*招待*



9月も半ばを過ぎれば、日中は時折汗ばむこともあるものの、朝晩の涼やかな空気とかまびすしい虫たちの声が秋の訪れを感じさせてくれる。六分儀デイリーマートの陳列棚からも夏向けの商品はすっかり姿を消し、栗やきのこをふんだんに使用した弁当類や行楽用品が大きな顔をして鎮座していた。
「店長、早くしなよ。もう開店時間になっちゃうよ。」
「・・・・・何度も言わんでも分かっとる。お前こそ口ばっかりで手が動いとらんぞ。」
「店長とは違うもんね〜。とっくの昔に準備終わっちゃったあ。」
「・・・・・・・・・・・・・・(-_-メ)。」
珍しくカヲルが作業をしていないのに気付いて、ここぞとばかり逆襲に出たのも虚しく、あっさり言い返され、無念さを漂わせながらモップを動かすゲンドウ。
「まるっきり力が入ってないじゃん。それじゃいくらやったって綺麗にならないよ。ホントに掃除ひとつ満足に出来ないんだから。」
「・・・・・・・・・・・・・・(-_-;)。」
悔しいがカヲルの言葉は全て的を射ている。ゲンドウは反論の術もなく唇をぎゅっと噛みしめると、臍のあたりに力を入れて再び床を擦り始めた。
「これが終わったら、倉庫の荷物を全部棚から下ろして、うち半分は奥の部屋まで運ぶんだよ。その後は在庫の確認だからね。」
息を付く暇もなく、次々とハードな仕事がゲンドウに押し寄せてくる。いつもは作業の殆どをカヲルに任せっきりにして、自分はのんべんだらりと時間を潰しているくせに、どうしてこんな羽目に陥ってしまったのであろうか。
(くそ・・・・・全てはあの馬のせいだ・・・・・。)
ゲンドウはカヲルと競馬場で賭けをした。純白の体と紅い瞳を持った馬のアルビノたる白毛馬ワンダータブリス。メインレースでもし彼の馬が勝てば、ゲンドウはすっぱりと競馬から足を洗う。逆に敗れたときは今後、カヲルはゲンドウの競馬場通いに一切文句を言わない。その場の勢いもあって、双方、かなり思い切った条件の大勝負だった。ワンダータブリスの素質の高さは疑うべくもないが、いかんせん休養期間が長すぎる。今回だけは要らないだろうとゲンドウの競馬生活25年の勘は告げていた。しょせんカヲルは素人。目先の成績に目を奪われて、勝ち馬検討の上で真に大切なファクターがこれっぽちも分かっていない。こりゃあこっちの思う壺だ。労せずして美味しい結果が転がり込んできそうだぞ・・・・・と発走前は自信たっぷりにほくそ笑んでいたゲンドウだったが、ゲートが開いた瞬間に顔面蒼白になった。なぜなら、ゲンドウの狙い馬が大きく躓いて落馬してしまったのだ。スタート直後だったので、幸い馬にも騎手にも怪我はなかったが、オヤジのハートはズタズタである。1番枠でもあったし、スタートがいまひとつのワンダータブリスの機先を制し、逃げてそのままゴールインと目論んでいたのに、いきなり根本から崩壊してしまった。案の定、ワンダータブリスがあっさり先頭に立ち、スピードの違いで絡んでくる馬もなく、4コーナーではすでにセーフティリード。直線も差を広げる一方で、なんと2着に9馬身差をつけてゴールインしていた。
「わ〜い、やった、やった〜♪」
隣で大はしゃぎのカヲルを恨めしげに見ながら、ゲンドウはこの場をどう取り繕ったら良いか腐心していた。もちろん競馬をやめるつもりはさらさらない。というか、何の根拠もないくせに負けることなど露ほども考えていなかったのだ。だから予期せぬ結末に内心ショックを受け、パニック状態になっていた。けれども、このまま無抵抗でカヲルの条件に従うわけにはいかない。競馬は道楽者のゲンドウの趣味の中でも最大の楽しみなのだ。これを取り上げられたら、人生何をする気も起きやしない。ここが思案の為所である。そして熟考の上、ゲンドウが取った方法は・・・・・・・プライドを捨て切ってひたすら頭を下げることだった(^^;;)。下手に開き直ったりすれば、カヲルの機嫌をますます損ねることは火を見るより明らかである。ここは情に訴えるしかない。額を地べたに擦り付けんばかりに伏し拝んで、カヲルに許しを請うゲンドウは無様の一言だった。しかし、あまりにも情けないとかえって憐憫の情が湧いてくるものらしい。
「仕方ないなあ・・・・・・・。」
ついにカヲルの方が折れてくれた。それは何だかんだ言っても心の底ではカヲルがゲンドウに惚れているからであり、ゲンドウもそこに期待して同情乞い作戦に出た節がある。競馬場ではカヲルが圧勝したが、今度の勝負は老獪なゲンドウの技ありだった。ただし、カヲルもただで許してくれたわけではない。要するに、競馬を許可する代わり、日常でもそれに見合った働きをしろと告げられたのだ。不満タラタラながら、彼はカヲルの交換条件を受け容れるしかなかった。後で泣きついてもしらんぞなどと豪語したのはゲンドウの方なのに、結局、自分の方がカヲルに泣きついて、ようやっとこれからも競馬を続けることを許可して貰ったのだから。



