*第三新東京モナムール〜27*



「先生〜、まだ続き書けないのぉ?僕、もう待ちくたびれちゃったよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・(__;)。」
「早くしてよね。8時から見たい番組があるんだから。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・(;-_-メ)。」
「まさか寝てるんじゃないだろうね。」
ゲンドウの真横に回り込むと、カヲルはその顎髭を力任せに引っ張った。堪らず野太い声で悲鳴をあげるオヤジ。
「イテテテテ・・・・・な、何をするか。」
「ふ〜んだ、先生が僕のことを無視するから悪いんだよ。」
謝るどころか口を尖らせてプイとそっぽを向くカヲルにゲンドウは頭を抱えた。ただでさえ筆がちっとも進まず途方に暮れているのだ。あと締め切りまで3日というのに原稿は半分も完成していない。気分は夏休みの絵日記を一日も書いていないまま、8月31日を迎えた子供である。もっとも、子供の日記なら家族総出で手伝ってやることも出来るが、飯の種のエロ小説ではそうはいかない。
「ちょっとは静かに出来んのか!」
「だってせっかく僕が貴重な時間を割いて、先生の原稿をリライトしてあげようとしてるのに全然書いてくれないんだもん。」
そもそも、カヲルが碇家に潜り込めたのは、ゲンドウの書き下ろし小説出版に伴う手書き原稿のリライトが必要だったからであるが、それはあくまでも単行本だけの作業で、普段の連載小説に関しては直筆原稿をそのままミサトに渡していた。よって本が完成した今、カヲルはお役ご免となり、ただの無駄飯食いに成り下がるはずだった。ところが、ネルフ書院が印刷・製本を頼んでいる製版社が、9月を境に全面的にコンピューター写植に切り替わってしまったのだ。そうなると、当然ワープロで作成されたデータ入稿が要求されるのだが、ゲンドウに自力での入力を期待する方が無理というものである。シンジとしてはこれを機会に父を教育して、徐々にデジタルな世界にも触れさせたいと目論んでいる。しかし、実現には遙か遠い道のりが待ち受けているのは想像に難くないし、仮にゲンドウが一念発起してパソコンを学ぶ気になったとしても、キーの位置すら覚えてないのだから、今月来月の連載には到底間に合わない。というわけで、再びカヲルにお鉢が回って来たのである。ゲンドウはもちろんシンジも、後々の要求が怖いので、あまりつまらないことでカヲルに借りは作りたくないのだが、碇家の生活の基盤たる原稿がらみのこととなればやむを得なかった。もちろん何の手段も講じずにカヲルに仕事を提供したわけではない。スキャナで取り込んだ手書き原稿をワープロや表計算のアプリケーションで活字として読み込むことが出来るソフトがあるとミサトから聞かされて、ゲンドウとシンジは大喜びでそれに飛びついた。けれども、碇父子の期待も虚しく、オヤジのあまりにも個性的な字をソフトはまるっきり認識してくれなかったのである。



