『そ の 日』

 

 

 

 

『その日』は、「不死身のバレル」と呼ばれた男にとって、特別な日だった。

 

 

正午前、普段はあまり鳴ることのないドアベルが音を立てる。この時代には珍しい、電子音ではない、ブザーのような音が、緩やかな空気を掻き回す。

 

「お届け物です」

 

そうして届けられたのは、たて5cm、横20cmの、直方体の箱だった。緑地に金字が印刷された包装紙のロゴは、アメロッパでも有数の老舗有名デパートのものだ。その包装紙の上を、十字に、包装紙よりも濃い目の緑に金ラインのリボンがかけられている。そして、二本のリボンが交差する箇所に、リボンで作られた花があしらわれている。

小品ではあるが、確かな品のよさと一品であることをうかがわせる箱だった。

バレルは、無事に品物が届けられたことに安堵する。

それは、バレルが手ずから選んだ品だった。

箱の中身は、一本の万年筆だった。

ある一流メーカーの品で、長時間使用しても手が疲れないように、軸が太めのフォルムになっている。ステンレス製のペン先が銀色に輝き、ボディは目が覚めるような深く深く、澄んだ蒼。そこに金字でイニシャルの銘が入れさせた。

何よりも、その万年筆の商品名が気に入った。

『フロンティア・ブルー』

聞いた瞬間、彼が、彼らが脳裏に浮かんだ。

バレルは品物を受け取ると書斎に向かう。書き物や昔の資料を見る際に使用している部屋だ。

天然木の机の一番上の引き出しを開け、一枚のカードを取り出した。先日のうちに書いておいたメッセージカードだ。

店がサービスでつけてくれるものももちろんあるが、これは  これだけは、彼が自筆を添えたかった。

シンプルな白地に、黒々としたインクで書かれた文面は

 

『To.N

 お誕生日おめでとう

 君のこれからの一年に、希望と幸せが満ちていますように

                                 For.B』

 

芸がない文面だとは思うが、毎年同じものになってしまう。

そのメッセージカードを、箱とリボンの間に挟みこむ。

その箱は、そのまま三段になっている机の引き出しの一番下の段に、しまいこまれた。

その引き出しには、同じように丁寧に包装された箱が、幾つもしまわれていた。

箱の大小は様々であり、中身も様々だった。サバイバルナイフに、アーミーナイフ、ネクタイピン、時計……それらは、万年筆と同様、バレルが手ずから選んだ品々だった。

今、バレルがしまいこんだ箱で十箱目。

それらは、貰い主の手に届けられることなく、引き出しの奥で眠りについた。

 

 

 

『その日』は、「不死身のバレル」と呼ばれた男にとって、特別な日だった。

 

日課であるセントラル公園への散歩の帰りに、バレルは花屋へ寄る。公園そばの、個人経営の小さな花屋だ。店頭には、深緑の鉄製のゴミ箱をバケツ代わりに花を生けている。

彼が花屋へ寄るのは、年に一度、この日だけだ。

店員に名を告げると、店員はすぐに小さな花束を抱えて戻ってくる。

青紫のスイートピーに、鮮やかな赤が一際目を引くヒゲナデシコ、その後ろに控えているのはアカンサスだ。アザミによく似た美しい光沢がある葉を持ち、白地に紫色の葉脈をもつ唇形の、長い穂状の花が咲いている。

甘く強い芳香を放つ白い花をつけた木はジャスミン、刃のような葉にすっくと伸びた茎の先に、三枚の花弁が垂れ下がった花の形の青紫の杜若、花弁の色が薄青色のマーガレットのようなブルーデイジー、そして、卵形の葉が対になって茎に生え、その先に瑠璃色のかわいらしい花をつける10〜20cmほどの花は、ルリハコベだった。

それら、高さはバラバラではあっても同系色の、本来ならばまとめることすら難しい花々を、店は見事に一つの花束にする。

本来花束に入れることのないルリハコベを、わざわざ取り寄せ混ぜてくれたのは、花屋の好意だ。

そして、ルリハコベを加えたかったのは、バレルの我侭だった。

 

 

 

『その日』は、「不死身のバレル」と呼ばれた男にとって、特別な日だった。

 

部屋に戻ったバレルは、出かける前に取り込んでおいた郵便物に目をやった。

その目が、僅かに細められる。

出かける前にあった封書は四通  今、机の上におかれている封書は、五通。

一通多い。

この階に居を構えているのはバレルだけであり、元アメロッパ軍総司令という肩書きと共に、あまり表沙汰に出来ない経歴のために、バレルには護衛という名目の監視もつけられている。

当然、バレルの部屋に侵入することはたやすいことではない。

増えた一通は、A4用紙が入るほどの封書だった。宛名も、差出人名も記されていない。

だがその封書に、バレルは会心の笑みを浮かべた。

ペーパーナイフを握る手ももどかしく、封を切る。

送られてきたのは、数葉の写真と、メモリーディスク、そしてびっしりと文字で埋め尽くされた書類だった。

バレルはそのまま書類を読み始めようとしたが  

 

「バレル、座って読んだらどうだ」

 