「ねえねえ、ちょっと見てよ。」
「イヤだ、一体どういう風の吹き回し〜?」
「・・・・・下心があるとしか思えないわ・・・・・。」
様子を見に来たアスカ・マナ・レイの3人娘もゲンドウが甲斐甲斐しく働く姿を怪訝そうに眺めている。美少女3人にうっとりと見つめられるのならともかく、まるで檻の中の珍獣を観察するみたいな眼差しを向けられても苛立ちが募るだけだった。
「六分儀さん、朝っぱらから熱心に掃除なんかして変ねえ?まさか、カヲルちゃんの具合が悪いんじゃあ・・・・。」
上の階から降りてきたナオコにまでこう尋ねられ、ゲンドウは全く立つ瀬がない。裏を返せば、これまでいかに店の切り盛りをカヲルに任せっきりにして、怠け放題だったかということだ。
「アハハ、違う違う。店長は今度こそ心を入れ替えて真面目に働くって僕に誓ったんだよ。」
けれども、カヲルにこう宣言されたくらいで、これまで培われたゲンドウのイメージが一新されるはずもない。
「一週間・・・・・ってとこかしら。」
「甘いわね。そんなに持つわけないわ。アタシは3日坊主に終わると思う。」
「・・・・・3日も我慢できるの・・・・・・。」
案の定少女たちは400%疑念を抱いている。後ろでナオコも大きく頷いているのが一層悲しい。
「お、おい、揃いも揃って失礼だと思わんのか!?」
「全然。むしろまともな判断力を持っている人間だったら当然の反応さ。悔しかったら、ちょっとは発憤して真剣に労働に取り組みなよ。」
女性陣より先にカヲルにこう返されて、ゲンドウはがっくりと肩を落とした。
「皆が信用出来ないのも当然だけど、これからは容赦せずにビシビシ鍛え直すつもりだから、ちょっとはマシになると思うよ。」
「ホントにオヤジの人格改造をする気なんだ。」
「勇気あるわねえ。ペンギンやアザラシに芸を仕込むより大変そうなのに。」
こんな喩えはペンギンやアザラシに対して失礼であろう。
「そうなんだけど、うちもムダ飯食いを飼っておくほど豊かじゃないし〜。」
「確かに今のオジさんだったら、バイト代を払っても誰か気の利いた人を雇った方が断然お得よねえ。」
「経費の節減は内部から確実にやって行かなきゃ。」
ゲンドウの反応も意向も何もかも無視して、どんどん会話を進めていくカヲルと3人娘。頼みのナオコは後ろで忍び笑いをかみ殺しており、オヤジの味方は誰一人いない。しかし、このまま好き勝手に言われっぱなしではあまりにも惨めだ。賭けに敗れた以上、カヲルとの関係においては痛い目に遭わされてもやむを得ないが、小娘たちにまで馬鹿にされる覚えはない。
(最近の若い者は遠慮や加減ということを知らなすぎる・・・・・・・(ー_ーメ)。)
仏頂面を隠そうともせず、カヲルと娘たちの間にずいと進み出て、反撃に転じようとしたゲンドウだったが、その時、派手なブレーキ音と共に黒塗りの高級車が一同を掠め、店の入り口近くで止まったではないか。




