ヴァン幸せルート小説 28
支部の入り口でヴァン謡将への取り次ぎを頼むと、ほどなくして執務室へと通されることになった。
凝った装飾の施された廊下の奥、重厚な扉の先に、ヴァンの執務室はあった。
「ヴァン謡将失礼いたします。マルクトのジェイド・カーティス大佐とガルディオス伯爵をお通しいたしました」
「……ご苦労。下がってよろしい」
「はっ」
教団の騎士に案内されて入った部屋は、壁や柱に装飾もあるものの、広さのせいもあるのか執務室らしい凛とした機能美に満ちていた。それを何となくガイは、ヴァンらしい部屋だなあ…と感想を持った。
「鳩を使いたいというご要望とか」
「はい。これまでの経過を簡単にまとめてマルクトへ報告したいと思いまして」
「では担当の者に取り次ぐよう命じよう」
「ありがとうございます。それとついでと言っては何ですが、そのための文書を今作成させていただいても宜しいでしょうか。たまたまガイと街で会えたので、鳩を借りることを思いついてそのままこちらに来てしまったものですから」
謡将と大佐という軍人同士のしれっとしたやりとりの空気の悪さを、ガイは困った顔をして眺めていたが。
「街で?」
「ええ☆ ファンの女性群に囲まれて、ガタガタ震えて泣いて大ピンチなガイを、私が救ってあげたんですよ♪」
感謝して欲しいですねえ、とニヤつくジェイドに、ヴァンは苦々しさを込めて、少しだけ眉を顰めた。
「ガイラルディア様。お休みになっていなくて大丈夫だったのですか」
「えっ…あ、ああ、その…」
風向きが自分の方に向いて、ガイはちょっと焦りながら。
「もう大丈夫だよ。ほんと、寝てばっかりいる方が体に悪いだろ」
それで街をふらふらして、逆ナンされて気を失いかけてました、と言うのは気まずい。
「書類の作成ならばそこを使うと良いだろう」
ヴァンの広い執務机は部屋の正面奥にあり、その反対側、入り口を入って左手は応接用のソファーなどが。右手奥には秘書官などが使う為の執務机がある。ガイ達には応接用のソファーとテーブルが進められた。
「では遠慮なく」
鳩には専用の用紙で書類を作る必要がある。ジェイドはそれを用意良く携帯していたようで、筆記具だけを借りて、ガイがアドバイスを受けながら作成することになった。
応接用のソファーに、向かい合わせではなく、なぜか並んで座る。ガイの隣でジェイドはにんまりしながら、ガイにアドバイスなどをしている。
ヴァンの眉毛がピクピクしているのを心から楽しんでいるようだ。
「そうだジェイド、昨日ルークが言ってたことなんたけど」
ガイはルークが提案した国際会議についても、提案として鳩便で伝えたいと願った。
「そうですね、ではそれも書き加えましょう」
ガイが丁寧な文字でそれを書き込むと、用紙はそれできっちりといっぱいになった。
ヴァンが担当者を呼んで、鳩用の部屋へとガイ達が向かうと、なぜかヴァンも一緒についてきた。
「鳩をお貸しいただきありがとうございました。では我々はこれで」
作業を済ませて教団支部からジェイド達が立ち去ろうとすると、
「ガイラルディア様は私が送っていこう」
と、ジェイドと一緒に行こうとしていたガイの進路をヴァンはさりげなくふさいだ。
それにジェイドはクスリと笑ってから、
「ではガイ、私は先に失礼します。ああ、正式な報告書は今夜書いていただくことになりそうですから、そのつもりで」
「あ、ああ…分かった」
では、と去っていくジェイドの青い背中が扉の向こうに消えてから、「えっと…」とガイはヴァンの顔を見た。
ヴァンは何を考えているのか分からないような無表情さだったけれど、声だけは冷静に
「私はまだ執務が残っている、もう少し部屋で待ってもらえるか?」
「ああ、うん」
ガイは所在なく、執務室でヴァンの仕事が終わるのを待つしかなくなってしまった。
ソファーに座っていると、今更ながら、お茶などが運ばれてきた。それを飲みながらぼんやりとヴァンの仕事ぶりをガイは眺めていた。
ヴァンは持ち込まれる書類にサインをし、執務官を呼んではてきぱきと簡略に指示を出していく。神託の騎士が部屋に来ては、ヴァンに指示を仰ぐ。
ヴァンの低く良く通る声で命令が出されると、空気がぴりりと痺れるような感覚があって、ソファーで座っているだけのガイも姿勢を崩せないでいた。
あいつはやっぱり凄い奴なんだなあ……
人の上に立ち、強力な求心力を発っするヴァンの持つ空気に、ガイは当てられていた。
ここがヴァンの支配する教会であるという場所柄もある。
神託の騎士達のヴァンへの傾倒ぶりは、短い会話を聞いているだけでもひしひしと感じられるものだった。
ヴァンの前に立つ騎士達は皆、キリキリとしたし緊張感と敬愛を含んだ態度をヴァンに対して取っていた。
そしてその信頼を一身に受けているヴァンは本当に揺るがない堂々とした存在感で。