「とにかく黙って待っていろ。」
「またスランプなのかい?あ、わかったあ♪あまりにもキュートな僕が視界にいるんで、ドキドキしちゃって筆が進まないんだね。」
「・・・・・・・・・・黙ってろと言ったはずだぞ(-_-メ))。」
ゲンドウのこめかみでピクピク動く青筋に気が付いて、さすがにまずいと思ったのか、カヲルは肩を竦めながら後ろの椅子に戻って行った。すっかり手持ちぶさたになっており、暇つぶしのゲームなどを起動させている。
(やれやれ、ようやく静かになったか・・・・・・・。)
ほっと一息つくゲンドウだったが、単に物を書く上での最低の環境が整っただけで、肝心の原稿はまるっきり進んでいない。アイディアが枯渇したわけではないのだが、それを形にしようとすると頭の中に全く別のことが浮かんで来て、どうしても原稿に集中できないのだ。
(こんなことでどうするのだ。)
首を振り振り、邪念を追い払おうとするゲンドウだったが、残念ながら効果はゼロに等しかった。思い浮かぶのはあのパーティーの日の様々なシーン。キール会長の愛人という立場は分かっていたけれども、それ以外の謎に包まれていたカヲルの日常を初めて垣間見たような気がする。ワガママ一杯にやりたいことをやって生きている一方、妙に潔いカヲルの態度にゲンドウは不覚にも感銘を受けていた。その職業からは想像しがたいオヤジの古風な価値観からすれば、年端もいかぬガキのくせに、物品目当てで身売り同然の行為をするなどということは最も嘆かわしく、且つ許せないはずだ。なのに湧き起こる腹立たしさとは裏腹に、心のどこかで認めてしまっていた。カヲルは自分のヤバめな行動に起因する苦難を自ら背負う羽目になることを少しも恐れていない。もちろん手練手管でなんとかそれを逃れようとはするだろうが、失敗した場合にはその結果を甘んじて受けるだろう。世間から浴びせられる非難や罵声も軽くあしらって、ある意味、覚悟を決めつつ、自由気ままに毎日を楽しんで暮らしているのだ。もちろん自分でそんな行動に走ろうとは露ほども考えていないし(それ以前に無理^^;;)、カヲルの行動原理自体はゲンドウが決して肯定することの出来ないものではあるが、その何物にも縛られない奔放な行動には心密かに憧れさえ感じずにはいられなかった。これまでの年月でカヲルのような人間に出会ったのは初めてだ。ゲンドウの知らない世界で生きて来た知らない価値観を持つ少年。予測もつかない行動を取って自分の心を惑わせる少年。
(・・・・・今思えば、なぜこいつをユイに似ているなどと思ったのだろう・・・・・?)
あの日、中庭で月明かりに照らされたカヲルの愛らしい顔をまじまじと眺める機会があった。しかし、パーツのどこを見てもユイとはこれっぽちも似ていなかったのだ。初めて出会った時、ゲンドウの寂しい心に愛妻変換フィルターが掛かっていたのか、はたまたあの頃とは彼の心境が180度変わってしまったのか、どちらかはわからない。とにかく、カヲルにユイの面影を抱くことはもう無いだろうと思われた。




1行も書けないまま悶々としているだけで虚しい時間を過ごしてしまった。気がつけば、いつのまにやらカヲルに指定された8時ではないか。
「もう今日はやめた方がいいんじゃないの?」
確かにこれ以上粘ったところで成果は上がらないような気がしてたまらないのだが、カヲルの言うことにはいそうですかと大人しく従うのもシャクだし、むしろ彼がこの場から消えてくれた方がきっかけをつかめるかもしれない。出だしのポイントになる1行さえ浮かべば、後はなんとなく勢いですらすら書けるものだ。他の同業者のことはいざ知らず、ゲンドウの場合はいつだってそうだった。
「いや、追いつめられてこそ真の筆力を発揮出来る境地に到達するのだ。お前はもういい。居間でテレビを見るんだろう。」
精一杯虚勢を張って、ゲンドウは意味不明の返答をする。
「ふうん、わかったよ。じゃあ僕はもう行くね。」
あまり納得していないようではあったが、お目当ての番組が始まったのでカヲルはすぐに部屋を出ていった。ひっそりとした書斎に響き渡る時計の音。あんなに鬱陶しかったカヲルのおしゃべりも、自分をせかすような機械的なリズムと比べれば、なんと暖かみがあったことだろう。
(結局、カヲルの帰宅してからの貴重な時間をムダに浪費させてしまったな・・・・・。)
それがまた気になってなかなか考えが纏まらない。その強面の外見や激しい癇癪持ちの性質からは想像もつかないが、実のところゲンドウは案外小心者で、気が小さいからこそ、それを気取られまいと他人に対してついつい高圧的に出てしまうのだが、そのくせ、後で後悔したり、些細なことでくよくよすることも多い。晴れがましい席が苦手なのは、そういった内面に起因する部分が大きかった。
(・・・・・あいつの半分でも図々しくなれればな・・・・・。)
ため息ひとつつきながら無い物ねだりをするゲンドウ。あれだけ言いたいことを口にして好き放題に生きていけたらさぞ爽快に違いない。
(いやいや・・・・・自由と自分勝手とは違うのだ。最近の若いヤツはそれをはき違えていてけしからん・・・・・(-_-メ)。)
こう思い直してひとり深く頷くオヤジだったが、それでも心の片隅に羨望の念が漂うのを消し去ることが出来ない。カヲルの生き生きした表情が頭から離れないのだ。
(ダメだダメだ、あいつの楽して美味しいとこ取りの生き方は断じて許すわけにはいかんぞ!)
48年の間、不器用で要領の悪い人間として過ごして来たゲンドウとしては、ここでカヲルの生き方を全面的に認めてしまってはこれまでの己の人生を否定することになってしまう。カヲルにはもっと地に足がついた生活をさせて、平凡ながら着実な幸せを掴ませるのだ。それこそ良識ある大人としての自分の役割ではないか。