迷彩コートのポケットに入れたままのPETからの声に、我に返る。

窓際に置かれたソファに腰を下ろし、改めて中を確認した。

写真は、何気ない日常の風景だった。

ファミリーレストランで、大きな口を開けてカレースプーンを咥えようとしている青いバンダナの、十歳前後の少年。傍らでは、母親らしき女性が笑いながら少年を見ていた。

次の写真では、同じ少年が、同じぐらいの背丈の少女と、小太りの少年と並んで歩いていた。

その次の写真には、グラウンドを走る体操着を着た少年が、白いテープを切った様子が写っていた。周囲には、同じ格好をした子供達がたくさんおり、父兄達もそれぞれにビデオやカメラを構えている。少年は、元気よく両手を天に伸ばして、誇らしげに満面の笑みを浮かべていた。

それらはありふれた日常の  だが、少年の健やかな成長の様子が伺える写真だった。

 

 

 

『その日』は、「不死身のバレル」と呼ばれた男にとって、特別な日だった。

 

バレルは、居間兼客間のサンルームから眼下の街の灯りを見下ろしていた。バレルの住むマンション以上の高度を持つ建築物は周囲には存在しないため、そこは、人工の星空を作っていた。左手の、闇がわだかまっている部分は、セントラル公園の辺りだ。

今日はその窓辺に、丸テーブルを置いている。

テーブルの上には、質素な花瓶に活けられた花束と、ブランデーの瓶、数種類のチーズの盛り合わせの皿が乗せられており、ブランデー用のチューリップ型の柄の短いグラスが二個、セッティングされていた。

グラスは、バレルの前と、その対面に。そして、その対面のグラスの前には、黒い古びたPETが置かれていた。

 

「私に飲食は不可能だと、毎年言っているはずだが」

 

PETの中から、いささかあきれ気味の声が流れる。

 

「俺も、気分の問題だ、と毎年答えているはずだが」

 

楽しげに目を細め、バレルは反論する。

PETの中のカーネルは、それに対する更なる反論を諦め、話を変えた。

 

「メモリーディスクの中身を、早速見せてもらったぞ」

「そうか」

「光熱斗は元気そうだったな」

 

それからふと、カーネルは呟いた。

 

「もうすぐ、なのだな、バレル」

「ああ。もうすぐ、だ」

 

静かにバレルは頷いた。

 

「熱斗君とロックマンが出会ったのだから」

 

    『運命』が、動き出す。

 

先程、アメロッパ軍の監視の目を盗んで届けられたのは、光熱斗に関する、この一年の調査書だった。毎年、『この日』に届けられるように依頼したのは、バレルだ。

熱斗に物心がつくようになってから、バレルとカーネルの二人は、可能な限り光家との接触を断っていた。

その代わりに、一年間の熱斗に関する調査資料を直接、届けさせている。この時代、ありとあらゆる情報は、ネットを介して受け取ることが可能だった。だがバレルは、現実世界でのみの受け取りを希望した。

バレルの監視は、当然、ネット上にも存在する。その対象となっているのは、主にカーネルだが、バレル宛のメールも含まれている。ネット上で、熱斗に関する情報を受け取ることで、バレルが光熱斗の情報を欲していることを、アメロッパ軍に知られるわけには行かなかった。そのために、熱斗の情報は、書類で、写真で、メモリーディスクで、伝えられようにした。

『何か』あったときには、全て破棄出来るように。

当然、調査書の作成者はアメロッパ軍関係者ではない。ある事件解決の折に接触した、元、闇の仕事人である。そして彼には、調査資料の破棄も依頼している。何よりも、光家にバレルが彼らに興味を持っていることも、知られてはならないのだから。その彼からの、口頭での報告も先刻受けたばかりだった。

つつがない熱斗の日常に、バレルは穏やかな笑みを浮かべながら聞き入った。

そして、今回の報告の最後に加えられたのは『光熱斗が、彼だけのカスタマイズナビ、ロックマンを入手した』という出来事だった。

 

バレルは、テーブルに飾った花束に目を向け、細く、息をつく。

彼らの『これから』については、自分達は手を貸せない。

どんなに厳しい戦いであっても

どんなにつらい事実に向き合うことになっても。

それらの出来事を、彼らが二人で、共に歩み戦うことで乗り越えてこなければ、自分達と『出会う』ことは出来ないのだ。

幼馴染の少女や、ライバルや、両親や、そのほかの、ネットバトルを通じて知り合っていく人々との絆の先に、自分達はいるのだから。

だからこそ、バレルは、カーネルは願う。

    どんなにカーネルが強大な力を手にしていても、手助けできないからこそ。

    もはやバレルの体は自由が利かないからこそ。

ヒゲナデシコの花言葉は『勇敢』と『義侠』、そして『細やかな思い』

青紫のスイートピーは、『優しい思い出』『永遠の喜び』に加え、『門出』を

アカンサスは『巧妙』『離れない結びめ』

ジャスミンの『素直』『清純』『優美』『喜び』『愛らしさ』

杜若の『気品』と『幸運』

そして何より、特別に付け加えた青い蒼いルリハコベは『約束』―――――――

彼らに対する、二人の思いそのものだった。

それは、二人の祈りだった。

 

 

 

『その日』は、「不死身のバレル」と呼ばれた男にとって、特別な日だった。

 

『その日』  6月10日は。

遠い昔に出会った、これから自分と出会う少年のために。

歪んだ時の流れゆえの、奇跡のその出会いのために。

 

「お誕生日、おめでとう」

 

バレルは、琥珀色の液体がたゆたうグラスを、虚空に向かって傾けた。

 

 

 

『その日』は、「不死身のバレル」と呼ばれた男にとって、特別な日だ。

 

 

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