルを前にミサトは困り顔だ。さすがに見かねたのか、日頃だったら開店前は調理室に籠もりっぱなしの加持もフロアの方にやって来た。
「おい、いつもの元気はどうしたんだ?こんな風に萎れてると来るべき運まで逃してしまうぞ。」
小さな身体を一杯に使ってくるくると動き回るカヲルの姿に馴染んだ人々からすれば、今の意気消沈ぶりはあまりにも痛々しくて、見ている方が辛くなる。
「気持ちは分かるけど、いつまでもしょんぼりしてないでこっちにいらっしゃい。」
カヲルの両肩を抱くようにして移動を促すミサトにカヲルは渋々従った。
「先週でアスカがバイトやめちゃったでしょ。マナは今まで通り月・水・金は来てくれるって言うけど、それだけじゃとても店が立ち行かないのよ。」
「カヲル君の配達の仕事も軌道に乗ってきたから、もうあまり手伝いを頼むわけには行かないしな。」
これだけ聞いて、カヲルはその先の内容を察した。どうやら新しいバイトを雇ったらしい。だけど、今のカヲルにはどうでもいいことだ。まあ、あんまりイヤなヤツだと困るが、加持やミサトが吟味して選んだのだから、まず間違いはなかろう。
「誰か雇うことにしたんだ。」
「あら、先に言われちゃったわね。」
「今どき時給850円でよく見つかったね。」
会話こそ成り立っているが、カヲルの気のない素振りは一目瞭然だ。しかし、ミサトと加持は軽く目くばせをしながら、話の先を続けた。
「ふふ、ホントはこいつのとこに弟子入り志願で来たんだけどね。」
「えっ?」
カヲルの顔つきがちょっと変わった。視線に力が蘇っている。
「飛び込みだから驚いたけど、せっかくだから技術を見せてもらったら、ちょっと仕込めば即戦力になりそうなんだ。最近、リリスタウンやゼーレタウンからも注文が入るようになって、さすがに一人で作るには限界を感じてたんでね。」
「本人はやる気十分みたいだし、人柄も良さそうだから、職人見習いという形で働いてもらうことにしたの。んで、こんな折だから店番も手伝ってもらおうかな〜な・ん・て♪」
「全くしっかりしてると言うか、ちゃっかりしてると言うか・・・・・・・。」
まさか・・・・・・・・まさか・・・・・・・・・・と心の声がカヲルの頭の中で何度もこだまする。そんな上手い話があるはずがない。だけどもしそうだったらどんなにか・・・・・。次々に沸き起こるカヲルの独白を遮るように、ミサトがケーキの香りが充満する店内で直立不動のまま待っていた人物を引き合わせる。
「さ、紹介するわ。今度うちで働いてもらうことになった碇さんよ。」
カヲルの顔が見る見るうちに花が開いたように明るくなった。その紅い瞳には照れ加減に俯きつつも、どことなく嬉しげな雰囲気の漂う見覚えのある髭面がしっかりと映っていた。


ENDE


 

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