*ハンカチとサンドウィッチ〜たとえばこんなエンディング/後編*



午後の試合になってもゲンドウの勢いは止まらない。準々決勝を圧勝して臨んだ準決勝では息子シンジとの対戦となったが、もちろん全く容赦せず、完膚なきまでに叩きのめした。自分を見詰める息子の恨みがましい目など、もはやこれっぽちも気にならない。あと一回勝てば優勝なのだ。だが、決勝の相手を見た瞬間、ゲンドウの頭の中は真っ白になった。何もかも忘却の彼方へ消え去ってしまった。そう、この大会に参加した目的さえも・・・・・・・。
「君は・・・・・・・・・・・・・。」
「やっぱりあなただったんだね。」
彼だった。でも、その様子はおよそ決戦の場には似つかわしくなく、ようやく待ち合わせ場所に現われた恋人を迎えるような生き生きした表情が眩しかった。その愛らしい瞳がころころ動くたびに、不覚にもゲンドウの胸の動悸ははやがねのように高まる一方だった。もう勝負なんてどうでも良い。ただ、彼と対峙する機会が与えられたことに喜びを感じていた。
「あなた強いね。」
少年はにっこり微笑んで続ける。
「でも、負けないよ。」
「そううまくいくかな。」
ゲンドウはニヤリと口元を綻ばせた。単なる目的のための手段であるはずの対戦でこんなに楽しい気持ちになるなんて彼自身予想だにしないことだった。



さすがに決勝まで勝ちあがってきただけのことはあり、少年は今までのどの相手よりも歯ごたえがあったが、所詮ゲンドウの敵ではなかった。もちろん、ゲンドウは一切手加減などしない。真剣に向かってきた相手に対して、かえって失礼というものだ。
「・・・・あ〜あ。負けちゃった。」
少し肩を落として、上目使いでゲンドウを見上げながら、少年は呟いた。
「まだまだだな。」
本当はもう少しフォローになるような上手い言葉を言おうとしたのだが、口をついて出てきたのは味も素っ気もないこんなセリフ。
「うん・・・そうだね。もうちょっと真面目に特訓しておけば良かったなあ。そしたら、もう少し長くあなたと対戦していられたのに。」
こう締めくくると少年はふうっと大きく息を吐いた。決勝戦が終わってしまった今、ふたりが同じ空間にいる理由はもはや存在せず、あと数分のちには別れなければならない。考えてみれば、ゲンドウは未だに少年の名を知らないままだった。目的に邁進するあまり、トーナメント表すら確認していなかったのだ。
(・・・・・名前くらい尋ねておこうか・・・・・。いや、しかし。)
どうせこの先、ニ度と彼に会う機会はなかろうという寂しい予測が、ゲンドウにその行動を躊躇わせた。が、はからずもその手間は省けることとなった。
「カヲル、この役立たずめが。」
聞き覚えのある、しかしあまり聞きたくはない声が荒々しく少年の名前を呼んだからである。