「先生、どう?ちょっとは進んだ〜?」
番組は期待通りの面白さだったのだろう。浮かれ気味なカヲルの呼びかけでゲンドウはようやく我に帰った。
(・・・・・し、し、しまったぁ(゜◇゜;)!!)
関係のないことであれこれ葛藤しているうちに1時間も経ってしまった。もちろん原稿は一文字たりとも進んでいない。先ほどカヲルに対してあんなに大見得切ったくせしてこれである。
「真っ白じゃん・・・・・・・。だからやめといた方がいいって言ったのに。」
「締め切りまであと3日なのに、仕事を放棄するようなことが出来るか。」
「捜し物だって一所懸命探しているときは見つからないもんだよ。ここは一発気分転換をした方がいいと思うけどな〜。」
「気分転換・・・・・。」
そう提案されても無趣味なゲンドウに転換方法などない。せめて映画鑑賞や美食の趣味でも持っていれば、出かける当てもあるのだが。
「これから繁華街の方に行こうよ、ねっ(*^。^*)。」
「バカを言え、もう9時近いんだぞ。中学生は明日の準備をして寝る時間だ!!」
「だ・か・ら・寝るところに行くんだよ。」
「・・・・・・・ま、まさか・・・・・・・(ーー;;;;;)。」
いくら察しの悪いゲンドウとはいえ、これだけカヲルと一緒にいると思考パターンは読めてくる。
「もちブティックホテルへ出陣さ!!部屋の設備や小道具でも小説で使えそうなネタがあるかもよ〜?先生の作品に出てくるのって場末の安っぽいホテルばっかなんだもん。これじゃ若いファンは開拓出来ないよ。」
あまりにも想像そのままのセリフを形にされて、ゲンドウは体中から力が抜けて行くのをはっきりと自覚していた。でもカヲルの攻撃はなおも続く。最初から人の意向も都合もお構いなしなのだ。
「思い立ったら吉日。先生、すぐに出かけようよ〜。」
まだ愕然としているオヤジの袖をぎゅむと掴んで、カヲルはゲンドウに外出の支度を促す。
「気分転換などせんでも大丈夫だ。」
「またまた〜、照れちゃってぇ。遠慮しないで一緒に行こうよ。そして二人だけの熱い夜をたっぷりと・・・・・♪」
「じ、冗談じゃない!」
ゲンドウは慌ててカヲルの腕を振り払うと部屋の奥へ逃げようとしたが、緩慢なオヤジの動きなどカヲルは全てお見通しだ。あっさり先回りされて、ゲンドウは逃げ場を失ってしまった。
「往生際が悪いよ、先生。だいたい世界一キュートな僕の誘いを無下に断るなんて、天に唾する行為だと思わないかい?」
「お、お前こそしつこいぞ。人がイヤだと言ってるだろうが。」
「イヤよイヤよも好きのうちだもんね〜♪」
どうしてさっき一瞬とはいえ、こんなヤツの生き方が羨ましいなどと思ってしまったのだろう。深い後悔の波にどっぱ〜んとさらわれるゲンドウだったが、その間にもオヤジの身体はずるずると出口に引き摺られていた。