「退屈をさせて申し訳ありません」
「いや、俺のことは気にしなくて大丈夫だよ」
時折思い出したようにガイに言葉をかけてくれるヴァンに、ガイは(俺、ここに居て大丈夫なのか?)と心細さを言葉にすることも遠慮していた。
考えてみれば、ガイの知っているヴァンは、ファブレ家での剣術の指南役としてのヴァンが中心だった。本当に時折、ガイが街の外へ用事を言い使って出かける機会に、ヴァンと隠れて会ったりするくらいで。
その時もお互い一人だったので、ヴァンが神託の騎士の中でどのような仕事をしているのか、ガイは何となくしか知らないでいた。
それをこうして実際目の当たりにしてしまうと。改めてヴァン・グランツ主席総長としてのヴァンに、敵わない、手の届かない部分をガイは感じてしまっていた。
ヴァンは七つ年上ではあるけれど、ヴァンが今の自分と同じ年頃に何をしていたのか、更にホドが崩落した直後からの事にまで遡って。
自分は二年もかかって“敵を討つ”という覚悟を決め、ほとんどペールに頼ってファブレ家に使用人として潜入したけれど。
一方のヴァンは同じ目的と、それ以上の目的を果たすために、こうして世界の中心的存在の教団の、主席総長にまで上り詰めているのだ。
同じ男として、というか人として、違いすぎるレベルをどうしても感じて、ガイは、一人で静かに落ち込んでいた。
ヴァンは自分を主人として仕えてくれているけれど。
そんな資格はやっぱり自分には無いんじゃないだろうか。
たまたま主従関係を持った家に生まれた子供同士。もしその関係がなかったとして、全く違う境遇で出会うことになったとして、ヴァンが自分に、あんな熱のこもった視線を向けてくれるようになる運命に出会えたりするんだろうか…
そこまで考えて、(……ん? それってまるで……)
と、ガイは自分が何を考えていたか気づいて、一人で顔を赤らめることになった。
「ガイラルディア様?」
ちょうど最後の書類にサインを終えたヴァンが、一人でプルプルしているガイに気づいて、心配して声をかけてくる。
「思いの外時間がかかってしまいすまなかった」
「あ、その、俺に気を使わないで仕事続けてくれてかまわないぞ?」
「いえ、こちらで済ますことはこれで大体形が着きました」
執務机で書類をまとめているヴァンは穏やかな目でガイに語りかけてくれる。仕事モードとは明らかに違う柔らか空気に、それが自分だけに向けられてきた、もう一つのヴァンの本当の顔な気がして、ガイは心臓の辺りが暖かく甘くなるような変な感じがした。
部屋に呼ばれた執務官が書類を持って退出してから
「んじゃ、帰るか」
「はい」
ガイは座りっぱなしで緊張していた腰を延ばす。ヴァンと一緒に廊下を歩くと、すれ違う神託の騎士達が軽く敬礼をしながら道を空ける。少しヴァンの背中を追うようにガイは斜め後ろを歩きながら、その凛とした背中に、
やっぱり悔しいくらいカッコいいなコイツ…。と考えたりしていた。
二人揃って教団の外に出る。夕方近い時間だったけれど、まだ陽は橙色に輝いて。暖かなその色に、ガイは深呼吸する。
「なあヴァン」
「なんでしょう」
「まだ時間あるし、ちょっと寄り道してかないか?」
いたずらっ子みたいな笑顔でそう提案されて、ヴァンはちょっと目を丸くした。
「お前とバチカルの街を一緒に歩くなんてこと、出来る日が来るなんて、…思ってなかったからさ…」
笑みを絶やさずガイがそう告げると、ヴァンも目を細めて、精悍な笑みをその顔に乗せた。
その笑みに、ガイはちょっと見惚れてしまってから、二人でクスクスと笑いあう。
少し離れたところで教会の入り口で警護に当たっている騎士達が、鎧の中で最大限の驚愕の表情をしているとは全く気づかないまま、ガイはウキウキとした気分で、
「早くしないと陽が暮れちまう」と、ヴァンの腕を引いて、下町の方へと向かった。
そんなに時間がある訳でもなかったので、天空客車で二人で港へと出て、二人で並んで、沈んでいく夕日を静かに眺めたりしていた。
自分と同じように、ヴァンも海には特別な感慨があるみたいだった。
「事態がもう少し落ち着きましたら、二人で色々世界を巡ってみるのはどうでしょう」
ヴァンのその提案にガイは「そいつは良いな!」と目を輝かせた。
頬が少し赤くなっているから“シェリダンに行きたい!!”と真っ先に頭に浮かんだのだろう。
分かりやすい主の反応ぶりにヴァンは微笑ましく笑った。
その笑顔にガイはまた見惚れながら、ヴァンにもっとこんな笑顔させたいな…と考えたりしていた。
海風と沈みかける陽の美しさを二人で並んで楽しんでから、遅くならないうちにと屋敷に戻ることにしたのだった。
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