ゲンドウが振り返ると、そこには思ったとおり人類補完委員会議長を務めるゼーレのキール・ローレンツの姿があった。
(この子はゼーレのさしがねで参加したのか・・・・・。)
ゲンドウはどうにか平静を装いながらも、胸の奥がキリキリと締めつけられる感覚に耐えかねていた。
「何のためにおまえを今まで育ててきたと思っているんだ。しかもよりによってこの男に負けるとはな。」
吐き捨てるようにカヲルを罵るキールだったが、カヲルは平然としている。
「だいたいこんな大会に優勝して人類補完計画を達成しようなんてセコすぎるよ。大の大人が考えることじゃないね。」
ふふんとキールをせせら笑うカヲル。
(そんなことを企んでいたのか。危なかった・・・・・。)
ゼーレのシナリオとゲンドウのシナリオは似て非なるものだ。ここで彼らの野望を阻止する形となったことは本当に幸運だった。
「黙れ!!お前さえこいつに勝っていれば、我らの目的は達成できたというのに、肝心なところでしくじりおって。」
「うるさいなあ、仕方ないだろ。だってこのひと、僕より全然強かったんだもん。」
これっぽちも反省の色を見せないカヲルにとうとうキールの怒りは爆発した。
「お前みたいな出来そこないはもう要らん。帰ったらすぐに処分してやる。さ、行くぞ。」
キールの言葉が終わらないうちに、取り巻きの黒服がカヲルのまわりを取り囲んで、そのか細い体を押さえつけようとした。が、その間に割って入ったのはゲンドウだった。
「待て、何をする。」
「碇君、君には関係ない。これはゼーレの問題だ。」
「処分というのはどういう意味ですか?」
「もちろんそのままの意味だ。組織のためだけに作られた存在のくせに、悉く期待を裏切りおって。お前には失望した。」
しばらく2人のやり取りを見守っていたカヲルだったが、このキールの言葉を耳にすると呆れかえったような表情を見せた。
「ふん、ウソばっか。最初から期待も望みも持たなかったくせに。」
どこかで聞いたようなセリフだな、とゲンドウはしばし己の行動を振りかえり、我ながら苦々しく思わないでもなかったが、今はそんなことに心を砕いている場合ではない。このままではカヲルの生命が危ういのだ。たとえどんなことをしてもカヲルを見殺しにするわけにはいかない。ほんのさっきあったばかりの少年にどうしてこんな気持ちになるのだろうか。自分はユイと再会するためだけにここに来たはずだ。なのに、こんな面倒なことと関わり合って、あまつさえ何の得にもならない人助けまでしようとしている。
(・・・・・この私が何故・・・・・?)
けれども、今はその理由を突き詰めて考える余裕などない状況に立たされていることは明白だ。事は一刻を争う。今動かなければ確実にカヲルの命の灯火は消え去ってしまうだろう。
(だが、果たしてどうすれば・・・・・。)
実質はどうあれネルフはゼーレの下部組織。ここでゲンドウが下手な行動に出れば、その存続が危ぶまれる事態に陥りかねない。それに多勢に無勢で実力行使も難しそうだ。だが、この時ゲンドウの脳裏にたったひとつだけ安全かつ確実にカヲルを救い出す方法が閃いた。
「キール議長、5分、いや3分だけこの子を借りていくぞ。」
言うやいなやカヲルの骨と血管が浮いた手首をぎゅっと掴んで、一目散に大会本部の方へ駆け出したではないか。
「あっ!!ま、待て!!!!!」
ゲンドウの意表をついた行動にすっかり対応が遅れたキールたちは駆け去る2人の後姿を呆然と眺めていることしか出来なかった。



ゲンドウはカヲルを連れてこのまま逃走してしまったに違いないと踏んでいたキールだったが、それだけに彼らがほぼ約束の時間きっかりに戻ってきたときには少なからず驚いた。
「・・・・・まさか律儀に帰ってくるとはな。貴様がそんなにばか正直な男とは思わなかったぞ、碇。さあ、とっととカヲルを渡してもらおうか。」
勝ち誇ったように言い放つキール。だが、そんなキールの姿をゲンドウもカヲルも冷ややかに見つめているだけだ。
「何をしている!!私の言ったことが聞こえなかったのか?」
いきり立つキールに対し、ゲンドウは憐れむように一言返した。
「この子はもうゼーレとは無関係な存在ですから。」
「な、な、何だと!?」
怒りと驚愕で顔を真っ赤にしながらキールはようやっと言葉を発した。
「このひとが僕を自由にしてくれたんだよ。」
喜びを隠し切れないといった表情でゲンドウに寄りそうカヲル。
「せっかくの大会優勝のご褒美を僕のために使ってくれたんだ(*^_^*)。」
キールは呆れかえった。どんな願いでも叶うからこそ、誰もが血眼になってこの大会に参加したのだ。それなのにせっかく権利を手中にしながら、ゲンドウが願ったのはカヲルをゼーレの所属から解き放つことだという。
「なんて愚かなヤツだ。使いようによっては富も権力も思いのままに出来たのに、こんなくだらないことに貴重な願いを使ってしまうとは・・・・・。」
しかし、いくらここでゲンドウを罵ろうと、カヲルがゼーレと縁が切れた以上、もはや彼らに手出しすることは出来ない。最後までいまいましそうにゲンドウを睨みながら、キール議長は取り巻きと共に会場を去って行った。
「ありがとう。あなたのおかげで助かったよ。でも、ホントにこれで良かったの?何か大切な願い事があったからこそ大会に参加したんだよねえ。」
ゲンドウは何も答えない。けれどもその吹っ切れたような表情には後悔の色は微塵もうかがえなかった。
「・・・・・私はもう帰るぞ。」
ぶっきらぼうに言うとゲンドウは踵を返す。
「お前はもう自由なのだから、どこへでも行きたいところに行けばいい。」





