ガイとヴァンは、白光騎士団の警護するファブレの屋敷の門を、揃って通った。
									重々しい扉の先、エントランスの柱には、青く輝く宝剣。
									「………」
									誰にも見つからないようにこの剣を見上げて、涙をこらえていた幼かった自分。
									成長した今は、この剣を視界に入れても、あの頃のような辛い気持ちにはならないでいる。
											“この屋敷に飾られた剣”という光景に慣れてしまう程に、この屋敷で過ごしてきた…ということなのだろう。
									復讐という目的でなく、ヴァンデスデルカと本当の身分を明かして、二人で揃ってこの屋敷に在るという今が、ガイにはまるで奇跡のようだと思えていた。
									
										
										
										
											屋敷にはルークとナタリアが会議から戻ってきていた。
									「ルーク ナタリア、お疲れさま。大変だったろ」
											「時間かかっちまったけど、何とか全部理解してもらえたみたいだ…それと…… ヴァン師匠、ありがとうございました。昨日俺が言った平和会議のこと、今日もうイオンからの親書が届いて…」
									昨日ルークが提案した、各国代表が揃っての平和調停を、イオンの提案としてキムラスカ側に、さっそく書類をヴァンは届けてくれたらしい。
									「マルクトへの親書も整っております、ガイラルディア様」
											「ありがとうヴァン…」
									仕事も早く、頼もし過ぎるヴァンの存在に、ガイは何度でも感謝したい気持ちだった。
									ルークの話しでは、マルクトへの親善大使として再びルークと、もう一人貴族の次官が選ばれたらしい。
									「それから、今夜はまた父上達が揃っての晩餐だって」
									また世界を飛び回ることになる息子と、その仲間達へ、挨拶を兼ねた晩餐なのだろう。
											ファブレ公爵との会食というのは緊張ばかりで、できれば遠慮したい…というのが本音なのだが。
									旅に同行した仲間達は全員招待されたようで、イオンとアニス、ティアは既に屋敷に来ている。導師守護役としてアリエッタが同行していたが、晩餐の間は部屋の外で警備するらしい。
									
										
										
										
										