「危ないわね〜。でも、すっごい外車。」
「こんな車に乗るような人がコンビニに用があるとは思えないけど。」
「・・・・・邪魔・・・・・。」
こんな場所に駐車されては、せっかく来店したお客さんが入りにくいことこの上ない。まだ開店前ではあるが、障害はとっとと取り除くに限る。さっそくカヲルは車の運転席目指して歩き出そうとしたが、先に後方のドアが開き、中から見覚えのある顔が現れた。
「あっ・・・・・!」
見るからに貫禄溢れる恰幅のよい老人は、カヲルが競馬場で正面衝突してしまった人物で、ゲンドウをどん底に叩き落としたワンダータブリスの馬主でもある。
「本当にここで働いていたんだな。」
「あ、そーだ。昨日はおめでとう。オジさんの馬のおかげで僕、助かっちゃった。」
突然の老人の登場を不審に思いつつも、カヲルの対応はどこか暢気だ。だが、ゲンドウは違った。男性の顔が目に入るやいなや、逆恨みに近い怒りのため、もはや素人衆が近づけない雰囲気さえ醸し出している。
「・・・・・カヲル・・・・・これは一体どういうことだ・・・・・(-_-メ)。」
「な、なんだよ、店長。顔が怖いからあんまりそばに来ないでよ。」
ゲンドウのあまりのド迫力にカヲルですらちょっとびびっている。ましてや少女たちは恐怖で完全に腰が引けていた。
「このヤクザ顔負けの品の欠片もない男は何だ?」
「オジさん、怖がらせてゴメンね〜。これでもこの店の店長なんだ。組長とは違うからね。」
「・・・・・・・カヲル、人の質問に答えろ。なぜお前がワンダータブリスの馬主と知り合いなんだ??」
「店長こそ、どうしてこの人があの白毛馬の持ち主だって知ってるのさ?」
ゲンドウに問いつめられて、むしろカヲルの方が意表を突かれたような表情を見せている。でも、彼の疑問はナオコがすぐに解消してくれた。
「キール社長、ご無沙汰しています。」
「おお、赤木君。久しぶりだな。お嬢さんは元気かね。」
「はい、このビルの3階で会計事務所を開いております。社長も相変わらずご活躍の様子で何よりですわ。」
「あれれ、ナオコさん、このオジさんと知り合いなの?」
「こちらはローレンツ建設の社長のキールさんよ。このビルや駅前商店街の殆どはローレンツ建設が施工したものなのよ。」
「ローレンツ建設・・・・・・・確か、最近話題になったブルーベリーモールもそこの設計だったよねえ。それにシティホテルも経営してなかったっけ?」
「まあ、カヲルちゃん詳しいのね。」
「ふうん、オジさんがあのローレンツ建設の社長さんだったんだ。それじゃ馬の一頭や二頭持ってても当たり前かあ。」
またまた質問を無視されたのみならず、話の流れからすっかり取り残されて、ゲンドウはますます不機嫌になっている。その凶悪極まりない面構えが3人娘のいい話のタネにされていることに彼が気付いているのかどうか・・・・・・。