嫌がるゲンドウを無理矢理部屋から引っ張り出そうとするカヲル。ゲンドウは開き掛けたドアにしがみついて必死に抵抗しているが、いつもながらこういう場面でのカヲルの馬鹿力は凄まじい。
「楽しいことするんだからいいじゃん。さっさと覚悟を決めなよ。」
「・・・・・うむむ・・・・・・離してたまるか・・・・・(><;)。」
すったもんだやっているうちに派手な物音が台所にも響いたのか、怪訝に思ったシンジが様子を見にやって来た。
「父さん、カヲル君と何遊んでるの?もう原稿出来たんだね。」
「ピント外れのこと言っとらんで何とかしろ、シンジ!!」
「え?」
「筆が進まないっていうから、僕が気分転換で一緒に出かけてあげようとしてるのに、先生ったら駄々っ子みたいに抵抗するんだよ。」
「なんだ、そうだったの。せっかくだから一緒に出かけたら、父さん。」
「お、お、お、お前はなんちゅうことを言うんだ!!実の父の貞操がどうなってもいいのか?」
「はぁ??」
ヒゲダルマからあまりにも筋違いの表現が出てきたので、あっけに取られてその場で硬直するシンジ。尚もゲンドウは自分の危機的状況を訴える。
「こいつは私をいかがわしいホテルに連れ込もうとしてるんだぞ!!」
「自分がいかがわしい小説書いてるくせに(ーー)。」
「シンジ君の言う通りさ。ムダな抵抗はやめて、とっととホテルに行って僕といかがわしい関係になろうよ。」
「・・・・・それは困るなあ。父さんはこれ以上評判が落ちようにないけど、息子の僕まで妙な目で見られるのは迷惑だよ。」
「シンジ、よく言った!!さすが私の息子だ!!」
別に父のことを心配してフォローしているわけではない。それどころかすでにゲンドウのことは見放している節さえある。
「でも、このまま辛気くさく書斎に籠もっているより、外でいろいろな刺激を受けた方が、絶対創作のためにはプラスになると思うけどな〜。」
「仮にそうだとしても、ホテルに行く筋合いなどない。」
「じゃあ、僕も一緒に出かけるよ。それなら父さんも心配ないだろ。」
エプロンを外しながら、シンジがこう提案した。自分の希望とはほど遠いものの、とにかくゲンドウと外出したいカヲルは取りあえず賛成の意を示す。
「僕はそれでもいいけど。」
「父さんは?」
「・・・・・・もう遅いんだからちょっとだけだぞ。」
仮に反対したとしても多数決の論理で押さえ込まれることは目に見えている。本人が望むと望まざるとに関わらず、ゲンドウもすっかり学習能力が身に付いてしまった。
「やったぁ!お出かけ決定だね!!」
ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶカヲルの嬉しげな笑顔が目に入ると、ゲンドウは憂鬱な気持ちで一杯になった。シンジも同伴してくれるのが不幸中の幸いではあるが、カヲルのことだから途中でシンジをまいて二人きりになろうと画策しているに違いない。こんな不安な心理状態で街のどこを歩いても気分転換になるとは到底思えなかった。
(・・・・・今月号は落とすかもしれん・・・・・・ーー;;;;;。)
カヲルに言われたのとはまるっきり別の意味で、先々の覚悟を決めているゲンドウであった。


TO BE CONTINUED


 

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