あの大会から1ヶ月が過ぎた。
「ねえねえ、碇司令〜。もう12時だよ。早くお昼ご飯食べようよ♪」
「うむ。」
バスケットを持つカヲルと一緒にいそいそと中庭に出かけるゲンドウ。結局カヲルはゲンドウのマンションに転がり込んでしまったのだ。立場上、一応は難色を示したゲンドウだったが、
「行きたいところに行けばいいって言ったのはあなただよ。」
とカヲルはがんとして立ち退こうとしなかった。その程度であっさりと陥落してしまったのだから、ゲンドウも実のところはまんざらでもなかったのだろう。毎日昼時になると、カヲルはこうして手づくりのサンドウィッチを届けにネルフへやって来る。そして仲良くランチタイムを過ごして帰っていくのだ。
「はい、あ〜ん。」
特製ベーコンエッグサンドをゲンドウに食べさせるカヲル。日頃の風格さえ感じさせる厳しい表情はどこへやら、だらしなく恰好を崩してパンをほおばるゲンドウの姿はちょっと、いやかなり不気味だ。最初のうちは物珍しさ&ヒマつぶしから、ふたりの姿を見物しに来るネルフ職員があとを立たなかったが、彼らのあまりに周囲を無視し切った蜜月ぶりにバカバカしくなり、今ではすっかり野放し状態だった。
「・・・・・あのとき、もしお前の方が勝っていたら、いったいどうするつもりだったのだ?」
不意にゲンドウがそんなことを尋ねてきたので、カヲルは少し驚いて紅い瞳を見開いた。
「どうしてそんなこと聞くんだい?」
「・・・・・いや・・・・・答えたくなければ別にかまわんが。」
「ふふふふふ・・・・・もちろんゼーレのジジイたちの望みを叶えてやる気なんてさらさら無かったよ。」
あっさりとこんなセリフを言い放ち、くすくす笑うカヲル。
「それに僕にだって願いくらいあったし・・・・・。」
そこで言葉を切るとカヲルはゲンドウの方に向き直って、熱い眼差しで見つめた。
照れもあるのか、ゲンドウはまともにカヲルと視線を合わせようとはしない。
「・・・・・そうか。済まなかったな、カヲル。」
結果的にはカヲルの願いを打ち砕く形になってしまったことが、ゲンドウにとって何より心苦しかった。でも、カヲルはそんなゲンドウの態度が理解できないらしい。
「どうして謝ったりするのさ。」
「それは・・・・・。」
「もういいんだよ。だって僕の望みはあなたが叶えてくれたもの(#^.^#)。」
カヲルの顔に波紋のように笑みが広がった。そのシアワセそうな姿を見て、初めてゲンドウも心からカヲルに微笑み返すことが出来るような気がしていた。


ENDE


 

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