「そんな大会社の社長だったらさぞ忙しいだろうに、昨日の今日でよくこんな店まで訪ねて来てくれたね。」
率直な気持ちを口にしてにっこりと笑うカヲルを身動ぎもせずに見つめ続けるキール社長。分厚いサングラスのためにその眼差しまでは分からないが、小刻みに震える拳に込められた力だけでも、彼の並々ならぬ思いは察することが出来た。
「この店はいつが休みなんだね?」
「第一と第三の日曜日だよ。」
「月二日だけなのか?」
「個人商店だもん。不景気だし、そんなに休んでいたら干上がっちゃうよ。」
「昨日は休日で競馬場に来ていたというわけか。」
「うん。でも、なぜそんなこと聞くんだい?」
「いや、もし君さえ良ければ、今度の休みにぜひ我が家に招待したいと思ってな。」
「ええっ!?」
と驚きの声をあげたのはカヲルだけではない。この場の一同が期せずして叫びをハモらせていた。
「うっそぉ。いきなりローレンツ建設の社長宅にご招待〜?」
「いいな〜、羨ましい。」
「・・・・・胡散臭い・・・・・。」
アスカとマナはカヲルに対してストレートに羨望の眼差しを向けたが、よく言えば慎重なレイは不審そうな面持ちでじいっとキール社長を凝視している。今がチャンスとばかり、ゲンドウは畳み掛けるようにこう続けた。
「その通りだ。カヲル、お前はおかしいと思わんのか。会ったばかりのガキをいきなり自宅に招待するなんて、何か裏があるとしか考えられん。」
話が上手すぎると感じたのも事実だが、それ以上に昨日カヲルがキール社長と出会ったことを一言たりとも話してくれなかったのが不愉快で堪らなかった。自分は隠れて風俗店に通ったり、店の売り上げを持ち出して馬券を頼んだりしてるくせして、カヲルの行動は何もかも把握しておきたいというのだから、全く虫のいい話である。
「裏って何さ?」
「妙な嗜好があるとかだな・・・・・。」
「店長じゃあるまいし、馬鹿馬鹿しい。」
ゲンドウの力説も虚しく、カヲルには端から相手にされていない。しかもゲンドウに冷たいのはカヲルだけではなかった。
「妙なのは自分でしょ。」
「知らない人が見たら凶悪犯にしか見えないくせに。」
「・・・・・まさかカヲルだけが招待されたんで僻んでいるんじゃ・・・・・。」
「六分儀さん、キール社長に失礼よ。貴方とは違って人品卑しからぬ人物なんだから。」
口の達者な女性陣から次々と激しい攻撃を食らって、ゲンドウはぐうの音も出ない。カヲルはそんなオヤジを冷ややかに一瞥すると、人懐っこい笑みを浮かべながらキール社長の方に向き直った。
「喜んでお邪魔させてもらうよ。美味しいもの、たくさん用意しといてね〜(^o^)。」
満足げに口元を綻ばすキール社長とは裏腹に、ゲンドウはギリギリと音が出るほど下唇を噛みしめ、その背からは強烈な怒りのオーラが立ち上っていた。




「お、おい、まだ私は許可してないぞ。」
「休日に何をしようと僕の勝手だよ。店長の指図は受けないもんね〜。」
日常ですら、ゲンドウがカヲルの指示通り渋々動かされている場面が殆どなのだ。ゲンドウがどうほざこうが、まるで説得力はなかった。
「生活力皆無のクソオヤジのせいでいつもロクなもん食べてないんだもん。これはきっとけなげな僕に対する天の配剤だな。」
満面に喜色を湛えつつ、キール社長宅でのご馳走の山を思い浮かべるカヲル。それにしても、昨日出会ったばかりの自分をいきなり自宅に招待してくれるなんて、よほど亡くなった息子のことが恋しいのだろう。そう思うと、いろんな意味で胸に染みるものがある。
(・・・・・僕の両親にもこんな気持ちの一欠片でもあったらね・・・・・。)
でも、過ぎた事をいくら悔やんでみても仕方ない。その代わり、この街では他人とはいえ、カヲルのことを親身になって心配してくれる人たちに出会えたではないか。
「うむ、話は決まったな。では楽しみにしているぞ。」
「ち、ちょっと待てっ!1」
ゲンドウの悲痛な絶叫など耳にする暇もなく、キール社長は踵を返すと、間髪を入れずに車中の人になっていた。きっと分刻みのスケジュールの間を割いて、ここまでやって来たに違いない。
「まあ、店長にも土産くらい貰って来てあげるよ。」
「・・・・・・・・・・・・・(ーー::)。」
最後まで会話の輪に入れてもらえないまま、トントン拍子でカヲルの外出が決定してしまった。カヲルがここで暮らすようになってから、別々に休日を過ごすのは初めてかもしれない。
(・・・・・・・冷静に考えて見れば、行き先はともかくとして、おのおの休日の予定があったって当たり前なのだが・・・・・。)
と自分に言い聞かせようとすればするほど、千々に乱れていく心を収めようがなく、途方にくれるゲンドウであった。


TO BE CONTINUED


 

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