										
										旅の仲間達が揃って晩餐の席に着く。ファブレ公爵夫妻が入室して簡単な挨拶をしてから、気の重い食事の時間が始まった。
									それでも食事中は、ナタリアやルークが語る会議での話しや、今後の各自の役割について、ジェイドのバルフォア博士としての考察など、堅めではあるけれど意義の深い会話がなされていた。
									話しが暗い方に行きそうになれば、ガイが暖かくフォローをする。
									特にナタリアはマルクトへ同行したかったのに許可が降りなかったと、王宮に止まらなければならないことを嘆いていたが。
									「きみは随分と父上を心配させてしまったんだから、しばらく親孝行してあげたら良いよ。それにきみになら、今後の支援のことも安心して任せられるからね。頼りにさせてもらうよナタリア」
									共に旅をするばかりが仲間ではないとガイが柔らかに促すと、ナタリアも納得したようで、「任せてくださいませ」と華やかな笑みをガイに向けた。年頃の見目良い幼馴染み同士が微笑みあう光景は、美しい絵のように人の目を惹き付けるものだった。
									ここに本来居るべきナタリア王女の婚約者は、彼女より少し年下で。
											その彼の複製として生まれたルークはまだ七年しか人としての経験を積んでおらず。王女と並んでしまうと、どうしてもガルディオス伯爵であるガイの方が見た目も年齢も精神的にも、彼女の隣に在ってしっくりと馴染んでしまう。
									ルークも髪を切ってからは随分と人間的に成長しているのだが、ガイと並べてしまうと、幼さが目立つ。被験者であるアッシュも大人であるとは言いがたかったが。
									(これは公爵夫妻は複雑な気持ちになるかも知れませんねぇ。変な方向に話しが向かわなければ良いんですが…)
									…とジェイドは内心ガイを案じていた。
									そんな心配は余所に、若者達の話しは明るく続いている。
											ジェイドはちらりとガイの隣で黙しているヴァンを見た。求められなければ会話には参加しないつもりらしい。尊大なポーカーフェイスぶりは地のようだが、大切なご主人様に何か起きた場合、一番手に負えない相手である。
									料理はデザートまでが滞り無く済み、食後の飲み物などが振る舞われた。何事もなく晩餐は終わりそうな空気だった。
									「明日から任務でバチカル離れるトコだったんで、ぎりぎりゴージャスな晩餐に呼んでもらえてアニスちゃん幸せですー」
											「一緒に旅が出来ないのは残念ですけれど、また直ぐに会えますわね」
											「それぞれの仕事をしっかり頑張らないといけないわね」
											「ルークも親善大使頑張ってくださいね」
											「ありがとうイオン」
									それぞれ旅に同行できなくなる仲間を労ったりしていたが、ふと、会話が途切れる時間があった。
											その時に
									「ガルディオス伯爵には…」
											「…!」
									唐突に公爵の重々しい声が響いて、仲間達は揃ってビクリと身体を跳ねさせた。
											渦中のガイは、公爵に背を正して顔を向けると、続く話しを聞く姿勢を整えた。
									「ルークが親善大使として同行する故、再び世話をかけることになるが」
											「い、いえ 助けられているのはこちらの方です。ルークはとても立派に頑張っていて…」
											「父上…ガイ…」
											「ルークがまだ至らぬのは分かっている。これからも心を掛けてやって欲しい」
									あまりにも珍しい公爵の暖かに聞こえる言葉に、ガイは「勿論そのつもりです」と焦りながら答える。これまで息子であるルークにあまり関心を示してこなかった公爵の変化に、ガイもルークも正直戸惑ってしまうが。
									「そうか。伯爵には友好の証として、お返ししたい物があるのだが」
									ピリッと空気に痺れるような緊張が走ったのを、仲間達は感じた。
											微笑ましい会話のように聞こえていた筈であるのに、何かがおかしくなった。
											公爵はガイに何を返すというのだろう。
											ガイが屋敷で暮らしていた時の私物……ではこんな空気になったりは……
									「宝剣と、もう一つ。貴公がずっと探していたであろうモノだ」
									ガイの視線に鋭さが混じる。
									普段穏やかで滅多に怒った顔を見せないガイだが、時折見せる鋭い視線は、誰よりも鋭利な輝きを持っている事を仲間達は知っている。
									空気が酷く冷えきっていた。
											ヴァン謡将は黙して動かない。
									「ファブレ公爵。ご厚意ありがたく存じます。ですが、そのようなご厚意には関係なく、私がルーク様を大切に思う気持ちに変わりはありません。ルーク様は私にとって掛け替えのない親友だと、勝手ながら思わせていただいています」
											「ガ…ガイ…?」
									皆の前でガイに“様”付けで名を呼ばれたルークは、この場の空気の変化に戸惑うばかりだった。
									「親友…か」
											「使用人として仕えておりましたのに、おこがましいとお思いでしょうが」
											「ガイ!」
									慌てるルークには気の毒だったが、ガイには避けて通れない事がとうとう来たのだと分かっていた。
									復讐者として身分を偽ってこの屋敷で過ごした年月を、避けて通れるものでは無い。
											今それを咎められているのだ。
									「ユージェニー様を手に掛けたのは、この私だ」
									凍るような空気どころでは無かった。
											仲間達は食べた物が逆流しそうな緊張感に苛まれていた。
									ユージェニーとは、先日聞いた、ガイの母君の名だ。公爵夫人は幼馴染みなのだと懐かしそうに語っていた。その彼女を手に掛けたのは…。
											公爵の横に座る夫人が、青ざめた顔で小さく「あなた…」と囁くのが聞こえた。
									「それでもルークを親友とすると?」
											「たとえ過去にどんな事があったとしても、私にとってはルーク様と過ごして得たものが全てです。気持ちが揺るぐことはありません」
									ガイの言葉は鋭かったが、どこまでも落ち着いている。
									「ならばルークに騎士の誓いを立ててくれるか」
									決して裏切らず、生涯誠意を持って仕える、その騎士の誓いを。
									「お望みならば」
									ガイはいっそ優雅な動作で椅子から立ち上がると、
											公爵の斜め隣に座るルークの元へと数歩、
											仲間達が唖然と見守る中
									美しい所作でルークの前に片膝をついた。
									「!!!!!」
											「私、ガイラルディア・ガラン・ガルディオスは、ルーク・フォン・ファブレに生涯の…」
											「まっまっ待って!!待ってくれガイ!!!頼むから!!待って!!!」
									浪々と唱えられる誓いの言葉を、ルークがほとんど涙声で、叫ぶように遮った。
											片膝をつくガイに、ルークは椅子から転げ落ちるような勢いでガイにしがみついた。
									「ち、父上!! お願いです、こ、こんな事しなくったって、ガイは俺の大切な親友で!親友とかそんなんじゃ足りなくって、ずっとずっと俺はガイに! ガイがいてくれたから、ずっと… お願いです、こんな事、俺はガイにして欲しくないんです」
									ルークの叫びは涙が混じって、痛々しく響いた。シュザンヌ夫人も公爵の椅子の肘掛けにそっと手を延ばし、言葉の無いまま許しを求めた。仲間達はただ黙って見守っているしかなく。
									「伯爵。お気持ちは分かった。これからもルークを宜しくお願いする。それとは関係なく、当家で預かっている物はお返ししよう」
									必死なルークの嘆願のおかげで、ガイは許されたようだった。ガイはしがみついて震えているルークの頭を優しく撫でる。
									「ありがとうルーク。けど俺はお前に騎士の誓いをしたって全然構わないんだぜ?」
											「ガイっ」
									ガイがルークの背を支えて立ち上がらせる。
									「ファブレ公爵。ルークと友人であることを許して下さってありがとうございます。そして…」
									ガイは居住まいを正して少し頭を垂れる。
									「長年、身分を偽り、屋敷で過ごさせていただいたこと、申し訳なく思っています。そして掛け替えのないものを得ることが出来たことを、深く感謝しています」
									絶望の過去しか見ることが出来なかった幼い自分が、そうではない、明るい世界に視線を移すことができたのは。
									ガイの真っ直ぐな視線を受けて、公爵は眉を寄せ、息をついた。
									「ルークが生まれて直ぐに、アクゼリュスの秘預言を告げられていた。どうせ失われる息子ならばと、ルークに親らしい情をかけずにいた。一つだけ誉められる所があるとすれば、…お前をずっとルークの世話係りとするよう命じたことだろう」
									ファブレ公爵の素直とも言える告白に、場には柔らかな空気が戻ってきた。
									
										
										
										
										
										
										
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